修論が12月と、徐々に迫ってきました。
しかし、自分の中では、これといってテーマがみつからず
どうしてこんな状態なんだろう?と不安を抱えていました。
修論が書けるのかすら、不安になってきたのです。
けれど、その不安はある言葉をきっかけに一瞬にして吹き飛びました。
指導教授に挨拶へ行ったとき、修論に手がつかないことを話しました。
すると
「どうして『われから』なの?」
と聞かれ
「女性の自我の解放をテーマとした
一葉晩年の作品だからです。
『裏紫』にはない魅力があり、
作品が完結しており、研究もまだまだだからです」
と伝えました。
しかし、ふっと思ったのです。
なんであんなに『裏紫』で書いたときは頑張れたんだろう?
(書いたもののレベルは別として)
追っていくと、『裏紫』は、お律の情熱的な部分が前面に出ていて、私的には気持ちいいくらい好感の持てる論文でした。
しかし、『われから』は、どこか情熱めいた女の部分があまり出てこない感じなのです。
かけない原因はここでした。
すると、見えてきました。
『われから』の情熱的な「これを伝えたい」
はどこにあるのか?
また、そこに何を感じ、私は何を解き明かしたいのか?
さぁ、一歩前進です。
指導教授に感謝です。
初心に戻ることの大切さを改めて実感しました。
しかし、自分の中では、これといってテーマがみつからず
どうしてこんな状態なんだろう?と不安を抱えていました。
修論が書けるのかすら、不安になってきたのです。
けれど、その不安はある言葉をきっかけに一瞬にして吹き飛びました。
指導教授に挨拶へ行ったとき、修論に手がつかないことを話しました。
すると
「どうして『われから』なの?」
と聞かれ
「女性の自我の解放をテーマとした
一葉晩年の作品だからです。
『裏紫』にはない魅力があり、
作品が完結しており、研究もまだまだだからです」
と伝えました。
しかし、ふっと思ったのです。
なんであんなに『裏紫』で書いたときは頑張れたんだろう?
(書いたもののレベルは別として)
追っていくと、『裏紫』は、お律の情熱的な部分が前面に出ていて、私的には気持ちいいくらい好感の持てる論文でした。
しかし、『われから』は、どこか情熱めいた女の部分があまり出てこない感じなのです。
かけない原因はここでした。
すると、見えてきました。
『われから』の情熱的な「これを伝えたい」
はどこにあるのか?
また、そこに何を感じ、私は何を解き明かしたいのか?
さぁ、一歩前進です。
指導教授に感謝です。
初心に戻ることの大切さを改めて実感しました。
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