満天の星空が見たい!

温泉旅がメインの生活。酒とグルメとミステリ小説、ごくたまに失恋の話。

あるたこやき屋が大繁盛したきっかけは?

2016-10-28 23:09:15 | グルメ


大阪と言えばお好み焼き、たこ焼き、いわば「粉文化」である。でも、どうだろう。
自分はたこ焼き、お好み焼きにハマったことはなく、ここ2、3年で二、三度お好み
焼き屋の暖簾をくぐっただけである。それも、東京や地方から知人が訪ねて来て、
そのリクエストに応えただけで、実はその前に食ブログなどを見て、有名店を探した
ほどだ。これでは友人をもてなすことにはならないなあ…と、いつも反省していて、
地元ならではの渋ーいお好み屋をキープする必要性にかられている(笑)

今住んでいる大阪の天満・天神橋には日本一長いアーケード商店街(2キロ以上?)が
あり、その中に数えきれないお好み焼屋や、たこ焼き屋があるが、いつも外国人の方々
が席を埋めている。大阪は空前の外国人旅行者ブームで、ミナミの心斎橋、道頓堀は
日本人より外国人の方が多いくらいだが、その勢力は確実に広がっていて、下町の路
地裏でも観光客とすれ違うシーンがあるほどだ。

天満、天神橋は大阪でも有名なグルメスポットだけに、インターネットや広報誌などで
有名店を見つけ、カップルやファミリーが怒涛のように押し寄せてくる。天神橋5丁目に、
「春駒寿司」という安くて美味しい寿司屋さんがあるが、普段でも行列のできる人気店な
のに、外国のお客さんも並び始め、周囲の店の営業妨害になるほど長い行列を作っている。
以前はよく食事に行っていた店だが、これは当分見送りになりそうだ。

実は、今住んでいるマンションから徒歩2分くらいの所に人気のたこ焼き店がある。天神
橋商店街を縦の線とすれば、その店はその天神橋商店街から見て横の位置、7、8分ぐらい
の所にあるので、まだ外国人がたこやきを買っているのを見たことがない。しかし、休日
ともなれば店の前に人だかりができるほど繁盛しており、小さな店なのに店員さんが三人
もいた。

「究極のオマール海老だし」が売りのその店、以前は会社の帰りにビールの肴として買って
帰ったことがある。当時はイケメンの旦那と小柄でかわいらしい奥さんの二人がたこ焼きを
焼いていたが、ある時、突然転機が訪れた。それまではごく普通の、どこにでもあるたこや
き屋だったのだが、大阪のローカル番組で、有名人二人が立ち寄り、「このたこやきは、め
ちゃくちゃ旨いな」と、言ったことで、その店はたこやき屋の『聖地』になってしまったのだ。

その番組は、ダウンタウンの浜田雅功と東野幸治が関西(特に大阪)を歩いて、歩いて、色々
な会話をするというローカル色の濃い番組だったが、ある時、この近辺を歩き、偶然にもこの
たこ焼き屋に寄って、「旨い!」を連発したのである。それまでもこの店はそこそこの人気店
だったが、これで一気に爆発した。

店頭にテレビを置き、その二人が店に来た様子をエンドレスで流すなど、抜け目のない宣伝効果
もあって、かなりの売り上げがあるようである。今は店に若きオーナー夫婦はいない。昼前の11
時から、夜の12時まで店員二、三人で切りまわしているようで、オーナーは左うちわの様子である。

ある夜、飲み会の帰り12時前にその店の前を通ったが、イケメンのオーナーがレジ機から出てくる
売り上げ伝票をチェックしていた。「お、昼間姿がないと思ったら、閉店前に来て売り上げチェッ
クか。ええ身分になったもんやな」と、つぶやいたら、その男が通り過ぎる俺の顔を見て、「ニヤリ」
と笑った。あれは明らかに、「勝ち組」の顔だった。


関西風の出汁文化が素晴らしい

2016-10-28 16:18:32 | グルメ


食べ物の嗜好は、その地方の食文化に影響されることが多い。たとえば、うどん
の出汁にしても関東と関西、もっと大きく分ければ、東日本と西日本、ずいぶん
と好みが違う。

