加藤紘一 『劇場政治の誤算』 ( p.101 )
世界経済の要人が過ちを認めているから、新自由主義の推進にはブレーキがかかるだろう、と書かれています。
たしかに、ブレーキはかかるだろうとは思います。しかし、「自由」 を重視する流れが変わるかどうかは、わかりません。「規制か自由か、の二者択一」 ではなく、「必要であれば規制するが、必要がなければ規制しない」 と考える ( すなわち必要に応じて、部分的に規制する ) のが、自然だと思われるからです。
また、この文章からは、要人たちの誠実さが感じられます。とくに、「違法でなければ、正しいか、適切かを全く考えないようになっていた」 には、「合法であれば正しい、とはいえない」 という内容が含まれています。合法であること、のうえに、さらに必要とされるものは何か、といえば、倫理的であること、だと思います。この部分は重要だと思います。
なお、倫理的かどうか、を考える際には、「倫理性の判断規準」 が参考になると思います。
〇九年一月、スイスのダボスで毎年行われる世界経済フォーラム(WEF)の年次総会が開催されました。世に言う「ダボス会議」です。
(中略)
ダボス会議が今年のテーマに選んだのは「危機後の世界をどう形づくるか」。
会議の開幕、WEFのクラウス・シュワブ会長は、こう語っています。
「バランスを失した世界のリスクを認識していなかったという点で、われわれ全員何らかの責任がある」
また、討議の中で英大手金融HSBCのグリーン会長が述べた言葉はこうです。
「いつの頃からか、そこに市場があり違法でなければ、正しいか、適切かを全く考えないようになっていた。大切なものを失っていた……」
世界の経済を牽引してきたキーパーソンたちが、本気で過ちを認めています。新自由主義の推進には、確実にブレーキがかかるでしょう。
世界経済の要人が過ちを認めているから、新自由主義の推進にはブレーキがかかるだろう、と書かれています。
たしかに、ブレーキはかかるだろうとは思います。しかし、「自由」 を重視する流れが変わるかどうかは、わかりません。「規制か自由か、の二者択一」 ではなく、「必要であれば規制するが、必要がなければ規制しない」 と考える ( すなわち必要に応じて、部分的に規制する ) のが、自然だと思われるからです。
また、この文章からは、要人たちの誠実さが感じられます。とくに、「違法でなければ、正しいか、適切かを全く考えないようになっていた」 には、「合法であれば正しい、とはいえない」 という内容が含まれています。合法であること、のうえに、さらに必要とされるものは何か、といえば、倫理的であること、だと思います。この部分は重要だと思います。
なお、倫理的かどうか、を考える際には、「倫理性の判断規準」 が参考になると思います。
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