「誰でもいつか最後のときが来る
肉体はどんどん弱っていくものだ!」
「いつか、オレも寝たきりになるだろう・・・・・
そうなっても体が許してくれるなら、ピアニカを吹いていたい!」
「寝たきりになっても、プロのピアニカ吹きとして仕事をしたい!」
何年も前からそう思っています。
そう思うようになったきっかけは、先人がいらっしゃるからです。
数年前、ラジオ番組に出た後、ある男性からメールをいただきました。
奥様が難病で、胸から下は不随、全盲、全身に24時間痛みがある・・・・。
(想像を絶する辛い状態)
『アメージング・グレース』を聴いて感激し、
ピアニカで吹くことを始めて、
音楽の素晴らしさと、ピアニカを吹く喜びで、生きる希望を見出しました。
今では、レパートリーが30曲あります・・・・・
という内容でした。
感激しました。
去年の秋、『ちーちゃんとピアニカ』という童話を作られ、送っていただきました。
みなさんにも、ご紹介したいと思います。
* * * *
『ちーちゃんとピアニカ』
大流 応円(おおる おうえん)作
ちーちゃんは体が動かなくなったり、目が見えなくなったりする病気にかかってしまいました。
ちょっとよくなったりしながらも、だんだんと悪くなり、
ついには体が動かなくなり、寝たきりになってしまいました。
学校にも行くことができなくなり、気持ちは大きく落ち込んでしまいました。
こんな病気になってしまったことをうらみ、生きていく希望もなくしてしまいました。
できることなら死んでしまいたいとも思いました。
はじめのうちは、学校の友だちも見舞いがてらに訪ねてくれました。
しかし、体を動かすことが出来ず、目の見えないちーちゃんにどう接していいかわからず、
だんだんと遠ざかっていきました。
こんな私のみじめな気持ちなど誰もわかってくれないと、
心を閉じてしまい暗い気分で過ごしていました。
ラジオだけが心の友だちという毎日でした。
そんなある日、ラジオを聞いていると、なつかしい『ピアニカ』のような音が聞こえてきました。なんだかすごい演奏で自分のやっていたピアニカとは、ぜんぜん違うものでしたが、
やはりピアニカでした。
よく聞いていると、ピアニカの魅力に取りつかれたおじさんが演奏していました。
すごいテクニックを使った、真剣そのものの演奏に、ちーちゃんは涙が出るほど感動しました。
そうだピアニカなら、寝ながらでもできるかもしれない、自分もやってみたいと思いました。
ちーちゃんは、今までは失ってしまったものばかりに目をうばわれ、
なげき悲しんで、何もしようとしませんでした。
しかし、まだ残っているはたらきがあり、
指も動くではないか、息も出すこともできるではないかと思えるようになりました。
さっそく、ちーちゃんは押入れにしまってあったピアニカをおかあさんに出してもらいました。
何だかドキドキしながら、鍵盤を適当に押して吹いてみました。
「プー」と音が出て「やったー」という気持ちになりました。
おかあさんに下の【ド】の位置を教えてもらい、【ドレミファソラシド】と吹いてみました。
もう一度やってみようと手を動かしたところ、下の【ド】の位置がわからず、ショックを受けました。
「やっぱり目の見えない私には、無理だ」と叫んでしまいました。するとおかあさんは、【ド】と【ソ】のところにホックを両面テープで付けてあげるからやってみたらどうといってくれました。
ホックを付けてもらった鍵盤に指を滑らせていくと、ホックに指があたり鍵盤の位置がよくわかるようになりました。
はじめのうちは、たどたどしかったのが、何回も難解も練習しているうちに、
鍵盤の位置がわかるようになってきました。
また指の動きもだんだんなめらかに動くようになってきました。
そこで何か曲を吹いてみたくなりました。
しかし音楽の授業で習った楽譜は全部忘れてしまっていたので、
おかあさんに一音ずつ音符を読んでもらいながら、演奏をはじめました。
はじめに選んだのは『チューリップ』。
二日がかりで、何とか演奏できるようになりました。
* * *
曲の演奏ができるようになると今までの暗い気分のねずみ色の世界から、
明るいピンク色世界に変わったように心がウキウキとうれしくなりました。
夕方、おとうさんが仕事から帰ってきたら、聞いてもらおうと思いました。
おとうさんが帰ってきました。
ちーちゃんは「おとうさん、ピアニカを吹くから聞いてくれる」といい、
チューリップの演奏をはじめました。
演奏が終わるとおとうさんは大きな拍手をして「よかった」「うまかった」と
涙声で喜んでくれました。
ちーちゃんは、みんなに迷惑ばかりかけている。
役立たずのやっかいものと自分のことをせめていました。
しかし、こんな自分でも人によろこんでもらうことができるかもしれないと思えるようになりました。
それからは、いろんな曲をおぼえ、家を訪ねてくれる人に、
