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2017衆院選 安倍に告ぐ 加計・森友学園問題 解明せねば政治の信頼失われる(愛媛新聞)

2017-10-20 | Weblog

約束を守る政治家か政党かどうかを見極めなければならない

今回の衆院解散には、多くの国民が今も疑問を感じているはずだ。加計・森友学園問題で、安倍晋三首相は「真摯(しんし)に説明責任を果たす」と言ったにもかかわらず、臨時国会で審議もせず冒頭解散した。問題の核心は、首相や周辺の人々と近しい人物が優遇され、公平公正な行政がゆがめられたのではないかという点にある。民主主義の根幹が問われており、疑惑は必ず解明されなければならない。

 今治市への獣医学部新設の事業者に決まった加計学園は、首相の「腹心の友」が理事長を務める。新設を巡る省庁の文書に「総理の意向」「官邸の最高レベルが言っている」との記載があり、官邸や官僚が首相の意向を忖度(そんたく)し「『加計ありき』で手続きが進んだのではないか」との疑いが噴出した。

 疑惑は、獣医師確保や新学部の必要性とは分けて考える必要がある。首相は、事業者決定に「私が関与したという人は一人もいない」と強調するが、関与が疑われる議員や官僚は「記録も、記憶もない」を繰り返すだけ。記録を示さないことには、説得力を持ち得ない。関係記録を残す今治市や愛媛県も、疑惑を抱えたままの開学を避けるために、また行政の透明化を図る観点からも、自ら記録を公開する責務がある。

 首相は「選挙はまさに民主主義における最大の論戦の場だ」と言いつつ、選挙戦では問題にほとんど触れていない。本紙の県内候補14人へのアンケートでは、獣医学部新設決定のプロセスに関して「透明」「不透明」「その他」から回答を求めたところ、「透明」はゼロ。自民党は4人とも「その他」とし「政府説明が国民の誤解や不信を招いた」「丁寧に説明を尽くすべきだ」などと指摘した。身内からすら出る疑問や注文を、首相は重く受け止める必要がある。

 野党は「獣医学部設置に関する情報は全て公開」「国政調査権を使った真相究明を求める」と公約に掲げる。政府が隠す疑惑の解明に、全力を挙げなければならない。野党の存在意義も問われている。

 国有地が格安で売却された森友学園問題では、財務省局長は「売却価格は適正」と強弁し、交渉記録の文書を求められると「破棄した」と突っぱねた。学園が開設する予定だった小学校名誉校長には、首相夫人が一時就任しており、加計学園と同様に政治の強い関与が疑われる。首相がなすべきは、行政府のトップとして、関連資料を財務省に出させることだ。

 首相は、疑惑に「信なくば立たず」「李下に冠を正さず」との言葉を引き反省の意を示したが、実行しているとは到底言えない。9月の共同通信世論調査でも、79%が政府の説明に納得していないと答えた。信頼は、全ての政治家が最も重視すべき資質である。有権者は聞こえのいい訴えだけではなく、約束を守る政治家か、政党かどうかを見極めなければならない。


2017衆院選 18歳の政権選択 棄権は何も変えられない(高知新聞)

2017-10-20 | Weblog

 明治時代から数えて48回目の今回衆院選は、18、19歳の未成年が初めて政権を選ぶ選挙になる。
 どういう国になってほしいか。将来の暮らしや地域の安心、安全をどう描くか。それぞれ考えを巡らせ、1票を投じてほしい。

 昨年6月、選挙権年齢が「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げられた。70年ぶりに参政権を拡大する歴史的改正だった。有権者の広がりは政治への民意の反映を豊かにし、民主主義を前進させる。

 18歳選挙権は昨年夏の参院選から適用され、全国で約240万人が有権者に加わった。現役高校生も投票できるとあって話題にもなったが、その結果は、20代をはじめ常態化して久しい若者の政治離れの現実をあらわにした。

 18、19歳の合計の選挙区投票率は全国平均で46・78%と50%を割り込み、全体の投票率54・70%を下回った。高知県はさらに低い30・93%にとどまり、県全体の投票率45・52%とともに全国最下位に沈んだ。

 地方より都市部の投票率が高い傾向が見られたことから、地方に住民票を残し、都市圏に進学や就職で転居した若者が投票しなかったケースなどが要因に挙げられた。本県は徳島と初の「合区」選挙で、県出身候補がいなかったことも重なり、関心の低迷を招いたようだ。

 だが、若者を遠ざけているのは、政治への日常的な関心や期待の低さが根底にあるとみるべきだ。投票率の低落傾向が続く大人たちが範を示せていない状況もある。

 防災から高校・大学の授業料、医療費、年金・介護さらに外交・防衛まで、その在り方や予算の配分、個人の負担をどうするか―。衆院選は有権者がその役割を託す政党、候補者を選び、多数派が国の針路づくりを担う政権に就く。主権者が政権の形を決める選挙である。

 自分たちのことは自分たちで決めるという、民主主義の意義を広く将来世代にどう根付かせていくか。18歳選挙権の導入は「主権者とは」を学校現場で学ぶ機会を広げた。政治課題を巡る討論や模擬投票など、主権者教育が活発に取り入れられるようになった。

 昨年参院選では18歳の投票率が19歳より高い傾向が見られた。本県でも主権者育成の研究指定校で学んだ高校3年生の6~7割が投票したという。主権者教育の成果といえ、幅広い浸透を期待したい。

 国会では国民の多くが不安を抱く法律や制度を政権が押し切り、強引に成立させる場面が目立つ。政権を監視し、歯止め役を託された野党の存在価値も問われる。

 政治への不信もあろう。かといって選挙権を放棄しては何も変えられない。考えられる限り、ベストの投票先が見当たらなければベターでいい。選挙後に選択を誤ったと思ったら、次の選挙で修正できる。選挙権は幸福探しの権利でもある。


山口4区 黒川敦彦は男でござる 訴状を掲げてチンコロ安倍の牙城に切り込む(県民の良識が試される) 

2017-10-19 | Weblog

山口4区にモリカケ告訴の候補者、安倍首相ヒヤヒヤ

 安倍晋三首相が立候補する山口4区が「乱戦」模様

 

加計学園問題の真相解明を求める市民団体代表の黒川敦彦氏(39)が無所属で立候補。

街頭では「真相究明の大切さを訴えたい」とマイクを握る。

黒川氏は16日、新設を目指す獣医学部へ補助金を今治市に申請する際、建築費を水増しして約148億円としていた疑いがあると、安倍首相を詐欺幇助(ほうじょ)罪で山口地検に刑事告発した。

安倍首相のお膝元、山口4区。

全国を遊説で飛び回る首相に代わり、妻の昭恵氏がマイクを握る。

集会などでは「厳しい選挙だが、ご理解いただき、当選を果たさせていただきたい」と訴える。

この日は長門市などで支援を呼びかけた。

安倍首相が臨時国会冒頭で衆院を解散したのは、国会で森友&加計学園問題の追及を避ける「モリカケ隠し」だったのではないかとの批判もある。

昭恵氏は選挙戦では自身も疑惑の目を向けられた森友学園問題には触れていない。

同選挙区に「今治加計獣医学部問題を考える会」共同代表の黒川氏が急きょ、立候補。

選挙戦に入り、自らのツイッターに森友問題などを昭恵氏に説明してもらうために「囲みましょう」と書き込み波紋を広げた。

安倍首相の地元事務所(下関市)は昭恵氏の安全の確保などを理由に、地元で開かれる個人演説会の取材を拒否する方針を下関市政記者クラブに伝え、16日現在も続いている。

この日、黒川氏は安倍首相を詐欺幇助罪で刑事告発した。

山口地検に告発状を提出した黒川氏は「獣医学部の建設費は少なくとも50億円水増しされている」と主張。

友人で学園の加計孝太郎理事長については詐欺容疑での告発を検討しているとし、「計画の責任者は安倍首相にある」と強調した。

同じ選挙区内の候補者が対立候補を刑事告発する異例の展開に「選挙妨害では」の声もある。

黒川氏とともに告発状を提出した森友問題を追及する木村真豊中市議は「(黒川氏から)相談を受けたとき、このタイミングでどうなんだろうと思った」と、違和感を持ったことを明かした上で「首相はモリカケ問題を選挙戦で説明すると言ったのに避けている。逃げ回っている相手に対し、これを争点にしたいと明確に示すためには刑事告発も1つの方法」と後押ししたという。

首相の地元事務所は告発状の提出に「コメントすることはありません」とした。

山口4区には、いずれも新顔で希望の藤田時雄氏、共産の西岡広伸氏、無所属の郡昭浩氏も立候補している。藤田陣営は「安倍さんへの批判票が割れる」。安倍首相が圧勝を続ける“無風区”が乱戦模様だ。

 

黒川敦彦候補予定者。「96億円もアベ友にくれてやるよりも、それをもっと市民生活向上のため使うべき」が持論だ。=9日、下関市 撮影:筆者=

黒川敦彦候補「96億円もアベ友にくれてやるよりも、それをもっと市民生活向上のため使うべき」http://tanakaryusaku.jp/2017/10/00016767

 

黒川敦彦@モリカケ共同追及プロジェクト

https://twitter.com/democracymonst


黒川氏「安倍昭恵を取り囲もう」とツイッターで呼びかける

管理人の一言

安倍の地元、山口4区。公示日となった10月10日、安倍の代理として、バカ亭主に代わって昭恵が「第一声」を上げた。しかし、公示日直前に黒川氏が、「とにかく初日一人でも多く山口4区に来て、安倍昭恵を取り囲みましょう!10日が盛り上がれば本当に安倍総理に選挙で勝てる!」などとTwitterで呼びかけたという。

すると、安倍の御用紙産経はすかさず、「安倍首相の陣営は、昭恵さんに危険が及びかねないとして、警察に相談した」と、まるで黒川氏がストーカー行為を働いているかのように報道し、安倍を落選させる目的で遊説中の昭恵さんを取り囲むように呼びかけた、などと事をさらに歪めている。

すると、例によって例のごとく、この産経報道に煽られて、おきまりのネトウヨが登場し、黒川氏の呼びかけ行為は落選運動だと騒ぎだした。

では、実際、黒川氏の呼びかけ行為は落選運動に当たるのだろうか、弁護士ドット・コムが解説している


公示日前に、Twitterで特定の立候補予定者に対する落選運動を展開することは、対立候補予定者であっても問題ないのか?

「公職選挙法142条の5は、『当選を得させないための活動』として落選運動をすることを認めており、そのためには、電子メールアドレス等が表示されていればよいとされ、主体に制限があるわけでもありません。したがって、対立候補予定者であっても、落選運動をすることは可能です。

なお、そもそも、どのようなものが『当選を得させないための活動』に当たるかですが、選挙運動とは、一般に、『特定の候補者の当選を目的として投票を得又は得させるために必要かつ有利な行為』とされており、ある候補者の落選を目的とする行為であっても、それが他の候補者の当選を図ることを目的とするのであれば、選挙運動となると解釈されています。

そのため、『当選を得させないための活動』とは、単に特定の候補者の落選のみを図る活動を念頭に置いているとされます。

本件では、安部首相を当選させないためという側面があるものの、自身が立候補していることからして、自身の当選を目的にしていると言い得るため、厳密に言えば、『当選を得させないための活動』、つまり落選運動には当たらないように思われます」

他に法的な問題はあるのだろうか?

「ただ、いずれにしてもどんなことを言ってもよいというものではなく、発言内容によっては公職選挙法とは別に問題になる場合があるでしょう。

立候補者やその家族を取り囲もうと呼びかける行為は、論戦をしているものではなく、一定の有形力の行使を伴うことを想起させます。取り囲むだけで直接触れるのでなくても、自由が制限され、言われた側からすれば一定の恐怖を感じることが予想できます。その意味で、(警察が取り合ってくれるかどうはさておき)脅迫罪に該当する余地があります。

そして、実際に取り囲んだ場合は、監禁罪に当たる余地があります。監禁というと、閉鎖された場所に閉じこめないと成立しないように思うかもしれませんが、一定の場所から脱出できなくなればよいとされます。また、脱出が不可能である必要まではなく、著しく困難であればよいとされます」

 


新事実 安倍が過去に不正関与か 神戸製鋼所のデータ改竄問題

2017-10-19 | Weblog

安倍首相もコネ入社時代に不正に関与? 国策企業・神戸製鋼と安倍首相のただならぬ関係

次から次へと偽装や捏造の事実が発覚している神戸製鋼所のデータ改竄問題。

グループ会社も含め、主力の鉄鋼製品やアルミなどで強度や寸法などを偽って出荷、数十年前から偽装を続けていたケースもあり、組織ぐるみの隠蔽が行われていたという。

今朝の毎日新聞朝刊でも、元社員が少なくとも40年前から「トクサイ(特別採用)」なる言葉が常態化し、基準から外れたアルミ板を「顧客の了解を得ないまま出荷していた」と証言している。

しかも、今回の偽装で問題なのは、データ等を改竄した部品が、自動車や航空機、鉄道、宇宙開発事業、さらには防衛(軍事)産業などに使われているからだ。問題の製品を出荷したのは国内外で500社以上に及ぶとみられているが、いずれも、人々の安全に直結する重大な不祥事だ。なかでも気になるのが原子力関係だ。

現時点で東京電力福島第二原発に納入されたアルミ・銅合金製の配管をめぐって寸法の記録が改竄されていたことがわかっている。同社の川崎博也会長兼社長は連日のように会見を行なっているが、この様子だとまだまだ隠された不正や問題が浮上してくるだろう。

神戸製鋼といえば、安倍晋三首相の出身企業として有名だ。

神戸製鉄は山口県下関に長府製造所を持っており、安倍家の選挙区で有数の大企業である。安倍はいまから40年前の1977年に成蹊大学法学部政治学科を卒業後、アメリカに“語学留学”(なお、その時に加計学園の加計孝太郎理事長と知り合ったといわれる)し、79年春に帰国してすぐ神戸製鉄所に入社した。

