宇宙人の独り言

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プーチンの実像

2015年12月13日 | 日記
プーチンの実像 証言で暴く「皇帝」の素顔
朝日新聞国際報道部,駒木明義,吉田美智子,梅原季哉
朝日新聞出版



本書は、「誰も書かなかったプーチンの謎を解き明かした傑作」の書とあります。ロシアのプーチン大統領の評価は内外で両極端に割れているようです。欧米には戦後の国際秩序に挑戦する手法を、ヒトラーに重ね合わせる見方さえあります。プーチンは、2014年2月にウクライナ南部クリミア半島を半ば強引に、一方的にロシアに併合しました。これはかつてヒトラーがオーストリア、チェコスロバニアといった周辺の国々を次々に併合したのを思い起させます。1939年9月、ついにヒトラーによってポーランドを電撃的に侵攻して第二次世界大戦の口火が切って落とされました。今日の世界情勢は、第二次大戦前夜に酷似しています。間違いなくプーチンという政治家は世界のキーマンの一人です。それにしても歴史は再び繰り返されるのでしょうか?

本書ではプーチン大統領と日本の政治家のやり取りが随所に書かれていて、興味深い読み物となっています。プーチンさんの人間性が垣間見れますので、プロローグの中から一部引用します。なお、この中で「山下」とあるのは、あの柔道家の山下泰裕氏です。



 森喜朗がモスクワのクレムリンでプーチンと会ったのは、2014年9月10日の深夜だった。森は、安倍晋三からの親書を託されていた。山下とプーチンのやりとりを伝え聞いた安倍は、モスクワに発つ前の森に電話をかけてきた。「話は山下さんから聞いた。プーチンと会うのなら、ぜひ親書を持っていってほしい」
 森は山下と並んで、プーチンの友人と言える数少ない日本人の一人だ。初対面から響き合うところのあった二人の出会いの様子については、後ほど詳しく触れることにする。
 会談は、クレムリンの一室で行われた。紅茶と菓子が並ぶ小さな丸いテーブルを囲んだのは、プーチン、森、通訳と、わずかな随員だけだった。約35分間の会談は、森の証言を元に再現すると、以下のような形で進んだ。
 まず、2020年に開催が決まった東京五輪が話題にのぼった。森は、東京五輪の組織委員会会長を務めている。
「オリンピックの準備は進んでいるか」
プーチンが尋ねた。
「今着々とやっています」
「何が問題なのかね」
(中略)
 場がなごんだところで、森は、安部から託された親書をプーチンに手渡した。プーチンはその場で封を開けて読んだ。
「ありがとう。安倍首相に、くれぐれもよろしく伝えてほしい」
親書の中身は明らかになっていないが、プーチンとの対話を続け、ロシアとの関係改善を果たしたいという安倍の考えが書かれていたはずだ。
 森は、日ロ交渉に影を落としているウクライナ問題、特にマレーシア航空機撃墜事件について、踏み込んでいった。
「私は、ウクライナの問題であなたに同情している。私はあなたのことが好きだし、尊敬もしている。そのあなたが世界中から非難を受けるというのは、私は友人として耐えられないんだ」
 森は続けた。
「あなたの理屈はわかるけれど、世の中に説明がつかないことがある。一番悪いのは、やっぱりマレーシア航空機を落としたことだ」
 プーチンは口を挟んだ。
「おい、あれは私が落としたんじゃない」
「だが、それは結果的にそういうことになってしまう。あそこから流れは変わってしまった。だから今度は、あなたが主導して停戦から休戦へと持っていってほしい。話はそれからだ」
 森は、クリミアを巡る歴史的な経緯を勉強したことをプーチンに伝えた。(中略)
ロシヤの国民感情を理解していることを伝えた上で、森は本題に切り込んでいった。プーチンが山下に見せた怒りを解きほぐし、「ロシアと関係を築きたい」という安倍の考えを伝えるのが狙いだ。
「安倍は、あなたのこと、ロシアのことをすごく考えているんだ。制裁にしてもアメリカが『やれ、やれ』と言うから。だけど、実質的にはロシアにはなんの被害も与えないようにやっているはずだ」
 プーチンは答えた。
「そんなことは分かっている。しかし、私はそれを安倍本人の口から聞きたい」
「安倍もあなたに電話したいのは、やまやまらしいよ。だけど、あなたに電話をすると全部アメリカにキャッチされる。それが安倍には耐えられないんじゃないかな」
「そんなこと、気にすることはない」
 プーチンは上機嫌に応じた。
「自分はドイツのメルケルと話すときも、フランスのオランドと話すときも、全部向こうに聞かれていることを承知の上でやっている。先日も、ある大事な用件でメルケルと電話した。メルケルが『わかりました。じぁあ、この話は私からオバマに伝えておきましょう』と言うから、『そんな必要はない。もう向こうに我々の話は聞こえているはずだ』と言って、大笑いになったんだ」
森は話を引き取って言った。
「わかりました。とにかく、安倍の方から電話するようにしましょう」
「いや、ちょっと待ってくれ。9月21日は安倍の誕生日だったな」
 森は、プーチンのこの言葉に驚かされた。実は森自身、安倍の誕生日をはっきりとは覚えていなかった。しかたなく、「ああそうですね」と生返事を返した。
「じぁあ、私の方からかけることにしよう」
 森はもう一点、プーチンに念を押した。
「これから安倍とは、国際会議の場で何回も会うことになると思うが、そのときは必ず、安倍のところに行ってほしい。肩をたたくとか、立ち話をするとか、みんなの見ているところでやってくれないか。それと一度はじっくり時間をとって会談をしてもらいたい」
 プーチンは「わかった、それは約束しよう」と請け合った。
 森との会話の中で、プーチンが「日本は友人だと思っていたんだが」と愚痴をこぼす場面もあったという。

以上
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家康は関ヶ原で死んでいた

2015年12月04日 | 日記
家康は関ヶ原で死んでいた (竹書房新書)
島 右近
竹書房




戦国武将として人気が高い徳川家康は、天下を収め長く平和な江戸の世を創り上げました。
しかし、もし家康がその人生の途中で不慮の死を遂げ、別の人物が家康を名乗り、天下人となっていたとしたら ?
「家康死亡説」は古くから唱えられていました。

著者は、本書で次のように書いています。


 明治35年(1902)4月18日、一冊の本が書店に積まれた。
 総項184項で、初版部数は五百部に過ぎない。この書は、明治35年に出版され、すぐに売り切れると、その後再び増刷されることなく書店から姿を消した。噂によると徳川家の関わる人達が買い占め、政治的な圧力をかけ増刷を阻止したともいわれる。また、この本に込めれれたメッセージが時の権力者の逆鱗に触れたともいわれている。
 その本の名は、『史疑 徳川家康事蹟』。この本を手にした者は皆衝撃を受け、同時に心動かされたという。この本を手にした時、ひとつの言葉が胸によみがえってきた。それは、歴史はつねに勝者によって語られた物語に過ぎないという言葉である。……
 (略)
 では、奇書ともいえる『史疑 徳川家康事蹟』は東照大権現となった家康の一生に何が起こったといっているのか。簡単にいうと、「家康はある時期非業の最期を遂げ、何者かがなりすまし、その男が後の世に東照大権現に祀り上げられた」というものである。しかもその二代目の家康は、「ささら者」と呼ばれる身分の者だと筆者は断言している。……

以上

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