言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

雇用対策としての道路建設

2009-07-07 | 日記
加藤紘一 『劇場政治の誤算』 ( p.164 )

私は道路族ではありませんが、

(中略)

 実は、道路財源の約三分の一は、東京、大阪、名古屋に使われています。特に、東京の占める割合はもっとも高くなっています。なぜなら、用地買収費が高いからです。地方の高速道路は、一キロ当たり高くて四〇億円で作れます。現在、東京では山手線の下に高速道路を作っていますが、これは一キロ一〇〇〇億円かかります。四谷見附から市ヶ谷方面に約五〇〇メートル幅を拡げましたが、これはキロ単価で七〇〇~八〇〇億円です。

(中略)

 たとえば道路を作る際の「費用対効果」というものが問題とされています。東京の一キロ一〇〇〇億の道路は、多くの人が通るのでお金をかけても充分にペイするという理解があります。一方、北海道のクマが出るような所の道路は通る人が少ないので、費用対効果の数字は上がりません。
 この「効果」で価値を計る理論でいくと、人がいるところにどんどん高速道路が造られ、便利になるとまた人が集まる。そして地方では道路を造って欲しいと言っても後回しになる。この悪循環が続いてしまいます。そうなると、ますます首都圏集中のいびつな国づくりに陥ってしまう。そろばん勘定だけで道路の価値を計るというのは、いかにも新自由主義的なロジックではないでしょうか?
 道路問題を議論する際には、日本が将来どのような国を造るべきなのか、そのビジョンが必要です。地方では幹線がちょくちょく途切れています。特に県と県の間が途切れていることが多いので、その辺はしっかり造っていくべきです。

(中略)

 同時に、公共事業全般を「悪」と考えるということにそろそろ終止符を打たないと、今後の国内の雇用対策、そして政府による仕事作りという点ではかなり限界が来るでしょう。もちろん将来にわたる長期的な展望としては、クリーンエネルギーなどの最先端産業によって、この国の仕事を作っていかなければなりません。しかし今、ことによると数十万単位での派遣切りなどで雇用が切られていくとなると、やはりすぐに雇用が創出できるものといえば公共事業です。アメリカのオバマ新大統領も「道路・橋などの公共事業を」と言っています。どこの国でも、国が仕事作りをすることによって雇用対策をしていくということは必要なことです。


 雇用対策として、公共事業を行うべきである。特に、地方に道路を造るべきである、と書かれています。



 雇用対策として公共事業が有益なことは、「ケインズの雇用政策 (所得増加政策)」 によって示されています。


 さて、公共事業は、生産性を上げるものであるに越したことはないのですが、生産性の低いものであっても構わない、と考える余地があります。場合によっては、「資本主義の袋小路と軍需」 でみたように、生産性を上げすぎるものは好ましくない、と考えることも不可能ではありません。

 公共事業においては、生産性 ( 効率 ) は最優先事項ではないと思います。


 そして、生産性を最優先にしない考えかたをとる場合には、他の観点 ( たとえば国防 ) が重視されることになります。道路に関していえば、国家のバランスある発展などが、最優先事項たりうると思います。その観点からみれば、( 最優先事項ではない ) 費用対効果の観点からは問題があっても、地方に道路を造るべきである、と考えられます。

 現在、雇用対策が喫緊の課題になっているのですから、この観点から考えれば、用地買収費のかさむ都会に道路を造るよりも、地方に道路を造るほうが好ましい、といえると思います。用地買収費という 「ムダ」 の度合が小さいからです。これはなにも、田舎に公共事業を集中しろ、ということではありません。都会であれば、地下道路や立体交差化などを優先する、それですみます。



 私は道路ばかり造ってどうするのか、と思っていましたが、上記のとおり、意見を変えました。

利子をつけると景気がよくなる?