安倍の神戸製鋼入りは、まさしく“コネと政略”だったらしい。祖父・寛、父・晋太郎、そして晋三の系譜を丹念な取材で探ったノンフィクション『安倍三代』(青木理/朝日新聞出版)のなかで、神戸製鋼で晋三の直属の上司となり、のちに元副社長に就いた人物が、「(安倍は)みんなに好かれていましたよ」としながらも、こう当時を振り返っている。

「ただ、率直に言って“政略入社”ですからね。当時の製鉄会社は、神戸製鋼に限らず、政治関係の“政略入社”が多かったんですよ」

この“政略入社”の背景には、晋太郎が中選挙区でのライバル・林義郎(元大蔵相)に対抗して選挙基盤を広げようとの思惑があったとされるが、入社した晋三は、まずニューヨークに赴任したと思ったら、兵庫県の加古川製鉄所、東京本社の鋼板輸出課と短期間で異動。わずか3年ほどで退職し、晋太郎の秘書官として政治の道へ進むことになった。

安倍首相が自ら告白した神戸製鋼社員時代の「寸法違い発注事件」

その神戸製鋼社員時代の安倍をめぐり、いま、ちょっと話題になっているエピソードがある。2016年3月30日放送の自民党のインターネット番組「カフェスタ」で、安倍首相が新社会人に向けて送ったメッセージだ。安倍首相は神戸製鋼加古川製鉄所で工程管理を担当した際の話を振り返りながら、山本一太参院議員とこんな興味深いやりとりをしている。

安倍「新入社員っていうのは失敗するんですよね。私もね、最初、長さを間違って入力してね。それ(間違った製品が)、できちゃったもんですからね! 大変なことになってしまったんですが(笑)。まあ、ギリギリ誤差の範囲内でね」
山本「国会だったら完全に追及されているとこですね〜」
安倍「(笑)。ギリギリ範囲内で。ラインパイプだったんですが、今も覚えてますけど。これもう『クビになるかな』と思いましたねえ。結構大量に製品ができあがってですね、みんな集まって『どうしようか』って。まあ、しかし、事なきをえて、あの……。だから、あー、えー、多少の失敗にもめげずにがんばってもらいたいと思います」

ようするに、神戸製鋼・ヤング安倍晋三は、本来の長さと異なるパイプを大量に作ってしまうという大失態を犯したらしい。しかも、気になるのは、「クビ」を覚悟したほどのとりかえしのつかないミスであったにもかかわらず、なぜかその後「事なきを得た」ことだ。

これが約40年前のこと。前述の通り、神戸製鋼の不正は元社員の証言で少なくとも40年以上前から行われていたことが明らかになっているが、安倍首相のつくりだした寸法違いのパイプももしかしたら「誤差の範囲内」あるいは「トクサイ」などという理屈で、そのまま偽装されて出荷されたのではないのか。

まあ、いまとなってはたしかめようもないが、しかし、社員時代の失態とは別次元で、神戸製鋼グループの今回の不祥事は安倍首相とけっして無関係ではない。

神戸製鋼は以前から同様のデータ改竄をはじめ、様々な不祥事を連発し、長年の組織的隠蔽体質が問題視されてきた。1999年には総会屋への利益供与で元役員が有罪判決を受け、2006年には測定データを改竄して環境基準を超える煤煙を排出、09年には山口県の地方議員に違法な寄付をし、昨年にも試験値の改竄が発覚したばかり。しかし、神戸製鋼はこうした不祥事が表沙汰になっても、企業としての責任を深く追及されることもなければ、マスコミに徹底的に叩かれることもなかった。

その理由は、神戸製鋼が“国策企業”だからにほかならない。安倍首相がコネ入社したことからもわかるように、神戸製鋼は政治権力とがっつり癒着し、さまざまな公共事業に食い込み、その力で批判報道や不祥事の発覚をおさえ込んできた。その結果、不正体質は温存され、日本だけでなく世界全体の安全に影響を与えかねないところまで不祥事は拡大してしまったのだ。当然、神戸製鋼を庇護してきた政治にも責任は大いにある。

神戸製鋼は安倍政権の軍拡、武器輸出・原発推進政策で甘い汁

そして、歴代の政権のなかでも、神戸製鋼ともっとも癒着し、利益誘導を行ってきたのが“元社員”の安倍晋三首相率いる安倍政権だった。

たとえば、安倍政権が進めてきた軍拡・武器輸出政策。武器輸出というと、戦闘機や戦車、重火器、ミサイル防衛システム等の分野が注目され、三菱重工や川崎重工、IHI、富士通などのイメージが強いが、神戸製鋼はこうした企業に製品を出荷しており、すでにマスコミ報道で一部の改竄製品が使用されていたとも報じられている。また、防衛省も自衛隊の航空機や誘導兵器、魚雷など一部での神戸製鋼のアルミ製品の使用を確認したと発表しているが、「週刊東洋経済」(東洋経済新報社)2012年1月21月号によれば、神戸製鋼は自衛隊で配備・使用される「需品、科学関連、衛生機材など」も受注している。

周知の通り、第二次安倍政権では防衛予算が過去最大を記録し続けているほか、「武器輸出三原則」を撤廃し、新たに防衛装備庁を発足するなど、武器の輸出入ビジネスを国策化してきた。そして、神戸製鋼もまた、軍需産業の一翼として、こうした政策を後押ししてきたのだ。

実際、安倍政権の武器輸出3原則の見直しは、防衛省よりも、経産省と経団連の要請が大きかったといわれているが、実はその経産省の安全保障貿易に関する制度改革ワーキンググループに、当時の神戸製鋼の専務取締役が参加していたこともある。また防衛省の記録を調べてみると、複数の自衛隊陸将の神戸製鋼への再就職を認める議決文書が存在している他、近年の退官自衛官の再就職先を記す書類にも、やはり一等海佐や一等陸佐が神戸製鋼へ「顧問」として迎えられた事実が記されていた。

神戸製鋼は安倍政権の進める原子力ビジネスの利権にもがっつり食い込んでいる。たとえば2013年、神戸製鋼は福島第一原発をめぐって、使用済み核燃料の貯蔵容器(キャスク)や汚染された備品等の焼却施設の建設を東電から受注している。公表されていないが、受注額はあわせて100億円以上とも報じられた。

とりわけ神戸製鋼グループは、キャスクなどの中間貯蔵施設では世界トップの出荷実績があるとPRしており、原子炉、核再処理、放射性廃棄物処分の分野等と合わせて、公開しているパンフレットでは「原子力産業に貢献する神戸製鋼グループの『オンリーワン』」などと謳いながら、国内外で原子力関連の事業を展開しているのだ。

神戸製鋼幹部と頻繁に会っている安倍首相、「政治とカネ」疑惑も

いずれにしても、神戸製鋼は安倍政権による武器輸出・原発推進政策で甘い汁を吸ってきたことは間違いない。そして、一方で、安倍首相と神戸製鋼は一国の首相と企業の関係をはるかに超えた付き合いを築いてきた。

それは首相動静を調べてみても、明らかだ。安倍首相と神戸製鋼幹部との面会の数は歴代総理と比べて突出している。

たとえば、安倍首相は第一次政権の07年3月10日に神戸製鋼所加古川製鉄所を視察、当時の犬伏泰夫社長らが同行したが、視察は首相たっての希望であり、現場では「工程課厚板係の安倍晋三です」と社員時代の肩書きで挨拶したという(日本鉄鋼連盟ホームページより)。第二次政権では13年8月23日に佐藤広士会長(現相談役)および川崎社長と、14年7月1日にやはり川崎社長らと会食している。今年6月23日にも、神戸市の神戸製鉄所・石炭火力発電所を視察後、川崎社長と食事を行なっていた。

誰がどうみても、“特別扱い”は明らかだろう。しかも、こうした関係は表のものだけではない。

たとえば、2000年以降、神戸製鋼は下関市のゴミ処理施設関の焼却炉施設とリサイクル施設を次々に高額(それぞれ約110億円と約60億円)で受注。焼却炉の維持管理事業も神戸製鋼と関連会社が担っており、当時の江島潔・下関市長(現自民党参院議員)と安倍首相がつながる官製談合疑惑が浮上した。

また2003年には、福岡県の苅田港沖で見つかった遺棄毒ガス弾の処理事業を神戸製鋼が約80億円で落札し、その後、数百億単位の税金が投入されたが、そこでも2007年の防衛省汚職事件(いわゆる山田洋行事件)で収監されたフィクサーのA氏の関与と、A氏が仕切る社団法人の理事を務めていた安倍、そして神戸製鋼のラインが疑われた。さらに07年には、安倍首相の事務所の大家が神戸製鋼の関連不動産会社であり、敷金を免除していたとの疑惑が持ち上がったこともある(安倍事務所は一部報道後に政治資金収支報告書を訂正)。

こうした数々の疑惑はおそらく氷山の一角にすぎない。「自民党が圧勝」「安倍政権は盤石」との情勢が伝えられる解散総選挙だが、もしかすると、選挙後、神戸製鋼問題は安倍政権にとって大きな火種になるかもしれない。

 参考:

神鋼の国内取引6千社超 中小が過半

神鋼、新たな不正次々と 事態収拾見通しなく

神鋼改ざん問題 海外拡大「想定以上」

米司法当局、データ改ざん問題で神鋼に書類要求

 


加計政治問題 さぁ どうする有権者 これでも 安倍自民に投票するのか(認可1年間延長が23日にも設置許可)

2017-10-17 | Weblog

加計学園獣医学部、23日にも認可 同日に孝太郎理事長が記者会見

加計孝太郎理事長。安倍首相にとっては森友学園の籠池前理事長のように逮捕させるわけにはいかない事情があった。 =撮影:筆者=

加計孝太郎理事長。安倍首相にとっては森友学園の籠池前理事長のように逮捕させるわけにはいかない事情があった。 =撮影:筆者=

2017/10/16  田中龍作ジャーナルが政府関係者から入手した情報によると、文科省の大学設置審は衆院選投票日翌日の23日にも加計学園・岡山理科大学獣医学部の設置を認可する方向で最終調整に入った。
 
同日中に加計孝太郎理事長が記者会見を開く。

23日に認可を発表するのは世論が安倍自民大勝に沸く翌日だ。国民が安倍政権を支持したのだから異論は言わせない、という官邸の高圧的な姿勢が はっきりと 表れている。

獣医学部をめぐっては、建設費の水増し請求やバイオハザードの危険性が指摘されているが、衆院選の圧勝を受けて安倍官邸が力でウヤムヤにすることになる。

加計学園は経営悪化で極度の自転車操業となっており、もし獣医学部が認可されなければ倒産するものと見られている。

加計学園を倒産させれば、加計理事長から真相を洗いざらいしゃべられる。それを恐れた安倍官邸が文科省に圧力をかけて設置を認可させた、との見方がある。

文科省高等教育局大学設置室は田中龍作ジャーナルの電話取材に「設置審の開催日程は非公表につきお答えできない。答申があればその日に公表する」と答えた。

建設が進む加計学園・岡山理科大学獣医学部キャンパス。=9月、今治市いこいの丘 撮影:筆者=

建設が進む加計学園・岡山理科大学獣医学部キャンパス。=9月、今治市いこいの丘 撮影:筆者=

http://tanakaryusaku.jp/2017/10/00016799


もうアイドルだって黙っていない! ”若者は保守化していません” ”私達が安倍自民を倒します”

2017-10-16 | Weblog

「安倍は政治を私物化、退陣しろ」「昭恵夫人は無責任」物言う10代アイドルグループ「制服向上委員会」が森友学園問題をぶった斬る!(インタビュー)

 

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制服向上委員会(左:りあん、中央:野見山杏里、右:レイ)

次から次に疑惑が噴出する森友学園問題。小学校の認可申請は取り下げられ、籠池泰典理事長は辞任することになったが、資金の流れや政治家との癒着疑惑に関しては依然として明らかにされていない。


■募る安倍政権への怒り、もうアイドルだって黙っていない!

このような政治の不透明さに対し、ついに市民の怒りが爆発した。さまざまな市民団体が連携して「森友10万人デモ」を緊急結成、3月5日と12日に国会議事堂前で安倍政権の退陣を訴えたのだ。

デモは今後、19日(日)の11~13時にも行われる予定だ。なお、それ以外にも平日には各政党の議員や活動家を招いた集会が開かれており、森ゆうこ議員(自由党)、福島みずほ議員(社民党)、うえにし小百合議員(無所属)、マック赤坂氏(スマイル党)、増山れな氏(芸術家)らもスピーチを行っている。

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デモでスピーチする制服向上委員会の3人

そして一連のデモには、あの人気アイドルグループも参画していた。そう、1992年に結成され、現存する女子アイドルグループとしては最長の歴史を誇り、日本で唯一、アイドルグループとして公式に平和活動に取り組むとともに脱原発を訴えている「制服向上委員会」である!

制服向上委員会は、かねてより自らの公式ブログで森友学園について「子供の心もちゃんと守ってあげる教育が大切なのでは……?」と訴えてきた。もちろん、12日のデモで彼女らは、国粋主義者の街宣車による妨害を受けながらも、議員や市民活動家らとともにラップのリズムにのせてスピーチを成し遂げている。今回筆者は、デモを終えたばかりの制服向上委員会の3人(野見山杏里氏・19歳、りあん氏・15歳、レイ氏・14歳)にインタビューを敢行。安倍政権に対する怒りをぶちまけてもらった。


■アイドルが安倍昭恵に噛み付いた!

――よろしくお願いします。早速ですが、森友学園問題についてのお考えをお聞かせくださいますか?

野見山杏里氏(以下、野見山)  ニュースで、おもらししたら園内放送で怒られ、おしおき部屋もあると聞きました。自分の恥ずかしい話をみんなに暴露されてしまうなんて、どう考えてもやり過ぎです。社会には、心の傷が原因で不登校になる子どももいます。もっと子どもの心を大切にした方が良いのではないでしょうか」

――子どもがどう捉えるかによるでしょうが、確かに物心ついた児童ならば、このような「教育」は精神的虐待になりかねませんね。安倍昭恵夫人についてはどうですか?