手当たりしだいピアニカの演奏を聞いてもらうことにしました。
人によって曲に合わせて歌ってくれる人、手拍子をしてくれる人、口笛を合わせて吹いてくれる人、涙声で「ありがとう」「ありがとう」と言ってくれる人など、
その反応は、人それぞれでうれしくなりました。
ある日学校の先生が、訪ねてくださり、
こんど学芸会があるから、そこで演奏してみてはどうかと、さそってくださいました。
ちーちゃんは、やってみたい気はしましたが、
やはり自分の体の状態をみんなの前にさらすのは、はずかしいとためらっていました。
しかし、先生に何度も何度もさそっていただき、よしやってみようという気持ちになりました。
本番に向けて三つの曲の練習をかさねました。
そうしてついにその日がやってきました。
車椅子に乗り、おかあさんに送ってもらい、久しぶりに学校にやってきました。
ちーちゃんの出番になりました。たくさんの拍手に迎えられ、ちーちゃんは車いすを押してもらいながら舞台の中央に進みました。
* * *
最初の曲は『エーデルワイス』
みんな静かに聞いてくれました。
吹き終わると大きな拍手をもらうことができました。
次は『ミッキーマウス・マーチ』
この曲は聞いているだけで、心がおどってきます。
演奏を始めるとどこからともなく、手拍子が起こり、客席全体に広がっていきました。
ちーちゃんは、とてもうれしくなりました。
最後の曲は『翼をください』
この曲は合唱で練習したこともある思い出深い曲です。
演奏を始めると誰かが曲に合わせて歌いだしました。
それにつられて、みんなが歌い出し大合唱になりました。
ちーちゃんは、自分の演奏と会場とがひとつになったように感じ、
うれしさに涙をこらえながら最後まで演奏しました。
終わると会場は割れんばかりの拍手につつかれました。
ちーちゃんは自分にもできることはないだろうかと考えました。
生きる希望を失っていた自分は
『ピアニカのチカラ』音楽のチカラによって生き返ることができました。
世の中には落ち込んでいる人、思い悩んでいる人、怒ってばかりいる人など、
心に問題をかかえた人たちがたくさんいます。
音楽のすばらしさを伝えていくことができれば、
そういった人たちの心にも変化をもたらすことができるかもしれないと思いました。
ちーちゃんは、ピアニカの演奏をつづけ、
いろいろな人に聞いてもらおう、
機会があればいっしょに合奏しようという思いを強く持ちました。
肉体はどんどん弱っていくものだ!」
「いつか、オレも寝たきりになるだろう・・・・・
そうなっても体が許してくれるなら、ピアニカを吹いていたい!」
「寝たきりになっても、プロのピアニカ吹きとして仕事をしたい!」
何年も前からそう思っています。
そう思うようになったきっかけは、先人がいらっしゃるからです。
数年前、ラジオ番組に出た後、ある男性からメールをいただきました。
奥様が難病で、胸から下は不随、全盲、全身に24時間痛みがある・・・・。
(想像を絶する辛い状態)
『アメージング・グレース』を聴いて感激し、
ピアニカで吹くことを始めて、
音楽の素晴らしさと、ピアニカを吹く喜びで、生きる希望を見出しました。
今では、レパートリーが30曲あります・・・・・
という内容でした。
感激しました。
去年の秋、『ちーちゃんとピアニカ』という童話を作られ、送っていただきました。
みなさんにも、ご紹介したいと思います。
* * * *
『ちーちゃんとピアニカ』
大流 応円(おおる おうえん)作
ちーちゃんは体が動かなくなったり、目が見えなくなったりする病気にかかってしまいました。
ちょっとよくなったりしながらも、だんだんと悪くなり、
ついには体が動かなくなり、寝たきりになってしまいました。
学校にも行くことができなくなり、気持ちは大きく落ち込んでしまいました。
こんな病気になってしまったことをうらみ、生きていく希望もなくしてしまいました。
できることなら死んでしまいたいとも思いました。
はじめのうちは、学校の友だちも見舞いがてらに訪ねてくれました。
しかし、体を動かすことが出来ず、目の見えないちーちゃんにどう接していいかわからず、
だんだんと遠ざかっていきました。
こんな私のみじめな気持ちなど誰もわかってくれないと、
心を閉じてしまい暗い気分で過ごしていました。
ラジオだけが心の友だちという毎日でした。
そんなある日、ラジオを聞いていると、なつかしい『ピアニカ』のような音が聞こえてきました。なんだかすごい演奏で自分のやっていたピアニカとは、ぜんぜん違うものでしたが、
やはりピアニカでした。
よく聞いていると、ピアニカの魅力に取りつかれたおじさんが演奏していました。
すごいテクニックを使った、真剣そのものの演奏に、ちーちゃんは涙が出るほど感動しました。
そうだピアニカなら、寝ながらでもできるかもしれない、自分もやってみたいと思いました。
