宇宙人の独り言

「宇宙人の世界」へようこそ!!
本ブログのテーマは、「UFO」と「宇宙人」と「人類の歴史」をみなさんと考えることです!

臨死共有体験

2012年05月27日 | 日記
『臨死共有体験』 ヒカルランド レイモンド・ムーディ/ポール・ペリー 著 堀天作 訳


本書は、「臨死共有体験」について解説したものです。これは死にゆく当人ではなく、そのかたわらで看護していた人などが共に体験した驚異の世界についての研究です。

かつて1975年にレイモンド・ムーディ博士が著した『かいまみた死後の世界』(Life After Life)は、人が死んだときの体験=「臨死体験」の諸要素を初めて明らかにした研究書として、世界的ベストセラーになりました。あれから数十年の研究を経て、ムーディ博士は、ポール・ペリーと共に、新たに本書を世に問います。

本書のカバーには、こう書かれています。

空間の変容/形容しがたき光の出現/霧・靄の出現/この世のものでない美しき音色……そして死にゆく者の人生を寄り添う者が共にフラッシュバックで見る(体験共有者の全く知らないものを含む)――天的世界(別次元)の扉がひらくその瞬間

本書には、臨死共有体験の証言がたくさん紹介されています。その多くの体験者は、空間の変容を語っています。例えば、宇宙の裂け目が生じ、そこからこちらの世界へ光が差し込んで来るという表現をしています。これは、私たちの住むこの物質世界の背後に、目に見えない世界(次元)の存在を確信させます。ムーディ博士自身も母の死に際して、自ら経験した臨死共有体験を書き記していて、説得力を持って迫ってきます。

ちなみに、スイスの精神科医、カール・ユングは『死後の生命』と題する随筆の中で、人間の精神の少なくとも一部は、空間と時間の法則から解き放たれていると書いています。世界を完全に理解するには、もう一つ別の次元を知る必要があると言っています。


次に、臨死体験の共通した要素がすべて含んでいる一つの臨死体験モデルを記します。

「わたしは瀕死の状態にあった。物理的な肉体の危機が頂点に達した時、担当の医師がわたしの死を宣告しているのが聞こえた。耳障りな音が聞こえ始めた。大きく響きわたる音だ。騒々しくうなるような音といったほうがいいかもそれない。同時に、長くて暗いトンネルの中を、猛烈な速度で通り抜けているような感じがした。それから突然、自分自身の物理的肉体から抜け出したのがわかった。しかしこの時はまだ、今までとおなじ物理的世界にいて、わたしはある距離を保った場所から、まるで傍観者のように自分自身の物理的肉体を見つめていた。この異常な状態で、自分がついさきほど抜け出した物理的な肉体に蘇生術が施されるのを観察している。精神的には非常に混乱していた。

 しばらくすると落ちついてきて、現に自分がおかれている奇妙な状態に慣れてきた。わたしには今でも「体」が備わっているが、この体は先に抜け出した物理的肉体とは本質的に異質なもので、きわめて特異な能力を持っていることがわかった。まもなく別のことが始まった。誰かがわたしに力をかすために、会いにきてくれた。すでに死亡している親戚とか友達の霊が、すぐそばにいるのがなんとなくわかった。そして、今まで一度も経験したことがないような愛と暖かさに満ちた霊――光の生命――が現われた。この光の生命は、わたしに自分の一生を総括させるために質問を投げかけた。具体的なことばを介在させずに質問したのである。さらに、わたしの生涯における主なできごとを連続的に、しかも一瞬のうちに再生して見せることで、総括の手助けをしてくれた。ある時点で、わたしは自分が一種の障壁(バリアー)とも境界ともいえるようなものに少しずつ近づいているのに気がついた。それはまぎれもなく、現世と来世との境い目であった。しかし、わたしは現世にもどらなければならない、今はまだ死ぬ時ではないと思った。この時点で葛藤が生じた。なぜなら、わたしは今や死後の世界での体験にすっかり心を奪われていて、現世にもどりたくはなかったから。激しい歓喜、愛、やすらぎに圧倒されていた。ところが意に反して、どういうわけか、わたしは再び自分自身の物理的肉体と結合し、蘇生した。

