満天の星空が見たい!

温泉旅がメインの生活。酒とグルメとミステリ小説、ごくたまに失恋の話。

真夜中は、センチメンタルになる…

2016-06-29 23:22:20 | 人間
伊豆の弓ヶ浜、すぐに泳ぎたくなる美しい砂浜だった!

今夜はやけにセンチになっている。実は、7月10日から2泊3日の予定で友人と温泉旅行に行くので、いろいろ候補地を探していたのだが、温泉地の名前を見るたびに、昔の思い出が甦ってくるのだ。

特に3年前に別れたSさんとは、8年ぐらい一緒に暮らし、日本全国、30回ぐらい温泉旅行をした。日帰り温泉を入れると、100か所以上になる。彼女はお酒が大好きだった。特に日本酒には目がなく、知識も豊富だった。旅をすると、いつも地元の蔵元に行き、お薦めの日本酒を試飲をして、蔵元限定の酒を買っていた。帰りの荷物がいつも重かったのを覚えている。

実は、付き合った当時は、彼女はそんなに酒が好きではなかった。俺が、「ウィスキーでも焼酎でも、蒸留酒なら水で割ったら本当の旨みは味わえない。高級酒は、ロックで飲むのが基本だ」と言ったら、彼女はサントリーの山崎12年をロックで飲んだ。すると、すぐにむせて、吐きだしてしまった。ロックはチビチビやるものだが、全部を一気に飲んでしまったのだ。

でも彼女はすぐに2杯目に挑戦し、今度は琥珀色の液体を口に含んで、「あ、ほんと。いい香りがしますね。おいしい」と、うっとりしていた。彼女は、酒飲みの才があった。今は、酒専門の雑誌で副編集長をしている。
 

もうひとり、切なく思い出したのは男性である。彼はあるスポーツ紙の記者をしていたが、早期退社し、何の趣味もなく、独身で淡々とした毎日を送っていた。それを見かねて、「温泉に行かないか」と誘ったら、「温泉?俺はまだそんな歳ではない」と、拒否反応を示した。

それでも、「毎日家にこもっていても仕方ないだろう。熊野古道でも歩いて、温泉に浸かろう」と、強引に連れて行き、実際に熊野古道を8キロ歩き、和歌山県、日本最古の温泉と言われる湯の峰温泉に宿泊した。でも日ごろの運動不足が堪え、食事もままならない状況。せっかくの温泉も一度入ったきりだった。

それでも彼は旅の面白さに目覚め、「次の旅行はいつ行くんや?」と、催促するようになった。それからは3カ月に一度くらいのスパンで、北海道から鹿児島まで、12度の温泉旅行をしたが、いずれも思い出深い旅になった。

彼は凄いヘビースモーカーで、一日に3箱のたばこを飲んでいた。少し歩くとゼイゼイと息を切らし、かいもくスタミナがなかった。「いい加減、たばこをやめろや」と言ったのは、乗鞍高原温泉でレンタサイクルした時だった。少しの坂も登り切れず、ダウンしていたからである。

「分かった、たばこはやめる。家に帰ったら健康診断にも行く」と約束してくれた。そして、大阪に帰った10日後に彼から電話があった。「やっぱり肺気腫やった。でも、胃も悪くなっているらしい」と、まだ陽気に語っていたが、言葉とは裏腹に、これが最悪の結果になってしまった。

末期の胃癌と診断されたのである。すべて除去したものの、それから肝臓に転移し、帰らぬ人となった。こんな暗い話をブログに書きたくはなかったのだけど、彼の話をして、彼の存在感を示したかった。「今、天井で俺を見ている君、俺は君を忘れてはいないぞ~」と。

楽しい温泉旅だが、人生の悲哀が見え隠れする時もある。真夜中にその悲哀を思い出すと、センチメンタルになり、ぐいぐいと強い酒をあおってしまう。一人暮らしを始めて4年余り、やはり本音は寂しい。でも~!

元彼女のSさんの輝かしい将来に乾杯、そして永眠している彼に楽しい旅の思い出をありがとうの献杯、さらに、現在の自分自身に発破をかけてもう一杯!まだまだ負けへんで~。

日本の主要都市で愛を叫ぶ!

2016-06-24 23:15:46 | 人間


仕事の関係で親友になった東京・府中市のМと、三重県松阪市のМ、そして俺は大阪市のМ、スリーMの会である。毎年一度、その中間地点と言うべき、松阪市で飲み会をする。

一応、会費はあるが、松阪のМは豪気で(小さいながらも会社の社長)、「せっかく交通費を使って松阪まで来てくれるのだから」と、毎回高級料亭や、高級寿司屋、松阪牛の老舗などに招待してくれる。これが困るのだ。接待してくれるのは嬉しいが、気を遣いながら飲みたくない。3人は「親友」ではないか!