仕事の関係で、茨城県竜ヶ崎市の男と知り合いになった。その男が初めて関西に来
て、昼ご飯にうどんを食べた。「なんだこれ。出汁が薄そうじゃないか。大阪の人
って、出汁もケチってるの?」と、冗談ぽく言ったので、「ちがう、ちがう。関東
のように醤油で真っ黒じゃなくて、上等な昆布で出汁を取っているからこの色にな
るんだ」。

「昔から関西は日本海を巡る北前船で北海道から昆布を買い付け、京都、大阪とこ
の味が定着しているんだよ」と言うと、「へ~」と言って出汁をすすった。しかし、
今までの味覚が舌の上に何層もコーティングされており、すぐには昆布出汁の旨さ
が分からない。「でも、やっぱり薄いよな」と言って、彼は物足りなさを訴えていた。
これは20年前ぐらいの話である。

しかし、今は関西風のうどんしか食べないと彼は言う。いったんこの味に慣れると、
醤油うどんは塩辛さばかりが舌に残ってしまい、高血圧の心配をしてしまうらしい。
本当は、どちらも同じくらいの塩分なんだが…。

浜松から40半ばの女性が大阪に出張で来た。その女性がこの出汁の旨みにハマってしま
った。ごく普通の定食屋さんで、おでんを食べたらしいのだが、おでんの具よりも出汁の
まろやかさ、繊細さにびっくりしたと言う。大阪には5日間いたのだが、食事はうどん、
おでん、そしてお好み焼き、串カツと、大阪定番のB級グルメばかり食べたらしい。
そして食の観念、舌の観念ががらりと変わったと言うのだ。

「でも、静岡にも有名な静岡おでんがあるじゃないか」と言うと、「いや、あちらは真っ
黒の出汁の中に浸かっていて、そんなに味がしないので、鰹節なんかを掛けて食べるんで
すよ。関西風とは全然違います」と説明してくれたが、よく分からなかった。そのあと、
偶然にも伊豆旅行があり、温泉ホテルの屋台で静岡おでんを売っていて、夜食で同行者と
食べてみた。

大皿に山盛りに盛ったおでん(すべて串刺し)を前にビールで乾杯。さっそく6名でおでんを
小皿に取り、口に入れたが皆の表情が堅い(笑)、おでんそのものも硬めだったが、関西人に
はまったく合わない味だった。ひとり3本で18本おでんを盛っていたのだが、12本+食べ残
しがずっとそのまま残ってしまった。「お姉さん、ごめんな。皆さん、夕食を食べすぎて腹
が一杯らしい」と、従業員にホロウを入れたが、その女性は首を傾げて笑っていた。

別に静岡おでんのまずさをやり玉に挙げているのではない。日本は多彩な食文化があり、
その土地、その土地で味付け、好みは変わる。だから、幼少時からこのおでんを食べてい
る方々は文句なしの味なんだろうと思う。でも、一応、日本全国を旅した俺から見て、や
っぱり味付けの旨さは関西かなあ?

大阪のふぐは安くておいしい!

2016-10-27 18:56:34 | グルメ


出張で四国の丸亀市からきた若い男に聞いた。「君ところの社長にはいつもお世話に
なってるから、君に何かおいしいものをご馳走しよう。何がいい?」と、聞くと、一
旦考えるふりをしながら、「ふぐ料理…。大阪ではテッチリと言うらしいのですが…以
前から一回食べてみたいと思っていたので」と、おそるおそる返事をした(笑)。「な
るほど、テッチリか。あれはけっこう値段が張るし、高級料理やな…」と、意地悪く言
うと、「あ、す、すみません。なんでもいいです。本当にすみません」と、悲壮な顔
をして彼は頭を下げた。

「冗談、冗談やがな。大阪でテッチリは大衆料理や。よし、ええ店があるから今から行
こう」と、肩を叩くと、「ほ、本当にいいんですか?」と、彼は上気した顔でタクシー
に乗り込んできた。結果は、「世の中にこんなおいしいものがあるんですね。テッサ(ふ
ぐ刺身)を10枚ぐらいすくって食べたのが最高でした」と、店を出た時はエビス顔になっ
ていた。よほどうまかったらしく、「今日は自分的に、食の目覚めになりそうです」と、
大げさに言ったが、悪い気はしなかった。

