宇宙に羽ばたく日まで

その日は、きっと来るだろう。
その日まで、地に足をつけて歩こう。
その日まで、皆んな仲良く手をつなごう。

日々の行

2015-05-18 19:55:03 | 日々のこと
宇宙創造神の御教えに、慎むべき心として、
イライラする心、セカセカする心がありますが、
今の私にとって、まだ時に起こすことがあり、
これが洗心課題だな、と以前から思っておりました。

それと、「日々の暮らしが修行なり」とも聴かされており、
最近まさしくそのことを体験させられたのだなぁ、
と思うことがありましたので、以下に書かせて頂きます。


私は最近、ある目的のために、
朝早くから心を込めて便箋1枚に
万年筆で文書を書くことを隔日に行っております。

朝早くそれをするのは、孫たちが起き出して騒ぐ前であるためです。^^

数日前、その日は他の用事があり、その行をするのが遅れてしまいました。

私が机に向かい、書き始めますと、

 部屋に妻と三才の孫(R)がバタバタとやって来て、
 私の机の隣りにあるパソコンの前に座りました。

   妻:「いつものテレビの所で見ればいいじゃないの。」
   R:「いやーー! ここで見るのーー!」

 と言って「シマジロー」のDVDを大きな音声で視始めました。
 そして、妻は去ってゆきました。

私は、フトこれは私に与えられた
不動心を養うための「修行」だなと思いましたので、
文書を心を込めて書くことに集中しました。

すると今度は長女がもうすぐ一才の孫(H)の
ハイハイの後ろを追うようにして、
部屋に入ってきた気配を感じました。

Hが私の座るイスにつかまり立ちをして、
背後から私に触り、叩いたりします。
長女はそれを制止する様子もなく、
近くのソファーに腰かけて眺めているようです。

私は、益々やっぱりこれは「修行」との感を益々強くしました。

いつもだったら、このことに気付かず、
Rには向こうで視るように言い、
長女にはHを向こうに連れていくように
言っていたと思います。

しかし、この日は「修行」だと気付いたので、
大きな音声や背後の振動を気にせず、ただ、「行じて」みました。

そうなのです、意に介さなければ邪魔にはならないのです。

そして、便箋1枚を書き終えた時、

RはDVDを視るのを止めて、どこかへ走ってゆき、
(走るのが好きな子です。。)
長女は黙ってHを連れて居間の方へ退散しました。

やっぱり、不動の心を養うために
私の心の訓練として与えられた「日々の行」の一つでした。^^

ありがとうございます。
コメント
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