それで、今回は彼の家で飲み会をすることを希望した。これに、奥さんは大賛成である。「意図を察してくれているな…」と俺は思った。ただし、刺身の舟盛りに、松阪牛のステーキと、出てきた料理は半端なく高級だった。しかし、町の料理屋で払う予算の四分の一くらいである。三人は大酒のみで、料理屋での払いのほとんどは酒代である。そう、外飲みは酒の値段が高い。高級店では、生ビールが千円ぐらいするし、日本酒は1500円という銘柄も多い。これをぐいぐい飲むのだから、実にもったいない。

初の家飲み。これが大正解だった。気兼ねなく飲んで食べて、話も盛り上がった。これからはずっとこのシステムにしよう!と、来年の飲み会も彼の家ですることになった。

松阪のМは亭主関白である。飲んでいる最中に、「嫁と結婚したのは、彼女の両親が農家で田畑を所有していたから。その土地のあたりを高速道路が走ると聞いて、将来、財産が入ると思ったからだ」と、ひどいことを言う。奥さんを見ると、にこにこ笑っている。これは、今まで何度も言われたことがあるのだろう…と察した。

彼はさらに調子に乗り、「俺は浮気も公認なんだ…」と、得意げに言った。これは彼の悪い癖である。奥さんをこよなく愛しているのに、わざとそういうことを言う。「奥さん、大丈夫ですよ。彼は、奥さんが大好きですから…」と言うと、奥さんは相変わらずにこにこしていた。

そこで、俺は彼の行動を暴露した。これは仲間内では有名な話で、彼の「癖…へき」といべき行動である。我々の仕事は色々な都市(現場)を訪れ、そこで一週間、一緒に仕事をする。東京、名古屋、大阪、岡山、広島、北九州、福岡と、日本の主要都市すべてを回った。それを年に6度、10年間だから、6×7(一週間)×10年で、三人は、なんと420日間も一緒に過ごしたのである。そりゃ、親友にもなるわ…。

仕事が終わると、毎晩この三人がその都市の盛り場に行き、酒を飲む。当時は、バブル時代で、出張費も豊富にあった。毎晩、2,3軒はしごをして、それでも元気に明日の仕事をこなしていた。三人は本当に酒が強かった。

何が彼の「癖」だったのか?その夜の最後の店を出た時に、彼は儀式のように「癖」を見せた。歩道でも、橋の上でも、公園のなかでも、大きく手を広げて、「きょ~うこ、愛しているぜ~」と、叫ぶのである。これを3,4度する。近くにいる人々はびっくりして彼の顔を見るが、彼は意に介していない。「さあ、ホテルに帰ろうか」と、いたって冷静に言うのだ。きょうこは、もちろん、奥さんの名前である。

これを彼女に言うと、別に驚きもしなかった。「それは松阪でもやっているらしく、地元の人に何べんも聞いています」と、苦笑していた。なんだ、そうだったのか、話すのではなかった。夫婦愛は、犬も食わない。

でも、いいなあ、今の俺は独り身、この話はけっこう、堪えたわ。やつぱり伴侶は必要なのかも知れない。でも、楽しい飲み会、来年もしたいから、頑張って働こう!

初めての伊豆旅行…その②、蓮台寺温泉、「千人風呂・金谷旅館」

2016-06-23 12:21:32 | 旅行
 

さて、伊豆旅行の2日目である。今回、初めて伊豆を旅して驚いたのは、道路が険しかったことだ。整備されてはいるが、天城越えの中央道は当然ながら、海岸線の険しさにはびっくりした。50~80メートルの崖が多く、スリル満点である。その分、景色は美しく、遠く伊豆の島々が視界に入ってくる。城ヶ崎海岸、石廊崎、堂ヶ島などの名勝が多いのも頷けた。

今回の旅の温泉のメインは、「千人風呂・金谷旅館」である。温泉通なら必ず名前を聞く名湯であり、兼ねてから入浴したい温泉のひとつだった。まずは下田ロープウェイに乗り、ペリーが入港した下田湾を眺めた後、山手に向かったが、下田から蓮台寺温泉はわずか10分ほどのドライブだった。下田駅から一つ先の蓮台寺駅、そこから徒歩5分ほどだから、電車を利用してもオッケーだ。

