小島教育研究所

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大学入試センター・荒井克弘客員教授「共通テストの作問体制は抜本的に変わった」

2021-05-01 | 共通テスト
「学力の3要素」を改革の柱に実施された最初の大学入学共通テストは、問題形式が大きく変わったにもかかわらず、平均点は意外に高い結果に終わりました。思考力より、読解力や情報処理能力を問われたという声も高校現場などから聞かれます。大学入試センター試験の問題作成にかかわってきた荒井克弘・大学入試センター客員教授は、試験の性格が本質的に変わったことを指摘します。

話を聞いた人:荒井克弘さん
       大学入試センター客員教授
      (あらい・かつひろ)東京工業大学理工学研究科博士課程修了。博士(工学)。
       専門は高等教育研究。広島大学大学教育研究センター教授、東北大学教育学部長などを経て、
       2009年から15年まで大学入試センターで教授、試験・研究統括官、副所長を務めた。

思考力測るはずなのに意外な結果

――第1回の共通テストの問題内容を見て、どう思いましたか。

試行テストの問題(形式)に似ているなと感じました。大学入試センターに常勤していた時に問題作成にかかわりましたが、その際に作問は「シンプル・イズ・ベスト」だと学びました。受験生が即座に問題を把握でき、すぐに解答を始められるのが一番大事で、その観点からすると、共通テストの問題はだいぶ余分なものがあります。

問題文の分量が多くて、最後の解答までたどり着かなかったという受験生の話も聞きます。また、資料やデータにこだわりすぎて、そのために細部へ入り込みすぎた問題も見受けました。しかしそれでも、テストの点数は悪くありませんでした。多くの科目の平均点が60点を超え、むしろセンター試験の頃に比べて高い点数だった科目も多い。問題が素直だったのでしょう。時間が足りなくて考える時間もなかったのに点数が高いのは、「思考力を測る」というアピールとはだいぶ違う、意外な結果です。

――大学入試センターの報告書「『センター試験』をふり返る」(2020年12月)や、『大学入試がわかる本』(中村高康編、岩波書店、20年9月)の中で、共通テストは高校寄りになったという趣旨のことを書いています。

誤解している人が多いのですが、共通試験は入学者選抜に使われる資料ですから、共通1次試験もセンター試験も大学入試センターが問題を作っているのではなく、大学教員が問題を作ってきました。

大学の専門知識は新陳代謝が激しく、常に進行形であるのが普通です。それに比べて高校科目は完成度が高く、成熟した知識が多くなります。誤解を恐れずにいえば、高大接続は教育と研究を結びつけるような作業に近いともいえます。

文部科学省と大学入試センターは今回の改革のために、問題作成体制に「抜本的改革」を施しました。その一つが「試験問題調査官」の導入です。新しい専任ポストが多数つくられ、そこに全国の教育委員会から指導主事クラスのベテランが集められました。高校での教科指導の経験があり、教育委員会で行政経験も積んだ人たちです。彼らの職務は、高校教育の現場の様子を伝え、学習指導要領の注釈をすることです。

実際、今回の共通テストに出題された中で新傾向と呼ばれる問題には、彼らの貢献が大きかったはずです。

――それは、ほとんど知られていないことです。

大学入試センターはこれまでも高校関係者と積極的な交流、意見交換を重ねてきました。センター試験問題の点検やその外部評価のために、多くの高校関係者に協力を求めてきました。外部評価の際には、科目部会との面談も行っています。しかし、問題作成の科目部会に高校関係者を常駐させることは、実習科目を除いて、したことはありませんでした。

情報漏洩(ろうえい)を心配したのかもしれませんが、むしろ、共通試験は大学入試の一環だという矜持(きょうじ)によるものだと推察されます。実施主体が代わってしまえば、共通試験の性格が「大学の試験」でなくなるのは当然です。単なる高校教育の到達度試験になり、もはや高大接続のための試験ではなくなってしまいます。

試験問題調査官は科目部会に1~2名ずつ配置されている、と聞いています。現在の出題科目は30あり、各科目の部会とも20人程度の大学教員で構成されています。科目部会の規模からすると、試験問題調査官は少ない人数ですが、部会の大学委員が作業に従事できるのは最大でも50日が限度であることを思えば、常勤の調査官のマンパワーは決して小さいとはいえません。

改革の柱「学力の3要素」は文科省の拡張解釈

――共通テストはセンター試験の延長線上にある後継試験と思われていますが、そうではなく、試験の性格が本質的に変わったということですか。

センター試験とは違う問題作成体制になったということです。現在も試験問題を作成するのは大学教員です。そのことに変わりはありませんが、部会内の協力関係がどのように変わったのかはわかりません。重要なのは、共通試験の一つの要素であった学習指導要領が大きな存在に変わり、共通テストが学習指導要領のツールに成り下がったのではないかという懸念です。

共通テストの2枚看板だった英語4技能試験も記述式の出題(言語表現)も、もとをたどれば、どちらも学習指導要領が掲げる重点課題でした。それが共通テストの看板になったということ自体に、共通テストの危うさが表れています。その点は、いまなお「実施主体」であるはずの大学に十分留意いただきたいことです。