 その後、あの時の体験をほかの人に話そうとしたけれど、うまくいかなかった。まず第一に、想像を絶するあの体験を、適切に表現できることばが全然見つからなかった。それに、苦労して話しても、物笑いの種にされてしまった。だからもう誰にも話さない。しかし、あの体験をしたおかげで、わたしの人生には大きな影響を受けた。特に、死ということについて、中でも、死と人生との関係に関するわたしの考え方に、大きな影響を受けた」(以上、レイモンド・A.・ムーディ・Jr.著『かいまみた死後の世界』評論社刊より)

以上


永遠の別世界をかいま見る 臨死共有体験(超☆わくわく)
堀 天作
ヒカルランド
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欧米日やらせの景気回復

2012年05月25日 | 日記
『欧米日やらせの景気回復』 徳間書店 副島隆彦 著


本書は、副島隆彦氏の『「金ドル体制」の終わり』(詳伝社)の続編として書かれた本です。
本書には、昨年(2011年)10月から今年の3月までの6カ月間のギリシャ財政破綻問題、アメリカとEU,ユーロ圏、欧州情勢のウラの動きを詳しく解説されています。そして今後の展望も予測されています。次の項目を読むだけで、何がどうなっているか、だいたいの流れがつかめるのではないかと思います。

●潰れるはずのヨーロッパの大銀行はなぜ生き残ったのか
●この円安・株高は巧妙に仕組まれたものだ
●世界規模で行われた無限の資金供給
●オクトーバー・サプライズで10月にイラン爆撃が実行される
●″強いドルの復活で″、ドルを95円まで上げる
●ゴールドマン・サックスのジム・オニールが日本株高を仕掛けた
●やらせの景気回復で日経は13000円に
●株は上がるだろうが、副作用も激しく出てくる
●ユーロはヨーロッパの「生活通貨」になった
●高橋洋一氏の親分はバーナキンFRB議長
●本当にCDSは決済されずに塩漬けになったのか
●″協調ジャブジャブマネー″で本当に経済は回復できるのか
●ジャブジャブ・マネーの恩恵を受けるアメリカ経済
●ヨーロッパは500兆円を処理しなければならい
……

大きな項目は次のとおりです。

第1章 ″世界協調ジャブジャブ″が始まった
第2章 金融の世界はなぜ様変わりしたか
第3章 ユーロ危機はまだ終わらない
第4章 アメリカに操られる日本経済
第5章 これから富裕層が″一網打尽″にされる

以上


欧米日 やらせの景気回復
副島隆彦
徳間書店
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水が答えた「般若心経」

2012年05月21日 | 日記
『水が答えた「般若心経」』 ソレイユ出版 江本勝 著


本書は、「般若心経」266文字を構成する、50の文言を水に見せた結晶写真集ともいうべきもので、珍しい作品です。本書に掲げられた50枚の結晶写真は、どれもたいへん美しく、1枚1枚の各写真に著者の短い解説文が添えられています。著者の江本氏は、般若心経の解釈よりも、この宇宙創造の共通の尺度である「美しさ」をもって、この本を作ろうと思ったと語っています。

いい言葉、いい音楽、きれいな写真、純粋な祈りを水に見せたり、聞かせたり、捧げたりしたときには、必ず美しい結晶を観察できるといい、逆の場合には、醜い結晶を観察するという結果になるそうです。

江本氏は、それらの結果を、写真集『水からの伝言1』(1999年)、『水からの伝言2』(2002年)、『水からの伝言3』(2004年)、『水からの伝言4』(2008年)として波動教育社から出版しています。2001年11月に『水は答えを知っている』(サンマーク出版)が、解説本として出版されました。

江本氏のこれらの本は、日本はもとより、広く海外において話題となりベストセラーとなったのです。そして江本氏の研究は、海外において非常に高く評価されています。

以上


水が答えた「般若心経」
江本 勝
ソレイユ出版
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超巨大[宇宙文明]の真相