旅館は見るからに「老舗」という雰囲気で、期待も大いに高まったが、結論を先に言えば、大満足の温泉だった。さすがに千人は入れないものの、「千人風呂と言っても偽りなしだな」と、思わず同行者が語ったように、湯船はプールのように広く、何より、それをまかなう湯量(毎分300ℓ)が凄かった。

お湯はとろみのある単純泉で、今の時期に最適な35度くらいのぬる湯風呂もあり、さっぱりして気持ちが良かった。実は、初日の宿選びでここも候補に入っていたが、静岡駅からレンタカーでは少し遠いかな…と除外したのが惜しまれる。でも、日帰りでも十分に満足できた。

次に向かった昼食予定の「休暇村・南伊豆」が臨時休館だったのは苦笑したが、その横にある弓ヶ浜の美しさに癒され、それから石廊崎に行き、港から灯台まで歩いた。灯台自体はまったく普通で、伊豆半島の最南端であることは確認できたが、あいにくの曇天で、伊豆七島のラインナップが見れなかったのは残念だった。

2日目の宿は土肥温泉・「たたみの宿・湯の花亭」だった。館内、すべてが畳(4000畳)という宿で、初日の宿と同様、目の前がすぐ海と言うオーシャンビュー温泉宿。ここは土肥の浜辺が見渡せる露天風呂が気持ちよく、4度も入浴した。初日の「つるや吉祥亭」と同じく、源泉掛け流しで料理自慢だったが、総合力はややつるやに軍配が上がるかも知れない。つるやは、昭和レトロの部屋があるなど、遊び心があり、企画面で一枚上のような気がした。

最終日は、宿からすぐの「土肥金山」を訪れ、土肥港12時の駿河湾フェリー(富士は見えなかった!)で清水港に帰った。そして、静岡駅ビル内の居酒屋で打ち上げをし、15時のひかりで帰阪した。同行者5人が、「今回もいい旅だった」と、感謝してくれたのが嬉しい。




初めての伊豆旅行…その①

2016-06-19 10:55:52 | 旅行
柿田川湧水群…飲料水に最適で、一日100万t湧く


初めて、伊豆旅行に行った。温泉好きを名乗るなら、伊豆はいつか訪れなければならない温泉地…という思いを常に持っていたが、今回友人6名と出掛ける機会を得て、伊豆半島をほぼ一周した。

大阪を9時40分のひかり号で出発。11時半ごろ静岡に到着し、ここで8人乗りの日産セレナをレンタルし、(レール&レンタカーきっぷでJR料金が2割程度安くなる)、まずは清水港近くにある「みやもと商店」という有名な海鮮食堂へ行った。そこのメニューを手にして、6名の興奮メーターは早くもマックスに達し、まずはジャンケンで誰が運転するかを決めた。

「こんな旨そうな食材を目の前にして、ビールなしでは持たん!」と言うわけである。ジャンケンに負けて運転手になった男もノンアルコールビールを注文し、まずは旅行の安全を祈願?して乾杯した。生しらす、桜エビかき揚げ丼、本まぐろ二色丼、桜エビかき揚げと刺身定食、などを食べ、意気揚々と店を出たが、ビールを飲み過ぎて、早くも足がふらつく人もいた。

最初の観光地は沼津市にある「柿田川公園」である。ここは富士山の湧水で有名だが、今まで訪れた湧水地のなかでも、桁違いのスケール(1日百万トン)を持った湧水群だった。広大な公園のあちこちで、富士山の伏流水がぼこぼこと吹きあがっている。昼飲みの酔いを、ここの清廉な湧水を飲んで和らげ、次の「大室山」を目指したが、あいにくの小雨模様。柿田川公園で予想以上に時間を使ったこともあり、そのまま、今夜の宿である「北川温泉・つるや吉祥亭」に向かった。

伊豆半島は温泉の宝庫だが、特に東伊豆の海岸通りは温泉銀座である。熱海市から下田まで、角を曲がれば「~温泉」と言う具合に温泉地の看板が目につく。そのなかで、どの温泉地を選ぶか…は幹事(私)の腕に掛かっていたが、あまりに巨大なホテルは嫌だし、洗練された高級温泉旅館も肩が張る…ということで選択したのが「つるや吉祥亭」だった。以前はハイクラスの宿だったが、近年、気軽に泊まれる宿泊プランも出て、今回は14500円の「ホタル観賞着きプラン」を選定した。

