言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

日中の金融危機対策

2009-07-05 | 日記
加藤紘一 『劇場政治の誤算』 ( p.107 )

 ある民間エコノミストの試算によると、〇八年の世界金融危機を迎えるまで、世界の金融資産総額は、一九九〇年に四〇兆ドルだったのが、二〇〇〇年にはその二・五倍の九〇兆ドル、〇七年には一八七兆ドルと実体経済(名目GDP)の約三・六倍に膨れ上がっていました。どう考えても膨らみすぎでした。これだけの膨大なお金を、いったいどこから集めてきたのでしょうか。単純に考えて、世界にこれだけの金融資産があるということは、裏を返せば膨大な負債が発生していたということです。
 こんな自由を許してはいけない、まやかしはいつか必ず化けの皮がはがれると、慧眼をもつ識者はとっくに予言していました。その一人であるエコノミストに、私もかれこれ一五年ほどご教授を願っていました。そしてその人の言うとおり〇八年九月、リーマン・ブラザーズが破綻したのです。
 〇八年の夏頃、日本における政府の担当局長レベルの認識は、それほど危機感を持つ必要はないというものでしたが、私はそうではないと思っていました。リーマン破綻一週間前の〇八年九月七日、私が日中友好協会の会長として訪中した際に、胡錦濤国家主席と約一時間会談をする機会があったので、これは大変な好機だと思い、事前に「いずれアメリカから飛び出してくるかもしれないとんでもない金融危機にどう対応するつもりなのかお聞きしておきたい。ブリーフィングを上げておいてください」と、武大偉外務次官に申し入れました。すると武氏は即座に「それはまったく必要ありません。主席は時間があれば、予想される国際金融危機の対応策で専門家を集めて会議しています。思う存分問題提起してください」と言われました。このときすでに中国政府は、対策を検討し始めていたのです。
 対談の席で私は約束どおり質問をしました。
「いずれ大変な国際金融危機がきたときに、アメリカを助けられるのは約二兆米ドルを持っている湾岸産油国と、中国の一・八兆円の外貨準備高、そして約一兆ドルの日本の金融力でしょう。それをもって支援することは国内政治にかなりのリスクがかかりますが、やはりドルの信頼の確保は必要なことのように思います。そのときの協力について、どう考えますか?」
 すると胡錦濤氏は即座にこう答えました。
「その通りです。国際金融の安定、世界マクロ経済の発展のために、我々中国は日本、アメリカ、その他の国を含めて共に協力をしていく覚悟があります」


 金融危機に対して、日本は ( 事前に ) 対応を検討していなかったが、中国は検討していた、と書かれています。



 これを読むと、日本はどうなるのだろう、と思います。米国のバブル崩壊は事前に予測されていたのであり、「日本における政府の担当局長レベルの認識は、それほど危機感を持つ必要はないというものでした」 というところが、どうにもひっかかります。


 また、加藤氏の 「ドルの信頼の確保は必要なことのように思います。そのときの協力について、どう考えますか?」 に対して、胡錦濤氏は即座に 「その通りです。国際金融の安定、世界マクロ経済の発展のために、我々中国は日本、アメリカ、その他の国を含めて共に協力をしていく覚悟があります」 と答えた、というのですが、

 これをもって、中国は米ドルを支えるつもりである、と読んでよいのでしょうか?

 普通に読めば、中国は米ドルを支えるつもりである、となりますが、そこまでは言っておらず、「国際金融の安定、世界マクロ経済の発展のために」 協力する、と言っているだけだとも受け取れます。

 真相はどちらでしょうか?

