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パチンコ依存症の母…その後

2017-07-25 23:03:48 | 人間
島原鉄道、島原駅の駅長は、「鯉のさっちゃん」だった。

パチンコ依存症の母と対峙して30年。80歳になってもその情熱は衰えない。思えば、結婚する女性に対面させたときの最初の一言が強烈だった。「あなた、パチンコって興味がある?」、「はっ?」、「この前ね、初めて15連チャンしたの。もうドル箱山積みで、みんなの注目の的。気持ちが良かったわ」、「はあ?」。

おそらくそうではないかと思い、先に彼女に話していたからびっくりはしなかったようだが、それでも初対面で、最初からパチンコの話が出てくるとは思わなかったらしい。でも、彼女はその方面は寛容なタイプで、「楽しいことがあるって、いいことじゃない」と、軽く流してくれたので、ほっとしたのを覚えている。

結婚していた義父が心臓まひで亡くなり、その土地家屋を売って母親は1DKのマンションに一人住まい。その後も資金が続く限り、パチンコ屋に通い続け、今は年金暮らしだ。当然、資金繰りが怪しくなり、息子の俺に色々な策を練って金を出させている。その時の彼女はちょっとした実力派の女優で、「助かった、本当にありがとう」と言って、涙まで流す。しかし、本音は、『こいつ、持っているじゃないか。まだ余裕がありそうだ…』である。息子が母親のことを、そこまで邪推するなんて信じられない!と思う方もいるだろう。

しかし、これは真実なのである。お金を渡した後、以前に預かった書類を返すのを忘れ、マンションのドアの前まで行ったら中から声がした。パチンコ友達と思しき女性と話しているのが聞こえたのだ。「あの感じなら、来月も行けるやろ」、これは母親の声だった(笑)

そして前回(パチンコ依存症から生まれる「悪意」)の事件が起こり、「もう、電話するな!お前の電話は着信拒否にする!」と、俺が言い放って別れたのだが、先日先輩と飲んだ時に、その話をしたら、「そうか、相変わらずお母さんはモンスターやね」と、苦笑い。しかし、「でもお母さんも80過ぎや。そのぐらいの迷惑なら許してやろうや。実は、うちはもっとひどい話があるんよ」と、初めて彼の内情の話を聞いた。

その話はさすがに書けないが、確かに人間の神経を逆なでするひどい話だった。「それに比べたら、うちの母親の悪意なんて知れてますな。よし、巨峰でも買って、小遣いやってくるか」、「うん、そうした方がいいわ。頼むから、その巨峰、俺に買わさせて」と、先輩は果物屋に入って、高価な箱入りのぶどうを買ってくれた。

マンションを訪ねると、母親は二人のパチンコ友達と一緒にいた。どの顔もしけた顔していたが、俺の顔を見ると、「あ、お邪魔しています」とあいさつした。母親は、「電話するな!」と言われた後だからさすがに動揺していたが、「君ら、こんなところでイジイジしないで、3人でカラオケでも行ってこい!」と言って2万円渡すと、パッと顔が輝き、「ほんま、ありがとう。それじゃあ、さっそく行ってくるわ。さあ、二人とも支度して」と嬉しそうに言った。

その夜は実にいい気分だった。これも先輩のおかげである。しかし、これで収まらないことは分かっている。後日また、母親の演技を見ることになるだろう。これは間違いない。


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