野見山  昭恵夫人の対応にしても、「どうして注目されているかわからない」とか、一国のファーストレディにしては、無責任すぎると思います!


■アイドル「安倍は政治を私物化、退陣すべき」

――昭恵夫人の態度・発言も問題ですが、何といっても安倍政権についてはどう思いますか?

野見山  私たちは脱原発、安保法反対を各地で訴えてきました。色んな団体と連携しながら活動して思ったのは、これだけ訴えているのに、なぜ聞く耳を持たないのか?ということです。安倍政権はどれだけ国民の意見に耳を傾けているか、疑問に思います。消費増税にしても、それを社会保障費に使って、透明性があるクリーンな財政なら納得がいきますが、今のままでは税金がどこに使われているのか、不透明な部分が多すぎます。

さらに、安倍首相は自民党総裁の任期を勝手に「連続3期9年」に延ばし、政治を私物化しているのは大きな問題かと思います。

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デモでスピーチする制服向上委員会の3人

ただし、たとえ首相が変わったとしても、今のように大企業と政治の癒着がある限り、体制は良くならないと思います。そして、マスコミにしても、どこかが一つの大きなニュースを報道すると、他の局もずっとそればかり報道し続ける。もっと伝えなきゃならない事がたくさんあるはずなのに、と思います。

りあん氏(以下、りあん)  安倍首相は自分が森友学園と関係した証拠が出たら、責任をとって退陣すると明言していました。週刊誌で森友学園に実際に足を運んでいた事実が報道されましたが、しっかり約束を守っていただきたいです。

――堂々と公権力に対してメッセージを発するアイドルは貴重です。公権力やメディア、右翼団体などからの妨害や嫌がらせはないのでしょうか?

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デモに参加した制服向上委員会の3人

野見山  私たちの活動は市民運動関係のイベントが中心で、普通のアイドルイベントにはあまり呼ばれません。ただ、市民運動関係のイベントとはいえ、もちろん妨害はありますね。

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イベントに突っ込んできた街宣車

2015年に神奈川県大和市で、護憲団体「憲法九条やまとの会」のイベントに参加させていただいたのですが、とある自民党若手市議が私たちに批判的なコメントをしたようで、それから大和市からの後援がなくなりました。

それから、私たちの歌で『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』という曲があるのですが、「脱原発」という言葉がNGワードのようで、駅張り用のポスターが意見広告と見なされて掲示できなかったり、ショッピングセンターでもCD発売キャンペーンを中止に追い込まれました。それに、今日のデモでも妨害がありました。右翼の街宣車がイベントに突っ込んだり。

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ダッ!ダッ!脱・原発の歌/制服向上委員会【PV】

 

■オカルト体験「血まみれの老婆」

――みなさんアイドルだというのに、とても骨太な精神をお持ちなのですね。ところで、トカナとしては、やはり心霊・オカルト体験が気になります。みなさん、今までに不思議な体験をされたことはありますか?

りあん  お母さんから聞いた話なのですが、私が保育園に通っていた頃に「下駄箱の中に(小人のような)血だらけのおばあちゃんがいる」と訴えてきたそうです。自分は覚えていないのですが、物心つくまでは“見えていた”のかもしれません。

――下駄箱の中に血まみれの老婆! 想像しただけでも恐ろしい光景です。では、最後に読者へのメッセージをお願いできますか?

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左:深月ユリア、右:制服向上委員会の3人

野見山  私たち一人ひとりには政治を変える力があります。去年から選挙権が引き下げられ、18歳から認められましたので、私は同世代の若い人達に「選挙に行こう」と訴えたいです。大企業と癒着しない、クリーンな候補者を国会に送り込みましょう!

りあん  政治の話題は日本ではタブーになりやすく、クラスでも話しにくい雰囲気があると思います。もっとオープンに、色んなことを話せる社会になれば、と願います。

レイ氏  プロテストソングや社会へのメッセージを込めた私たちの最新アルバム『嘆きの詩人』が5月にリリースされます。私たちと同じ想いをもつ女の子がいましたら、ご紹介、ご連絡お待ちしています。一緒に活動しましょう!


制服向上委員会
【公式サイト】http://www.idol-japan-records.net/ski/


2017ノーベル文学賞 英作家カズオ・イシグロ氏に ”これが人生 ロックスターを夢見ながら職を転々とした日々”

2017-10-07 | Weblog

2017年ノーベル文学賞の受賞が決定した英作家カズオ・イシグロ氏(62)は、ロックスターになることを夢見た時代を経て、その後にソーシャルワーカーとなり、作家として活躍を始めたのはその後だった。

日本に生まれ英イングランドで育ったイシグロ氏は、家では両親と日本語で会話していたとされる。彼の作品では常にこの二重性が探索され、それが作品に魅力を添えていると本人は語っている。

ロンドン北部にある自宅の庭で開いた5日の記者会見でイシグロ氏は、「私が世界を見るときはいつも、部分的に両親の目を通して見ていた。だから、私には常に日本人としての一面がある」と述べ、「当時それは作家として執筆していた私にとって、とても好都合だった。なぜなら、文学が非常に国際的になり始めていた時期だったからだ」と語った。

1980年代初頭から傑出した作家として活動し続けるイシグロ氏は、8作品を執筆し、さらに映画やテレビの台本も手がけてきた。同氏の作品は世界数十の言語に翻訳され、数多くの賞を受賞している。

だが、同氏は一部の現代作家と比べ、表に出ることはそう多くなかった。

同氏の最も良く知られている作品「日の名残り(The Remains of the Day)」は1989年、英語で書かれた小説を対象とした文学賞としては世界で最も権威がある英「ブッカー賞(Man Booker Prize for Fiction)」に輝いた。同作品は映画化され、アンソニー・ ホプキンスさんやエマ・トンプソンさんらが出演し、オスカーにもノミネートされた。

イシグロ氏は後に、同作品をわずか4週間で書き上げたと語っている。

より最近の作品では、「私を離さないで(Never Let Me Go)」(2005年)と「わたしたちが孤児だったころ(When We Were Orphans)」(2000年)がよく知られている。

■「私は発想があまり豊かでない人間」

ノーベル委員会は5日の授賞発表で、イシグロ氏が一番取り組んでいるテーマは記憶、時間、自己欺瞞(ぎまん)だと述べた。

人もうらやむほどの成功にもかかわらず、インタビューでの姿勢は控えめだ。英紙フィナンシャル・タイムズとの1995年のインタビューでは「私は発想があまり豊かでない人間」「たくさんのアイデアがあるわけではない」と語っている。

また、不安定になりがちな職業にもかかわらず、どうして小説家たちはこれをわざわざ選択するのかとの質問に対しては、「作家が頭のおかしい人たちだとは言いません。私は固定観念が嫌いなので。でも、人という構造体として、何かがずれているのでしょう」と話した。

■執筆の世界に

1954年に長崎で生まれたイシグロ氏は、父親が英国立海洋研究所で研究を始めるにあたり5歳のときに英国に移住した。一時的な滞在の予定だったが、最終的に家族はロンドンから50キロ南西のギルドフォードに移住することになった。

地元の学校を終えた後、カンタベリーのケント大学に入学し、ここで英文学と哲学書を読んだ。

ピアノとギターを弾くイシグロ氏は、ロックスターになることを以前は目指していたが、後にその対象が小説家へと変化していったのだという。

「すごく無関心に聞こえるかもしれないけれど…(執筆は)必ずしもやりたかったことではなかった」とフィナンシャル・タイムズとのインタビューでは語っている。

バルモラル城のライチョウ追い出し係

実際、イシグロ氏は作家になる前にいくつかの職に就いている。例えば、スコットランドのバルモラル城でエリザベス皇太后の催す狩猟会でのライチョウを追い出す係や、グラスゴーとロンドンでのソーシャルワーカーなどだ。

作家としての活動を始めたのは、ソーシャルワーカーとして働いていた時期に休職し、イースト・アングリア大学に入学したことがきっかけとなった。大学院創作学科で学び、その才能が出版社の目にとまったことから契約書にサインするに至ったのだという。

同氏は1982年から作家活動に専念。評論家からの好評価を得ながら商業的にも成功を収めた。

イシグロ氏は5日の記者会見で、日本人としてのルーツを生かし続けることを模索していると述べ、それがおそらくグラフィックノベルといった意外な形になると話した。

「これは自分にとって新しく、日本で漫画を読んでいた子ども時代と再会させてくれることでもあるため、とても興奮している」と語った。AFPBB News

長編小説 出版年
遠い山なみの光英語版 A Pale View of Hills 1982年
浮世の画家英語版 An Artist of the Floating World 1986年
日の名残り The Remains of the Day 1989年
充たされざる者英語版 The Unconsoled 1995年
わたしたちが孤児だったころ英語版 When We Were Orphans 2000年
わたしを離さないで Never Let Me Go 2005年
忘れられた巨人 The Buried Giant 2015年

 

https://twitter.com/hashtag/kazuoishiguro?f=videos&vertical=default&src=hash

 

イシグロ氏、ノーベル文学賞「間違いかと思った」

 

 


作詞家としての活動


 ステイシー・ケント、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞に歓喜

カズオ・イシグロと女性ジャズ・シンガー、ステイシー・ケント、そして彼女の夫でサックス奏者のジム・トムリンソンは約10年前からコラボレーションを続けており、『Breakfast on the Morning Tram』に収録されたトムリンソン/イシグロ楽曲「The Ice Hotel」は2008年にインターナショナル・ソングライティング・コンペティションのジャズ部門で最優秀楽曲賞を受賞している。https://www.barks.jp/news/?id=1000147620

 

The Ice Hotel

 


インタビュー


 月刊文学界 2006年8月号

第6作『わたしを離さないで Never Let Me Go

一種のミステリーとも読める最新作の意図とは?

- 最初に、最近邦訳が出た『わたしを離さないで』について、お聞きしたいと思います。ご存知かもしれませんが、この前来日されたときにあなたにインタビューした、翻訳家の柴田元幸氏が、この作品についてこう書いておられます。「その達成度において、個人的には、現時点でのイシグロの最高傑作だと思う」。これについてどう思われますか。

イシグロ 翻訳本を見ていないので、そのことは知りませんでしたが、お褒めの言葉をいただいて、とても気分がいいですね。ありがたく思います。私は51歳になりますが、とりわけこの年になると、最新作が、少なくとも以前の作品よりも劣っていないという評価を受けていると思うことは、いつも嬉しいものです。小説家が、作品を発表し続けるということは、時には難しいことがありますから、これを励みにしたいと思います。


- これは一切予備知識なしに読んだ方がいい小説だと思いますが、その上であえてお聞きします。『わたしを離さないで』にはクローン技術や臓器移植が主要なモチーフとして埋め込まれています。この作品を読んで、テキサス州にある、ヒヒの養殖場を思い出しました。そこでは臓器移植のためだけに、無薗状態でヒヒが養殖されていますが、昔、ピッツバーグ大学医学部で、ヒヒの肝臓が人間に移植される手術を観察して、長い記事を書いたことがあります。13時間にもわたってずっと観察しましたが、もしその養殖場のヒヒが、人間に置き換えられたら、主人公たちが育つ施設ヘールシャムと同じような場所になりますね。

イシグロ その養殖場のことは知りませんが、へールシャムと同じような場所ではないかもしれません。へールシャムはかなり特殊な場所で、昔ながらの自然農法に相当するようなやり方で営まれていると思います。クローンたちはとても大事に扱われます。ですから、同じようなセンターと比べても、まったく違います。そこで子供たちは、我々が言うところの最高の教育を受けて育てられます。しかも、特定の理由があっての教育です。彼らは自分の運命を知らない上に、自分がクローンであることが何を意味するのかもよくわかっていません。牧歌的な子供時代に近いと言ってもいい。

- この小説のために、特別な世界を作らなければならなかったのですね。

イシグロ そうです。

- 言わば、それ自体で閉ざされた世界ですね。

イシグロ ある程度はそうです。私はこの世界を子供時代のメタファーにしたかったのです。つまり、中にいる人は、外界が十分理解できないということです。子供が生きている、言うならばバブル(気泡)の中に流れ込む情報を、大人たちがかなり慎重にコントロールできる場所です。我々は、もちろんいろいろな点からみても、このような施設の中で成長するわけではありませんが、大人の中で生きていても、子供時代というのは、こういうものだと思います。精神的な面からみると、予供というのは言わばこのようなバブルの中に入れられて、それはまったく正しいことなのです。予供を人生の厳しい現実から守るためです。成長するにつれて自分たちを待ち受けていることについて情報を拾い集め、子供同士でいろいろ話し合うのです。ですからある意味で、物理的に外界から分けられているこのような施設を設定することで私は、子供時代がどういうものであるかを象徴させたかったのです。読者は(子供の気持ちになり)外で何が起こっているのか、と想像するでしょう。それで、へールシャムという場所を作ることに関心を持ったのです。

- これを読むと、外で何が起こっているかわからない、特殊なカルトを思い出します。

イシグロ そうですね。でも私がこの作品で言おうとしたことは、子供時代というのはすべてこういうものだということです。もちろんこれはかなり特殊な状況です。でも、あるレベルで言うと、それは我々の子供時代と同じです。外界で起きていることの多くのことが理解できないのです。言葉だけを聞いても実際にはそれがどういうことを意味するのかわからないのです。あまり経験がないからです。

- ある年齢まではそうですね。

イシグロ ある年齢に達すると、外で起きていることにわくわくし始め、怖くなったりもするのです。大人は非常に慎重に、そのバブルの中に入れるべき情報と入れてはいけない情報をコントロールします。ですから、本の最初の部分では読者に、奇怪なクローンの子供が育てられるとても特異な世界であると感じてほしいのです。そして、徐々にその世界が、我々が予供として経験することにとても似ていることに気づいてほしいのです。子供から大人に向かう、すべてのプロセスがそうです。もちろん本の最後の方では、そういう予供たちも大人になり、年を取ることを受け入れ、死は不可避であり、身体も弱くなり、死んでいくことを受け入れるようになることを言おうとしています。本のどの局面でも、このようなクローンの子供について、奇怪な話があります。私はそれが、普通の人間の人生を生きていく過程の反映になるように、かなり入念に書きました。


