今日は、「4つのポエム」という素晴らしい合唱曲と、
作詞者である一人の女性の素晴らしい生き方を、
みなさんにご紹介させてください。
少し前(2月4日)「内との戦い」というタイトルのブログを書きましたが、
まめちゃんこと西島祥子さんほど、自分と戦って生きた人をボクは知りません。
CRPS・ジストニアという病気で自分の体と心と戦い、
去年の9月29日に、24歳という若さで亡くなられました。
看護師を目指していらっしゃって、
ときどきこのブログに書き込んでくださっていました。
ボクのブログへの最初のコメントは、
「はじめまして!昔、マサさんのコンサートでとても感激しました。
今はCRPSという病気になり、体がだんだん自由に動かなくなっています。
楽しく弾けたマサさんの曲を、またエレクトーンで弾きたいな~!」
というものだったと思います。
その後、メールのやり取りをするようになり、
初めて東京に入院なさったときに、
突然お見舞いに行ったことがありました。
大きな痛み、体が動かなくなっていく大きな不安がありながら、
とても明るい笑顔で接してくださいました。
CRPSについて、詳しいことはわかりませんが、
病気と闘い、治療をすればするほど、
自分の体が(おそらく脳が)それに反発して、
どんどん悪化していくようにボクには思えました。
知り合いのお医者さんは、
「癌よりも何倍も大変だ!」
と呻くようにおっしゃっていました。
★まめちゃんのブログ、ぜひチェックしてみてください。
痛みと戦いながら、素晴らしく人生を全うされた生き方と、
まめちゃんに影響を受けた人々の言葉に感銘を受けます。
★いたいの痛いのとんでいけ ~CRPS・ジストニアと共に~
http://crps-demo-waraouyo.seesaa.net/
上のURL・・・「CRPSでも笑おうよ!」を読んだだけで、涙がでそうになります。
自分といかに向き合って、一度しかない人生を生きていくか?
まめちゃんのブログは、アドバイスと励ましを与え続けてくれます。
2009年3月1日のメロディか・サミットへのコメントが、
ボクのブログへの最後の書き込みでした。
「いいなぁ~。マサさんのコンサート行きたいなぁ。
お姉ちゃんがすっごく楽しかったって言ってたもん。
機会があったらぜひ行きたいです。
私事ですが、3月2日から入院することになりました。
それに伴って、ブログをしばらくお休みすることになります。
お話できなくなるのは寂しいけれど、また戻ってくるので
お話できる日を楽しみに、闘病を頑張ってきます」
4つのポエムが出版されると決まったときも、
「マサさんの本と同じ出版社(音楽之友社)から出るのですよ~!」
と、喜んでいらっしゃいました。
西島さんご自身が書かれた、4つのポエムの序文をご紹介します。
* * *
4つのポエム
西島祥子 詩
尾形敏幸 作曲
明日を信じる心 未来を生きる気持ち
もし、突然原因不明の進行性難病だといわれたら、あなたならどうしますか?
看護師という夢を追いかけ大学に入学した1年生の冬、
私はCRPS Tipe1(反射性交感神経性ジストロフィー)と固定ジストニアという病気になりました。
現代の医学でも、原因も治療法も確立されていない病気です。
激痛と共に、体が少しずつ動かなくなっていきました。
今日できていたことが明日できなくなるかもしれない、
そんな不安でいっぱいでした。
そんな時、頭の中を様々な言葉がよぎったのです。
その言葉のカケラを集めてできたのが、詩でした。
「そら」、これは私が最初に書いた作品です。
偶然にも、この合唱組曲の1曲目でもあります。
悲しみにくれ、地面ばかり見ていた時、見上げた大空の青さに私は胸を打たれました。
病気だから、障がいだから諦めるのではなく、
これからをもっと前向きに生きていきたい、
そう思い、自らを励ますために詩を書き始めました。
ある時、私の高校時代の先輩である飯島湾さんが
私の詩を合唱曲にしたいと提案してくださいました。
その頃、私は今日が、明日がどうなっているかも分からないほど衰弱しきっていました。
嬉しい!!だけど私は、完成を見ることができるだろうか・・・・・。
そんな不安をかき消してくださったのが、
尾形敏幸先生や高校時代の恩師である勝部俊行先生でした。
3人が病院までお見舞いに来てくださり、私の作品を尾形先生に見ていただきました。
ありがとうといってみる・・・・、よし!これを曲にしよう!