高大接続は、高校教育から大学教育への誘導のプロセスです。ただし、高校教育を延長しても大学教育に接続することにはなりません。

――入試改革の柱とされた学力の3要素(知識・技能、思考力・判断力・表現力、主体的に学ぶ態度)も恣意的なレトリックであると指摘しています。

学力の3要素が小学校から大学教育までを貫く教育目標だと、高大接続答申に書いてあります。学力の3要素はもともと、小・中・高の教育課程の目標を定めた改正学校教育法(2007年)の第30条2項からの抜粋です。3要素が小・中・高の学校教育にとって大事な目標であるのはわかりますが、それが大学教育にも適用できると考えるのは不可解です。学校教育法にもそのような記述はありません。行政の拡張解釈としかいいようがないところです。

共通テストを見舞った最大の異変は、試験の問題作成に行政が介入したことでしょう。学力の3要素が大学教育にも通用すると答申に書いたのは、行政が介入する根拠をつくりたかったからです。次期の学習指導要領を徹底させるには、共通試験を自らのテリトリーに引き込むことが最良の策と考えたのでしょう。

大学教員以外は試験問題に関与するな、と言いたいわけではありません。いまのアプローチが高大接続の改革に必要なステップなのか、疑わしいのです。

共通試験は高大接続を支える要です。試験問題は高校と大学の教育課程を媒介する役割を負っています。高校教科書をめくれば、ポロリと試験問題が落ちてくるわけではありません。高校科目と大学の専門科目の間をつなぐためには、学術の専門家である多数の大学教員を必要とします。

今回の高大接続改革は、そういう地道な高大接続を考慮せず、学力の3要素一つでこの問題を片づけようとしました。小・中・高までの教育課程と、大学の教育はやはり違います。これを同じだと強弁するのは強引すぎる設定です。改革の目的が、高大接続問題の外にある、と思わせるような疑いさえ浮かびます。

「高度な試験」のイメージで国民の目をごまかした

――今回の入試改革は、安倍内閣の教育再生実行会議から中教審の高大接続特別部会を舞台に、政治的な要素が強かったと思います。現場の文部官僚は上から話が降ってきて無理筋であることはわかっていたと思いますが、幹部は別の思惑があったのかもしれません。

「1点刻みからの脱却」、「一発勝負からの解放」、さらには「知識偏重から思考力重視」など、新聞の見出しを埋めるスローガンには事欠きませんでしたが、国民を納得させ、期待を沸き立たせるようなものはありませんでした。今回の改革の欠陥は、大義名分を欠き、誰のための改革なのかさえ、はっきりしないことです。

文科省は共通テストの主導権を牛耳ることには成功したのでしょうが、次に何をしようとするのか、不明です。この共通テスト騒動で国民からの不審が大いに高まったことは否定できません。

――基礎学力テストが議論の途中で消えたのも大きな問題です。大学進学者でも、一般選抜を受験するのは半数しかいません。基礎学力テストのほうが重要な課題だったのではないですか。

基礎学力テストの構想は、高大接続システム改革会議の最終報告の段階で消えました。なぜ消えたかは不明です。代わりに「高校生のための学びの基礎診断」が追加されましたが、体裁を繕っただけの別物です。

共通テストを受験するのは、大学・短大進学を志願する現役生の4割ほどです。高校教育全体でいえば、残り6割の生徒たちの学力問題が放置されている状態です。なぜ、基礎学力テストを構想から消してしまったのか、明らかにする必要があります(図参照)。

共通システムによる高大接続

――共通テストはセンター試験で測れなかったものを測る「高度な試験」と思われてきました。

センター試験は知識・技能中心の試験で、「思考力・判断力・表現力等」を測れるようなテストに変えなければならないと、高大接続答申には書いてあります。より高次の試験の開発を要求されている、と誰しも思ったことでしょう。ところが、どうもそういうことではありませんでした。すでに第1回の共通テストを見たわれわれとしては、疑問は深まるばかりです。試験の出来が悪かったとは思いません。「高度な試験」のイメージを過剰に膨らませて、国民の目をごまかした政策担当者の責任が問われます。

――高大接続改革はどうあるべきでしょうか。

何より、高大接続の現状をしっかり知ることが大切です。思いつきのような観念的な施策を振り回すのではなく、もっと現実に近いところから慎重に検討を積み上げていく努力が必要でしょう。目的は「改革」することではなく、少しでも問題を解決することです。



記事を書いた人
author
中村 正史
朝日新聞社 教育コーディネーター:長年にわたって教育・大学問題に携わり、1994年、偏差値と大学神話に代わる新たな大学評価を求めて「大学ランキング」を企画し創刊。2008~15年に編集長。「AERA with Kids」「医学部に入る」「ジュニアエラ」なども創刊した。朝日新聞出版取締役を経て、20年4月から現職。EduAアドバイザーも務める。

以上EduAより。
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