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あなたにもできる!ハーバード留学!!~アラフォーからのボストン留学体験記

アラフォー研究者のボストン留学体験ブログ。
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2番手の成功法則011:落合信彦と猪瀬直樹さんと地盤&カバンがない人の注意点

2013-12-28 13:02:54 | 2番手の成功法則
少し前まで、東京都知事だった猪瀬直樹さんのことがニュースでもちきりだった。政治とカネの問題が問題の本質だったのだけれど、彼が一生懸命作ってきた「虚像」に執着するあまり、ある意味コミカルな状況に陥りより一層事態を悪くした気がする。

あるブログにジャーナリスト佐高信さんが、

 「佐藤優氏が私との対談で言っていたが、彼は〈本物のニセモノ〉なのです。自分の売り方には天賦の才があり、肩書にも弱い。彼を支持する竹中平蔵、勝間和代……皆、同じにおいがします」

評したとあった。

本物って何なのかというか、是非は難しいが、古来ブレーンとか軍師とか言った人は、このような生き方をしてきている。諸葛孔明、ヘンリーキッシンジャー、瀬島龍三も同じにおいの人たちな気がする。

こんな軍師的タイプ、つまり看板だけで、カバン、地盤がない人が成功するためには、やりすぎない程度に自分をどう高く売り込むか(ショウアップするか)?というところが重要ではないだろうか?

得てして、自分を売り込むことがうまい人は、口もしくは筆が滑ってドヤ顔的な話をしてしまい、勢いの盛んなときはスルーされても、後々コミカルな話題を提供することになってしまう(*)。何分にも「盛りすぎ」はよくない。

ZAKZAKの記事に、猪瀬氏の例では著書に

「ポジティブ思考の重要さを唱え、「自分の中に眠る自信を取り戻す法」として、「自分で自分を励ましましょう。これを毎日100回唱えれば、言葉の力で元気が出てきます。さあ、顔を上げて! 前進あるのみです!」と提案。閉塞(へいそく)状況を打ち破るには「不利な状況を逆手に取ってみる」こと。」などと記していたが、

これに対して「会見や都議会で自信なさげに答弁する猪瀬氏を見ると、著者本人が実践できているかどうかは疑わしい」などと、あまりにも本人の実情とかけ離れていることを、指摘されている。

”さあ、顔を上げて!”っていうところが、今となっては笑いを誘う以外の何物でもない。

こんな猪瀬氏のことを考えていると、10年ほど前に一世を風靡したものの、盗作や経歴詐称などの報道が出て最近影の薄い国際派ジャーナリスト落合信彦さん(**)のことを思いだす。

経歴詐称や盗作の真偽のほどは定かではないものの、これまた今から思うと??というコメントが多い。


ブルースリーと戦って勝った

なんてのもある。

多分今から50年くらい前に、アメリカに留学して、大学を卒業してっていうだけで結構すごい人だったんだと思う(***)。語学力を生かし、アメリカの原書のネタ本をもとに、興味深い著作をだし(****)、経歴をちょっとよく見せるようにちょっと飾って書いたっていうのは、今ならあり得ないが、あの時代ならあったかなと思う。ちょっと同情の余地もあるが、「ブルースリーに勝った」というのはコミカルでしかない。

とはいえ、猪瀬氏も落合氏(****)も一世を風靡した作家であることは変わりない。世間受けする話題への目の付け所、その売り込み方、筆力はある意味一流のものであったであろう。

残念なのは微妙な一線を越えたこと。
「盛りすぎ」かショウアップ、微妙な一線が問われる。

でも虚像がコントロールできないほど大きくなって、それでいい思いをしたら、誰しも同じようになってしまうのかもしれない。看板で勝負する人の注意点である。自戒、自律、哲学。


(*)今から思うと非常にコミカルなコメントが多い。山本一郎さんのブログによると

 メディア王ルパートマードック(Rupert Murdoch, media mogul) と相互フォローしています。

ていうのもあったらしい。
当時としてもだから何?って感じだが、今や失笑もの。

こういった面はさておき、猪瀬さんは視点としては面白いものを持っていたと思う。例えば、こちらに来て、子供の教育に悩んで言語学者三森ゆりかさんのことを初めて知ったけれど、都の「言葉の力再生プロジェクト」で彼女とタイアップして日本語教育のプロジェクトをされていた。これも今となっては失笑のネタでしかないのかもしれないが、純粋に考えると普通の人にはないよい視点だと思う。


(**)疑惑については誰も知らない落合信彦にくわしい。そういえばキャッチコピーも国際ジャーナリストでなく、「国際派」ジャーナリストだった気がする。「地鶏風」とか「みりん風」みたいな感じでしょうか?最初から確信犯だったのだろうか??