小泉・竹中路線が間違いだったとは、言い切れない

2009-07-05 | 日記
加藤紘一 『劇場政治の誤算』 ( p.105 )

 今、これほどまでに不況が深刻化し、失業者が増大し続けているのは、日本がサブプライムローンに直撃されたからではありません。日本の金融は諸外国に比べれば軽症だったはずです。第一章にも書いたとおり、日本人はバブルの苦い経験と、タヌキ民話のおかげで究極の福袋には手を出さなかったからです(17、18ページ参照)。
 日本経済がこんなに傷んでいるのは、端的に言えば小泉・竹中路線が心血を注いだ経済政策によって、極端な外需依存になっていたためです。
 リーマン・ブラザーズの破綻以前の日本経済は、一見堅調に見えました。しかしどこかに危うさの感じられる景気でした。特に、その当時からすでに企業の好景気は非正規雇用をかなり手軽に、安く利用することによって成立していたと言われていました。そこに一〇〇年に一度といわれる今回の世界恐慌レベルの波が襲ってきたわけです。

(中略)

 この波の本質は、いわば過去五年から一〇年、世界各国がアメリカに膨大な借金をさせてモノを買わせて儲けていたというところにあります。日本は車を売り、韓国はIT関係の製品を売り、中国は繊維製品を売ることで経済を伸ばしていい生活をし始めた。国債を買うといった方法などでアメリカにモノを買わせるためのお金を貸したのは、我々輸出側の国々です。アメリカだけに、世界不況の責任を問うのは間違っています。
 一九六六年から七〇年まで続いた「いざなぎ景気」のときには、GDP伸び率のほとんどを国内需要要因が支えていました。海外輸出の寄与率はわずか一割です。それが二〇〇二年からの景気回復局面では六割を占めていました。世界の不景気がもろにかかってくるのは当然です。


 日本経済が傷んでいるのは、小泉・竹中路線が原因であり、極端な外需依存になっていたからである、と書かれています。



 日本では、内需が弱いのはその通りだと思います。また、「非正規雇用をかなり手軽に、安く利用」 したために、日本人労働者の購買力が弱まり、内需が弱まったのも、たしかだと思います。

 しかし、「中国人研修・実習生の賃金例」 が示すように、( 海外に比べて高すぎる ) 日本人労働者の給与を下げなければ、( 価格が高すぎる ) 日本製品は競争に敗れてしまいます。これはなにも、輸出しなければよい、という話ではありません。海外製品の輸入を禁止しないかぎり、「日本人が日本国内で」 安い海外製品を買い、国内製品を買わない ( したがって日本製品が売れない ) 、という話になってくるからです。

 したがって、非正規雇用の人々の給与を上げればよい、と即断するわけにはいきません。


 日本が経済的に鎖国するのでないかぎり ( それは非現実的だと思います ) 、小泉・竹中路線が間違いだったとは、言い切れないのではないかと思います。

合法であれば正しい、とはいえない

2009-07-05 | 日記
加藤紘一 『劇場政治の誤算』 ( p.101 )

 〇九年一月、スイスのダボスで毎年行われる世界経済フォーラム(WEF)の年次総会が開催されました。世に言う「ダボス会議」です。

(中略)

 ダボス会議が今年のテーマに選んだのは「危機後の世界をどう形づくるか」。
 会議の開幕、WEFのクラウス・シュワブ会長は、こう語っています。
「バランスを失した世界のリスクを認識していなかったという点で、われわれ全員何らかの責任がある」
 また、討議の中で英大手金融HSBCのグリーン会長が述べた言葉はこうです。
「いつの頃からか、そこに市場があり違法でなければ、正しいか、適切かを全く考えないようになっていた。大切なものを失っていた……」
 世界の経済を牽引してきたキーパーソンたちが、本気で過ちを認めています。新自由主義の推進には、確実にブレーキがかかるでしょう。


 世界経済の要人が過ちを認めているから、新自由主義の推進にはブレーキがかかるだろう、と書かれています。



 たしかに、ブレーキはかかるだろうとは思います。しかし、「自由」 を重視する流れが変わるかどうかは、わかりません。「規制か自由か、の二者択一」 ではなく、「必要であれば規制するが、必要がなければ規制しない」 と考える ( すなわち必要に応じて、部分的に規制する ) のが、自然だと思われるからです。


 また、この文章からは、要人たちの誠実さが感じられます。とくに、「違法でなければ、正しいか、適切かを全く考えないようになっていた」 には、「合法であれば正しい、とはいえない」 という内容が含まれています。合法であること、のうえに、さらに必要とされるものは何か、といえば、倫理的であること、だと思います。この部分は重要だと思います。

 なお、倫理的かどうか、を考える際には、「倫理性の判断規準」 が参考になると思います。