実はこのふぐ料理、大阪では本当に大衆料理ぽいのである。今は知らないが、全国のふ
ぐの消費量は大阪が60%と言う時期もあった。俺が山口県から大阪に来た当時、先輩が、
「おお、てっちりの本場やないか!」と言ったが、「てっちり?それはなんです」と聞
き返した。

「ふぐ鍋や。山口県の下関が本場らしいやないか。そう聞いてるで」と、言われたが、
「ふぐ?ああ、ふく(山口ではそう呼ぶ)、釣りに行ったら餌取り(草フグ)やし、そんなも
んが旨いんですか?」と聞き返すと、「えっ?ふぐを食べたことがないの?」と先輩。「毒
があるでしょう。そんなもん、誰が食べるんですか」と、俺は本当にそう思った。

まあ、家が貧しいと言うこともあったが、山口県でふぐを食べたことはない。否、そうでは
ない。高級料亭ではいざ知らず、どこの食卓でもふぐが並ぶことはなかった。アフリカ出身
の芸人が、「ライオンやゾウを日本の動物園で初めて見た」という感覚である。大阪でふぐ
文化がこれほど盛んだとは想像もできなかった。

しかし、会社勤めをしていると色々な宴会があり、その中でふぐ屋さんというシーンも普通に
ある。いつの間にか、ふぐ料理は大衆料理として定番化した。今日はぐっと冷え込み、会社の
帰りに思わずてっちりを思い浮かべた。そう、シーズン到来である。今は養殖でもふぐは旨い。
一年中店は営業しているが、この時期から「白子」がメニューに出る。

実は去年、すごく旨いテッチリ屋を見つけたのだ。鍋、テッサ、ふぐ皮、唐揚げ、雑炊といずれ
も文句なし。それでいて、値段は庶民感覚(酒も飲んで七千円ぐらい)である。大阪の高級ふぐ
屋を知っている金満家の友人を連れて行ったら、「ここでええやん!」と、思わず叫んだその店
は、大阪市生野区の「あじ平」である。地下鉄千日前線の北巽駅から徒歩5分、店に着くまでの
この5分がもどかしい。

大阪に来て、ふぐを食べたかったらお薦めです。


久しぶりに感動した話…あるボートレーサー

2016-10-09 16:08:29 | 人間


皆さんはボートレース(競艇)をご存じだろうか?まあ、テレビ広告などで見たことは
あっても、競馬、競輪、オートレースなどと同じギャンブルの世界…というのがほとん
どの人の認識だと思うし、またそれで合っている。レース場は長崎県大村市から、群
馬県桐生市までの24か所にあるから、南九州や、東北、北海道の住民はなじみがなく、
ある意味、マイナーな世界である。

自分はその世界で予想記事を書いて飯を食っているのだが、この前、「ほお~」と、思
わずうなってしまう、感動的な話を聞いた。滋賀県出身の「守田俊介」という競艇選手
がいる。その選手が「選手ふれあいコーナー」というイベントのゲストで来たのだが、
その楽屋裏で、ある女性スタッフがその話を聞き、自分に話してくれたのだ。その女性
スタッフは、2か月前にМ・C見習いとして入社したのだが、彼に挨拶をしつつ、この話
を聞いて感動し、いっぺんに守田選手のファンになった。「このネタは私がМ・Cとして
一人前になり、守田選手に話を聞くシーンがあれば、ぜひ皆さんに披露したいと思います」
と、言っていたが、俺に話をしたのが間違いだった。ここでネタ話をすることを彼女は知
らない(笑)。

守田選手と言えば、昨年の10月、浜名湖で開催されたSG競走(特別レース)、「ボート
レースダービー」で見事ビッグ初Vを飾ったのだが、その時に優勝賞金の3500万円を全
額、東北震災復興金として寄付したのである。これは新聞にも出ていたから知っている人は
多い。最初、彼女が聞いたのもその話だったのだが、一回目のステージが終わり、二回目の
ステージまで時間があったので、続いてその時の話を聞いたという。