これはミステリー小脱ではない

- 読者がどんでん返しを感じたり、物語の先が待ち遠しくなったりするよう全編にしかけをしたのですか。そのことで読者の好奇心を刺激したり、満足させようとしたりしたのでしょうか。

イシグロ 本全体にわたって、奇怪さが絶えず少し存在するようにしましたが、読者を刺激しようとしたわけではありません。読者に、子供と同じ立場に立ってほしかったのです。普通、子供についての本を読む読者は大人で、子供を待ち受ける世界についてすでにわかっています。つまり子供を上から見下ろすところにいるのです。我々は子供がかわいいと思ったり、見下したりします。子供がわかっていないことを、我々はわかっているからです。ですから、この本では、違った効果を作り出したかったのです。大人の読者でさえも、社会のルールが何なのか、皆目見当もつかないほど、変わった世界を作り出したかったのです。

- とても現実離れした世界ですね。

イシグロ その通りです。わかってくれますか?大人の読者にも同じ奇怪さや恐怖のプロセスを経験してほしかったのです。子供や若い読者が経験するのと同じようなことが、徐々に分かっていく過程です。どの局面でも、子供が知る以上に読者に知って欲しくなかったのです。だから、ミステリー感がつきまとうのです。決して読者を刺激しようとはしていません。予供が大人になっていくときに、どのように感じていくのかを読者に再度味わってほしかったのです。そして人生の後になって、大きな疑間が出てくるのです。

- 「わたしの名前はキャシー・H。」と、映画のナレーションの始まりのように、かなり抑制されたトーンで始まりますね。特にはっきりした姓がないので、どういう展開になるか、最初から謎めいた印象を受けます。途中で、読者に種明かしをしますが、いつそれをするかが、かなり重要だと思います。いつ種明かしするかについてどれほど熟考しましたか。

イシグロ いえ、私はそれほど意識的にそのことを考えませんでしたね。自分にとってはそれほど重要ではなかったからです。これは、慎重に隠さなければいけない決定的な情報がある、殺人ミステリーではありません。本を出版して初めて、多くの読者がこの本はとてもミステリアスだと思ったことに気づいたのです。特に書評家が、書評を書くときに、どれだけ明かしたらいいのか、悩んだことに気づいたのです。このことが問題になっていると気づいたのは本当に最近になってからです。私が書いたときは、読者は徐々にわかってくれると思っていたのです。軽いタッチで書けば、読者はこの世界を理解してくれると思ったのです。クローンの話もすぐにわかってくれると思っていました。この小説は最初から読者が結末を知っているかどうかは、重要ではないと思います。一旦答えを知ってしまうと、話がうまく続かなくなるというようなミステリー小説ではないからです。(ミステリー小説のように読もうとすると)あまりにもミステリーの部分が大きすぎて、最初に読んだときは、出てくる人物はどんな種類の人問か、この世界はどのように動いているのか、という問題にはまってしまうでしょう。それで、読者は他の面にそれほど注意を払わなくなります。サスペンス性がそれほど大きな問題になることがわかっていたら、もっと最初の方で事実の部分を明かしていたかもしれません。そうすると読者は他の面やテーマにもっと留意することができたかもしれません。

- 読者にとっても、書評家にとってもその方がよかったかもしれませんね。

イシグロ その問題で自分自身悩んだことがありませんから、気づきませんでした。

- いつ種明かしをするか、読者にできるだけ知らせないようにしたと邪推してしまいました。

イシグロ 読者をひっかけようとしたわけではありません。後になって、初めて、いろいろな人が「そうだ、我々がやっと気づいたのはこの辺だ」と言っているのに気づいたのです。あくまで、子供たちが何が起こっているのか十分に理解していない状態で、大人になるにつれルールがわかってくる世界を描きたかったのです。


「死」とどう向き合うか

- ご存知かもしれませんが、自分の運命や役割に対する、登場人物のどうしようもないほど消極的な生き方に疑間を抱く読者もいます。しかし我々がもし登場人物のような状況に置かれたら、他人の運命のように感じてしまうのではないでしょうか。きっと何も出来ないでしょう。例えば第二次世界大戦の日本の特攻隊やイラクの自爆犯も、自分の運命に疑問を感じません。ここに出てくる子供たちも自問しません。

イシグロ 小説家として、テーマをいろいろな角度から掘り下げていくことができます。この話を書くときに最初に思いついたことの一つは、話の中に“逃亡”を入れることでした。それは誰でも最初に思いつくことです。例えば、搾取されたカーストのメタファー、人間の精神についての話にもできるだろうということに気づいたのです。奴隷と反乱の話です。でもそういう話は書きたくなかった。

私が昔から興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか、ということです。こういう極端なケースを例に挙げましたが、歴史をみても、いろいろな国の市民はずっとありとあらゆることを受け入れてきたのです。自分や家族に対する、ぞっとするような艱難辛苦を受け入れてきました。なぜなら、そうした方がもっと大きな意義にかなうだろうと思っているからです。そのような極端な状況にいなくても、人はどれほど自分のことについ.て消極的か、そういうことに私は興味をそそられます。自分の仕事、地位を人は受け入れているのです。そこから脱出しようとしません。実際のところ、自分たちの小さな仕事をうまくやり遂げたり、小さな役割を非常にうまく果たしたりすることで、尊厳を得ようとします。時にはこれはとても悲しく、悲劇的になることがあります。時にはそれが、テロリズムや勇気の源になることがありますが、私にとっては、その世界観の方がはるかに興味をそそります。別にこれが決定的な世界観だと言っているのではありませんが、このような歪んだ世界観を描くならば、『日の名残り』でも、この作品でもやったように、常にその方向に行く方を選びたいのです。『日の名残り』は、執事であることを超える視点を持ちようがない執事についての話です。我々はこれと変わらない生き方をしていると思います。我々は大きな視点を持って、常に反乱し、現状から脱出する勇気を持った状態で生きていません。私の世界観は、人はたとえ苦痛であったり、悲惨であったり、あるいは自由でなくても、小さな狭い運命の中に生まれてきて、それを受け入れるというものです。みんな奮闘し、頑張り、夢や希望をこの小さくて狭いところに、絞り込もうとするのです。そういうことが、システムを破壊して反乱する人よりも、私の興味をずっとそそってきました。

- 現実に逆らって逃げることはできませんね。それも自分の一部ですから。

イシグロ もちろんそうです。究極的な言い方をすれば、私は我々が住む人間の状況の、一種のメタファーを書こうとしていたのです。幸運であれば、70歳、80歳、恐らく90歳まで生きることができますが、200歳まで生きることはできません。つまり現実には、我々の時間は限られているのです。いずれ老化と死に直面しなければなりません。確かに私は、このストーリーの中で、若い人がかなり早く年を取る状況を人工的に作りました。つまり、彼らが30代になると、もう老人のようになるのです。でもこれは、我々がすでにわかっていることを、別の新しい観点から認識させてくれる方法に過ぎません。人生についての疑問や希望を、我々が実際に直面するものと同じようにしたかったのです。

こういう理由で、登場人物たちを状況から“逃亡”させることには魅力を感じませんでした。奇妙な科学的な操作をして、老化プロセスを逆行させようとしたがっている少数のクレージーな人はさておいて、我々の体がいずれは動かなくなるという事実から逃げることはできません。概して我々はそれぞれ違った方法で死をのがれようとします。死後の世界を信じたり、もっとささいな方法としては、作品を残したり、我々自身の記憶や、人生で達成したものを残したり、我々を愛してくれた人や友人の思い出を残すようなことをするのです。何とかして、ある程度は死を克服することができます。私はこの本の登場人物がそういう観点からしか、死について考えないようにしたかったのです。特にこの本の中心に、真の愛を非常にロマンチックな方法で見つけることができるという希望を置きたかったのです。こういうふうにしても死を打ち負かすことができる、これは、世界中のどの文化をみても存在する、一種の深い神話です。心中する恋人同士などについて、本当にロマンチックな話がたくさんあります。どういうわけか、愛は、死を相殺できるほど強力な力になります。愛があるからと言って、永遠に生きることはできませんが、どういうわけか、愛があると、死がどうでもよくなるのです。私はそれに相当するものがほしかったのです。それゆえ、実際の逃亡、物理的な逃亡には関心がありませんでした。

- 私はこの本は、「人間とは何か」という非常に基本的な問題を提示していると思いました。

イシグロ そうですね。クローンをあつかった効果の一つがそれです。例えば、トルストイやドストエフスキーなど、20世紀初期までの古い文学をみると、「人間とは何か」とか「人間と神との関係とは何か」とか「魂とは何か」について、カフェで議論させるのに、二、三十ページ割いても許されますが、現代文学でそのような会話にそれだけ割けば、読者を当惑させてしまいます。もったいぶった感じや頗る気取った感じがしてしまう。でもクローンを使えば、あるいは、ロボットや、『ターミネーター』に出てくるシュワルツェネッガーのようなサイボーグを使えば、そういう議論をしなくても、読者の頭の中にすぐに同じような問いが出てきます。人間同士とかかわるような方法で、このような創造物にどのように自分を結びつけたらいいのか、と考えるからです。結局のところ、人間とは何かということを考え始めることになります。魂とは何か。このコンピュータには魂があるか。こういう仕掛けは、サイエンス・フィクションから来たものだと言えますが、私のような小説家が、文学の中でずっと音から投げかけられてきた古くからある問いに戻ることに役に立つのです。


二度の執筆中断

- 物語の時間設定を未来ではなく、非常に近い過去に置いたのは、サイエンス・フィクションというレッテルを貼られるのを避けるためですか。

イシグロ サイエンス・フィクションというレッテルを貼られても気にしませんが、この作品を何かの予言であると誤解してほしくありません。「おー、これはこのまま幹細胞研究を続けると、50年後には社会でこういうことが起こるんだというような警告だ」と読者に言われたくありません。その誤解は避けたい。さっきも言いましたが、メタファー的な面をより強調したかっただけです。これは、我々がこういうふうに生きているという形の歪んだ鏡であることをここで明確にしておきます。もちろん好みの問題でもありますが。将来、車がどういう形になっているとか、カップ.ホルダーやカフェがどういう形になっているか、というようなことを想像することに関心もなければ、気力もありません。こういうことに興味をそそられる人もいますが、私にはまったく関心がないことです。これが、未来に時間設定するのを避けた、もう一つの理由です。

- イギリスが、世界初の哺乳類の体細胞クローン羊であるドリーを誕生させ、世界を仰天させた事実は、あなたのインスピレーションと関係あるのですか。

イシグロ ほんの偶然にすぎません。というのも最初に書き始めたのは1990年ですから。この本を書くのに3回の試みをしています。最初は書き始めて、結構早くに中断しました。私が「学生」と呼ぶ著者についての話が頭に浮かんで書き始めたのです。「学生」と呼んだものの、大学もなければ、教授もいませんが。彼らは『わたしを離さないで』の半ばに出てくるような、イギリスの田舎の農家に住んでいました。でもクローンではなかった。当時はクローンを仕掛けとして使うことを思いつかなかった。この著者たちが、核兵器や原予力に接触することになるのです。これで彼らの運命が翻弄されるのですが、そこからうまく話が続かなくなりました。いろいろな筋を考えたのですが、ひどく稚拙で、あきらめました。二回目の試みは、90年代の半ばですが、うまく行かず断念しました。2000年になって初めて、核兵器の方向を完全に捨てることを決意して、三度目の挑戦をしたのです。当時イギリスでは確かにクローンや幹綱胞研究について、侃々講々の議論が起こっていました。ウィルムット教授がドリーというクローン羊を作ったからでしょう。私はこういう議論に普通は興味をそそられません。科学の最新の発展もフォローしていません。でも当時、これこそジグソーパズルの最後のピースだと突然頭にひらめいたのです。冷戦時代に育った私の世代の典型的な発想である核兵器のアイデアをいっそのことやめて、クローンなど、科学上の発展の観点から考え始めれば、自分が言いたいテーマがきちんと伝えられる話が書けると思ったのです。本当にちょっとしたブレークスルーだった。それで、三度目にクローン人間という発想が浮かんだのです。施設の外で生きている他の人が長生きするのに役に立つように、施設の人がただ医学的な理由だけでクローンを作るという考えが浮かび、すべてがすんなり行きました。

- ということは、何年間も熟考して完遂したのですから、今達成感を味わっていますね。

イシグロ それは別に珍しいことではありません、他の作家も同じような経験があると思います。作家や映画制作者に聞けば、わかりますが、彼らは、あるプロジェクトが終わってから、新しいプロジェクトをゼロから始めるというのではありません。長年の間、アイデアがずっと頭に浮かんでいて、あることがきっかけで、その瞬間にすべてが収斂することがあるのです。それはよく起こることです。それで完成するのです。私も何年も漫然と頭に浮かんでいる、いろいろなアイデアがたくさんあります。生煮えのアイデアや小さなアイデアです。まだうまくまとまりません。ですから、必死に集中してやり抜いたというのではありません。私が今まで書いた本は、ほとんどどの本も長年脳裏にあった要素やアイデアが入っています。ですから、ある意味では、書き始めて中断しても落胆しません。15~20年経てば、無駄になっていないことがあるからです。半年間書き続けて中断しても、無駄にならないからです、今までやったほとんどのことが、後になって役に立つことが.わかっています。

