明治5年(1872年)建設の富岡製糸場が正式に世界遺産に登録されました。
19世紀から20世紀にかけて日本の近代化を支えた生糸生産の象徴的な存在として、世界から認められたのです。
固有の言語、文化を持つ民族であるバスク人が生活するスペイン・バスク地方に唯一の世界遺産ビスカヤ橋があります。19世紀末、ビブラオ郊外、イバイザバル川(ネルビオン川)がビスカヤ湾に流れ込むわずか1,500人の河口の町は、鉄鉱石を産出することから製鉄業が急速に発展、両岸を結ぶ橋の建設が急がれます。イギリスを中心にヨーロッパ各地へ積み出される鉄鋼を運ぶ大型船舶の航行の妨げにならないよう建設されたのが、人や車両をゴンドラに乗せて渡す運搬橋ビスカヤ橋でした。

完成したのは1893年、近世の技術革新の証として世界遺産登録されたのは2006年・・・地元の人々は愛着を込めて、「Puente Colganteプエンテ・コルガンテ(つり橋)」と呼んでいます。高さ45メートルの鉄橋からワイヤーで吊り下げられたゴンドラは、100年を越えた現在でも、一度に6台の車と50人の人々を乗せて、160メートルの川幅を行き来しています。
ビブラオにはもう一つの産業遺産があります。ビスカヤ橋近くの町セスタオSestaoの高炉です。1902年建設の高さ30メートルの当時の世界水準を超える高炉で生産された銑鉄は、製鉄業・造船業を発展させ、バスクはスペインでの産業革命の中心地となりました。
日本では官営八幡製鉄所が高炉を建設、近代製鉄を始めたのもこの頃です。

下の写真は製鉄が盛んな頃に河口上空から上流を撮影。ビスカヤ橋、煙を盛んに上げるセスタオ高炉、右手には鉄鉱石を産出したトリアノ山が見えます。
写真では大型貨物船が数隻停泊している港は、製鉄が中止されたあと埋め立てられ、ビスカヤ橋をくぐる大型船舶を見ることができません。

その後、バスク地方では製鉄業・造船業は衰退しますが、ビスカヤ橋・セスタオ高炉建設で培った技術は、工作機械・航空機械工業・新技術産業に受け継がれ、スペイン屈指の工業地帯となります。
バスク地方の人口はスペインの5パーセントに過ぎませんが、産業生産は10パーセントを越え、スペインの中で最も豊かな地方となっています。
*掲載写真はWikipedia公開写真からコピーしたものです

鉄鉱石鉱山ラ・アルボレーダ村からビスカヤ橋へ