日中戦争ネタとしてちょっと引き続きかいてみる。
太平洋戦争開始の最後通告となったという厳しい条件のハル・ノートであるが、これで日本が一番受け入れられず、日本が開戦の意思決定をするきっかけとなったのは、やはり過大な投資をそれまでにしていた満州からの撤退をハル・ノートが求めていたということであろう。
Wikepediaにのっている情報からすると、
日本の支那(中国)及び仏印からの全面撤兵
日米がアメリカの支援する蒋介石政権(中国国民党政府)以外のいかなる政府を認めない(日本が支援していた汪兆銘政権の否認)
の2項目であるが、はっきりと満州国とは書かれていないが、当時日本側の参謀部の幹部であった瀬島龍三氏は
ハル・ノートでの「支那における重慶政権以外の一切の政権の否認」の中には、汪の南京国民政府のほかに満洲国政府も含むと考えられた《瀬島龍三 「瀬島龍三 日本の証言」 他の著書「大東亜戦争の実相」》(*)
と述べている。
しかしながら、支那(中国)の部分に、満州国は含まないという話もあるようだ。
個人的には、アメリカも交渉できる部分として銘文化せずに、微妙にぼかしてハル・ノートを作ったのだと思う。
アメリカにいて、いくつかいろいろな書類を作ったりした経験から思うけど、コーヒーに「とても熱いです」という注意書きがなかっただけで、マクドナルドが敗訴する国なので(**)、アメリカ人は本当に必要なこととか、譲れないことは最初からでかでかと書いてくる(場合によってはアンダーラインしてある)。
逆に明示すると都合が悪い部分(妥協点なので大々的に言いたくない)とか、交渉できる部分は具体的に書いてないこともある(あっ気が付いた、そこはYou can askなのよ!みたいな感じで)。
書いてなかったということは、交渉の余地があるか、都合よく解釈してよい(もしくは都合よく解釈されても文句は言えない)という部分ではないかと思う。ハル・ノートを受け入れるといって満州に居座っても、意外とアメリカは文句言えなかったか、文句を言っても、書いていなかったからアメリカが不利になった気がする。
あとアメリカ人というと率直でフランクなイメージがあるが、アメリカ人といっても東海岸(ボストンは特にそうかもしれませんが)はちょっと京都人的なイケズなところもあるので、口では結構いいことをいって、いざ契約となると、それまでの口約束と全く違う契約書案を提示してくるのもよく聞きます(ボスとの交渉もそうだなあ。唖然とする条件が出されて、そこからが勝負どころなのですが。。)。
ハル・ノートでいままでの交渉と話の違う厳しい条件が提示されたといっても、東海岸的にはよく見るゆさぶりだったかもしれない。
日本人的に相手の気持ちを推し量り、言外の読みを読み取って最後通告だと交渉をあきらめたのは失敗だったなと思います。
ハル・ノートでアメリカが満州を中国から除外していたことは考えにくい。第一それなら挑発としての意味がなくなってしまう。《中西輝政 「二十世紀日本の戦争」》(*)
と考える日本人がおおかったのだろうけど、明文化されていない以上You can ask的な部分でもあるし、ほっかむりできる部分でもあったと思う。
当時の外務大臣は、東郷茂徳氏でドイツ&ソ連滞在経験はあったのもののイギリスやアメリカの滞在経験はなかったから、この辺のニュアンスはちょっとわからなかったのかもしれない。
この点イギリス滞在歴のあった吉田茂は、ニュアンスがわかったのか鋭く
「ハル・ノートの前段に“Strictly Confidential, tentative and without commitment(極秘、試案にして拘束力なし)”との記述があることに注目し「実際の腹の中はともかく外交文書の上では決して最後通牒ではなかったはず」(***)
と解釈して東郷に対してそのことを強調したらしい。
吉田茂がいうようにもう一回強く押して交渉すれば、相手は譲歩したかもしれません。
そんなことを考えると、ハル・ノートの時点からもう少ししたたかに交渉できでしょうし(東郷さんナイーブすぎたかな?)、また指導者層も赤字経営の満州にそこまでこだわらなくてもよかったのかなという気もします。いずれにせよ、当時の指導者層に多角的な視野があれば、太平洋戦争は防げたのでしょうか?
ちなみに吉田茂は「お雇い外人」の必要性を後になって以下のように述べているらしい。
「なんといっても外国人の見方と日本人の見方とが全然違うという場合が少なくないので、
何か外交上の問題が起こった場合に、外国人としては いかに感じるか、いかなる受け取り方をするかというようなことを
事前に知ることは、
問題の解釈や解決の上に非常に参考になることがあるものだ。
日本人だけの狭い考え方に終始すると、どうしても独り善がりに陥りやすい。」
ハルノートの経験からかもしれない。
(*)ハル・ノートのまとめより(http://kenjya.org/nichibeiharu.html)
(**)逆に明文化されていないのであれば、コーヒーが熱いという注意書きがないためにマクドナルドが敗訴したマクドナルドコーヒー事件ではないが、なんとでも難癖がつけられるのが、アメリカだと思う。
(***)こんな話を読むと、日本人ってナイーブだなと思う。やくざとの喧嘩でも似たようなものがあるが、ここで焦って自分から暴発したら、相手の思うつぼではないか。最後通告ならアメリカ人は最後通告といってくる。
ちなみにイラクのフセインに対する最後通告は次のようなものであったらしい。
「数十年に及ぶ(フセイン大統領の)欺瞞(ぎまん)と残虐はいま、最後のときを迎えた。サダム・フセインとその息子たちは48時間以内にイラクを離れなければならない。拒否した場合には、軍事衝突になる」
まあ、はっきりといってますよね!
