マサさんの「つれづれ日記」

松田昌のエレクトーン、ピアニカ(鍵盤ハーモニカ)よもやま話

Matsuda Masa

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ちーちゃんとピアニカ

2010年01月31日 01時52分57秒 | ちーちゃんとピアニカ
「誰でもいつか最後のときが来る
肉体はどんどん弱っていくものだ!」

「いつか、オレも寝たきりになるだろう・・・・・
そうなっても体が許してくれるなら、ピアニカを吹いていたい!」

「寝たきりになっても、プロのピアニカ吹きとして仕事をしたい!」

何年も前からそう思っています。

そう思うようになったきっかけは、先人がいらっしゃるからです。
数年前、ラジオ番組に出た後、ある男性からメールをいただきました。

奥様が難病で、胸から下は不随、全盲、全身に24時間痛みがある・・・・。
(想像を絶する辛い状態)
『アメージング・グレース』を聴いて感激し、
ピアニカで吹くことを始めて、
音楽の素晴らしさと、ピアニカを吹く喜びで、生きる希望を見出しました。
今では、レパートリーが30曲あります・・・・・
という内容でした。
感激しました。

去年の秋、『ちーちゃんとピアニカ』という童話を作られ、送っていただきました。
みなさんにも、ご紹介したいと思います。

     *       *       *       *

              『ちーちゃんとピアニカ』   
                          大流 応円(おおる おうえん)作

ちーちゃんは体が動かなくなったり、目が見えなくなったりする病気にかかってしまいました。
ちょっとよくなったりしながらも、だんだんと悪くなり、
ついには体が動かなくなり、寝たきりになってしまいました。

学校にも行くことができなくなり、気持ちは大きく落ち込んでしまいました。
こんな病気になってしまったことをうらみ、生きていく希望もなくしてしまいました。
できることなら死んでしまいたいとも思いました。

はじめのうちは、学校の友だちも見舞いがてらに訪ねてくれました。
しかし、体を動かすことが出来ず、目の見えないちーちゃんにどう接していいかわからず、
だんだんと遠ざかっていきました。

こんな私のみじめな気持ちなど誰もわかってくれないと、
心を閉じてしまい暗い気分で過ごしていました。
ラジオだけが心の友だちという毎日でした。

そんなある日、ラジオを聞いていると、なつかしい『ピアニカ』のような音が聞こえてきました。なんだかすごい演奏で自分のやっていたピアニカとは、ぜんぜん違うものでしたが、
やはりピアニカでした。
よく聞いていると、ピアニカの魅力に取りつかれたおじさんが演奏していました。

すごいテクニックを使った、真剣そのものの演奏に、ちーちゃんは涙が出るほど感動しました。
そうだピアニカなら、寝ながらでもできるかもしれない、自分もやってみたいと思いました。

ちーちゃんは、今までは失ってしまったものばかりに目をうばわれ、
なげき悲しんで、何もしようとしませんでした。

しかし、まだ残っているはたらきがあり、
指も動くではないか、息も出すこともできるではないかと思えるようになりました。

さっそく、ちーちゃんは押入れにしまってあったピアニカをおかあさんに出してもらいました。
何だかドキドキしながら、鍵盤を適当に押して吹いてみました。
「プー」と音が出て「やったー」という気持ちになりました。

おかあさんに下の【ド】の位置を教えてもらい、【ドレミファソラシド】と吹いてみました。
もう一度やってみようと手を動かしたところ、下の【ド】の位置がわからず、ショックを受けました。

「やっぱり目の見えない私には、無理だ」と叫んでしまいました。するとおかあさんは、【ド】と【ソ】のところにホックを両面テープで付けてあげるからやってみたらどうといってくれました。

ホックを付けてもらった鍵盤に指を滑らせていくと、ホックに指があたり鍵盤の位置がよくわかるようになりました。
はじめのうちは、たどたどしかったのが、何回も難解も練習しているうちに、
鍵盤の位置がわかるようになってきました。
また指の動きもだんだんなめらかに動くようになってきました。

そこで何か曲を吹いてみたくなりました。
しかし音楽の授業で習った楽譜は全部忘れてしまっていたので、
おかあさんに一音ずつ音符を読んでもらいながら、演奏をはじめました。