「僕は変わった人間やから」、「はあ?」、「自分でも変わり者というのはわかってるんや」、
「……」そういわれると何も言えない。しかし、守田選手はいつになく、饒舌だった。「震災か
らある程度経ってから東北地方を訪れたんや」、「ハイ」、「行ってみると思った以上に悲惨で、
被害が大きく、怖くなってな。情けないことにそのまま帰ったしまった」、「ハイ…」、「それ
がどうも心残りになって、お母んに、もしもSGを勝つことができたら、その賞金を全額寄付す
るでと言ったんや。そのときは、僕もお母んもSGを勝つことはないと思っていたから、笑い話
ぐらいに思っていて…」、「そうですか、でもすごい話ですね」、だって3500万円ですよ!
と彼女は心の中で叫んだと言う。

しかし、ここまでの話は予想通りというか、ある程度聞いていたから、今更驚くことはなかった
が、次の話に痺れた。

「優勝して、3500万円のプラカードの小切手を渡され、それを関係者やファンの前でそれを
掲げて、ふと思ったんや」、「ハイ…」、「3500万円寄付するんやなと。みんな3500万円
と思っている…」、「???」、「あとから計算すると、その3500万円の税金が約800万円
引かれるんや」、「ああ、そうですか」、「だから、本当は3500万円じゃないじゃないか。そ
れでは皆さんに嘘をついているなと…」、「いや、それは…。皆さん、優勝賞金を全額寄付というこ
とで驚いていらっしゃるのですから」、「いや、それでは自分の気が済まないから、自分のお金か
ら800万円を出したんや」、「え~、そんな馬鹿な。いや、普通、そこまでします~?」

それを聞いてさすがに驚いた。ビッグレースを勝って、高額賞金を手にして、本当はルンルンなはず
なのに、高額賞金を全額寄付し、さらに自腹の800万円まで追加するか?信じられない話である。
成行きのレース賞金は勢いで出せたとしても(自分には無理だ)、冷静になっての自力の800万円は
とても出せるお金ではない。

「この世界に入って色々な方にお世話になったし、今の自分があることにとても感謝しています。
自分の趣味は回転寿司巡りぐらいで、車も軽に乗ってて、十分生活できているから…」と、守田選手
は照れくさそうに笑っていたと言う。なんと朴訥な男なんだろう。ボートレースの世界では上位ラン
クの実力者なのに、なんの奢りもなく、あまりに自然体で、久しぶりに感動してしまった。この話、
もっと話題になっても良かったのではないか…と思う。

大阪は面白いが、現代の迷宮である…その②

2016-10-03 23:17:12 | 人間



前回から続くー。

Aさん(ある警察署の四課の刑事)はタクシーの運ちゃんに、「島之内の〇〇へ行って
くれ。そこで10分ほど待っていてくれ」と、指図する。島之内って、ミナミの繁華街
の横にある地区で、水商売の人々が数多く住んでいる街だということは知っていた。
そこならわざわざタクシーを使わなくても、歩いて10分以内である。でも、まあ、ずい
ぶんと飲み食いし、酔っていたし…。

「ええか、Mちゃん。ここでしばらく待っててや。ちょっと片づけないかん用事がある
ねん。そうや、俺がこのマンションに入って5分ぐらいしたら、5階の右の方を見てくれ。
女が手を振るから~」と、またウィンクしてAさんはタクシーから出て行った。女が手
を振る?それはどういうことやろ…と考えて5階辺りを見ていると、本当に女性が手を振
っていた。それも、二つの部屋からである。

その声が聞こえてきた。「Mちゃ~ん、こっちやで」、「Mちゃ~ん。見てる~」。マン
ションの5階、横並びの二つの部屋のベランダから、本当に女性が手を振り、俺の名前を
言い、叫んでいるのである。「運転手さん、あれ、何?」、「さあ~?」、まったく訳が
分からなかったが、しばらくしてAさんが帰ってきた。

「あの二人はトルコ(ソープランド)の女や。今日は両方とも非番でな」、「はあ…」、しかし、
その女性たちと何の関係があるのか、さすがにそれは語らなかったけど、どちらかの部屋に
入ったのは間違いない。あの女たちのヒモか?しかし、それでは警察やない。やくざそのも
のじゃないか!