2009-07-07 | 日記
加藤紘一 『劇場政治の誤算』 ( p.120 )

 見逃してはいけないのが「家計部門」、つまり一般国民が持っている貯金です。これは総額で一五〇〇兆あると言われています。日本は長らく、景気対策としてこの貯金に金利を付けないできました。仮に三%付けたらどうなるでしょう? なんと四五兆円です。
 バブル崩壊直後の経済不況の際に政府は中小企業への緊急融資をし、現在未回収はたったの七%だと書きました。実は、返していないのは大企業のほうなのです。銀行にきちんと返さないものだから、銀行が困る。その分を銀行は家計部門からの所得移転で補おうとします。つまり国民から無利子でお金を預かり、貸すときには利子をつけて貸しているということです。家計部門の貯蓄一五〇〇兆円のほとんどが金利ゼロで、貸し付けでは三~四%程度の利子を取っているので、その差額四五兆円、消費税に換算すると実に一六%相当です。
 そうやって景気回復を支え続けてきたのですから、いざ景気が回復して戦後最長の景気上昇が続いたなどと言われても、国民のみなさんはあまり実感がなかったはずです。
 おそらく「景気が回復すれば、いずれは給料が値上げになって、地方にも景気が波及して、みんな楽しいときが来るだろう」と期待して、ずっと我慢して頑張ってきたことでしょう。それなのに企業サイドは労働分配率を上げませんでした。かつて約二〇四兆円くらいの賃金を払っていた日本経済が、今は二〇〇兆円くらいしか払っていません。労働者には景気回復の果実を味わうことをさせず、取り上げるだけ取り上げてきたのじゃないかと言われても仕方がない側面があります。

(中略)

 そろそろゼロ金利はやめ、国民の預金に二・五~三%程度の利子をつけるべきです。そうすれば、四五兆円近い金額が、利子収入として国民の手に渡ります。そのうちの二割が利子税として国家に入れば、九兆円の税収になります。同時に将来の年金を信頼してもらえるような政策を政府が力強くアピールしていければ、残り三六兆円のうち、かなりの部分が消費に向かうでしょう。
 国民は老後の備えのために「元金」は使いません。しかし、「利子」なら孫におもちゃを買ってやるとか、自分へのご褒美のために使います。また、住宅ローンや子育てでお金のかかる夫婦の応援のためにお金を出してくれるかもしれません。現在、国民全体の金融資産の四〇%は六五歳以上の人が保有しているので、これは重要な視点です。

(中略)

 最終的には、消費者が元気になること。輸出で稼ぐだけでなく、内需が良くなる、国民がモノを買えるような状況を作ることが、ベストです。そうでなければ、本当の景気回復にはなりません。


 預貯金に利子をつけるべきである、そうすれば景気はよくなる、と書かれています。



 しかし、「景気対策として」 「貯金に金利を付けないでき」 たのですから、景気回復が中途半端に終わった今、「金利を上げれば、景気はさらに悪化する」 と考えるのが自然ではないでしょうか。( 公平のために ) 景気回復の果実を国民に還元する、という趣旨はわかるのですが、いまの経済状況を考えると、「 ( 雇用対策など ) 景気回復に向けたアクセルを踏みながら、同時に、( 金利を上げて ) 景気回復を妨げるブレーキを踏む」 ことにならないか、気がかりです。

 もちろん、「国民は老後のために 『元金』 は使わないが、『利子』 なら使う」 から内需が良くなるのであれば、「アクセルを踏みながらブレーキを踏む」 ことにはなりません。

 しかし、( 金融資産の四〇%以上を保有している ) お年寄りが、息子 ( または娘 ) 夫婦の応援のためにお金を出してくれる ( 贈与 ) かもしれない、という話。これは、相当な 「金利」 がつくほど多額の預貯金を持っている人の話で、大多数の国民には無縁です。また、「元金」 を取り崩して贈与するのであれば、金利ゼロであっても息子 ( 娘 ) 夫婦のために出そう、という話にもなりそうです。

 おもうに、消費を増やすために ( 景気回復のために ) 金利を上げる、というのは、話が 「さかさま」 なのではないでしょうか? そもそも、景気回復のためには 「金利を低くする」 のが常道で、だからこそ、いままで低金利だったのではないでしょうか? 「景気が回復すれば、金利も上がる」 と考えるのが、本筋ではないかと思います。

 もっとも、( 公平のために ) 景気回復の果実を国民に還元する、という趣旨を考えれば、一概に否定しえないこともたしかです。


 なお、「ケインズの雇用政策 (所得増加政策)」 が間違っていたので改める ( 金利が高いほうが雇用が増え、景気もよくなる ) というのであれば、話は別です。その場合には、この政策、ぜひとも進めるべきだと思います。