はじめに選んだのは『チューリップ』。
二日がかりで、何とか演奏できるようになりました。

        *        *        *

曲の演奏ができるようになると今までの暗い気分のねずみ色の世界から、
明るいピンク色世界に変わったように心がウキウキとうれしくなりました。
夕方、おとうさんが仕事から帰ってきたら、聞いてもらおうと思いました。

おとうさんが帰ってきました。
ちーちゃんは「おとうさん、ピアニカを吹くから聞いてくれる」といい、
チューリップの演奏をはじめました。

演奏が終わるとおとうさんは大きな拍手をして「よかった」「うまかった」と
涙声で喜んでくれました。

ちーちゃんは、みんなに迷惑ばかりかけている。
役立たずのやっかいものと自分のことをせめていました。
しかし、こんな自分でも人によろこんでもらうことができるかもしれないと思えるようになりました。

それからは、いろんな曲をおぼえ、家を訪ねてくれる人に、
手当たりしだいピアニカの演奏を聞いてもらうことにしました。
人によって曲に合わせて歌ってくれる人、手拍子をしてくれる人、口笛を合わせて吹いてくれる人、涙声で「ありがとう」「ありがとう」と言ってくれる人など、
その反応は、人それぞれでうれしくなりました。

ある日学校の先生が、訪ねてくださり、
こんど学芸会があるから、そこで演奏してみてはどうかと、さそってくださいました。

ちーちゃんは、やってみたい気はしましたが、
やはり自分の体の状態をみんなの前にさらすのは、はずかしいとためらっていました。
しかし、先生に何度も何度もさそっていただき、よしやってみようという気持ちになりました。

本番に向けて三つの曲の練習をかさねました。
そうしてついにその日がやってきました。

車椅子に乗り、おかあさんに送ってもらい、久しぶりに学校にやってきました。

ちーちゃんの出番になりました。たくさんの拍手に迎えられ、ちーちゃんは車いすを押してもらいながら舞台の中央に進みました。

        *        *        *

最初の曲は『エーデルワイス』
みんな静かに聞いてくれました。
吹き終わると大きな拍手をもらうことができました。

次は『ミッキーマウス・マーチ』
この曲は聞いているだけで、心がおどってきます。
演奏を始めるとどこからともなく、手拍子が起こり、客席全体に広がっていきました。
ちーちゃんは、とてもうれしくなりました。

最後の曲は『翼をください』
この曲は合唱で練習したこともある思い出深い曲です。
演奏を始めると誰かが曲に合わせて歌いだしました。

それにつられて、みんなが歌い出し大合唱になりました。
ちーちゃんは、自分の演奏と会場とがひとつになったように感じ、
うれしさに涙をこらえながら最後まで演奏しました。

終わると会場は割れんばかりの拍手につつかれました。

ちーちゃんは自分にもできることはないだろうかと考えました。
生きる希望を失っていた自分は
『ピアニカのチカラ』音楽のチカラによって生き返ることができました。
世の中には落ち込んでいる人、思い悩んでいる人、怒ってばかりいる人など、
心に問題をかかえた人たちがたくさんいます。

音楽のすばらしさを伝えていくことができれば、
そういった人たちの心にも変化をもたらすことができるかもしれないと思いました。

ちーちゃんは、ピアニカの演奏をつづけ、
いろいろな人に聞いてもらおう、
機会があればいっしょに合奏しようという思いを強く持ちました。




福山保育研究集会~1~

2010年01月29日 18時40分47秒 | コンサート
昨日は、福山保育研究集会(ひらたく言えば、福山市の保育所先生の新年会。笑)
のゲスト演奏だった。

ごらんのように、大宴会場!
多分保育所の先生たちは、300人はいらっしゃっただろう?
もの凄い熱気と盛り上がり!