2012年05月17日 | 日記
『超巨大[宇宙文明]の真相』 徳間書店 ミシェル・デマルケ 著 ケイ・ミズモリ 訳


本書の著者、ミシェル・デマルケ氏はオーストラリア在住で、1987年に肉体を伴う外宇宙へのアブダクションを体験した。その体験をありのままに綴ったものが本書だ。全豪でベストセラーにもなった。偶然手に入れ本書を読んだが、内容が意外としっかりしており、アダムスキーやマイヤーに優るとも劣らない作品だと思いました。お薦めしたい1冊です。

デマルケ氏がこの大冒険を体験したのは当時56歳のときで、原書が出版されたのはそれから3年以上経ってからです。1997年、彼が当時66歳のときその訳書がやっと出版されたようです。そして本書は、英語、スペイン語、ポルトガル語、ポーランド語、ヘブライ語、スウェーデン語、日本語で読むことができるベストセラーとなりました。

訳者のケイ・ミズモリ氏は「あとがき」で、
――「久しぶりに興奮を覚える面白い本を読んだ」「他の人にも読んでもらって、どのように受け止められるか見てみたい」
 それが、私が本書(原題『ABDUCTION TO THE 9th PLANET』)を最初に読んだ時の感想であった。――
と述べています。

ちょっと意外だったのは、本書の解説を寄せている人が、なんと宇宙考古学者で『[超図解]竹内文書』の著者である高坂和導氏です。というのも、デマルケ氏が連れていかれた星であるティアウーバ星から持ち帰った宇宙情報が、日本に残る世界最古の文献『竹内文書』の記録とあまりに酷似している点です。このことについて和導氏は、次のように述べております。
『竹内文書』の知名度が上がった現在、キリストの墓が青森の新郷村にあることを知っている人もいるだろうとして、――しかし、キリストの墓の隣りに弟オウリキ(竹内文書の記録ではイスキリ)の頭髪を納めた墓が確かに存在していることまで知る人は少ない。その上『竹内文書』を海外に正確に紹介したものはまだ存在していないのだから、デマルケ氏が『竹内文書』の記録を読んでこのことを書いたとはとうてい考えられない。にもかかわらず、デマルケ氏はティアウーバ星からの情報として、青森県三戸郡かつて戸来村と呼ばれた新郷村と、場所まで正確に記録しているのだ。――

詳細は、本書を読んでいただくとして、最後にケイ・ミズモリ氏の言葉を引用します。
――デマルケ氏は、自分の受け取った情報を出来るだけ早く世界中の人々に伝えるために、英語版に関しては、インターネット上で無料で読めるように配慮している。また、経済的に苦しい人々に対しては、無料で本を配ることも行っている。それだけ重要なメッセージが含まれると彼は考えているのだ。幸い、最近では科学者達も本書の内容に注目しているのだ。

また、日本では、2003年1月に、新・モンド総合研究所制作の「宇宙人にさらわれた男~ミシェル・デマルケの真相~」(30分番組3話)がスカイ・パーフェクト・TVで放映された。

このような背景を考えると、現在では宇宙人がもたらした情報に対しても、人々の抵抗が薄れてきていると同時に、環境問題や戦争を克服するため、精神性向上への意識が高まってきていると言えるかもしれない。――

以上


超巨大「宇宙文明」の真相―進化最高「カテゴリー9」の惑星から持ち帰ったかつてなき精緻な「外宇宙情報」
Michel Desmarquet,ケイ・ミズモリ
徳間書店



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本当の情報は流れない――エルトゥールル号遭難事件

2012年05月13日 | 日記
遺伝子研究で有名な筑波大学名誉教授の村上和雄先生が書かれた『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』(ソフトバンククリエイティブ刊)という著書があります。

この本の中で、村上先生が次のように語っている箇所があります。
引用します。

「(略)…私は、この大震災(注:東日本大震災)が日本人が失いかけていた、他人を思いやる心や絆を思い出すきっかけになった、つまり、思いやりの遺伝子スイッチがONになったからだと考えています。

