満天の星空が見たい!

温泉旅がメインの生活。酒とグルメとミステリ小説、ごくたまに失恋の話。

温泉旅行は、すべての楽しみが詰まっている!

2016-02-29 19:18:18 | 旅行
写真は、別府、「いちのいで会館」の有名な青湯


仕事はあるレース場のホームページの中の予想ブログ。ちょっと異色でしょう?
でも、これが凄く居心地がいい職場で、基本的には記者室にひとりだけ。一台の
パソコンを相手に、レースを見ながら、ライブ感覚で予想記事を打ち込んでいる。

日によって予想の当たり外れの差はあるが、まあ水準以上は的中しているし、普
通の日で2、3万のアクセス。年末や、特別レースになると10万を超えるアクセス
がある。


これは、長年、ある専門紙でキャリアを積んだお陰で得た仕事だが、本当にお気に
入りで、ずつとこの仕事ができることを祈っているほどだ。


年間レース開催日数は決まっていて、210日が仕事で、155日がお休み。2週間ぐらいの
休日は3度ぐらいあるが、1週間仕事をして、3~5日ぐらいの休日と言うパターンがほと
んどだ。その合間を縫って温泉旅行に行くのだけど、ある友人が、「温泉?どうして温
泉なんだ。のんびりしたいのなら、家でゆっくりしたらいいじゃないか?」と言った。


そんな友人には、何を言っても始まらない。面倒くさいので、すぐに話題を変える。…「温
泉に行くだけの目的なら、近所の日帰り温泉に行くさ。でも、そうじゃないだろ、出掛ける
楽しさ、観光地の美しさ、地域的なグルメの興味、そして、人々との出会い…いつも胸をワ
クワクしながら旅しているんだ!」…そんな言葉を呑み込んで!


目的はディスカバリー・ジャパンである。今まで300か所以上の温泉に入浴しているが、ま
だ地図上では小さな点でしかない。前にも書いたことがあるが、「温泉道」に関しては、まだ
くちばしの黄色いヒヨコである。


俺は外国旅行には興味はない。何度か出掛けたが、自分の好みには合わなかった。そんな人間も
いるだろ?外国の素晴らしさは、写真や、インターネットだけの情報で十分だと思っている。


しかし、旅の宿にはこだわる。絶対的条件は、「源泉掛け流し」であること。これは譲れない。部
屋が安普請であろうと、料理がまずかろうと、ある程度は妥協する。温泉が大地から生まれた、そ
のままの温泉なら、あとは何も要らない…。食事前と、寝る前、そして朝と3度入るが、泉質が気に
入れば、+2回ぐらいは入浴してしまう。


今年は1月に山陰、日本海の旅に行ったが、2月は仕事の日程が詰まっていて、一度も温泉に浸からな
かった。すでに60%ぐらいのストレスが貯まっている。こんな時によく出掛けるのが大分県の別府温
泉だ。サンフラワーの「弾丸フェリー」がふと頭に浮かんだ。(笑)


※サンフラワー弾丸フェリーは、大阪港⇔別府で一万円とお得








貧乏人にも楽しい人生がある!

2016-02-27 23:30:00 | 日記


貧乏人はお金の価値を知らない。だから貧乏人になる。この公式を、今頃になって理解してきた。


昔からよく聞いたのが、「お金持ちの家で夕食を御馳走になったが、自分の家より粗末な食事だっ
た」と言う話。「だからお金が貯まるんだ~」と、尊敬と軽蔑が入り混じった感想。これは誰もが
経験しているのではないか?


しかし、その底辺を流れているのは「余裕」である。どんなものを食べようとも、家には資産があ
る…お金持ちはこの自信がすべてを打ち消してしまう。貧乏人は、貧乏人に見られたくないので、
ついつい贅沢をしてしまうのだ。いわば、粉飾生活である。


考えてみると、この「粉飾」で、ずいぶんと無駄遣いをしてきた。飲めや、歌えやの毎日。休日になる
と温泉旅行や、グルメ三昧。これではお金が残るわけがない。専門紙の編集長をしている時は、結構な
年収があったが、よく体に異常がなかったなと思うくらいの放蕩ぶりだった。


だから、今はお金がない。しかも、契約社員だから年収も知れている。この先、どうするのか?考えた
ら頭が痛くなる。だから酒を飲む。でも、アルコール中毒にはならない。自分には、大切な友人がたく
さんいるのだ。


それは、飲み会の流れでできた友人たちである。皆さんは家庭持ちで、俺だけがバツイチの独身。「3人
会」、「6人会」と銘打って、季節ごとに食事会や、温泉旅をしている。それがある限り、貧乏ノイロー
ゼに陥ることはない。