- アイデアを孵化させるのに時間が必要だということですか。

イシグロ 時間的な問題だけではありません。時代や変化する世界とも関係があると思います。あるアイデアがあっても、そのアイデアとそのとき生きている世界との関係とか、一体自分は誰なのか、という問題がうまくかみ合わないとだめですね。あるとき、そのアイデアを今こそ使うときだとひらめき、さらに豊潤なものへと開花するのです。この作品と同じようなものがもっと前に書けたと思いますが、人間として未熟であった私には意味があったようには思えません。もう少し年を取って、時間の経過に意識的になる必要があったと思います、またある意味では、若い人のことを書けるようになるには、年を取る必要があったのです。まだ若いときは、年を取った人の観点から書くことを楽しんでいました。それと同じことだと思いますね、それは人生について新たなる視野を持つ一つの方法です。若い人について書くには、年を取る必要があると思います。


小説作法について

それでは、小説作法についてお伺いしたいと思います。ポール・オースターにインタビューしたときに、彼は、同じく作家である妻のシリ・ハストヴェットの言葉を引用して、こう言っていました。「小説を書くということは、実際に起こらなかったことを思い出すようなものだ。その意味で、小説を書く方がノンフィクションを書くよりもはるかに難しい」。このコメントに同意されますか。

イシグロ 「実際に起こらなかったことを思い出す」というのは本当に興味深いコメントだと思います。まさにその意味で小説を書き始めたからです。若いときは、作家になる野心はまったくありませんでした。ミュージシャンになりたかったのです。実際に小説を書き始めたときは、自分でも驚いたほどです。自分がどうして小説を書くようになったのかと振り返ってみると、最初に書き始めたときの主な動機がまさにそうであることに気づくのです。つまり自分にない記憶を何とかして書き留めることです。

私は日本で生まれましたが、5歳のときに日本を離れたので、イギリスで育ったのと同じです。幼い時の日本の思い出しかありまぜんが、その思い出が私にとっての日本を象徴するのです。もちろんイギリスで育っているとき、ずっと日本社会はどういうものか、とか日本はどんな国かというのを想像していたと思います。ですから、20代の半ばにはもう、日本に対するイメージが完全に出来上がったと思います。それは、ある程度は記憶に基づくと思っていたのですが、実際は違いました。小説家が経験するように、架空のプロセスをすでに経ていたのです。それで日本に対するイメージを完全に作りあげていたのです。しかし、私がそれをやったのは、小説を書こうとしたからではなく、単純に、西欧で育ちながら、感情は日本とつながって魅せられたままでいるという子供のときの状況があったからです。今まで小説を書いたときも、「私の日本」を書こうとしたのです。それは常に自分がやっていないことを思い出そうとするようなものでした。それは記憶と想像の奇妙な混合です。小説家が実際にすることにかなり近いと思います。彼らは架空の世界を想像します。たとえ、リアリズムのモードで書いていてもそうです。自分の世界を創っているのです。自分の中の宇宙を、現実的な世界に押し付けているのです。もちろんポール・.オースターのように、現実からはっきり切り取られた世界を作り出す作家もいます。それでもかなり現実的に見えます。本当に小説としてうまく行くのは、現実の世界に、作家自身の世界が重なっているからだと思います。だからそういう小説を我々は高く評価するのです。

- イシグロさんは想像力を羽ばたかせて書くのでしょうか。

イシグロ それほど羽ばたかせませんね。私は、かなり抑制の利いた作家です。私が小説を書くときは、何に想像力を使うかということについてはかなり慎重です。常に最初にテーマを思いつき、それから登場人物の関係を考えます。自分の想像力には、かなり明確な仕事を与えます。「ほら、このページは空白だ。自分の想像から何かクレージーでワイルドなことが出てくるか試してみよう」とは言いません。多くの作家がこうやってすばらしい小説を書き上げているのはわかっていますが、私の場含は一そろいのテーマが先にあって、それをかなり集中したやり方で探求します。一つや二つのテ-マを完膚なきまで探求するのです。それで、自分の想像力を稼動させて、「これがきみの仕事だ。どうだ、何かできるかね」と想像力に聞くのです。常に大枠があって、その中で、「これをいかにして表現するか、どのようなシーンがこのことを表すことができるか、いかにしてまとめるか」を絶えず考えます。即興的に「次はどこに行けるか」と考えることはしません。

- あなたは小説もノンフィクションも読みますか。

イシグロ 両方読みますね。ノンフィクションもたくさん読みますが、リサーチのために読むことが多い。といっても直接自分が書いている小説のためではないことが多い。今は、最近イギリスとアメリカで出版されたPostwar(戦後)という、歴史家のトニー・ジュットが書いた本を読んでいます。戦後の時代についての歴史書として非常におもしろい本です。小説を書き始めたのはもう25年も前になりますが、その頃同時代的に体験したことがまさに第二次世界大戦の余波であったと気づいたのです。大事件がたくさん起こりました。第一次世界大戦、第二次世界大戦、その後も小さな戦争がずっと起こっています。第二次世界大戦から半世紀以上経って、歴史的事件が数多く起きたことを再認識しています。私の世代の多くの人もそうだと思いますが、まだ世界をみるときに、戦後の歴史の観点からみることが多い。最近になってようやく、第二次世界大戦の影としてではなく、最近起こったことを単独で理解しようとしています。その形やパターンを実際に見ることは非常に重要だと思うからです。もちろん第二次世界大戦はものすごく重要ですが、現在起こっていることを第二次世界大戦に関係なく、理解し始めないといけないと思います。それで、現代史に関する本をたくさん読むようにしています。

(中略)


舞台設定をどう決めるか

- 先ほど、『わたしを離さないで』のテーマについて説明されましたが、読者には、前の作品からみるとかなり次元的飛躍をしているように思えます。かなりのギャップですね。そうではないのですか。

イシグロ 私はそのようには感じません。外側から見ると、話の表面があまりにも異なっているので、かなりのギャップを感じるかもしれません。多くの点で、その表面だけをみると、人は、日本に舞台を設定した本と比べてかなり飛躍したと主張するでしょう。『日の名残り』は舞台をイギリスにしましたが、それを飛躍と考えた人もいました。The Unconsoled (邦訳『充たされざる者』)という変わった作品を書きましたが、それはすべてのことが夢のロジックに合わせて作用するのです。読んだ人の中には、『日の名残り』から、かなり大きな飛躍だと思った人もいます。表面的にみると、私は、常に同じ舞台設定を使うタイプの作家ではありません。他の作家で同じ舞台設定を使いながら、磨きに磨きをかける人もいますが、私にとっては、言わば舞台設定は、単なる技術の一部であり、たいした決意でもありません。まずテーマと主人公の関係を抽象的に決めて、ある感情が特定のことを表すようにしますが、そういう話をもっともよく表に出すにはどういう舞台設定がいいかを決めるのです。ナポレオンの時代に設定した方がうまく行くのか、キューバ革命の間に起こったとした方がうまく行くのか、まともじゃないように聞こえるかもしれませんが、実際にそのように考えるのです。ロケハンに行くかのように、ある舞台設定で小説を書き始めて、途中でまったく違う設定に変えたこともあります。逆に私の二作目と三作目(『浮世の画家』と『日の名残り』)はほとんど同じだ、舞台設定が日本かイギリスかの違いだけだと言った人もいます。その言い方はいささか辛辣かもしれませんが、そこにある程度真実があることも確かです。

私に関して言えば、舞台設定との関わりは、他の多くの作家と異なっています。小説技法上の理由で、かなり大きな飛躍をするのです。『わたしを離さないで』の場合、歴史上でふさわしい時点を見つけることができずに、サイエンス・フィクションのような設定になったのです。歴史上で、場所や時間の点から見て、現実的な設定を見つけることができませんでした。だから、それとは違う、いささか幻想的な設定になったのです。クローンや臓器提供のプログラムの世界がうまくテーマに合ったのです。底流にあるテーマは、今までの作品ととても類似しています。先ほども話しましたが、我々が自分の運命を受け入れ、その運命から尊厳を育てていこうとするといったテーマは同じです。『わたしを離さないで』では、寿命が想像以上に短いという背景に、友情や愛について人々が抱く希望などについてもテーマに入れています。こういうことに私は本当に関心を持っています。人生はとてもはやく過ぎていく。さっと手元から抜けるほどはやく過ぎていく。もっともいい機会を簡単にムダにしてしまう。こういうことも常に私の作品の中に見られるテーマです。舞台設定が異なってもそうです。

- その設定の変化を、自分自身のためにも読者のためにも楽しんでおられるようですね。

イシグロ まあ、心の奥底では、表面はそれほど重要ではないと思っています。表面は装飾の一部です。私に激しく反論する人もいるでしょうが、私にとっては、そうであるからこそ、小説は、表面について事実を報道することが非常に重要な、ノンフィクションの作品や歴史書やジャーナリズムの作品と異なるのです。私の場含は小説という手段に訴えます。表面の下にあるメタファーや神話が言いたいからです。表面の下に隠れている普遍的なストーリーが言いたいからです。カウボーイの話になるかもしれないし、17世紀のフランスに舞台が設定されるかもしれません。舞台設定は私にとってそれほど重大ではないのです。私が問うのは、底流にあるヒューマン・ストーリーです。だから小説や映画が大好きなのです。そこに事実や歴史上の詳しい解説を求めているのではありません。そういう事実が知りたい場合は、歴史本や立派なジャーナリストが書いた本を読みます。小説を書いているときは、舞台設定は重大ではありませんが、テーマを十分に伝えるものである必要があります。もちろん設定する舞台は読者を惹きつける、魅力的なものにしたいと思っています。読者には、舞台の雰囲気やムードを十分味わってほしいと思っていますが、それが小説を書く理由ではありません。
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日本への思い

- イシグロさん自身のことについて、おききしたいと思いますが、国籍は日本と二重国籍を持っておられるのでしょうか。

イシグロ 残念ながら、日本は二重国籍を許しません。イギリスは許しますが、もし日本のパスポートを持とうとすれば、だめですね。少なくとも私がイギリス国民になったときは、100パーセント日本人になるか、日本のパスポートを捨てるかどちらかでした。今でもそうだと思います。人生のある時点で決意しなければなりませんでした。最終的には感情的には日本ですが、すべての実用的な理由から、私はイギリス国籍を選びました。もしアフリカで困ったことになれば、日本大使館ではなく、英国大使館に行かねばなりません。日本大使館に行っても、理解してもらえませんが(笑)。

- 両親から離れたのはいつですか。ある年までは両親と住んでいたのですね。

イシグロ 大学までです。それが普通みんな親から離れるときです。もちろんそれ以降も長い間、親のところに戻って、一緒にいた時期もありましたが、基本的には大学から親と離れて、しばらくスコットランドに住んでいました。親と同居しているときも、一人で長い間旅をしたこともあります。

- ご両親と話すときは、日本語を使うのですか。

イシグロ 今でもそうです。電話で話すときも、とても下手な日本語で話しますね。5歳の予供の日本語です(笑)。私がしゃべる日本語は、日本語であることがわからない日本語です(笑)。かなり古臭い、子供の日本語です。5歳のときから凍結した日本語で、それに英単語がたくさん混じります。

- ご両親はまだイギリスに住んでいるのですか。

イシグロ サーリーに住んでいます。

- イシグロさんは35歳になった1989年まで日本にもどりませんでしたね。

イシグロ その通りです。

- どうしてですか。自分の運命を変えることはできなかったのでしょうか。

イシグロ 当時は今と比べて旅行するのが非常に難しかったと言わざるを得ません。今ほどは簡単ではありませんでした。私が10代になるまでに、日本はとても物価の高い国になり、若造が日本まで行くのに十分なお金を貯めることは非常に難しかったのです。また18歳、19歳になったときに、旅に出るのに十分なお金を貯めたのですが、私はアメリカに行きました、当時の私の夢は常にカリフォルニアに行くことでした。というのもその頃サンフランシスコは若者にとって、流行の場所でした。私の世代の若者はみんなそうでしたが、あちこちに旅しました。アムステルダムや他のヨーロッパの場所にも行きました。ヨーロッパ中ヒッチハイクをし、さらにアメリカとカナダの西海岸を3ヶ月間もヒッチハイクしました。当時は日本に行きたいという気持ちになったことはありません。もっと後になって、23、24歳くらいだったと思いますが、その頃になって初めて、日本にとても関心を持つようになりました。それで、自分の小説で日本について書くプロジェクトを始めたのです。私は日本についての小説を書き終わるまで、日本に戻らないという決意を意識的にしました。本当の日本が、自分の脳裏にある日本に干渉をすると思ったからです。私のプロジェクトは、自分の日本が脳裏から消える前に、小説に安定的に書き留めておくというものでした。ですから、本当の日本に行くということは、それを混乱させることになるでしょう。だから日本に行かなかったのです。自分版の日本を温存したかったのです。小説家として、日本を書き終えて初めて、日本に行きたくなりました。それで戻ったのです。それはすばらしい経験でした。でもそれは脳裏にあった日本とは異なっていました。

- 失望したのですか?