Aさんはタクシーの運転手に次の行き先を告げた。その運転手、「えっ?生玉(いくたま)の
ラブホの前ですか?、「なんや、お前、なんか文句あるんか。客がそこへ行けって言うてん
のや。さっさと車を出せ」、「はいはい、すみません」、いくたまとは、ミナミから少し外
れた、上町方面のラブホ街である。

タクシーで5分くらいの距離で、すぐにホテルの前に着いた。Aさんは3千円払って(メーター
は1200円ぐらいだった)、「お前、いらんことを言うなよ」と、眼を細くして運転手に言った。
「はいはい、分かっていますよ」と、運転手はすぐに車を出した。そして、男二人でラブホに
入る…。

「まさか!」、いや、それはない。二人ともそんな趣味はない。Aさんは2部屋を取った。
そして…。「まあ、まだ早い。Mちゃん、一杯やろや」と言い、部屋の冷蔵庫のビールやミニボト
ルやらを出してきて、しばらく飲んでいた。そして、30分ぐらいしてAさんは部屋の電話を回し
た(当然、ケータイのない時代だった)。

「おい、俺や、Aや。今、いくたまの××におる。すぐ別嬪(べっぴん)を二人回してくれ!」、
「…」、「なんやと!お前、売春取り締まり期間中と言うのを分かって言うてんのやろな。すぐ
回さんかい!」この言い回しがドスの効いた大阪弁。まるでやくざ映画を見ているようで、こっち
は震えた(感心した?)。

しばらくして、二人の女性が部屋に入ってきた。どちらとも、すこぶるつきの美人で、芸能人のよう
な顔とスタイルだった。「さっきは俺が先に選んだから、今度はMちゃんが先や」と、Aさんは言う。
しかし、俺はどちらでも良かった。この状況で、ほいほいとセックスする体力と度胸はない。

取りあえず、一人を選んで自分の部屋に連れて行き、少し話をしてその女性を帰した。自分も部屋を
出て、タクシーを拾い、天神橋の家に帰った。そして、冷蔵庫から缶ビールを取り、グビグビとやった。
やたらと喉が渇いていた。今夜は何と言う日だったのだろう?悪夢だ、そう、これは悪い夢だ。何
も考えず寝て、曙光を待つしかない。

Aさんは男から見れば魅力の男である。タフで男気があるし、めっぽう喧嘩が強い。大阪の四課(暴
力団担当?)の刑事として、この上ない資質を持っている。しかし…。あまりに腐敗していないか?後
から聞いた話だが、この日、Aさんは朝から組の事務所に行き、小遣いをせしめて、俺を誘ったらしい。
そのお金で飲み食いした俺が言えることではないけれど、トルコの女のヒモになり、やくざ屋さんの
売春女をタダで抱くのはあまりにあまりではないか?まるで、黒川博行(大阪の小説家)の世界である。

そう思いながら、甘ちゃんの俺は何もできず、2年の月日が流れた。Aさんとはたまにスナックで会っ
たが、特別話すこともなく、あの悪の日が幻のように過ぎて行った。そして、ある日の午後、Aさんか
ら電話が掛かってきた。

話は切迫していた。Aさんはもろもろの行為がすべて明るみに出て、一旦警部補から機動隊に降格(?)し、
体が続かず、警察をやめたと言う。その後が地獄だと言った。桜の代紋を失ったAさんは、過去の恨みか
ら色々な組から追われていて、その逃亡資金が底をついたと言うのだ。それで俺に金の無心をしてきた。

でも俺はちょうど離婚したころで、蓄えはまったくなかった。取りあえず、10万円を工面して、それを
ある地下鉄の駅の改札越しに渡したが、Aさんは相変わらず体が大きく、凄みはあったが、完全無敵のオ
ーラが消えていた。四方をキョロキョロ見て怯える「逃亡者」だった。

それからAさんの行く方は知れず、仲間内でも話題になることはなかった。うまく、逃げ伸びてくれれば
いいのだが…と思ったが、ある面、自業自得か…と思う自分がいた。