満天の星空が見たい!

温泉旅がメインの生活。酒とグルメとミステリ小説、ごくたまに失恋の話。

クリスマスなんか怖くない?

2016-12-24 11:29:52 | 人間


またクリスマスがやってきた。別にどうってことはないのだが、本音を言えばクリスマスは
あまり好きではない。思い出に残るようなシーンはないし、特別意識する気持ちもない。
『クリスマスを祝う家族も恋人もいなかったのでは…?』と友人は憐みの表情で言う。確か
に家族関係は若い時に3年で終わったが、恋人はほとんど切れ目なくいた。しかし、誰もが、
「クリスマス?そんもんどっちでもええわ」というタイプばかりで、「ケーキより上等の白
ワイン、それとキトキトの寒ブリ入りの刺身盛り、神戸牛も食べたいな」と、クリスマスを
利用してうまい肴にありつこうとする酒飲みばかりだった(笑)

ただ、ここ3年はずっとひとりで、そうなると余計にクリスマスなど意識しなくなる。今朝、
出勤するときに今日の日付を見て、「ああ、今日はクリスマスイブか…」と、思ったほどで、
逆にこれが嫌だった。と言うのも、今日は帰りに近所のイタリアン・バルで、赤ワインとカ
ルパッチョなどをつまもうかと思っていたのだが、クリスマスイブに、イタリアンの店で一
人で飲む勇気はない。仕様がない、帰りにスーパーに寄って、赤身のステーキと、野菜サラダ
のセットでも買って帰ろうかと思っている。

そもそもクリスマスはイエス・キリストの誕生日を祝う祭りである。日本では1552年、山口
市で初めて祝ったらしいが、そのあと鎖国などもあり途絶えていて、明治維新からまた復活で
ある。世間では、「キリスト教でもない人がなぜクリスマスを祝うんだ!」と言う人もいるが、
年間の数あるイベントのひとつという認識でいいではないかと思う。なにより、莫大な経済効
果があるのだから…。

朝、出勤するときに、最初の交差点の歩道横のスペースで、キリスト教を公布するために、
パンフレットを胸位置に掲げて立っている若い女性がいる。やさしく微笑み、ひとことも声を発
さない。傍にそのパンフレットを並べたスタンドがあり、自由にお持ち帰りくださいと、書いて
ある。その女性があまりにも清廉で美しく、思わずそのエリアに引き込まれそうになるが、「い
かん、いかん。そんな気持ちで接すれば冒涜だ!」と、己を戒め、後ろ髪を引かれながら青信号
を待つ…。

ただ、今日はクリスマスイブと言うのに?その位置にいるのは眼鏡をかけた中年のおっさんであ
った。俺は、黄色の信号なのに一気に歩道を駆け抜けて通り過ぎた(笑)

貧乏人にも楽しい人生がある!ーリバイバル

2016-12-23 21:27:51 | 人間


貧乏人はお金の価値を知らない。だから貧乏人になる。この公式を、今頃になって理解してきた。


昔からよく聞いたのが、「お金持ちの家で夕食を御馳走になったが、自分の家より粗末な食事だっ
た」と言う話。「だからお金が貯まるんだ~」と、尊敬と軽蔑が入り混じった感想。これは誰もが
経験しているのではないか?


しかし、その底辺を流れているのは「余裕」である。どんなものを食べようとも、家には資産があ
る…お金持ちはこの自信がすべてを打ち消してしまう。貧乏人は、貧乏人に見られたくないので、
ついつい贅沢をしてしまうのだ。いわば、粉飾生活である。


考えてみると、この「粉飾」で、ずいぶんと無駄遣いをしてきた。飲めや、歌えやの毎日。休日になる
と温泉旅行や、グルメ三昧。これではお金が残るわけがない。専門紙の編集長をしている時は、結構な
年収があったが、よく体に異常がなかったなと思うくらいの放蕩ぶりだった。


だから、今はお金がない。しかも、契約社員だから年収も知れている。この先、どうするのか?考えた
ら頭が痛くなる。だから酒を飲む。でも、アルコール中毒にはならない。自分には、大切な友人がたく
さんいるのだ。


それは、飲み会の流れでできた友人たちである。皆さんは家庭持ちで、俺だけがバツイチの独身。「3人
会」、「6人会」と銘打って、季節ごとに食事会や、温泉旅をしている。それがある限り、貧乏ノイロー
ゼに陥ることはない。


ただ、俺は一生お金の価値を知らずにこの世を去りそうだ。最近は居酒屋へ行く回数を減らし、家で一杯飲
むことが多いが、スーパーで主婦の金銭感覚を垣間見た。レジでお金を払う時に、店員さんが、「袋はどう
しますか?」と聞くことがある。