宿は目の前が海岸で、近くに伊豆大島が見える絶好のロケーション。さっそく温泉に入ったが、内湯がひとつに、半露天がふたつ。このなかで、半露天のぬる湯が心地良かった。食事はホタル観賞のため、早めの5時30分からで、少しバタバタしたが、伊豆らしい海産物を取り入れた会席で、特に揚げ立ての天ぷらが食べ放題が人気だった。

7時半に宿のバスに乗り、山手の方に向かったが、「ホタル祭り」の提灯があちこちに配置され、地域イベントとして、かなり盛大な感じがした。ガイドさんに話を聞くと、東伊豆町の温泉(大川、片瀬、白田、北川、熱川)が協力しての季節イベント(6月5日~6月15日)で、今年で14回目になると言うことだった。真っ暗な山のなかで提灯を下げて歩き、ホタルを見つけた時は、童心に戻った気持ちがした。

宿に帰り、海岸にある全国温泉ファン羨望の「黒根岩露天風呂」に入浴。少し熱めの湯だったが、海の匂いと打ち寄せる波の音を聞きながら、しっかり温泉情緒を満喫した。明日は、南伊豆の旅、兼ねてから羨望していた「金谷旅館・千人風呂」を訪れる。下田の街並みも楽しみである。

うちのおかんはギャンブル人生だった!

2016-06-10 02:09:43 | 人間


うちの「おかん(関西でいうところの母親)、第2弾である。戦後の混乱時にどこで知り合ったのか(まったく聞いたことがない!)、山口県のおかんが、熊本県の親父と19歳で結婚し、20歳で俺を生んで、しばらくは平穏に暮らしていたらしいが、3年で別離し(正式に離婚はしてない)、一家離散。

俺はおかん方の実家(山口県周南市)に預けられ、高校まで出してもらったが、おかんは北九州の小倉にいた。小学生の時、夏休みや冬休みにおかんに会いに行った。しかし、当時のおかんは、まだ30歳くらいで、言わば女盛りである。それも今でいうところのヤンキーで、遊び呆けていたと思う。ラウンジや、クラブに勤めていて、だらしない生活を続けていた。

確か、小学4年生の冬休みだったと思う。12月27日に小倉につき、アパートに行ったら、「ちょっと用事があるから」と言って、出掛けてしまった。そして、3日間何の音沙汰もなかったのである。おばあちゃんがやりくりしてくれた行きの電車賃しかもらっていなかったから困ったが、それでも米はあったので炊飯器で米を炊き、冷蔵庫にあつた味噌や鰹節、漬物などで飢えをしのいだ。

帰ってきたのは12月31日、大晦日の夜9時過ぎだった。「ごめん、ごめん、お腹がすいてるやろ」と、悪びれることなく、俺の顔を見て笑い、そして、「ちょっと出掛けよう」と、そのまま氷点下の外に連れ出された。そして連れて行かれたのが、「賭場」である。トバ?そう、昔でいうところの博打場である。よく時代劇などで出てくる、壺でさいころを振り、丁か半かというあの賭場である。

そこは大きな旅館で、ある部屋では麻雀を、となりの部屋では本引き(1から6までの札を使う心理ゲーム)、そして昔ながらの丁半博打、その他、多種多彩の賭けごとが行われていた。小学生がなぜそれを判断できたのかと言うと、幼少時からそんな環境で育ったからである。後に、俺が大阪に来て、ギャンブル専門紙の会社に入り、予想記者としてたちまち頭角を現したのも、博打のノウハウが体に染み込んでいたからだと思う。なんと、編集長まで上り詰めたのだ。

その賭場へ行くと、天国ではないかと思った。24時間オープンしており、食いものはご飯に魚や肉、野菜となんでも置いてある。酒や飲み物も無料である。そして俺が小学生と言うことも誰も問わない。除夜の鐘が鳴り、夜が明けると、3,4人の人が、「おお、Мちゃんの息子さんか」と、お年玉までくれた。

そこに1月2日までいて、そのまま山口県に帰った。なんという親だろうか!小学生を3日間ほったらかしにし、博打場に連れて行く。世の中に、こんな無責任な親がいるものか!

最近、その話が出て、俺が、「本当に、あんたには親らしいことをしてもらったことがない。ほとんどおばあちゃんに育ててもらったからなあ」と言うと、「あんたも男やろ。昔のことでじくじく言うな。それより、パチンコ代に、一本(一万円)回してや」と、不敵な笑いを浮かべる老婆。

そんなおかんだが、恨んだことは一度もない。生んでもらったことに感謝するしかないのだ。