何度も申しますが、日本人は、本来、こうした「他を思いやる」、「多くの命をつなぐ」遺伝子を持っているのです。

そして、見ず知らずの人間同士でも思いやれるという気持ちに、諸外国から予想外の賞賛を経験して、あらためて「日本人は、すごいんだな」と知り、日本人であることに誇りを持てるようになった人も少なくないことでしょう。

加えて、各国がいち早く、支援を表明してくれたことは、私たちを勇気づけました。

「日本は今まで世界中に援助してきた援助国だ。今回は我々が全力をあげて日本を援助する」

という国連のコメントで、初めて日本が世界中に援助してきたことを実感した、という人もたくさんいました。

私は国連のこのコメントを知り、大震災の前年にトルコを旅した時に聞いた、あるエピソードのことを思い出しました。

1985年、イラン・イラク戦争のさ中、サダム・フセイン大統領が「48時間の猶予期限以降、イラン領空を飛行する飛行機は無差別に攻撃する」と宣言しました。宣言後、イランにいた外国人は、それぞれの国の軍や航空会社による脱出行動を取りました。

しかし、日本はこの救出に遅れを取りました。そんなとき、救いの手をさしのべてくれたのは、トルコ政府だったのです。自国民救援の便を増便して、撃墜の危険がある中、215名の日本人を脱出させてくれたのです。しかも、陸路で脱出できる自国民には自動車で退避させ、日本人を優先して航空機に乗せてくれたのです。」

実際、トルコ政府は、トルコ人を救うために、飛行機を2機飛ばした。ところが、イランに日本人が残っていたので、日本人を全員乗せトルコ人は50人ぐらいしか乗せていない。あと500人は自力で脱出しなければならないということをトルコ人は納得したのです。その結果、215名の日本人が無事に帰国できたのです。

こういう情報は、日本では一切流しません。ほとんどの日本国民は知らない思います。私も初耳です。

それでは、何故、トルコ政府はここまで日本を支援してくれたのでしょうか?これには伏線というか、知られざる歴史があったのです。

村上先生のお話の続きを引用します。

「その理由は、明治23年(1890年)にまでさかのぼります。

トルコの使節団一行を乗せた船が、台風の中、和歌山沖で座礁、沈没しました。このとき、決死の救助活動にあたったのが、紀伊半島の漁民だったのです。この救助により多くのトルコ国民が助けられ、その献身的な救助のことはトルコの小学校の教科書にも載り、以来、語り継がれてきたのだといいます。けれど、私たち日本人は、明治時代にこのような救出劇があったことなど、ほとんどの人が知りません。

私自身、トルコを訪れて初めて知ったことでした。
日本人すら知らないこの出来事からおよそ100年後。日本人が窮地にあると知ったトルコ政府は、和歌山沖での救助活動の「恩に報おう」としてくれたのです。

この脱出のためのフライトは危険な業務ですから、トルコ航空では当時、希望者を募る形で乗務員を決めました。するとほとんどの乗務員が手を挙げたといいます。(以下、略)」

ちなみに、このトルコ船のエルトゥールル号遭難事件というのは、明治23年(1890年)、日本との友好を深めたいと、トルコから軍艦がやってきて、日本政府や軍との交流後、横浜港を9月に出航、和歌山県串本沖で沈没したものです。587名が死亡する大惨事となり、日本の漁民らに69名が救助されました。

トルコの船員たちは、宝物は全部取られて、虐殺されると思っていたそうです。しかし日本人は、彼らを救ったのです。当時の日本人は貧しく、冬を越すための食料から全部出して、彼らに食べさせて、日本の軍艦「比叡」と「金剛」で送り出したそうです。

トルコではその事実をずっと教科書に載せていて、感謝の日をつくっているのだそうです。

以上


奇跡を呼ぶ100万回の祈り
村上 和雄
ソフトバンククリエイティブ
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