「袋?要るに決まっているじゃないか」と、俺はいつも言っていたが、ある日、前のおばちゃんが、レジに
置いてある「レジ袋は要りません(2円引き)」というカードを見せた。その場合は自分で何かの袋を用意して
いるものだが、そのおばちゃんは、野菜や肉を手に掴んで持っていた。


「え~まさか、そのまま手づかみのまま、家に持って帰るんか?」と思ったら、そのおばちゃん、生ものや、
汁ものを入れるカウンターの小さな袋に肉や野菜やお菓子やらを詰め込んだ。その袋は小さいので、5つくら
いの数になった。しかし、平然とそれを持って店を出る…。人生の強者である。


若いころの俺なら嘲笑していたと思う。「たかが2円でなんたる恥ずかしさ!」と。しかし、今の自分には笑え
ない。決してマネはできないけど、俺も若いころから始末する気持ちがあったら、今はもう少し楽な生活がで
きていただろうなって…。


でも、いまさら自分の人生を否定することはできない。このまま「無駄遣い王」を突っ走ろうと思う。それが楽
しいし、悔いのない人生だと思うからだ。死ぬ時は、残金0で死にたい。


あの飯島愛さんの啖呵が好きだった!ーリバイバル

2016-12-21 11:52:33 | 人間
 

今、俺の仕事場は業界のビッグイベントの最中で、
毎日、有名ゲストが参加している。きのうはあの坂上忍が来て場内を沸かせたし、
今日は鈴木亜美が舞台で歌っていた。担当スタッフはてんやわんやの忙しさで、
声も掛けられないほどだが、そのスタッフの中にもミーハーがいる。



「鈴木亜美ですよ。あの、亜美ちゃんです。舞台見に行きませんか?というより、
我々は関係者なんだから、楽屋に行ってサインもらいましょう」と、誘われるのだが、
「何が悲しくて、俺が鈴木亜美にサインをもらわなあかんねん!」と断った。
「ほんとМさんはいつもクールですね!」と、その男は言うのだが、
俺は以前から芸能人、有名人に対しては、ほとんど何も感じることはない。
クールと言うより、関心がないだけである。



初日(12月18日)、仕事が終わって通用門を出ると、3人の若い女性たちが
ビニールシートを敷いて、座り込んでいた(17時ごろ)。明日の漫才イベントで
一番前にに座りたいのだと言う。「9時半開門だから、8時ごろ来ても大丈夫ですよ」と、
ガードマンが諭したそうだが、「いや、絶対一番で入りたい」と言って
聞かなかったそうだ。その日は、強めの寒風が吹いており、
これから明日の開門(9時半)までどう堪えるのだろうか?と、心配した。
もちろん、防寒着を着て、その他、いろいろな防寒グッズを用意してはいたが…。



そのエネルギッシュさに驚く。自分は、どんな有名料理店でも絶対並ばない。
意地を張っているわけではなく、他に選択肢があるからだ。しかし、
この女性たちに、やめとけやとか、家に帰りなさいとか、おせっかいをすることもない。
彼女たちにとっては、それが現在の生き甲斐であり、無上の喜びなのだ。



以前、今は亡き、飯島愛さんが、ゲスト出演するということで、
記者席に挨拶に来たことがある。その時に言った彼女の言葉には
感心した。いわく、「私と一緒に写真を撮りたいとか、サインしてくれとか、
絶対お断りですからよろしく!」、顔がウゼエんだよ、お前たち!と言っていた(笑)。



その啖呵に皆は唖然としていたが、俺はひとり拍手を送った。「ええぞ、それでこそ飯島愛や!」と。

忘れられない、「子分達の歓声!」 ーーーリバイバル

2016-12-15 16:21:50 | 人間

貧乏だった。その話をすると、会社の同僚は、『あの頃は誰もが貧乏だった』と、
言う。本当にそうだろうか?と思う。


小学6年生の時、俺は祖母と二人暮らしだった。両親は離婚し、
俺を見捨てて一家離散、祖母がパチンコ屋の飯炊きに行き、
朝鮮の中の、粗末なあばら家に住んでいた。朝鮮人は親切ではなかったが、
嫌な思いをしたこともなかった。おたがい、毎日を生きるのが精いっぱいだったのだ。


そういうわけで、5人の子分はみな朝鮮人だった。「お前ら、朝鮮人だから、
学校へ行ったらいじめられるだろう。だから、喧嘩に強くなれ。でも、
喧嘩が強くても、他の奴をいじめたらいかんぞ」と、いつも言い聞かせていた。


当時は、俺はスポーツ万能だった。それで体育委員になっていた。しかし、
恥ずかしい思いもした。夏になるとプール授業がある。体育委員なのに、
プールの時はいつも見学していた。泳げないから?ノーノー、海水パンツを
買えなかったからだ。それほど家は貧乏だった。朝5時から家を出て
一日中働いているおばあちゃんに、海水着を買ってくれとは言えなかったのである。


