小島教育研究所

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中学生のころ(クラブ活動②)

2011-07-08 | 日記

その②

10名のぶいんがそろった陸上部。顧問のN先生の作成した練習メニューを思い出すと、

 1.軽いUP

 2.柔軟体操

 3.ダッシュ(30メートル)5本

 4.サーキット・トレーニング 200メートル 3本

 5.各競技に分かれて、練習。(短距離走、幅跳び、高飛び、砲丸投げなど)

 6.冬場になると長距離(5km走)、サッカーなど走りこみ中心の練習。

 7.リズム体操

 8.夏場は水泳を推奨。(肩の冷えすぎに注意。)

当時まだストレッチという言葉はなかったが、ストレッチ体操に近い柔軟体操を各種教えていただいた。

印象的なのは、水分補給。先生特製の蜂蜜レモン水を夏休み中いただいたこと。つくり方を教わり、各自自宅で作成した。練習の合間に、食塩とレモンを交互になめながら、夏の練習をこなした。(2年生以降)

平日の練習は授業後、午後3時から午後5時まで(夏場は7時近くまで)。

合間に、雨の日は教室で、運動理論の講義(説明)。時に、スライドを拝見したこともある。

練習は、厳しいけれども、楽しかった。しごきも皆無で、部員同士とても仲が良かった。

しかし、いつ先生が転勤されるか、とても不安に思った部員たちは、中学生の頭を絞って「先生の練習のお手伝い。」を申し出た。

2000メートルの日本記録をもつ先生に対して「、我々部員が50mから100mの短距離をバトンリレーして先生に併走し、先生の練習のお手伝いをします。」という、今から思うとかわいらしくも、いじらしい申し出であった。大人たちの話では、G大学附属中学あたりから転勤の話が来ているらしい。自分たちを置いて、他校に転出してほしくない、けなげな中学生が編み出した奇策。それが「バトンリレーによる併走作戦」だった。

その旨、先生に申し出ると、「申し出ありがとう。では一度やってみましょう。」

その日、実際に併走させていただいた。なにせ、部員は10名。一人200mづつの分担だが、一度に200m走れば、先生にかなわない。そこで50m単位で走ることにした。

はじめの1000m位は何とか互角であったが、部員も全速力で走っているのですぐに疲労がたまる。1500m位からは徐々に引き離され始めた。部員の完敗であった。あらためて、先生の偉大さを実感した瞬間だった。

その日の練習後の挨拶で「今日は、私の練習相手をしてくれて有難う。これからも機会があったら、またお願いする。いっしょに走ろう。」

その後、我々の卒業と同時に、うわさ通り、先生はG大学附属中学校に栄転された。

(我々中学生部員の気持ちが通じたか定かではない。)

先生が東京教育大学(現筑波大学)を卒業され、最初に赴任されたのが我が中学校で、私が入学する前年であった。ちょうど干支(えと)で言うと一回り、12歳の違いであった。

先生には、いろいろな事を教えていただいた。

「常にTOPを目指せ。TOPになることは難しいことだが、そのTOPを長く維持することはもっと難しい。」

今、振り返ると、もっと、もっと先生と走りたかった。

N先生、本当に有難うございました。

先生に受けた学恩を、次代の若者たちに伝えようと、決意を新たにする、今日この頃です。

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