ただ、俺は一生お金の価値を知らずにこの世を去りそうだ。最近は居酒屋へ行く回数を減らし、家で一杯飲
むことが多いが、スーパーで主婦の金銭感覚を垣間見た。レジでお金を払う時に、店員さんが、「袋はどう
しますか?」と聞くことがある。


「袋?要るに決まっているじゃないか」と、俺はいつも言っていたが、ある日、前のおばちゃんが、レジに
置いてある「レジ袋は要りません(2円引き)」というカードを見せた。その場合は自分で何かの袋を用意して
いるものだが、そのおばちゃんは、野菜や肉を手に掴んで持っていた。


「え~まさか、そのまま手づかみのまま、家に持って帰るんか?」と思ったら、そのおばちゃん、生ものや、
汁ものを入れるカウンターの小さな袋に肉や野菜やお菓子やらを詰め込んだ。その袋は小さいので、5つくら
いの数になった。しかし、平然とそれを持って店を出る…。人生の強者である。


若いころの俺なら嘲笑していたと思う。「たかが2円でなんたる恥ずかしさ!」と。しかし、今の自分には笑え
ない。決してマネはできないけど、俺も若いころから始末する気持ちがあったら、今はもう少し楽な生活がで
きていただろうなって…。


でも、いまさら自分の人生を否定することはできない。このまま「無駄遣い王」を突っ走ろうと思う。それが楽
しいし、悔いのない人生だと思うからだ。死ぬ時は、残金0で死にたい。


馴染みの寿司屋のカウンターはオアシスである!

2016-02-26 22:21:10 | グルメ


俺は、「無駄遣い王」だ。お金を貯めるという認識がなかったし、
「老後を考える」という危機感もなかった。童話のアリとキリギリ
スで言えば、もちろん、キリギリスである。夏場に遊び呆けて、冬
になると家も食べ物もなく、寒さと飢えで死んで行く…。


これは幼少のころ極貧で、お金に苦労したという「反動」だと思って
いる。普通は、お金に苦労したから、お金を大事にし、お金持ちを目
指すと思いがちだが、実際はそうではない。俺の場合は、宵越しのお
金を持たず、贅沢三昧、その日、その日を思い切り楽しむ…という方
向に突き進んで行った。


小学6年の時、お盆に、祖母の親類の人が来て、駅前の食堂に連れて行っ
てもらった。、「なんでも食べてもいいよ」と言われ、そこで選んだメニ
ューが、「ざるそば」だった。ざるそば?なんでざるそば?と思うだろう
が、本当に食べたかったというのもあるが、本音を言うと、他の食べ物を
知らなかったからである。高校を卒業するまで、食堂や、レストランで食
事をした経験はほとんどなかった。


就職して初めて寿司屋に行ったが、昼間のランチで、カウンターではなく、
テーブルで盛り合わせを食べた。その美味しさたるや!「世の中には、こんな
旨いものがあるのか!」と思った。もちろん、刺身は食べたことがあるし、バ
ラ寿司、巻き寿司もお祭りや遠足、運動会などで食べたことはあつた。しかし、
握り寿司は初めてだった(40年前だから)。


さいたま市に住む友人の話は泣けた。田舎(宮城県の地方都市)の両親が東京見物に
来ることになり、なんでも希望を言ってくれと聞くと、「一度でいいから、寿司屋
のカウンターに座り、思う存分寿司を食べてみたい」ということだった。


その友人はしんみりした。「そうか、俺たち兄弟5人を育てるのに、寿司屋も行ってい
なかったのか…」と、思うと、涙が浮かんできたという。もちろん、快諾し、自分の
住まいの近くの、常連にしている寿司屋にその旨を伝えた。


「いいお話ですね。了解いたしました。精一杯、うまい寿司を握らせていただきます」と、
寿司屋の大将が言った。その時は、初めて親孝行ができる…という喜びで一杯だっと言う。

だが、予約した時間に行くと、カウンターは満員で座れなかった。「すみません、急きょ、
お得意さんの予約が入ってしまって…。一応、座敷は開けておりますので、しばらくお待ち
いただけますか?」と、大将は言ったが、「お、お前なあ、うちの両親は宮城から来ている
んだぞ!」と、声を荒げた。


それを見て、両親は、「いいんだよ。美味しそうなお店だし、この席でも構わないよ」と気を
遣ったらしい。でも、友人は我慢できなかった。「いや、これは許すことはできない。あれほ
ど念を押したのに、あれほど両親が楽しみにしていると言ったのに、この店の暖簾は二度とく
ぐらん!」と、両親を連れて外に出た。


それから他の寿司屋に行き、カウンターで一緒に寿司を食べたらしいが、旨さは半減である。
「もちろん、その店は二度と行っていない。ボクは誰にもこの話はしなかったけど、たまたま店
に友人が来ていて、その話が広まったらしい。知り合いもその店に行かなくなって、そのせいだ
けではないだろうが、寿司屋はつぶれたらしいよ」と、言った。


しかし、友人の顔は複雑な表情だった。俺たちが遊びに行くと、いつもその店に招待してくれた。
酒も寿司もうまかった。友人としては、人生のオアシスを一つ失くした気持だったのではないか?