(***)孫正義のタイムマシン経営ではないが、語学力とアメリカとのコネクションを生かし、アメリカの事物を焼き直して自分のもののようにして売るっていうのは、ちょっと前には結構あったのではないだろうか?
松本清張の長編「蒼ざめた礼服」はそんな人物を追跡するサスペンスである。
インターネットが存在する前はこういう人物って意外と重要な存在だったかもしれないし。。

ただ今だとより一層の公正さが求められるのは言うまでもない。食品偽装、経歴詐称、景品表示法。。

(****)彼を一躍有名にしたアサヒビールのCMは、アサヒビールのスーパードライの売り上げを不動のものにし伝説的なものになった。彼もこのCMで爆発的人気が出た。カリスマ性というか何かを持っている人だったのだろう。

落合信彦批判ブログに出ているが、彼の留学時代の話(批判者側の取材した話なので客観的なのだろう)に、彼の恩師の教授が彼のことをよる覚えており、その理由として落合の「陽性な積極性」のではないかと述べている。こんなのもアメリカで生き残るのに重要な知恵かもしれない。








2番手の成功法則010:今西錦司の世界

2013-12-15 16:08:22 | 2番手の成功法則
 

この人を2番手と言ってはいけないのかもしれないが、戦時中から戦後早期にに京大の無給講師(今でいうと医学部の無給医局員みないなものか?昔はいろいろいた)でありながら、中国の奥地を探検したり、アルピニストして活躍しながら自分の学問を確立。すみわけ理論で有名な生物学とともに京大のサル学の基礎を作った生物学者今西錦司である。

 以前全く日本のフィクサーだった田中清玄の自伝を呼んだ時に、彼がべた褒めしていて気になった人物であった。日本出発前に買って積読になっていた今西錦司関連本、「今西錦司語録」「フォトドキュメント今西錦司」を最近読んでみたが、人としての強さ、豊かさを垣間見せてくれるようで非常に面白い。

 彼の人としての面白さは、地位に恋々とせず、自分のやりたいことを追及していったことにあるのだろう。京都の織屋の長男であったため、経済的には心配しなくてもよい立場であったことも一因だが、好きなことのみを追及した人としての強さにもある気がする。戦争一色だった太平洋戦争中に、中国の奥地に研究所で運営していたのは只者ではできない。

「今西錦司語録」と「フォトドキュメント今西錦司」から面白いものをいくつかピックアップしてみる。
 
★「オレは一生なにもせいへんのや。すきなことやらかすんや。」


★青年たちが「この山は何もわかりませんから、だめです」というと、今西は言下に、「なにもわからないからこれをやるのだ」といった。私たちは、その強烈なパイオニーア精神に圧倒された。

ー>これはいいですね。ここまでのわりきりが彼の強さかも。


★「遺伝子であるとかDNAっであるとかいった極微の世界と通じて、どんな自然観がうまれてくるのか」
★「大をなそうと思ったら枠気味を作るのに時間はかかっても、うんと大きな枠組みを作っておくということが大事だと思う」
★「ワンセオリーにどんなセオリーをつかむか、つかまんかに将来の生き方が決まってくるのやね。それをつかんだら、あとは金が利子を生むみたいなもので、もう心配せんでもええねん。」
★「学問というものはあまり濾してしまうとあかん。どぶろくみたいなやつの方が本当の味がある」

ー>分野も立場もちがうので一概に賛成はできませんが、ちょっとドキッとする一言。

 利根川進さんが

「一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。研究テーマなんてごまんとある。ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでいたら、本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終わってしまうんですよ」

 といっていたり、

 小柴昌俊さんが
 
 「研究者になるなら、いつかは物にしたいという研究の卵を三つか四つ抱えておけよ。そうすれば情報過多のなかでも、どんな情報を取り、どんな情報を無視するか効率よく判断できる」

 といっていたりするのに、通じる気がする。
 

2番手の成功法則009:トラブルにめげない:「はやぶさ」の教訓

2013-12-15 15:37:26 | 2番手の成功法則
 留学一年目の半ばを過ぎてから早くも2か月。急遽帰国しなければならないような深刻なトラブルは起こっていいないものの、一筋縄でいかないことが多くいろんな面が停滞している。こんな時なんでこんなに運が悪いんだろうとか、来るんじゃなかったとかネガティブなことを思いがちである。

 ちょっと前に小惑星探査機「はやぶさ」の記録、「はやぶさ物語」を読んだせいか、そんな時に「はやぶさもトラブル続きだったものな」と思うようになった。

 何度もの制御不能になったはやぶさは、技術者の創意工夫により(*)、満身創痍ながら小惑星イトカワから無事帰還した。根があせりのせいか、ついつい成功の結果ばかりに目が行ってしまい、こうしたトラブル続きの面は見逃しがちである。スムーズにいく成功って意外と少ないのかもしれない。まずは目の前のトラブルを解決。とはいっても先はなかなか見えないのだけれど。。

 (*)ちなみにはやぶさ物語の著者の分析によると、何度もの危機を脱出できたのは、日本が比較的低予算のため「適度な貧乏」があったっために、最初の段階からみんなで工夫したのが功を奏したらしい。図ははやぶさのフアンがJAXAに応援でおくったもの。

