まさかの大統領: ハリー・S・トルーマンと世界を変えた四カ月 | |
A.J. Baime,河内 隆弥 | |
国書刊行会 |
本書の帯には、次のように書かれています。
トルーマンの大統領への道筋の物語は、
ハリウッドのメロドラマに匹敵する。
生き生きとよく観察され、まことに読み応えがある。
サンデータイムズ
最新資料等により、著者はトルーマンの真実に迫った。
ライブラリー・ジャーナル
本書のまえがきから
はじめに
ハリー・トルーマンほど、その業績の評価が分かれる米国大統領はいない。多分、まったくないだろう。歴史家たちはかれを、最高行政官としてトップないし最悪のランクに位置づけている。1953年1月に彼が職務を終えたとき、その政権は大方の顰蹙を買っていた。それから十年経たぬうち、著名な歴史家、アーサー・シュレジンガーが行った世論調査では、トルーマンは、歴代大統領の第九位にランクされた。2014年、ワシントン・ポストの世論調査では第六位となった。同時に、トルーマンの戦犯のレッテルを貼るものたちもあった。1945年8月6日と9日に、リトルボーイとファットマンという二つの原爆を日本に落とすことに青信号を発したからである。(以下省略)
ハリー・トルーマンは日本に対して原爆が使われたときの第33代米国大統領でした。
以下に述べることは本書には触れられていませんが、トルーマンは大学を卒業していないですが、秘密結社活動での豊富な経歴と貢献度の高さが幸いして米国大統領にまで上り詰めたとされています。ある本によると、トルーマンは、1909年2月9日にミズーリ州ベルトン支部でフリーメーソンに加入しました。ミズーリ州はトルーマンの生誕の地です。1911年の同州グランドビュー支部長となり、1940年9月にミズーリ州の第97代フリーメーソン本部長に選出されています。
ちなみに、当時のアメリカ政府と軍部の最高幹部はそのほとんどがフリーメーソン員でした。
以上