寿司屋のカウンターで旨い酒を飲み、旨い寿司を食べる…今でも一番の贅沢であり、憧れである。



大阪のてっちり(ふぐ)は、安くておいしい!

2016-02-24 23:03:04 | グルメ


最近、静岡の浜松市から月に一度、大阪に出張に来るN嬢。静岡と言えばほぼ関東圏、
最初はナニワ文化に戸惑っていたが、慣れるに従って大阪の魅力に痺れてきたようで
ある。

最初はうどんの出汁。大阪の出汁は薄い…と思っていたらしい。静岡は東京とほぼ同じ
で、醤油黒い。「大阪って、こんなところでも節約してるのね?」と言っていたが、
ずずずって出汁を飲んで、「う、うまい!」と叫んだ。「色はこんなに薄いのに、味に
深みがある」と…。

「ふん、大阪の出汁は、上等の昆布と、上等の鰹節を使ってるんや。自然の旨みがつまっ
ているんやで~」と、俺が言うと、「ほ、本当ですね。これはうまい。癖になる旨さです」
と言って、毎日ランチはきつねうどんや、こぶうどんを食べていた。


夜は食べログなどで評判の店を調べ、たこ焼きや、お好み焼きを食べ歩いていたらしい。
「おでんもおいし~い。うどんと同じで、心地よい出汁が、病みつきになります」と、目
を輝かせていた。

そのN嬢が、「大阪の街を歩いていると、やたらと、「てっちり」の店が目立っていますね」
と言う。「そうや、大阪は全国の70%くらいフグを消費してるんや」、「え~、大阪の皆さん
はそんなお金持ちなんですか?」と、言うから、「あほ、大阪のモットーは安くてうまい、こ
れが最大の売りや。でも、本当にうまいもんなら、金は惜しまんよ!」と、俺は得意げに一席
ぶった。

「N嬢さんはてっちりが好きなんか?」と、聞くと、「それは好きですけど、静岡では高級品だし、
あまり食べたことがないんです」と、苦笑い。「実は俺もフグの本場と言われている山口県の出
身やけど、山口に住んでいたころは一度もフグを食べたことがなかったんや」と、頭を掻いた。


「でも、大阪に住むと、年に何回かは食べる機会ができる。宴会とか、飲み会とかで」と言うと、
「じゃあ、Мさん、おいしいお店を知っていますよね」と言うから、「うん、もちろん知ってるよ。
じゃあ、次の出張の時に食べに行こう。安くてうまいふぐ屋さんがあるんや」と、約束した。その
店は、要予約の店だったから…。

そして訪れた生野区にある「あじ平」というふぐ専門店。食べログにも登録されている人気店だが、
コースはなくて、単品を頼む。たとえば、フグちり2500円、てっさ(ふぐ刺身)1000円、湯引き(フ
グ皮)500円、白子1500円と言う具合にである。

友人二人を紹介しても彼女は上の空だった。いつもぺちゃくちゃ喋るのに、その夜は無口で、無表情だ
った。「何?ふぐを食べるから緊張してるんか?」と言っても反応がなかった。やがて料理が来ると、
彼女は黙々とてっさ(刺身)を食べ、鍋をつつき、その合間にウーロン茶を飲んだ。その顔を見れば、
言葉は要らなかった。終始、にこにこしていたのだ。人間、旨いもんを食べると、自然に顔がほこ
ろぶ。

最後に絶品の「雑炊」を食べた。この店の雑炊は今まで食べたことがないほど美味しいのだ。「うわ~お、
美味しい!」と、N嬢は至福の表情を見せた。そして完食!両手を合わせて、「ごちそうさまでした」と、
言い、ニコッと微笑んだ。

「食べ過ぎて、私がフグになっちゃいました」と、N嬢は初めてジョークを言い、友人たちも笑った。
俺は、「うん、君も完全に関西の乗りになってきたな」と、Vサインを送った。人生、何が楽しいかと
言うと、やっぱり旨いものを食べている時だなと改めて思った。


