開発系であった私は、その昔、Lattice社のC言語処理系を使用していた。当時、1セット248,000円していた。マイクロソフトから新しい言語処理系(C言語)が発売された。思い切った値段設定で98,000円であった。早速購入してみて驚いた。何と、パッケージは確かにマイクロソフトのものであるが、中身はまったくLattice社のものと寸分違わず、全く同じものであった。おそらくライセンシーをマイクロソフトがLattice社より取得しての販売だったのだろう。その後、codeviewを備えて、ワークベンチ機能をアップし、開発系の人間から支持を得始め、あっという間に、トップシェアを奪うまでになった。こうした商売を初期のマイクロソフトはよくしていた。「軒を借りて母屋を奪う」マイクロソフト商法はこうして生まれた。その後はウィンドウ環境をアップル社から学び(盗み?)windouwsを発売し、市場を席捲した。法廷闘争に長け、頃合を見て、多額の和解金を払う戦術で、アップル社のマッキントッシュの市場占有率を下げることに成功した。ただ、そんなゲーツ君もIBM-PC用のOSは自社製のOSを開発し、IBMに売ろうとしたが、ゲーツ君のさらにその上を行く和彦君にたしなめられ、シアトルコンピュータプロダクツ開発のDOS(ディスクオペレーティングシステム)を買い上げ、IBM-PCにバンドルした。このときの和彦君の判断があって、現在のMS帝国があるのです。世界各社のPCへのMS-DOS移植の陣頭指揮をとったのは、他ならぬ和彦君なのです。IBM-PCをこの世に生み出したのは、やはり副社長の和彦君だったのです。