イシグロ 失望したのではありません。私が日本だと思っていたものは、あくまで長崎のことだと気づきました。それは日本の他の部分と全く違っていました。長崎の記憶は私にとっては子供の世界であり、それに「日本」という名前を与えたのです。5歳のときに離れて以来初めて長崎に着いたときは、ずっと想像していたものに近かった、すべての丘を思い出すことができたし、昔いた古い家にも行きました。近所も昔のままでした。近所の人もみんな子供のときの私のことを覚えていてくれました。私もいろいろな場所を覚えていました。幼稚園への行き方も覚えていました。幼稚園の昔の先生にも会い、近所の年寄りの人にも会いました、そうして初めて、本当の記憶が蘇ってきたのです。でももちろんほとんどの時間は京都か東京にいました。そこはまったく異国でしたね。

- もしずっと日本で育っていたら、小説家になっていたと思いますか。

イシグロ そうは思いませんね。家族の誰も作家になっていませんし、叔父は京都大学の教授で、国際弁護士でした。父親は科学者で、もう一人の叙父は住友のビジネスマンです。私の家族には作家のような仕事をした人は誰もいません。私が作家になったのは、私が日本からの「亡命者」であることに大いにかかわっています。そして、常に、日本人である両親の目を通してイギリスという国を見たので、自分の周りの社会とも距離を置いて育ったことにも関係があります。友人のすべてが正邪として考えていたことを、私はイギリスのネイティブの変わった風習であるとみていたのです、距離を置いて、イギリスをみていたということです。そういうことも作家になる上でプラスに働いたと思います。

- 外国に住んでいる日本人の両親は、子供にバイリンガルを維持してほしいがために、日本語の学習を強要しますが、ご両親はそういうことはなかったのですか。

イシグロ 両親は決して強要しませんでしたね。恐らく当時はそれがほとんど不可能だったからだと思います。私の家族がイギリスに来たのは、1960年であることを考慮しなければなりません。我々以外に日本人はいなかったのです。日本人コミュニティがなかったのです。今日本からイギリスに来ると、日本人は日本人学校に入れるので、日本語を勉強することは可能です。でも昔は非常に難しかったのです。母親はある程度日本語を教えてくれましたが、あるとき両親は、それはよくないと決意したのでしょう。もし私が漢字やカタカナを覚えるための教育を受けていたら、歪んだものになっていたと思います。それで両親は日本語を私に押し付けなかったのです。多くの点から考えると、そのことに私は感謝しています。特に日本語の読み書きをやるとなると大変な苦労ですから。

- 今日は長いインタビューに応じていただき本当にありがとうございました。

(2006年5月10日、ロンドン、ヒルトンホテルにて)

 

 

 


世界は仰天 麻生の”難民皆殺し”発言 そして世界は納得 南京大虐殺は真実だった、と

2017-09-25 | Weblog

 

「北の難民の射殺検討」麻生氏発言に非難殺到

日本の麻生太郎副総理兼財務相が23日に行われた講演会で「有事の際、北朝鮮の難民の射殺も検討」と発言

麻生副総理は23日に宇都宮市内で行われた講演会で「朝鮮半島から北朝鮮出身の難民が大量に日本に押し寄せる可能性があり、武装難民が混じっているかもしれない」「警察で対応するのか、自衛隊、防衛出動か。射殺すべきなのか、真剣に考えた方がいい」と述べた。

 これに対し、元外務省官僚で防衛大教授を務めた孫崎享氏は自身のツイッター(短文投稿サイト)で「麻生副総理の狂い様、常軌を逸する」として「世界のどこに難民を射殺する国があるか」と非難した。孫崎氏は「(麻生副総理は)本当にナチ崇拝者だ」とも述べた。

 有名コラムニストの小田嶋隆氏は「これまで何度かあった失言とはレベルが違う。根本的にあり得ない」として「全方向的に弁護の余地が全くない。救いようがない」と批判した。

 作家の中沢けい氏は「(麻生副総理が)難民対策を全く考えていなかった証拠」だとして「洞察力が全くなく、政治家としての資質に欠けている」と麻生副総理を非難した。

「自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)」の元メンバーが立ち上げた新団体「未来のための公共」も公式ツイッターに「欧州では難民をどう受け入れるか試行錯誤してきたのに、安倍政権はまず射殺するか考えるそうだ」と書き込んだ。

武装難民、射殺にも言及 麻生副総理、北朝鮮有事で  2017/9/24 共同通信  

 

駿河台大学教授井上久士訳『南京事件資料集2中国関係資料編』p297-306によると、

谷寿夫率いる日本軍第6師団は、中国軍の強力な抵抗に対してその恨みを晴らそうと入城後計画的な虐殺をおこない報復した。先鋒部隊の谷部隊は12月12日暮方、中華門を攻略し、虐殺が始まった。翌13日朝、中島・牛島・末松などの部隊と南京市各地区に分かれて大規模な虐殺、放火・強姦・略奪をおこなった。安全区の外国人は抗議したが、日本軍指導者は放置した。 虐殺がひどかった時期は12月12日から12月21日までで、中華門外の花神廟・宝塔橋・石観音・下関の草鮭峡などで日本軍は集団射殺し、遺体を焼却し証拠隠滅を図った。この虐殺による中国軍人・民間人の犠牲者は19万人余で、このほか遺体を慈善団体が埋葬したものが15万体余りあり、合計30万人余となった。


海外メディアも大きく報道

Japan says it could SHOOT those fleeing North Korea if World War 3 breaks out

THE DEPUTY Prime Minister of Japan has said armed forces may be forced to shoot thousands of North Korean refugees fleeing the country in the event of World War 3.

9/24 Express.co.uk/news

Taro Aso made the shock comments at a press conference in Utsunomiya, north of Tokyo.

He questioned whether police would be able to handle a mass influx of people fleeing war in North Korea, before making his extreme suggestion.

He said: “Can police handle them? 

"Will the Self-Defence Forces be dispatched and shoot them down? 

"We'd better think about it seriously.”

Mr Aso claied as many as 100,000 North Korean refugees could arrive along the Sea of Japan coast, and that some of them could be armed. 

The question of if and where to take in refugees also needed to be discussed, he said. 

Mr Aso added: "It's a politician's job to think of (emergency) response. It may not be an event in the distant future."

The question of what would happen in the event of war toppling the Kim Jong-un regime has been raised many times before, and is one of the main reasons China is keen on calming tensions between Pyongyang and Washington.

Beijing, like Tokyo, fears a refugee crisis should the US eventually attack North Korea, and prioritises stability above denuclearisation. 

But the rhetoric between US President Donald Trump and North Korean leader Kim Jong Un has become increasingly inflammatory, and stepped up a gear this week at the UN General Assembly in New York. 

The President's threat to "totally destroy" North Korea was met by an unprecedented personal address by Kim, who promised to "tame" Mr Trump "with fire", calling him a "dotard". 

In responding to what he saw as the US President’s “insult” over his "rocket man" jibe, the Foreign Minister Ri Yong Ho said that it made “our rocket’s visit to the entire US mainland inevitable all the more.”

 

 


ジェットストリーム 心の旅路 妻亡きあと

2017-09-06 | Weblog

「お連れ様はどちらですか?」妻に先立たれた男性、客室乗務員の対応に…

半世紀以上も連れ添った妻に先立たれた、横浜市の知人男性からこんな話を聞いた。

男性は葬儀を終えた後、故郷である佐賀県唐津市の寺に納骨するため、羽田空港から空路、九州へと向かった。

遺骨を機内に持ち込めることは知っていた。

でも入れたバッグがかなり大きく、念のため搭乗手続きの際に中身を伝えた。

機内に乗り込み、上の棚にバッグを入れて席に着くと、客室乗務員がやって来てこう言った。

「隣の席を空けております。お連れ様はどちらですか?」

搭乗手続きで言ったことが機内に伝わっていたのだ。

男性が「ああ、上の棚です」と説明すると、乗務員はバッグごと下ろしてシートベルトを締めてくれた。

飛行中には「お連れ様の分です」と飲み物も出してくれたという。

「最後に2人でいい“旅行”ができた」と男性。

その表情を見ていたら、こちらも温かい気持ちになった。 

西日本新聞

 

ジェットストリーム

 

 

 


日本のテレビ ”下手な役者に薄っぺらい脚本、ベタな演出、そして ”(デーブ・スペクターが語る)

2017-08-23 | Weblog

下手な役者に薄っぺらい脚本、ベタな演出、そして、プロダクションへの忖度――。

日本のドラマ業界が抱える数多の問題点を、各局の情報番組でコメンテーターを務めるデーブ・スペクター氏が敢えて喝破する。

***

僕は日本のテレビ番組すべてがダメと言ってるワケではありません。ニュース、バラエティ番組は世界的に見てもレベルが高いと感じています。ただ、ドラマだけは本当にひどすぎる。20~30年前と比べて進歩するどころか、どんどんクオリティが下がっている。特に問題なのは役者の演技力。僕もテレビ業界で仕事をしてるから、あんまり厳しいことは言えませんが……。まぁ、演技のレベルはあらゆる先進国のなかでもぶっちぎりで最悪だと思いますね。

もちろん、なかには面白いと感じるドラマもあるんです。「家政婦のミタ」みたいに伝えたいテーマのハッキリした、ハイコンセプトな作品は欠かさず観ていました。役所広司や樹木希林、桃井かおりをはじめ、芝居のうまい役者もいる。名作として印象に残っているのは97年にTBS系で放映された「青い鳥」ですね。主演した豊川悦司と夏川結衣の不倫逃避行を描いているんですけど、オーバーな演技は一切なく、どのシーンも抑制が利いていて画面から緊張感が伝わってきた。でも、どうして20年も前のドラマを取り上げるのかと言えば、それ以降、大人の鑑賞に堪える欧米型のドラマが作られていないからです。

連ドラに出演する役者の8割は、とにかく芝居が大げさで「わたし、いま演技してまぁす!」と顔に書いてある。それに、喋り方が不自然だからセリフに集中できない。以前から不思議に思ってるんですが、日本の役者はセリフの途中に奇妙な間を一拍置くんです。「なんで、そういうことを、言うんだ、君は?」といった感じで。あと、セリフの語尾で息を吐きますよね。「この前さ(はぁー)、どうして(へぇー)」、と。溜めを作って聞きやすくしているつもりかもしれないけど、セリフが隙間だらけで素人っぽい印象しか残らない。だって、僕らが会話をする時に、そんな勿体ぶった喋り方しないでしょ。その上、すぐに感情を剥き出しにして怒鳴る。大声でセリフを叫ぶことが、気持ちのこもった演技だと勘違いしてるんだろうね。

とはいえ、役者だけを責めるのはかわいそう。何しろ、日本のドラマに出演してるのは、芝居経験に乏しい、モデルやアイドル上がりの素人同然の芸能人が多すぎるから。制作スタッフも大変ですよ。撮り直す時は、「こっちの技術的なことで、もう一回お願いします!」と言うんですけど、本当は芝居の技術が足りないだけ。しかも、厳しく指導して女優に泣かれたら面倒だし、どっちみち良くならないから、適当なところで切り上げる。これで傑作ができると思いますか。

僕は単に日本のドラマの悪口を言いたいワケではありません。むしろ、素晴らしい作品を生み出すために建設的な議論がしたい。それだけに、いつまで経っても下手な役者を使い、海外ドラマに学ぼうとしないテレビ局のドラマ作りの姿勢には失望してるんです。

実は、欧米ではここ10年ほどテレビドラマの「黄金時代」が続いています。

火付け役となったのは99年にスタートした、現代版「ゴッドファーザー」と言うべき骨太な群像劇「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」。それ以降、ケビン・スペイシーが製作総指揮を務めた政治ドラマ「ハウス・オブ・カード」や、圧倒的なオリジナリティが魅力の「ブレイキング・バッド」といった話題作が続々と登場しています。第一次大戦前後を舞台に貴族と使用人の人間模様を描く、イギリス発の「ダウントン・アビー」は、世界で最もヒットしたドラマになりました。そして、「ゲーム・オブ・スローンズ」は言うまでもない。

正直、こうした海外ドラマは制作費も映画並みなんですが、作品の完成度はもはやハリウッドを凌駕している。映画業界全体が儲からなくなったせいで、ハリウッドが手掛けるのは海外でもウケやすい大味なアクションや、コミック原作ばかり。僕もかなりの映画好きだったけど、いまや映画館に足を運ぶのは年に2、3回程度。一方で週5~6本の海外ドラマを欠かさず観ている。それくらい、いまの海外ドラマは面白い。たとえば、「ブレイキング・バッド」のストーリーはこうです。末期がんを宣告された田舎町のサエない化学教師が、障害を抱える息子に財産を残すため覚醒剤の密造に手を染め、闇社会とのトラブルに巻き込まれる――。

こんなドラマを日本のテレビ局がゴールデンタイムに流せますか? 

しかも、これだけ型破りなストーリーなのに、徹底的にリアリティーを追求していて、主人公の息子役には実際に脳性麻痺で下半身が不自由な俳優をキャスティングしている。その結果、一般的には無名な役者しか出演していないのに、アメリカで社会現象を起こすほどの大ヒットを記録したわけです。もう日本とはドラマを取り巻く環境が全く違う。
 
ジョージ・クルーニーの出世作となった医療ドラマ「ER」では本物の看護師を役者として使い、手術シーンで現実と同じ動きをさせる。オペ中の会話も医学用語をそのまま使って臨場感を演出するんです。刑事ドラマにも必ず元警察官をキャスティングしますね。

日本でも医療ドラマが流行ってますけど、テレ朝の「科捜研の女」では主演の沢口靖子の白衣が、まぁ、パリッとしてキレイなこと。過酷な職場なはずなのに、いつ見ても白衣にノリが効き過ぎてるせいで現実味がありません。他のドラマで気になるのは、子役の衣装がオシャレすぎること。ふつうの家庭は、子供に毎日新品の服なんて着せないって!「ブレイキング・バッド」の主人公なんてL.L. BeanやGAPのヨレヨレのシャツしか着ない。細部へのこだわりがないとドラマ全体のリアリティーをぶち壊してしまうんです。

プロダクションとの癒着を断つ

最近は日本でもCSやBS、HuluやNetflixで日常的に海外ドラマを観ることができます。海外ドラマを観慣れてくると、日本との差は一目瞭然。下手な役者に薄っぺらい脚本、ベタな演出、安っぽい映像技術と、日本のドラマには負の要素が詰まってる。しかも、予算は削られる一方でしょ。知らぬが仏を決め込んでいるのはテレビ局関係者だけです。

では、日本のドラマが欧米に追いつくにはどうすればいいか。

それにはまず、役者を変えることです。無名でも芝居のできる俳優をキャスティングすれば間違いなくドラマの質は上がる。しかも、演技の下手な「大物」や「アイドル」を外せば予算も浮きます。

でも、それができないワケです。

原因は、日本のドラマがキャスティング先行で進められるから。テレビ局がドラマ制作で大事にしているのは、視聴者ではなく芸能プロダクションとの関係です。テレビ局の幹部がプロダクションに接待されて、「うちの子、頼みますよ」と言われたら断れない。加計学園と同じで忖度なんですよ。それで「大抜擢」されるのは、演技力どころか一般常識もないカワイイだけのタレント。スターバックスのバイト面接でも落ちるような、ね。結局、テレビ局がプロダクションの意向を汲んで「大抜擢させた」だけのこと。バラエティ番組と変わらない仕組み。

