修士号授与式後 2004年03月29日 | 大学院修士2年(通学) 先日、大学院修士号授与式(ようは卒業式)に参加してきました。 でも「ここまでやってきた!」というような達成感がないんです。 まだ、これからも院にいくような感じがするんですよね。 仕事は塾講師をすることになりましたが やっている内容が研究でないだけで 学ぶ姿勢というようなものは、同じだなぁと… 普通の人より、長く学生をしていたからでしょうか。 学びたい気持ちが強いです。 ただ学ぶだけでなく、今度は実用性を兼ねて… 院で学んできたことや経験が、今後仕事や生活面において活躍していくことは予想できます。 内容的なものはあまり役に立たないかもしれないけれど、論文を完成させるまでの作業とか、忍耐力とか、物事の考え方など、過去の体験と、最近の課題を重ねて考えたりすることも多いです。 自信がない部分なども以前はありましたが 「**をやってこれたんだから、次も頑張れる」 という、謎の自信がわいてきます。 物事がうまくいかなくても、長い目でみていくことが大事なんだと感じる今日この頃です。
修士号 2004年03月17日 | 大学院修士2年(通学) 最近どうも疲れ気味です。 先日、院へ修士号授与決定者の掲示に 私の名前があり、少し安心したものの 喜びの気持ちはそんなにこみ上げてきませんでした。 それよりも、短大時代に卒業予定者の掲示を見たときの方が 嬉しかった記憶があります。 この違いは何だろう??と思いました。 準学士も学士も、私に大きな自信を与えてくれました。 なぜこんなにも納得がいかないのに「修士」なのだろうと… 結局は、2年間で研究のすべてなんてわからない。 入り口に立って、ちょっと足をつっこんだくらい 研究とは長期戦で、イキナリすごい論文が書けるものではないんだなと… でも2年前は、修士を出たら、すごい論文が書けるようになっていると思っていました。 まぁ、そこが成長なのかもしれません。 あの時、学士だけに満足しなくてよかった。 次に進んで、自分の無力さと、かすかな魅力を感じることが 私の院生生活には必要だったのだと思います。 これから何年もたって、日常や社会、研究などを通じて 2年間の反省などが次に繋がっていったとき 「やっぱり私は修士だったんだ」 と思えるのかもしれません。 院の先生方は、いくつになっても非常に研究熱心。 「好きなことをやって食わせてもらっているんだから」 と、ある先生がおっしゃったときは 探究心と向上心に対する終わりのない世界だと感じました。 そこが、研究の魅力でもあり、研究者の魅力でもあるのだなと思いました。
オブラート 2004年03月10日 | 大学院修士2年(通学) 院生時代は、考えをダイレクトに言ったり 論文のここがおかしい!というところも けっこうバシバシ言っていました。 そのクセがあるからか、会社の研修でも あまり周囲を気にしないで、バシバシと意見してしまうことがあります。 日本人は場の空気をよんで、発言するだけに オブラートで包んだような発言が、私にとっては非常に難しく思います。 あまり政治は詳しくありませんが、 これもなんとなくオブラート。 オブラートは良くも悪くも、日本の文化だけれど 院生時代はあまりつかってほしくないなぁと思います。 オブラートで包みすぎたら、自分をどこまで表現していいか 感覚がつかめないからです。 これからオブラートモードに入るので 院生時代、バシバシ言えた頃を恋しく思います。 どんどん言えなくなる環境になっていくのだから 院生時代は思いっきり冒険してほしい。 そんな気持ちです。
歓送会 2004年03月04日 | 大学院修士2年(通学) 大学院の歓送迎会がありました。 まだ正式な修了予定者は発表されていませんが なんとか修了できそうです。 けれど、心底から喜べないんです。 せっかく歓送会を開いてもらったのに 自分が情けなくて情けなくて あまりにも無知であることが恥ずかしく よく大学院生などと名乗れたものだなぁと 穴があったら入りたかった気分でした。 けれど、無知であることに気づけて スタートラインの近辺にいる私は まだまだ前に進めるんだと気づいたとき 院に入ってよかったなと思いました。 論文の質が上がるとか そういうことだけじゃないんだなと。 なにかに気づいて、次につなげることが 大切なんだとつくづく思う今日この頃です。