ちーちゃんは、今までは失ってしまったものばかりに目をうばわれ、
なげき悲しんで、何もしようとしませんでした。
しかし、まだ残っているはたらきがあり、
指も動くではないか、息も出すこともできるではないかと思えるようになりました。
さっそく、ちーちゃんは押入れにしまってあったピアニカをおかあさんに出してもらいました。
何だかドキドキしながら、鍵盤を適当に押して吹いてみました。
「プー」と音が出て「やったー」という気持ちになりました。
おかあさんに下の【ド】の位置を教えてもらい、【ドレミファソラシド】と吹いてみました。
もう一度やってみようと手を動かしたところ、下の【ド】の位置がわからず、ショックを受けました。
「やっぱり目の見えない私には、無理だ」と叫んでしまいました。するとおかあさんは、【ド】と【ソ】のところにホックを両面テープで付けてあげるからやってみたらどうといってくれました。
ホックを付けてもらった鍵盤に指を滑らせていくと、ホックに指があたり鍵盤の位置がよくわかるようになりました。
はじめのうちは、たどたどしかったのが、何回も難解も練習しているうちに、
鍵盤の位置がわかるようになってきました。
また指の動きもだんだんなめらかに動くようになってきました。
そこで何か曲を吹いてみたくなりました。
しかし音楽の授業で習った楽譜は全部忘れてしまっていたので、
おかあさんに一音ずつ音符を読んでもらいながら、演奏をはじめました。
はじめに選んだのは『チューリップ』。
二日がかりで、何とか演奏できるようになりました。
* * *
曲の演奏ができるようになると今までの暗い気分のねずみ色の世界から、
明るいピンク色世界に変わったように心がウキウキとうれしくなりました。
夕方、おとうさんが仕事から帰ってきたら、聞いてもらおうと思いました。
おとうさんが帰ってきました。
ちーちゃんは「おとうさん、ピアニカを吹くから聞いてくれる」といい、
チューリップの演奏をはじめました。
演奏が終わるとおとうさんは大きな拍手をして「よかった」「うまかった」と
涙声で喜んでくれました。
ちーちゃんは、みんなに迷惑ばかりかけている。
役立たずのやっかいものと自分のことをせめていました。
しかし、こんな自分でも人によろこんでもらうことができるかもしれないと思えるようになりました。
それからは、いろんな曲をおぼえ、家を訪ねてくれる人に、
手当たりしだいピアニカの演奏を聞いてもらうことにしました。
人によって曲に合わせて歌ってくれる人、手拍子をしてくれる人、口笛を合わせて吹いてくれる人、涙声で「ありがとう」「ありがとう」と言ってくれる人など、
その反応は、人それぞれでうれしくなりました。
ある日学校の先生が、訪ねてくださり、
こんど学芸会があるから、そこで演奏してみてはどうかと、さそってくださいました。
ちーちゃんは、やってみたい気はしましたが、
やはり自分の体の状態をみんなの前にさらすのは、はずかしいとためらっていました。
しかし、先生に何度も何度もさそっていただき、よしやってみようという気持ちになりました。
本番に向けて三つの曲の練習をかさねました。
そうしてついにその日がやってきました。
車椅子に乗り、おかあさんに送ってもらい、久しぶりに学校にやってきました。
ちーちゃんの出番になりました。たくさんの拍手に迎えられ、ちーちゃんは車いすを押してもらいながら舞台の中央に進みました。
* * *
最初の曲は『エーデルワイス』
みんな静かに聞いてくれました。
吹き終わると大きな拍手をもらうことができました。
次は『ミッキーマウス・マーチ』
この曲は聞いているだけで、心がおどってきます。
演奏を始めるとどこからともなく、手拍子が起こり、客席全体に広がっていきました。
ちーちゃんは、とてもうれしくなりました。
最後の曲は『翼をください』
この曲は合唱で練習したこともある思い出深い曲です。
演奏を始めると誰かが曲に合わせて歌いだしました。
それにつられて、みんなが歌い出し大合唱になりました。
ちーちゃんは、自分の演奏と会場とがひとつになったように感じ、
うれしさに涙をこらえながら最後まで演奏しました。
終わると会場は割れんばかりの拍手につつかれました。
ちーちゃんは自分にもできることはないだろうかと考えました。
生きる希望を失っていた自分は
『ピアニカのチカラ』音楽のチカラによって生き返ることができました。
世の中には落ち込んでいる人、思い悩んでいる人、怒ってばかりいる人など、
心に問題をかかえた人たちがたくさんいます。
音楽のすばらしさを伝えていくことができれば、
そういった人たちの心にも変化をもたらすことができるかもしれないと思いました。
ちーちゃんは、ピアニカの演奏をつづけ、
いろいろな人に聞いてもらおう、
機会があればいっしょに合奏しようという思いを強く持ちました。