太平洋戦争開始の最後通告となったという厳しい条件のハル・ノートであるが、これで日本が一番受け入れられず、日本が開戦の意思決定をするきっかけとなったのは、やはり過大な投資をそれまでにしていた満州からの撤退をハル・ノートが求めていたということであろう。
Wikepediaにのっている情報からすると、
日本の支那(中国)及び仏印からの全面撤兵
日米がアメリカの支援する蒋介石政権(中国国民党政府)以外のいかなる政府を認めない(日本が支援していた汪兆銘政権の否認)
の2項目であるが、はっきりと満州国とは書かれていないが、当時日本側の参謀部の幹部であった瀬島龍三氏は
ハル・ノートでの「支那における重慶政権以外の一切の政権の否認」の中には、汪の南京国民政府のほかに満洲国政府も含むと考えられた《瀬島龍三 「瀬島龍三 日本の証言」 他の著書「大東亜戦争の実相」》(*)
と述べている。
しかしながら、支那(中国)の部分に、満州国は含まないという話もあるようだ。
個人的には、アメリカも交渉できる部分として銘文化せずに、微妙にぼかしてハル・ノートを作ったのだと思う。
アメリカにいて、いくつかいろいろな書類を作ったりした経験から思うけど、コーヒーに「とても熱いです」という注意書きがなかっただけで、マクドナルドが敗訴する国なので(**)、アメリカ人は本当に必要なこととか、譲れないことは最初からでかでかと書いてくる(場合によってはアンダーラインしてある)。
逆に明示すると都合が悪い部分(妥協点なので大々的に言いたくない)とか、交渉できる部分は具体的に書いてないこともある(あっ気が付いた、そこはYou can askなのよ!みたいな感じで)。
書いてなかったということは、交渉の余地があるか、都合よく解釈してよい(もしくは都合よく解釈されても文句は言えない)という部分ではないかと思う。ハル・ノートを受け入れるといって満州に居座っても、意外とアメリカは文句言えなかったか、文句を言っても、書いていなかったからアメリカが不利になった気がする。
あとアメリカ人というと率直でフランクなイメージがあるが、アメリカ人といっても東海岸(ボストンは特にそうかもしれませんが)はちょっと京都人的なイケズなところもあるので、口では結構いいことをいって、いざ契約となると、それまでの口約束と全く違う契約書案を提示してくるのもよく聞きます(ボスとの交渉もそうだなあ。唖然とする条件が出されて、そこからが勝負どころなのですが。。)。
ハル・ノートでいままでの交渉と話の違う厳しい条件が提示されたといっても、東海岸的にはよく見るゆさぶりだったかもしれない。
日本人的に相手の気持ちを推し量り、言外の読みを読み取って最後通告だと交渉をあきらめたのは失敗だったなと思います。
ハル・ノートでアメリカが満州を中国から除外していたことは考えにくい。第一それなら挑発としての意味がなくなってしまう。《中西輝政 「二十世紀日本の戦争」》(*)
と考える日本人がおおかったのだろうけど、明文化されていない以上You can ask的な部分でもあるし、ほっかむりできる部分でもあったと思う。
当時の外務大臣は、東郷茂徳氏でドイツ&ソ連滞在経験はあったのもののイギリスやアメリカの滞在経験はなかったから、この辺のニュアンスはちょっとわからなかったのかもしれない。
この点イギリス滞在歴のあった吉田茂は、ニュアンスがわかったのか鋭く
「ハル・ノートの前段に“Strictly Confidential, tentative and without commitment(極秘、試案にして拘束力なし)”との記述があることに注目し「実際の腹の中はともかく外交文書の上では決して最後通牒ではなかったはず」(***)
と解釈して東郷に対してそのことを強調したらしい。
吉田茂がいうようにもう一回強く押して交渉すれば、相手は譲歩したかもしれません。
そんなことを考えると、ハル・ノートの時点からもう少ししたたかに交渉できでしょうし(東郷さんナイーブすぎたかな?)、また指導者層も赤字経営の満州にそこまでこだわらなくてもよかったのかなという気もします。いずれにせよ、当時の指導者層に多角的な視野があれば、太平洋戦争は防げたのでしょうか?
ちなみに吉田茂は「お雇い外人」の必要性を後になって以下のように述べているらしい。
「なんといっても外国人の見方と日本人の見方とが全然違うという場合が少なくないので、
何か外交上の問題が起こった場合に、外国人としては いかに感じるか、いかなる受け取り方をするかというようなことを
事前に知ることは、
問題の解釈や解決の上に非常に参考になることがあるものだ。
日本人だけの狭い考え方に終始すると、どうしても独り善がりに陥りやすい。」
ハルノートの経験からかもしれない。
(*)ハル・ノートのまとめより(http://kenjya.org/nichibeiharu.html)
(**)逆に明文化されていないのであれば、コーヒーが熱いという注意書きがないためにマクドナルドが敗訴したマクドナルドコーヒー事件ではないが、なんとでも難癖がつけられるのが、アメリカだと思う。
(***)こんな話を読むと、日本人ってナイーブだなと思う。やくざとの喧嘩でも似たようなものがあるが、ここで焦って自分から暴発したら、相手の思うつぼではないか。最後通告ならアメリカ人は最後通告といってくる。
ちなみにイラクのフセインに対する最後通告は次のようなものであったらしい。
「数十年に及ぶ(フセイン大統領の)欺瞞(ぎまん)と残虐はいま、最後のときを迎えた。サダム・フセインとその息子たちは48時間以内にイラクを離れなければならない。拒否した場合には、軍事衝突になる」
まあ、はっきりといってますよね!