あなたにもできる!ハーバード留学!!~アラフォーからのボストン留学体験記

アラフォー研究者のボストン留学体験ブログ。
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ハーバード留学生活3年目編002:北斎@ボストン美術館

2015-06-07 22:03:22 | ハーバード留学生活3年目編
HOKUSAI @ ボストン美術館

岡倉天心が東洋美術部長だったこともありボストン美術館は、日本の美術品への専門性が高く、年に一、二回は日本関連の特別展をやっている。
ことしは葛飾北斎の特別展で、富嶽百景シリーズなど北斎の代表的な作品が展示されている。

月初めの週末はBank of Americaの口座があると、入場がただ(Museum on Us)になるので、美術館に北斎を楽しみに出かけた。

お天気も暑くもなく寒くもなく、ちょうど夏の軽井沢で美術館巡りをしているようで気持ちがいい。カフェテリアでサラダバーのランチ(結構おいしい)をいただいて、北斎特別展をみる。

北斎の一番有名な作品がならんでいて圧巻である。これが無料で楽しめるのはすごくありがたい。

青かきれい--お目当て北斎展--

やはり富嶽百景の青が素晴らしいですね。ちなみにガイドブックで仕入れた知識によると、北斎の青は当時発見されたばかりのベルリン青が中国経由でもたらされつかわれているらしいですね。

ちなみに今回展示されている作品のほとんどは、明治期の日本研究家ウィリアム・スタージス・ビゲロー(William Sturgis Bigelow)さんという人のコレクションからだそうですね。

ビゲローさんは、ハーバード大学出の優秀な外科医だったのだけれど、休暇で日本に行ったのがきっかけで、日本に7年すむことになり、日本研究をはじめられたのだとか。。(*)



有名な神奈川沖の一枚。以前ソリトンとかフラクタルとかをかじっていた時に、この絵をだして、北斎はフラクタルとかソリトンとかを無意識的に認識していたという小話を聞いたことがある。ソリトンは絵の下部の文字通り孤立波的なものを、フラクタルは上部の手のいっぱいあるような波の形であるという。改めてみて当時の画家の観察眼は敬意に値する。

また「後に作品は西洋へと渡り、印象派の画家たちに衝撃を与えます。特にゴッホは「富嶽三十六景『神奈川沖波裏』について画家仲間に手紙でその素晴らしさを絶賛し、同時代に活躍した音楽家・ドビュッシーはそこから「海」という曲を作曲しています。( "浮世絵のミカタ。"-「北斎展」をもっと楽しむより)」。

この作品は実際は小さな作品でしたが、やはりそれだけのものはあります。

なじみの場所からみた北斎の作品



あとは身近なところの風景を切り口に、江戸のころの姿と現在の姿を対比するというのも北斎の楽しみ方の一つかもしれない。

千住のあたりの風景。いまはもっと殺伐とした感じなので、当時はのどかなところだったのだろう。。

弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は有明にて光おさまれる物から、冨士の峰幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゅと伝所にて船をあがれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。

行春や鳥啼魚の目は泪

是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと、見送るなるべし。

(奥の細道)



当時の江の島のようですね。


江の島観光.comより)

当時と変わったといえば変わったし、変わっていないといえば変わっていないのでしょうね。当時は橋がなかったんだ。。



京都嵐山。



現在と見比べてみると面白いですね。

レオナルドダビンチ展

レオナルドダビンチの特別展も同時期に開催されていました。これは数十点のレオナルドダビンチの小品やスケッチが展示されており目を楽しませてくれます。



やはり彼の研究ノートが興味深いですね。有名な鏡文字で、ヘリコプターの発明のもとになる鳥の研究がなされています。

気候もよくいい芸術日和の休日でした。

(*)
A brilliant medical student, Bigelow received his degree in medicine from Harvard University in 1874, and continued his medical studies in Europe for five years, under Louis Pasteur. Though his primary interest was, accordingly, bacteriology, his father was a surgeon, and so he was pressured to perform surgery as well.
Bigelow and Japan

Instead, in 1882, Bigelow traveled to Japan with Ernest Fenollosa and Edward Sylvester Morse. This may have been intended originally as simply a vacation from the world of medicine, but in the end, Bigelow remained in Japan for seven years. There, he became an art collector, and traveled the country for some time, exploring it and studying its culture, art, and religion.

http://en.wikipedia.org/wiki/William_Sturgis_Bigelowより

After graduating from Harvard Medical School in 1874, Bigelow went to Europe. He stayed five years, studying in Vienna, Strasbourg, and finally in Paris under Pasteur. He brought back to Boston the new research on bacteria, and established privately one of this country's first laboratories in that field. This displeased his father, who wanted the line of distinguished Bigelow surgeons at Harvard and Massachusetts General Hospital to continue. William was duly appointed surgeon to outpatients at the MGH. "Few men," wrote medical historian John F. Fulton, "could have less taste for surgery than the sensitive Bigelow, and it was not long before he gave up all thoughts of practice."

In 1881, believing that the world was moving too fast and that much of life in Boston was ugly, he went to Japan, following Edward S. Morse and Ernest Fenollosa, who were among the first Americans to study Japanese culture. He later called the cruise to Japan the turning point of his life. During his prolonged stay he studied, traveled, and collected the treasures that the Japanese were discarding in their rush to become Westernized.

http://harvardmagazine.com/1997/09/vita.htmlより
MGHのひとだったんですね。。