少し考えれば、この体質がおかしいことは誰にでも分かります。一流の寿司屋が接待攻勢を受けたからといって、マグロの仕入れ先を変えますか? それで店の評判が落ちたら客が離れてしまう。こんなことが続けられるのはテレビ業界だけでしょう。本当に有難いですね、視聴者に感謝しないと。

アメリカではテレビ局幹部の給料がもの凄く高いから、そもそも接待文化がない。彼らはプライベートな時間をムダにして接待に付き合ったりはしません。仕事が終われば帰宅して、家族と一緒にドラマを観ています。それが日本だと、制作現場は深夜1時過ぎまで撮影と編集に忙殺され、幹部になれば平日は毎晩のように接待、休みはゴルフ。日本で誰よりもテレビを観ていないのはテレビ局関係者なんです。もちろん、海外ドラマを研究して、演出やカット割りを学ぼうなんて考えもしない。

ですから、日本のドラマの質を上げるには、まずテレビ局とプロダクションの癒着を断ち切らないとダメ。テレビ局は2年間、ドラマの制作から手を引いて海外ドラマだけを流す。そして、携帯電話の番号を変えてプロダクションとの縁を切る。さらに、これまで接待されていた時間を使って海外ドラマを本気で勉強する。そこまでしてくれるなら、僕はいくらでも応援します。

(日本のテレビは2年間ドラマ制作をやめよ――デーブ・スペクター 新潮45 2017年9月号掲載から)

文:デーブ・スペクター(放送プロデューサー)
米国ABC 放送のプロデューサーとして来日。アメリカをはじめとする海外の情報や映像等を日本に紹介している。09年度にオリコン「好きなコメンテーターランキング」第1位を獲得。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


チンコロ野郎の安倍 高校生のスピーチを恐れ 口封じにでる

2017-08-21 | Weblog

管理人:チンコロ野郎とは、ヤクザ用語で、人間として器量がない、小物であるという卑下の意味である。

長崎市の市民団体「高校生平和大使派遣委員会」は、1~5月に「高校生平和大使」の選考会を15都道府県で開き、約500人の応募者から22人(高校1~3年の男性2人、女性20人)を選んだ。1998年から毎年派遣しており、今年で20代目だ。

22人は広島や長崎で研修を受けた後、8月20~23日にジュネーブの国連欧州本部を訪れ、核兵器廃絶を求める署名21万4300人分を国連軍縮局に届け、代表の高校生が国連軍縮会議でスピーチするはずだった。

ところがである、チンコロ野郎の安倍は日本の平和に向かって一途な高校生の想いを踏みにじる卑劣な行動にでたのである。実際、高校生らは純粋だった。被爆者らと面会し聞き取った生の声を代弁すべく一生懸命だった。平和祈念式典で恥じらいもなく、一字一句違わぬ前年の“コピペ”を読み上げる安倍とは大違いだ。高校生諸君、この安倍ヤクザ政権の仕打ちを一生忘れないことだ。

高校生平和大使演説見送り 核禁止条約への言及懸念か

平和大使たちは核兵器禁止条約への共感を示しており、関係者は「日本政府が署名しないと明言する条約について演説で言及されることを懸念したのではないか」と指摘した。

ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部は「今年は軍縮会議の議事上、適当でないと判断した」と説明した。

高校生平和大使は今月二十一~二十二日にジュネーブの国連欧州本部などを訪れ、二十二日に軍縮会議を傍聴する予定だが、過去三年連続であった演説は予定されていない。

関係者によると、大使を派遣する市民団体「高校生平和大使派遣委員会」が今年も軍縮会議での演説を打診したところ、外務省の担当部局である軍備管理軍縮課から「今回は難しい」と回答があった。明確な理由の説明はなかったという。

 cf:

若い世代で核廃絶を 高校生平和大使結団式 NNNニュース

第20代高校生平和大使が決まりました! 実行委員会

 http://peacefulworld10000.com/archives/3384

高校生平和大使 アホの安倍に”原爆も原発も根は一緒”と説く

http://blog.goo.ne.jp/mapjp/e/a07103b3b498d2cd4e141de93c3eef8e


高校生平和大使の核廃絶演説中止の背後に安倍腹心の軍縮大使…集団的自衛権にも暗躍した防衛官僚が軍縮会議の代表者に

スイスのジュネーブ軍縮会議で「高校生平和大使」による演説が見送られたことが波紋を広げている。

高校生平和大使は、日本の高校生が国連に赴き、核兵器廃絶を訴える活動。1998年に始まり、近年では2014年から3年連続で核兵器廃絶の演説の機会が与えられ、ジュネーブ軍縮会議の本会議で高校生がスピーチを行っている。また、活動20年目にあたる今年は、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指すための署名が過去最高の21万4300筆も集まった。

8月17日には、高校生平和大使に参加する長崎県の高校生3人が田上富久長崎市長を表敬訪問。軍縮局幹部の前での演説を予定していた女子高生が「微力ながらも、世界に核兵器の廃絶を精いっぱい訴えてきたい」と抱負を語っていた(毎日新聞8月18日長崎版)。

ところが、その核廃絶の願いを届ける高校生の演説が、今年は不可解なことに、直前で白紙になってしまったのだ。

いったい何が起きたのか。

当初、高校生平和大使は22日に国連へ決議文を提出し、軍縮会議の場でスピーチをする予定だったが、共同通信によれば、18日に急遽取りやめとなったことが判明。軍縮会議日本政府代表部は「今年は軍縮会議の議事上、適当でないと判断した」としている。

一方、東京新聞は〈関係者によると、大使を派遣する市民団体「高校生平和大使派遣委員会」が今年も軍縮会議での演説を打診したところ、外務省の担当部局である軍備管理軍縮課から「今回は難しい」と回答があった。明確な理由の説明はなかった〉と報じている。

つまり、日本政府側が高校生平和大使側に、説明もなくストップをかけたというのだ。

20日付けの西日本新聞では、引率する元教師が取材に対し「正式に見送りを伝えられたわけではないので何とも言えない」とした上で、「政府が反対している核兵器禁止条約を平和大使が『推進すべきだ』と主張してしまうことを、外務省側が恐れたのではないか」と推測しているが、実際、そういうこととしか思えない。 

対米従属の先兵だった元防衛官僚を軍縮大使にした安倍政権

周知の通り、日本は“唯一の被爆国”であるにもかかわらず、核保有国であるアメリカなどとともに、核兵器禁止条約に反対の姿勢をとり続け、交渉にすらも参加しなかった。今月7日の国連採択後も日本政府として「署名しない」と明言するなど、世界の潮流である核軍縮へ強固に反発している。

さらに安倍首相は、今年の広島と長崎での平和式典でも露骨な態度を見せた。松井一実広島市長が「日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と求め、田上長崎市長が「核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません」と強く批判したのを尻目に、安倍首相はあいさつで核兵器禁止条約に一切言及しなかったのだ。

そう考えてもやはり、今回の高校生平和大使の件では、政府側が強くプレッシャーをかけて、高校生による国連での核廃絶スピーチを阻止したと考えるのが自然だろう。

さらに、このスピーチ取り止めには、軍縮会議日本政府代表部大使(軍縮大使)の人事が関係しているのではないか、ともいわれている。

この軍縮大使というのはその名のとおり、ジュネーブ軍縮会議の日本政府代表なのだが、昨年12月の人事で、その責任者に安倍首相と近い防衛官僚の高見沢将林氏が就任していたのだ。

軍縮大使に外交官ではなく、元防衛官僚が就任するのは異例中の異例。

実際、ここ20年をみても、民間から起用された猪口邦子氏(現・自民党参議院議員)を除いて全員が外務省出身者だった。

しかも、高見沢氏は昨年の退官まで、一貫して日米安保畑を歩んだ元エリート防衛官僚で、第二次安倍政権では安全保障担当の内閣官房副長官補として官邸入りするなど、安倍首相の覚えがめでたい人物。

集団的自衛権の行使容認を議論する首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の事務局を仕切り、2014年の閣議決定の際には高村正彦・自民党副総裁や横畠裕介・内閣法制局長官らとの「秘密会合」で政府案を練り上げたほか、日米安保体制=対米従属の固定化を目指す安倍政権の裏方をつとめてきた。 

軍縮大使は民主党時代、米国に沖縄基地を県外移転しないよう提言していた

その高見沢氏がいかに“日米安保の権化”であるかを示す、こんなエピソードもある。沖縄の基地負担減を目指した民主党政権が、米軍普天間基地の「県外移設」を掲げた際、当時、防衛政策局長だった高見沢氏が、2009年10月、当時のキャンベル米国務次官補に「(民主党の県外移設案に)あまり早期に柔軟性を見せるべきではない」と耳打ちしたことが、ウィキリークスが公表した米国の公電によって明らかになっている。

また、1996年の辺野古代替施設建設の日米交渉時には、オスプレイの配備を念頭に置きながらも、地元側に明言しないよう米側と想定問答集を調整したとされるなど、高見沢氏は米側を慮る日本政府の方針を陰に陽に実行に移してきた。

こうした経緯を踏まえれば、安倍政権が高見沢氏を軍縮大使に異例の起用をしたのは、あきらかに核兵器禁止条約に反対する米側と歩調をあわせ、国連でのネゴシエーションや国内の世論調整を担わせるためだろう。

今回の高校生平和大使の演説取りやめも、その延長線上にあると考えるべきだ。もっとも、高見沢氏による直接の指示があったかは現段階では不明だが、少なくとも、安倍政権のもとでは、市民が核兵器廃絶の思いを述べる機会さえ奪われてしまうことは間違いない。こんな政権が被爆国にふさわしいのか、わたしたちはいま一度よく考えるべきだろう。2017/8/22 リテラ

 

特命全権大使・軍縮会議日本政府常駐代表

 

髙 見 澤    將    林 髙 見 澤 將 林 (たかみざわ のぶしげ)
(昭和30年9月 長野県 生)

特命全権大使
軍縮会議日本政府常駐代表

昭和52年    上級職国家公務員試験(法律)合格
昭和53年  3月 東京大学法学部卒業
  4月 防衛庁(現・防衛省)入庁
平成7年 8月 防衛庁防衛局防衛政策課信頼醸成・軍備管理企画室長
平成11年 7月 防衛庁防衛局調査課長
平成14年 8月 防衛庁防衛局防衛政策課長
平成16年  7月 防衛庁長官官房審議官
(兼)情報本部副本部長
平成17年  8月 防衛庁横浜防衛施設局長
平成19年  9月 防衛省運用企画局長
平成20年 1月 防衛省防衛政策局長
平成23年 8月 防衛省防衛研究所長
平成25年 7月 内閣官房副長官補
平成28年 12月 軍縮会議日本政府代表部 特命全権大使
 

http://www.disarm.emb-japan.go.jp/itpr_ja/About_us_jese.html

 


安倍の人事後遺症、まったくやる気をそぎ落とされる 御用メディアも“過去の人”扱いに

2017-08-20 | Weblog

やる気感じられぬ安倍首相 

広島、長崎挨拶でも力入らず

(写真・時事通信フォト)

内閣支持率低迷や、読売新聞1面に〈首相「3選望まず」6割今の総裁任期まで *1〉という見出しが躍るなど、安倍晋三・首相の求心力が低下している。

そうした中、「『ポスト安倍」レースでも一歩抜け出した』などと岸田文雄・自民党政調会長をこれまで“親安倍メディア”といった見られ方をされていた読売新聞や産経新聞が持ち上げだしている。

政治ジャーナリスト・野上忠興氏が語る。

「読売や産経は主張の近い安倍政権中枢に食い込んで情報を得てきたが、当分続くと思われていた安倍政権に突然、終わりが見えてきた。次に反・安倍の石破(茂)政権ができると、これまでのように情報が入ってこなくなる可能性があるから、“岸田政権誕生”にも保険をかけておこうという計算でしょう。

もっとも、肝心の岸田氏は約5年間の外相時代も重要な外交懸案に成果らしい成果を上げていない。日朝関係は拉致問題の解決どころか逆にミサイル危機が高まり、ロシアとの領土交渉も進展がない。評価する材料が乏しいから〈安定感は抜群〉(産経)など、抽象的な持ち上げ方しかできないのがわかる」

そんな“後継者”がフレームアップされればされるほど、安倍首相が応援団メディアから“過去の人”扱いされつつある様子が鮮明になってくる。

その安倍首相は内閣改造後、これまでとは人が変わったように自信と「やる気」が感じられなくなった。

自ら「結果本位の仕事人内閣」と名づけた組閣人事が終わると、首相は広島(6日)と長崎(9日)*2で原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨んだ。

広島でのあいさつの冒頭、「原爆死没者」を「原発」と読み違えたのを訂正したあと、こんなくだりが続いた。

〈真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。(中略)そのため、あの悲惨な体験の「記憶」を、世代や国境を越えて、人類が共有する「記憶」として継承していかなければなりません。昨年、オバマ大統領が現職の米国大統領として初めて……〉

この挨拶文は長崎でもほぼ同じ内容。一字一句違わぬ部分ばかりの、いわゆる“コピペ”だったしかも、祈念式典の挨拶文は毎年新たに書き換えられるはずが、今年は半分近くのワードが昨年の流用だったのである。

官邸のスピーチライターも投げやりなら、そんな原稿を通した官邸幹部たちも、気にせずに読みあげた安倍首相も仕事に身が入っているとは思えない。原因は人事失敗の後遺症にあるという *3。

自民党元役員が語る。

「改造人事では伊吹文明・元衆院議長らが入閣を固辞したと伝えられているが、そんなもんじゃない。総理が白羽の矢を立てた大臣候補に次々に断わられ、組閣本部ではA4判の紙に書かれた名前がどんどんバツで消され、1枚じゃ足りなかったという」

