『臨死共有体験』 ヒカルランド レイモンド・ムーディ/ポール・ペリー 著 堀天作 訳
本書は、「臨死共有体験」について解説したものです。これは死にゆく当人ではなく、そのかたわらで看護していた人などが共に体験した驚異の世界についての研究です。
かつて1975年にレイモンド・ムーディ博士が著した『かいまみた死後の世界』(Life After Life)は、人が死んだときの体験=「臨死体験」の諸要素を初めて明らかにした研究書として、世界的ベストセラーになりました。あれから数十年の研究を経て、ムーディ博士は、ポール・ペリーと共に、新たに本書を世に問います。
本書のカバーには、こう書かれています。
空間の変容/形容しがたき光の出現/霧・靄の出現/この世のものでない美しき音色……そして死にゆく者の人生を寄り添う者が共にフラッシュバックで見る(体験共有者の全く知らないものを含む)――天的世界(別次元)の扉がひらくその瞬間
本書には、臨死共有体験の証言がたくさん紹介されています。その多くの体験者は、空間の変容を語っています。例えば、宇宙の裂け目が生じ、そこからこちらの世界へ光が差し込んで来るという表現をしています。これは、私たちの住むこの物質世界の背後に、目に見えない世界(次元)の存在を確信させます。ムーディ博士自身も母の死に際して、自ら経験した臨死共有体験を書き記していて、説得力を持って迫ってきます。
ちなみに、スイスの精神科医、カール・ユングは『死後の生命』と題する随筆の中で、人間の精神の少なくとも一部は、空間と時間の法則から解き放たれていると書いています。世界を完全に理解するには、もう一つ別の次元を知る必要があると言っています。
次に、臨死体験の共通した要素がすべて含んでいる一つの臨死体験モデルを記します。
「わたしは瀕死の状態にあった。物理的な肉体の危機が頂点に達した時、担当の医師がわたしの死を宣告しているのが聞こえた。耳障りな音が聞こえ始めた。大きく響きわたる音だ。騒々しくうなるような音といったほうがいいかもそれない。同時に、長くて暗いトンネルの中を、猛烈な速度で通り抜けているような感じがした。それから突然、自分自身の物理的肉体から抜け出したのがわかった。しかしこの時はまだ、今までとおなじ物理的世界にいて、わたしはある距離を保った場所から、まるで傍観者のように自分自身の物理的肉体を見つめていた。この異常な状態で、自分がついさきほど抜け出した物理的な肉体に蘇生術が施されるのを観察している。精神的には非常に混乱していた。
しばらくすると落ちついてきて、現に自分がおかれている奇妙な状態に慣れてきた。わたしには今でも「体」が備わっているが、この体は先に抜け出した物理的肉体とは本質的に異質なもので、きわめて特異な能力を持っていることがわかった。まもなく別のことが始まった。誰かがわたしに力をかすために、会いにきてくれた。すでに死亡している親戚とか友達の霊が、すぐそばにいるのがなんとなくわかった。そして、今まで一度も経験したことがないような愛と暖かさに満ちた霊――光の生命――が現われた。この光の生命は、わたしに自分の一生を総括させるために質問を投げかけた。具体的なことばを介在させずに質問したのである。さらに、わたしの生涯における主なできごとを連続的に、しかも一瞬のうちに再生して見せることで、総括の手助けをしてくれた。ある時点で、わたしは自分が一種の障壁(バリアー)とも境界ともいえるようなものに少しずつ近づいているのに気がついた。それはまぎれもなく、現世と来世との境い目であった。しかし、わたしは現世にもどらなければならない、今はまだ死ぬ時ではないと思った。この時点で葛藤が生じた。なぜなら、わたしは今や死後の世界での体験にすっかり心を奪われていて、現世にもどりたくはなかったから。激しい歓喜、愛、やすらぎに圧倒されていた。ところが意に反して、どういうわけか、わたしは再び自分自身の物理的肉体と結合し、蘇生した。
その後、あの時の体験をほかの人に話そうとしたけれど、うまくいかなかった。まず第一に、想像を絶するあの体験を、適切に表現できることばが全然見つからなかった。それに、苦労して話しても、物笑いの種にされてしまった。だからもう誰にも話さない。しかし、あの体験をしたおかげで、わたしの人生には大きな影響を受けた。特に、死ということについて、中でも、死と人生との関係に関するわたしの考え方に、大きな影響を受けた」(以上、レイモンド・A.・ムーディ・Jr.著『かいまみた死後の世界』評論社刊より)
以上