冬の学校行事のひとつにマラソン大会があった。自慢ではないが、
3.4.5年と自分は3連覇していた(200人中)。
6年で勝てば、学校創設以来、2人目の完全制覇と言う。俺は、これに賭けた。
3か月前から、子分5人を引き連れて、いつもより30分前に家を出て、
遠回りをし、走って学校に通った。


その成果は顕著に表れた。子分どもがいずれも学年の10番以内に入って
いたからである。最後に6年生のスタートである。実はこの日の朝、
おばあちゃんから渡されたものがあった。それは、「リポビタンD」だった。
その栄養剤が当時からあったんだ…と思うと苦笑するしかないが、
それを飲んで来た。「負けるはずがない!」と、俺は自信満々だった。


スタートから俺は飛ばした。足は軽やかで、機関車のようにスピードは
落ちなかった。やがて周囲には誰もいなくなり、折り返し地点で後続を見ると、
200メートルぐらいの差がついていた。それでも気は緩まなかった。
自分の吐く息だけを聞きながら、どんどん飛ばしていった。


そして、校門に入った瞬間、待ち構えていた子分ども5人の歓声が聞こえた。
「やった、大将が一番や!」、「ええぞ、大将、ぶっちぎりや」と、
5人は手を取り合って喜んでいた。俺は彼らに手を振って応えた。
今考えても胸が熱くなる、人生の忘れられないシーンだった。


それから30数年経ったある日、俺は久しぶりに大阪から山口県の
田舎に帰った。中学校の友人と飲み会を開き、そのあとサウナへ行った。
そこで昔の子分の一人に会った。

「正男、マサじゃないか!」と言うと、周りの4.5人が俺を囲んだ。
「こら、誰がマサじゃ、うちの親分にその口はなんじゃ。お前なめとんのか~」、
その連中は、全員がもんもん(刺青)を入れていた。



マサは、最初は目を細めて、俺が何者か…という感じで見ていたが、すぐに
「お前ら、待て、この人は、わしの大恩人じゃ。いつも話をしとるじゃろ。
マラソン完全制覇のあの大将じゃ!」と、俺の手を取って頭を下げた。
「懐かしいのお、こっちへ帰ってくるんなら連絡してくれたら、
いつでも迎えに行ったのに」と、彼は貫禄十分、どすの利いた声で、
嬉しそうに言った。


結局、この夜はお互いに用事があり、酒も飲まずに別れた。そして、
再会を約束したにもかかわらず、その後は一度も彼と会っていない。、
彼はその道しかなかったような感じでやくざ屋さんになったと言うが、
当時は道端の草を食べるほど貧しかった。だから、何になっていても俺は驚かない。
ただ、あの時はみんな子供で純粋だった。

あのゴールした時の歓声が、今も耳に残っている。

今年も年末ジャンボ宝くじを買う理由!

2016-12-02 22:45:53 | 人間


最近、後輩と飲むと、よく耳にする言葉が「人生の勝ち組、負け組み」である。
単純に言えば、お金を稼いでいるかどうかが基準らしいが、そうなると自分は
「負け組」である。ある専門紙の編集長をやっているときに、5年くらいは一千
万円を超える年収があったが、ギャンブルや女、酒で消え、今は手取り年収5oo
万円ほどで、預金もほとんどない。これでは老後が持たないので、来年から年間
200万ほどの預金設定を組んだ。今はギャンブルはまったくしないので、年間300
万あれば楽に生活していけるはず?である。

ただ、人生負け組とは思っていない。最高級の食事はしたことはなく、最高級の
女も知らないが、そこまでの興味はなく、自分の考える世界の中では満足のいく
生活をしてきたつもりである。マイワールドの中では、うまい酒、うまい食事を
楽しんで来た。自分が惚れた女性もしっかりモノにできたし、今までの人生に不満
はまったくない。

むしろ、何百億も稼いでいる人間はいったい何が楽しいんだろうと思う時がある。
お金があるから何でもできるはずだが、そういう成功者は、さらに稼ごうと日々神
経を使っている。お城のような住居を建て、最高級の食事をを楽しみ、最高級の女の
手に入れたが、精神的にピークの状態が続いているから、脳はさらに前進しか命令し
ないように見える。

どうやら俺は根っからの貧乏人だ。男としては烏合の衆、有象無象のタイプである。
しかし、やっぱりお金がほしい。それも1億、2億のお金が…。何十億、何百億の金は
必要ない。1億あればこれからの人生が楽になる…。

回りくどくなったが、今年も年末ジャンボ宝くじを買う(笑)。この時期になると、いつ
も居酒屋で友人に「↑」の言葉を並べて、宝くじを買う理由をのたまうのである(笑)