ふぐ料理専門店 「あじ平」06-6754-4669、地下鉄千日前線、「北巽」から徒歩5分、本当に安くてうまいお店です。お薦め。

人生で一番感動した!あの電話

2016-02-23 20:48:07 | ミステリ


ある時、飲み会で若いスタッフが、「Мさんって、今まで何かに感動した
ことがありますか?」という質問があった。「当然あるよ」と、言ったら、
へ~と、疑心暗鬼な顔。「Мさんは話しやすいし、話題も面白いのですが、
どこか深い影がありません?」と、若いスタッフ。うーん、俺のことをよ
く見ている。


それは両親がいなかったという生い立ちから来ているのか、それともDNA
に刷り込まれた性格なのか、自分でも分からない。優しい部分と、ダーク
な部分がある…と昔付き合った彼女に言われた。自分では気づかない部分
だった。


その俺が、今まで一番感動したこと。それは、友人からの電話だった。

その友人は東京、府中市に住むNだった。彼とは仕事の出張で知り合った
が、年間30日ぐらい一緒になった。東京と大阪、水と油だと思うだろうが、
彼がやさしく素直、そして大酒飲み。6歳下だったが、たちまち意気投合
した。


埼玉県の大宮市(今のさいたま市?)に行った時、5時から飲み始め、居酒
屋、スナック、ラウンジと続き、最後に中華屋に入った。その時の彼の注
文は今も忘れない。総勢4名の飲み会だったが、3軒はしごして、全員へろ
へろである。メンバーの一人が、「腹が減った。明日元気に出勤するため
に、飯が食いたい」と言ったので、中華屋に入ったのだ。


「えーと。4人だから、紹興酒4本と、餃子4人前、それから…」と言った
のだ。紹興酒のボトル4本?深夜1時で各人、紹興酒のボトル(720ml)一本?


「お前、俺らアルコール中毒で殺す気か?」と怒鳴ったのを思い出す。
その時、「いや、最後だから、そのくらい飲めると思って…」と、首を
傾げていた。「この男、化けもんや」と、思ったのも当然である。


そのNが、朝のシャワー中に倒れた。くも膜下だったらしい。脳内の血管
が切れたのである。これは70%以上の死亡率だと知った。大阪から仲間と
東京都稲城市の病院に見舞いに行った。その時の状況があまりにも酷過ぎた。


案内してくれた看護婦さんが、悲壮な顔をして、「彼は今も戦っています」
と言った。集中治療室のベッドで、Nは無意識でのたうちまわっていた。
全身を痙攣させ、奇声を発していた。それを見て、俺は涙が流れた。
「N、N!」と彼の名前を呼んだ。でも、看護婦さんは、「……
」と、気の毒そうに俺を見た。


帰りの新幹線がしんどかった。ウィスキーのボトルを買ってぐいぐい飲ん
だ。見舞いに同行した連中も飲んだ。そして、「Nと会うのも今日が最後に
なりそうやね」と、悲しんだ。誰もが彼はもうすぐ亡くなる…と思ってい
たのだ。


それから2ヶ月後、会社に電話が掛かった。「Мさん、電話ですよ」と女性
スタッフ。電話に出た。「お久しぶりです。お元気ですか?」と、相手は
言った。「はあ?」と、俺は誰からの電話なのか、まったく分からなかった。

「Nですよ。もうすぐ、退院します」、「はあ?」、俺はまだ信じられ
なかった。だけど、その声には確かに聞き覚えがあった。「N?本当!本当
にN?」と、俺は聞いた。「そうです、Nですよ。N野です!」、相手は明快
に答えた。


俺はふるえた。全身から汗が噴き出した。「おい、お前は地獄から生還した
のか?」、俺の語気が荒くなった。「そうです、生還しましたよ」と、Nは
答えた。その時ほど感動したことはない。「まさか、あの世から電話して
きたのではないのだろうな」と、冗談が出た。これは、本当の出来事だと、
安堵した証だった。


「大丈夫です。今、病院の待合室から電話しています。看護婦さんから聞き
ました。お見舞いに来てくださったそうですね」と、彼の声は生気に満ちて
いた。「ずっと意識不明だったので、自分としてはあっという間でした。で
も、サッカーのワールドカップが終わっていたので、時間を感じました」と、
明快な答え。


俺はこれを見舞いに行った友人に伝え、その日、乾杯、乾杯で朝まで飲み明
かした。

あれから7年になるが、彼とは大阪、東京を行き来して、今でも一年に2,3回
は飲み会をしている。それが現在の、一番の楽しみである。今年は、彼の生
地である新潟旅行をと考えている。