2番手の成功法則008:独立系研究者という生き方

2013-10-31 14:07:03 | 2番手の成功法則
 同僚というか隣のラボの日本人ポスドクに100人が博士の村だったらという話を教えてもらった。

アカデミアの経済状況が厳しくなるなか、「100人中7人が行方不明・死亡」という悲壮感漂う高学歴ワーキングプアの状況を象徴的に描いた創作童話だ。

 このままだと救いのない童話でしかないので、悲壮な状況の中の戦略的な研究者の進路選びはどこにという根源的な問題への解決法を探るのが2番手の成功法則の存在意義である。そのためにはブルーオーシャン戦略もまた一興かもしれない。

 ブルーオーシャン戦略といえば、昨今のこんな風潮を反映してか、直近の知的財産マネジメント研究会の企画に、

 「特定の研究機関に属さない、独立系研究者という生き方」

 というのがあった。

詳細は以下の案内文の引用(一部改編)のとおりであるが、

「アカデミアの競争が激しい中、「有料メルマガの発行」や「研究対象のキャラクタービジネス化」等で研究費を集める、従来とは異なる研究者像を模索する研究者が出てきています。

例)クマムシ博士


今回は、特定の研究機関に所属せず、様々な研究プロジェクトから仕事を請け負いながら研究を行っている「独立系研究者」の小松様をお招きして、

「特定の研究機関に属さない、独立系研究者という生き方」

についてお話いただきます。

・独立系研究者とは何か
・これまでに関わった研究プロジェクトの紹介
・どのように仕事を取ってくるのか
・独立系研究者になった経緯
・独立系研究者は社会的にどのような役割を果たすか

等の話題に触れていただく予定です。

■講演者の紹介

小松研究事務所代表・小松 正 様

2004年に独立して個人事務所を開設。独立系研究者として、さまざまな研究機関(企業、大学、NPO)と請負契約や業務委託契約を結んで研究プロジェクトに参加している。助成金申請や成果発表のさいには、必要に応じて契約している研究機関の名義となる肩書(執行役員、客員研究員など)を使用している。

生物学(分類学、生態学、進化生物学、形態分析学)、データマイニング、実験計画法など。工学や社会科学の研究テーマに対して、生物学分野で使用される統計手法やデータマイニング手法を導入することによって、学際研究や共同研究開発を行うことを得意とする。

小松様の主な業績

■開催概要

日時:11/9(土) 15:00~17:00
場所:政策研究大学院大学5階

事前申し込みは不要ですので、直接会場にお越し下さい」

といった感じである。実際に個人事業主としての研究者という存在がどの分野でもありうるのか(*)ということはさておき、新しい観点であることは言うまでもない。

 ただこの小松氏の手法ってちょっと前なら、データーマイニングのベンチャーのビジネスモデルだった気がする。この小松氏の手法が出てきたということはデーターマイニングの技術が個人事業としてしか通用しないほど陳腐化してきたということかもしれない(**)

 と考えつつ、クマムシ博士が気になった。
夢「人間カップラーメンをつくること」にはまってしまう。これ系のビジネスモデルなんか考え付きそうな気もする。。

あわてない、あわてない、ひとやすみ、ひとやすみ、ポク、ポク、ポク、チーン!!

(*)データーマイニングとかインフォマティックスの分野に限られるのではないだろうか?
(**)これが個人でできるようになったというのは、もしかすると個人用
のPCの性能が向上したためなんだろうか?たしかにRNA-seqデーター解析も少量だとネットブックでできるしなー。

2番手の成功法則007:打たれ強く生きる吉澤保幸さんのこと

2013-10-05 12:35:45 | 2番手の成功法則
 ある大学の公開講座で吉澤保幸さんのことを知った。吉澤さんはもと日銀OBで、現在は税理士やNPO法人ものづくり生命文明機構の地域活性化協議会事務局長、場所文化フォーラム代表幹事などなど、地域ブランドの仕掛け人として活躍されている。
 
 吉澤さんはただの日銀OBではない。1999年証券課長だった時に、機密漏えい+接待事件で逮捕起訴された過去がある。朝日新聞のひと欄を引用したブログによると、「罪状を争うことも考えたが、「日銀に迷惑がかかる」とあきらめた。銀行は懲戒免職。会計事務所で働きながら大学院に通って税理士に。「家族や周囲の支えがあったから耐えられた」」のだとか。

 事件については詳細はわからないので、その可否について述べることは難しいが、40代の働き盛りのころにエリートからどん底の状況にまでなったものの、それを克服しまた表舞台で活躍されていることは十分評価に値する。

 今の自分の状況を考えるとまだまだ頑張れると勇気づけられるエピソードである。今の地域ブランドでの成功もネガティブな状況を克服してきた彼の人間力に負うところが多いのかもしれない。