本書は、「臨死共有体験」について解説したものです。これは死にゆく当人ではなく、そのかたわらで看護していた人などが共に体験した驚異の世界についての研究です。
かつて1975年にレイモンド・ムーディ博士が著した『かいまみた死後の世界』(Life After Life)は、人が死んだときの体験=「臨死体験」の諸要素を初めて明らかにした研究書として、世界的ベストセラーになりました。あれから数十年の研究を経て、ムーディ博士は、ポール・ペリーと共に、新たに本書を世に問います。
本書のカバーには、こう書かれています。
空間の変容/形容しがたき光の出現/霧・靄の出現/この世のものでない美しき音色……そして死にゆく者の人生を寄り添う者が共にフラッシュバックで見る(体験共有者の全く知らないものを含む)――天的世界(別次元)の扉がひらくその瞬間
本書には、臨死共有体験の証言がたくさん紹介されています。その多くの体験者は、空間の変容を語っています。例えば、宇宙の裂け目が生じ、そこからこちらの世界へ光が差し込んで来るという表現をしています。これは、私たちの住むこの物質世界の背後に、目に見えない世界(次元)の存在を確信させます。ムーディ博士自身も母の死に際して、自ら経験した臨死共有体験を書き記していて、説得力を持って迫ってきます。
ちなみに、スイスの精神科医、カール・ユングは『死後の生命』と題する随筆の中で、人間の精神の少なくとも一部は、空間と時間の法則から解き放たれていると書いています。世界を完全に理解するには、もう一つ別の次元を知る必要があると言っています。
次に、臨死体験の共通した要素がすべて含んでいる一つの臨死体験モデルを記します。
「わたしは瀕死の状態にあった。物理的な肉体の危機が頂点に達した時、担当の医師がわたしの死を宣告しているのが聞こえた。耳障りな音が聞こえ始めた。大きく響きわたる音だ。騒々しくうなるような音といったほうがいいかもそれない。同時に、長くて暗いトンネルの中を、猛烈な速度で通り抜けているような感じがした。それから突然、自分自身の物理的肉体から抜け出したのがわかった。しかしこの時はまだ、今までとおなじ物理的世界にいて、わたしはある距離を保った場所から、まるで傍観者のように自分自身の物理的肉体を見つめていた。この異常な状態で、自分がついさきほど抜け出した物理的な肉体に蘇生術が施されるのを観察している。精神的には非常に混乱していた。
しばらくすると落ちついてきて、現に自分がおかれている奇妙な状態に慣れてきた。わたしには今でも「体」が備わっているが、この体は先に抜け出した物理的肉体とは本質的に異質なもので、きわめて特異な能力を持っていることがわかった。まもなく別のことが始まった。誰かがわたしに力をかすために、会いにきてくれた。すでに死亡している親戚とか友達の霊が、すぐそばにいるのがなんとなくわかった。そして、今まで一度も経験したことがないような愛と暖かさに満ちた霊――光の生命――が現われた。この光の生命は、わたしに自分の一生を総括させるために質問を投げかけた。具体的なことばを介在させずに質問したのである。さらに、わたしの生涯における主なできごとを連続的に、しかも一瞬のうちに再生して見せることで、総括の手助けをしてくれた。ある時点で、わたしは自分が一種の障壁(バリアー)とも境界ともいえるようなものに少しずつ近づいているのに気がついた。それはまぎれもなく、現世と来世との境い目であった。しかし、わたしは現世にもどらなければならない、今はまだ死ぬ時ではないと思った。この時点で葛藤が生じた。なぜなら、わたしは今や死後の世界での体験にすっかり心を奪われていて、現世にもどりたくはなかったから。激しい歓喜、愛、やすらぎに圧倒されていた。ところが意に反して、どういうわけか、わたしは再び自分自身の物理的肉体と結合し、蘇生した。
その後、あの時の体験をほかの人に話そうとしたけれど、うまくいかなかった。まず第一に、想像を絶するあの体験を、適切に表現できることばが全然見つからなかった。それに、苦労して話しても、物笑いの種にされてしまった。だからもう誰にも話さない。しかし、あの体験をしたおかげで、わたしの人生には大きな影響を受けた。特に、死ということについて、中でも、死と人生との関係に関するわたしの考え方に、大きな影響を受けた」(以上、レイモンド・A.・ムーディ・Jr.著『かいまみた死後の世界』評論社刊より)
以上
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