その場で決まったのが「ありがとう」でした。
それから「おひさま」と「道」の2つを加え、この合唱曲が誕生したのです。
完成した合唱曲を聞いた時、私はまず先に涙がこぼれ落ちました。
感動って、言葉ではないのだと実感した瞬間でした。
これを歌ってくださるみなさま、
この詩は悲しむために書いたものでも、
人生を悲嘆するために書いたものでもありません。
どんなに迷っても、どんなに辛くても、
明日を信じる心、未来を生きる気持ちをもち、
そしてなによりも歌を楽しんで歌ってください。
最後になりましたが、作曲にあたりお世話になりました尾形先生、
そして初演の指揮をとってくださった勝部先生、
島根県松江東高等学校合唱部のみなさまに心から感謝いたします。
2008年11月 西島祥子
作詞者である一人の女性の素晴らしい生き方を、
みなさんにご紹介させてください。
少し前(2月4日)「内との戦い」というタイトルのブログを書きましたが、
まめちゃんこと西島祥子さんほど、自分と戦って生きた人をボクは知りません。
CRPS・ジストニアという病気で自分の体と心と戦い、
去年の9月29日に、24歳という若さで亡くなられました。
看護師を目指していらっしゃって、
ときどきこのブログに書き込んでくださっていました。
ボクのブログへの最初のコメントは、
「はじめまして!昔、マサさんのコンサートでとても感激しました。
今はCRPSという病気になり、体がだんだん自由に動かなくなっています。
楽しく弾けたマサさんの曲を、またエレクトーンで弾きたいな~!」
というものだったと思います。
その後、メールのやり取りをするようになり、
初めて東京に入院なさったときに、
突然お見舞いに行ったことがありました。
大きな痛み、体が動かなくなっていく大きな不安がありながら、
とても明るい笑顔で接してくださいました。
CRPSについて、詳しいことはわかりませんが、
病気と闘い、治療をすればするほど、
自分の体が(おそらく脳が)それに反発して、
どんどん悪化していくようにボクには思えました。
知り合いのお医者さんは、
「癌よりも何倍も大変だ!」
と呻くようにおっしゃっていました。
★まめちゃんのブログ、ぜひチェックしてみてください。
痛みと戦いながら、素晴らしく人生を全うされた生き方と、
まめちゃんに影響を受けた人々の言葉に感銘を受けます。
★いたいの痛いのとんでいけ ~CRPS・ジストニアと共に~
http://crps-demo-waraouyo.seesaa.net/
上のURL・・・「CRPSでも笑おうよ!」を読んだだけで、涙がでそうになります。
自分といかに向き合って、一度しかない人生を生きていくか?
まめちゃんのブログは、アドバイスと励ましを与え続けてくれます。
2009年3月1日のメロディか・サミットへのコメントが、
ボクのブログへの最後の書き込みでした。
「いいなぁ~。マサさんのコンサート行きたいなぁ。
お姉ちゃんがすっごく楽しかったって言ってたもん。
機会があったらぜひ行きたいです。
私事ですが、3月2日から入院することになりました。
それに伴って、ブログをしばらくお休みすることになります。
お話できなくなるのは寂しいけれど、また戻ってくるので
お話できる日を楽しみに、闘病を頑張ってきます」
4つのポエムが出版されると決まったときも、
「マサさんの本と同じ出版社(音楽之友社)から出るのですよ~!」
と、喜んでいらっしゃいました。
西島さんご自身が書かれた、4つのポエムの序文をご紹介します。
* * *
4つのポエム
西島祥子 詩
尾形敏幸 作曲
明日を信じる心 未来を生きる気持ち
もし、突然原因不明の進行性難病だといわれたら、あなたならどうしますか?
看護師という夢を追いかけ大学に入学した1年生の冬、
私はCRPS Tipe1(反射性交感神経性ジストロフィー)と固定ジストニアという病気になりました。
現代の医学でも、原因も治療法も確立されていない病気です。
激痛と共に、体が少しずつ動かなくなっていきました。
今日できていたことが明日できなくなるかもしれない、
そんな不安でいっぱいでした。
そんな時、頭の中を様々な言葉がよぎったのです。
その言葉のカケラを集めてできたのが、詩でした。
「そら」、これは私が最初に書いた作品です。
偶然にも、この合唱組曲の1曲目でもあります。
悲しみにくれ、地面ばかり見ていた時、見上げた大空の青さに私は胸を打たれました。
病気だから、障がいだから諦めるのではなく、
これからをもっと前向きに生きていきたい、
そう思い、自らを励ますために詩を書き始めました。
ある時、私の高校時代の先輩である飯島湾さんが
私の詩を合唱曲にしたいと提案してくださいました。
その頃、私は今日が、明日がどうなっているかも分からないほど衰弱しきっていました。
嬉しい!!だけど私は、完成を見ることができるだろうか・・・・・。
そんな不安をかき消してくださったのが、
尾形敏幸先生や高校時代の恩師である勝部俊行先生でした。
3人が病院までお見舞いに来てくださり、私の作品を尾形先生に見ていただきました。
ありがとうといってみる・・・・、よし!これを曲にしよう!
その場で決まったのが「ありがとう」でした。
それから「おひさま」と「道」の2つを加え、この合唱曲が誕生したのです。
完成した合唱曲を聞いた時、私はまず先に涙がこぼれ落ちました。
感動って、言葉ではないのだと実感した瞬間でした。
これを歌ってくださるみなさま、
この詩は悲しむために書いたものでも、
人生を悲嘆するために書いたものでもありません。
どんなに迷っても、どんなに辛くても、
明日を信じる心、未来を生きる気持ちをもち、
そしてなによりも歌を楽しんで歌ってください。
最後になりましたが、作曲にあたりお世話になりました尾形先生、
そして初演の指揮をとってくださった勝部先生、
島根県松江東高等学校合唱部のみなさまに心から感謝いたします。
2008年11月 西島祥子