内閣改造で心機一転どころか、泥船の安倍政権に「乗り込みたくない」という党内の本音を思い知らされて、いわば“思考停止”に陥っているとの見方である。

※週刊ポスト2017/9月号

*1

首相の「総裁3選望まず」6割…読売・早大調査

読売新聞社と早稲田大学現代政治経済研究所は、政治意識に関する全国世論調査(郵送方式)を共同実施した。

安倍首相にいつまで首相を続けてほしいと思うかを尋ねると、「自民党総裁の今の任期が切れる2018年9月まで」41%と「すぐに退陣してほしい」23%と合わせ、総裁3選を望まず、今の任期内での退陣を求める人が6割を超えた。「党総裁の次の任期が切れる21年9月まで」は16%、「なるべく長く続けてほしい」は14%だった。8/10 Yomiuri

*2

「あなたはどこの国の総理ですか」

安倍晋三首相は九日、長崎市内で被爆者五団体の代表らと面会した。代表らが、七月に国連で採択された核兵器禁止条約への署名を求めたが、首相は広島原爆忌に続き「ゼロ回答」。参加者からは「直接訴えれば何か発言してくれると思ったが、肩透かしを食らった」と落胆の声が上がった。 

長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(77)は、五団体を代表して首相への要望書を手渡す際に「あなたはどこの国の総理ですか。今こそあなたが世界の核兵器廃絶の先頭に立つべきです」と同条約への署名を迫った。

要望書は、禁止条約への不参加に「長崎の被爆者は満腔の怒りを込め、強く抗議する」と明記。同時に安全保障関連法や「共謀罪」法制定、首相(自民党総裁)の九条改憲発言への危機感も盛り込んだ。

これに対し、首相は、核兵器のない世界の実現には核兵器保有国と非保有国の「双方の参画が必要だ」と従来の主張を繰り返した。改憲発言などへの懸念には全く触れなかった。8/10Tokyo

*3

福田元首相、安倍政権を批判 「国家の破滅近づく」

福田康夫元首相は2日、東京都内で共同通信のインタビューに応じ、学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画や「森友学園」への国有地払い下げなどを踏まえ、安倍政権下の「政と官」の関係を批判した。「各省庁の中堅以上の幹部は皆、官邸(の顔色)を見て仕事をしている。恥ずかしく、国家の破滅に近づいている」と述べた。2014年に発足した内閣人事局に関し「政治家が人事をやってはいけない。安倍内閣最大の失敗だ」との認識を示した。中央省庁の公務員の姿勢について「官邸の言うことを聞こうと、忖度以上のことをしようとして、すり寄る人もいる」などと指摘した。8/2 Jiji


国民をバカにしてきたトランプ氏と安倍氏 

支持率急落に共通点

日米の政権中枢を長くウォッチしてきたジャーナリストの落合信彦氏はいま、現政権の先行きに関して極めて悲観的なスタンスをとっている。
* 
44%から、36%へ。55%から、35%へ。

何の数字か、分かるだろうか。

前者は、トランプの今年1月から直近までの支持率の変化だ。

後者は……もう分かっていただけたと思う

(トランプ大統領の支持率はワシントン・ポストとABCテレビの共同調査、安倍首相の支持率はNHK調べ)
 
トランプと安倍が仲良く大統領専用機「エアフォースワン」に乗り、27ホールも一緒にラウンドして「互いに信頼関係を築いた」と蜜月を演出していたのはおよそ6か月前のことである。

そこから、これまた仲良く支持率を落としたわけだ。

2人とも本人や家族、側近に次々と疑惑が噴出し、「暴言」「失言」で国民の心が離れていくところまで、悲しいことにそっくりである。

トランプは、就任後半年の支持率としては戦後最低の数字となった。それでもこの男はツイッターで、「この時期に支持率40%程度なのは、悪い数字ではない」「まぁ、大統領選挙の時に、やつらの世論調査が一番間違っていたけどな!」と強弁した。

安倍は、メディアによっては20%台まで下がった支持率を受けて、さすがに「国民の信頼回復に向けて努力を重ねる」と殊勝な物言いをしたが、ここまで信頼を失ったのは、「どうせ加計問題も森友問題も、誤魔化し通すことができる」と、トランプ同様に国民をバカにしてきたからだ。

ここまでそっくりなトランプと安倍、最後は2人仲良く辞任するという結末を迎えるのではないか。

※SAPIO2017/9月号


 


無念の旅立ち

2017-07-18 | Weblog

俳優の砂川啓介(さがわ・けいすけ、本名・山下啓一=やました・けいいち)さんが11日に亡くなったことが18日、分かった。80歳。東京都出身。砂川さんは「ドラえもん」の声で知られる大山のぶ代(83)の夫。

通夜、葬儀・告別式は、すでに密葬で執り行われた。

大山は08年に脳梗塞を発症。その後、認知症と判明し、砂川さんは15年5月に会見を開いて大山の認知症を公表、介護を続けていた。また、自身は13年に初期の胃がんの手術を受け、さらに16年6月の講演会では同4月に尿管がんの診断を受け、大山が老人ホームに入所したことも明らかにしていた。
15年に発売した著書で、壮絶な介護生活をつづった「娘になった妻、のぶ代へ」では、大山に「病気の君を置いて先には死ねないよ」と伝えていたことを記していた砂川さん。大山さんを置いての無念の旅立ちとなった。

【写真】認知症後初めて公開される現在の大山のぶ代。15年8月に自宅で撮影

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6247336

 


安倍辞めろ!!!  本日 4大都市で一斉蜂起 夫婦そろって批判に聞く耳持たず 

2017-07-09 | Weblog

 国民運動のうねり

安倍政権に退陣を求める緊急デモ #MarchForTruth


 

アベヤメロ緊急集会 新宿東口アルタ前 #RALLYFORTRUTH 2017年7月9日


 

 

 

安倍辞めろ!!!   

全国一斉蜂起 安倍退陣求め

中学生以下の知的レベルしかない安倍に「こんな人たち」と指さされたことへの怒り爆発

2017/7/9 20:25 田中龍作ジャーナル 

人々は、中学生以下の知的レベルしかない首相に「こんな人たち」と指さされたことへの怒りを ぶちまけて いた。=9日夕、新宿アルタ前付近 撮影:田中=

7月9日夕、新宿アルタ前付近 撮影:田中=

東京都議選最終日(1日)の秋葉原で、安倍首相が「こんな人たち…」と指さした人々が、一斉に立ち上がった。

安倍首相の退陣を求め、きょう夕方、全国の主要都市(東京、大阪、名古屋、福岡など)でデモをかけたのである。呼びかけは#安倍政権に退陣を求める緊急デモ実行委員会。

東京は新宿が舞台となった。デモ隊は小池知事が君臨する都庁前を出発。買い物客などで賑わう新宿通りや西新宿を練り歩いた。

「安倍は辞めろ」「政治の私物化絶対反対」「稲田も辞めろ、金田も辞めろ」・・・安倍首相への怒りのシュプレヒコールが果てしなく湧きあがった。

デモの列は大蛇のごとく うねりながら 続いた。安倍政治がこれまで庶民を苦しめてきたことへの当然の反応だ。

「安倍は辞めろ」の叫びが地鳴りとなって日曜日の新宿に響いた。=9日夕、新宿3丁目付近 撮影:島崎ろでぃ=

「安倍は辞めろ」の叫びが地鳴りとなって日曜日の新宿に響いた。=9日夕、新宿3丁目付近 撮影:島崎ろでぃ=

安倍首相の首人形を手にしているのは、山梨県から足を運んだ男性だ。北杜市の県道交差点で首人形を持って毎朝スタンディングする。

2015年6月から始めた。初期の頃は「お前なんか共産党だろ」とヤジが飛んでいたが、最近は手を振ってくれるようになったという。「雰囲気が明らかに変わってきた」。男性はにっこり笑った。

「レイプもみ消し政権はいらない」のプラカードを手に持つのは、神奈川から参加した女性(30代)だ。

「安倍政権がやったことでこれが一番悪い。マスコミは取り上げて欲しい」。女性はキッと目を吊り上げた。

年老いて歩く体力がない人は歩道上からデモ参加者にハイタッチした。歩道上にもプラカードが並んだ。

「安倍首相は一刻も早く辞めてほしい」。2017年7月9日、老いも若きも男も女も、日本中の人々が安倍首相の退陣を求めて蜂起したのである。

長蛇の列。デモ隊の先頭に立つと最終梯団は見えなかった。=9日夕、都庁前付近 撮影:田中=

長蛇の列。デモ隊の先頭に立つと最終梯団は見えなかった。=9日夕、都庁前付近 撮影:田中=

 

 

 


安倍の街頭演説 やじに共謀罪適用し 「こんな人達」に見せしめを 

2017-07-06 | Weblog

都議選。秋葉での街頭演説に「辞めろ」とやじを続けた一般聴衆。それに逆ギレし「こんな人達」呼ばわりで発狂した安倍。ところが、親が親なら安倍チルドレンも異常だ。自民2回生工藤彰三は、やじの一般聴衆を政治テロリストと決めつけ「共謀罪」を適用し逮捕するよう求めたフェイスブックの投稿に、「いいね!」の賛同ボタンを押し続けていたという。

http://www.kahoku.co.jp/naigainews/201707/2017070601001672.html

 

見せしめ排除


「籠池・強制排除」が示す暗黒の近未来

 

こんな人達 


 

都議選 アキバに響いた「安倍辞めろ」王様は裸だった

安倍首相の後ろで拍手する自民党議員。キム・ジョンウンの後ろで拍手を送る北朝鮮高官のようだ。=1日午後4時45分頃、秋葉原 撮影:田中=

安倍首相の後ろで拍手する自民党議員。キム・ジョンウンの後ろで拍手を送る北朝鮮高官のようだ。=1日午後4時45分頃、秋葉原 撮影:田中=

不都合な人物は排除し、自分に批判的な言辞は受け入れない・・・安倍政治の本質を凝縮した光景が繰り広げられた。

東京都議選はきょうが最終日。夕方、安倍晋三首相が秋葉原で自民党候補の応援演説に入った。街頭での演説はこれが初めてだ。場所はAKBカフェ前。首相が愛して止まないアイドルグループのグッズ販売などでおなじみだ。

首相は加計疑惑や強引な国会運営をめぐって、ヤジが飛ぶことを恐れていたと伝えられている。このため警察の警備は厳重を極めた。

警察から強制排除される籠池前理事長。この国は表現の自由どころか、演説を聞く自由も奪うのだろうか。=1日午後4時30分頃、秋葉原 撮影:田中=

警察から強制排除される籠池前理事長。この国は表現の自由どころか、演説を聞く自由も奪うのだろうか。=1日午後4時30分頃、秋葉原 撮影:田中=

森友学園の籠池前理事長が会場にいたところを、私服警察官に見つかり、力づくで排除された。籠池氏は安倍首相から寄付された100万円を懐に入れていた。

カネを返そうとすると、この国では予防拘禁されるのだろうか? 

午後4時過ぎ。街宣車の正面に位置する場所に「安倍辞めろ」の横断幕がひるがえった。タテ4m、ヨコ5mくらいの大横断幕だ。自民党スタッフたちが党のノボリ旗を連ねて隠そうとした。

首相の到着30前頃から「安倍辞めろ」の横断幕がひるがえった。=1日午後4時頃、秋葉原 撮影:島崎ろでぃ=

首相の到着30前頃から「安倍辞めろ」の横断幕がひるがえった。=1日午後4時頃、秋葉原 撮影:島崎ろでぃ=

上に政策あれば下に対策あり。市民グループは横断幕を右に移動させた。「安倍辞めろ」コール、「帰れ」コールが交互に繰り返された。

安倍首相の到着が近づくにつれコールの声は大きくなる一方だった。制服警察官と自民党職員は抑えようと前に立ちはだかった。

「安倍辞めろ」の横断幕を隠すために自民党青年局のノボリ旗が数えきれないほど登場した。「臭い物にフタ」。安倍政治の姿がよく表れていた。=1日、午後4時30分頃、秋葉原 撮影:田中=

「安倍辞めろ」の横断幕を隠すために自民党青年局のノボリ旗が数えきれないほど登場した。「臭い物にフタ」。安倍政治の姿がよく表れていた。=1日、午後4時30分頃、秋葉原 撮影:田中=

タイミングを合わせるように、日の丸の小旗を持った青年数人が横断幕の下に乱入してきた。青年たちは「安倍辞めろ」の横断幕を引きずり降ろそうとした。市民グループが横断幕をしっかりと握りしめて手放さなかったため、最後まで横断幕はひるがえったままだった。

自民党のノボリ旗を立てた青年らが、街宣車の後ろからゾロゾロと湧くように出てきた。ヒットラーユーゲントかと見紛うほどだ。

日章旗の小旗を持った青年たちが、横断幕を引きずり降ろそうと乱入してきたため、現場は一時騒然となった。=1日午後4時30分頃、秋葉原 撮影:田中=

日章旗の小旗を持った青年たちが、横断幕を引きずり降ろそうと乱入してきたため、現場は一時騒然となった。=1日午後4時30分頃、秋葉原 撮影:田中=

「帰れ、帰れ」「安倍辞めろ、安倍辞めろ」のコールは最後まで途切れることはなかった。記者クラブメディアにチヤホヤされてきた安倍首相にとっては衝撃だったことだろう。「王様は裸だ」と知らされたのだから。

「マスコミはちゃんと報道しろよ」。ある聴衆が報道陣に向かって声をかけた。きょうの事件をメディアがありのままに伝えれば、あす投票の選挙に少なからぬ影響を与えるだろう。

籠池夫人の姿も会場にあった。「昭恵さん・・・」と叫んでいた。=1日午後4時頃、秋葉原 撮影:島崎ろでぃ=

籠池夫人の姿も会場にあった。「昭恵さん・・・」と叫んでいた。=1日午後4時頃、秋葉原 撮影:島崎ろでぃ=