みなさん、ノリノリで聴いてくださいました~!
会場は、福山ニューキャッスルホテル。

名古屋からピアノ(中垣友希)・パーカッション(中村新)・ピアニカ(ボク)
の3人に、

地元岡山のドラマー、太田世聖夫を交えたピアニカバンド。

太田世聖夫は、福山・岡山・児島を中心としたハッシー・ドラマスクールの講師でもある。

     *     *     *     *

思えば・・・・・・・
太田世聖夫が講師をしている、ハッシー・ドラムスクールを立ち上げた、

ハッシー・・・・橋本雅文・・・

彼と知り合ったのは、米子・平田楽器さんの講師コンサート。

そこで意気投合し、ハッシー・ドラマスクールの新年会、
ディナーショーには毎年ゲストでよんでもらった。

それがこの福山ニューキャッスルホテルの、このステージだった。

知り合って数年後、癌で死んじゃった。
野菜を食べなかった。肉ばっかり!

「野菜も食べなアカン!」と言ったのに・・・・。
「早く、病院に行かなアカン!」と言ったのに・・・・。

たしか50歳で。
もう5年になるだろう・・・?

昨夜も、『どうしてる?』を吹いているとき、
ハッシーが何度も出てきて応援してくれた!笑

ハッシー、ありがとう!

↓~2~につづく

名古屋市幼児教育研究協議会 「目からウロコ!鍵盤ハーモニカの魅力」

2010年01月27日 00時19分33秒 | 日記

今日は、名古屋市の幼稚園・保育園の先生たちの、
鍵盤ハーモニカ研修会でした。

「目からウロコ!鍵盤ハーモニカの魅力」

・ピアニカとの出会い
・世界一のピアニカ奏者になりたいこと
・いろいろな工夫
をお話したのち、

みんなで
・強弱変化、ビブラート、ピッチベンド、タンギングのいろいろなどを練習

そして、
・『オッとあぶないよ!』、『キラキラぼしタンギング変奏曲』、『故郷』をみんなで吹きました。

日本の多くの子供たちにとって、“楽器”との最初の出会いである、
鍵盤ハーモニカとの出会いが、幸せな楽しいものであって欲しい!

改めて、強く思いました。

ああ~~~~!しまった~~~!
みんなで、頭で「チューリップ」吹くの忘れた~!笑

みんなdeコンサート~2~

2010年01月24日 22時53分24秒 | コンサート

~プロの演奏家も、障がいのある人も、子供も大人も~
『みんなdeコンサート』

コンサートは、第1部が、
女性コーラスべラ・ドンナのみなさん、
岐阜各務原児童合唱団のみなさん、
の心温まる素敵な合唱。

そして、コンサートを企画して下さった増谷澄香先生も歌われました。

曲は、イタリアの曲で「チリビリビン」(ピアノ伴奏は青木園子先生)
ボクもピアニカで参加!

いかにもイタリアらしい、
洒落た曲です。

3月にイタリア行きを予定しているので、
とても楽かった。

つづく↓

みんなdeコンサート~3~

2010年01月24日 22時50分20秒 | コンサート

第2部『松田昌ピアニカバンド』のオープニングは、ピアニカ隊!
みんな素晴らしく演奏してくれました。

増谷先生はじめ主催してくださった方の愛情と熱意が、
会場全体にあたたかい雰囲気となって漂っていた、
とても素敵なコンサートでした。

最後に増谷先生が、
「音楽はCDではなく、生のコンサートこそ、人が心を通わせる感動が生まれます。
ぜひ岐阜の町で生のコンサートを盛り上げましょう!」

とおっしゃっていた言葉が忘れられない。

みなさん、ありがとうございました。

世界のナベアト!

2010年01月21日 00時06分42秒 | 日記

赤いお椀に偶然できた微笑ましい形につづいて、
【世界のナベアト!】登場です~!

「お鍋を持ち上げたら、こんな跡ができていました~!」
と知り合いの方が送ってくださいました。

まん丸の輪郭、まん丸の目鼻立ちから想像すると、
アンパンマンの赤ちゃんのころ・・・?


偶然の赤いお椀 続編

2010年01月19日 00時34分28秒 | 日記
一昨日に続いて、赤いお椀のお吸い物です。

名古屋のピアニカグループレッスンに来てくださっている方が、

「先生!私もこんな写真を持ってますよ~!」

見せてくださいました。

お吸い物のなかの麩がハートになっています。

しかも、2つとも・・・・・。

こんなことになったら、無条件でご機嫌になりますよね~?