宇宙人の独り言

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本当の情報は流れない――エルトゥールル号遭難事件

2012年05月13日 | 日記
遺伝子研究で有名な筑波大学名誉教授の村上和雄先生が書かれた『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』(ソフトバンククリエイティブ刊)という著書があります。

この本の中で、村上先生が次のように語っている箇所があります。
引用します。

「(略)…私は、この大震災(注:東日本大震災)が日本人が失いかけていた、他人を思いやる心や絆を思い出すきっかけになった、つまり、思いやりの遺伝子スイッチがONになったからだと考えています。

何度も申しますが、日本人は、本来、こうした「他を思いやる」、「多くの命をつなぐ」遺伝子を持っているのです。

そして、見ず知らずの人間同士でも思いやれるという気持ちに、諸外国から予想外の賞賛を経験して、あらためて「日本人は、すごいんだな」と知り、日本人であることに誇りを持てるようになった人も少なくないことでしょう。

加えて、各国がいち早く、支援を表明してくれたことは、私たちを勇気づけました。

「日本は今まで世界中に援助してきた援助国だ。今回は我々が全力をあげて日本を援助する」

という国連のコメントで、初めて日本が世界中に援助してきたことを実感した、という人もたくさんいました。

私は国連のこのコメントを知り、大震災の前年にトルコを旅した時に聞いた、あるエピソードのことを思い出しました。

1985年、イラン・イラク戦争のさ中、サダム・フセイン大統領が「48時間の猶予期限以降、イラン領空を飛行する飛行機は無差別に攻撃する」と宣言しました。宣言後、イランにいた外国人は、それぞれの国の軍や航空会社による脱出行動を取りました。

しかし、日本はこの救出に遅れを取りました。そんなとき、救いの手をさしのべてくれたのは、トルコ政府だったのです。自国民救援の便を増便して、撃墜の危険がある中、215名の日本人を脱出させてくれたのです。しかも、陸路で脱出できる自国民には自動車で退避させ、日本人を優先して航空機に乗せてくれたのです。」

実際、トルコ政府は、トルコ人を救うために、飛行機を2機飛ばした。ところが、イランに日本人が残っていたので、日本人を全員乗せトルコ人は50人ぐらいしか乗せていない。あと500人は自力で脱出しなければならないということをトルコ人は納得したのです。その結果、215名の日本人が無事に帰国できたのです。

こういう情報は、日本では一切流しません。ほとんどの日本国民は知らない思います。私も初耳です。

それでは、何故、トルコ政府はここまで日本を支援してくれたのでしょうか?これには伏線というか、知られざる歴史があったのです。

村上先生のお話の続きを引用します。

「その理由は、明治23年(1890年)にまでさかのぼります。

トルコの使節団一行を乗せた船が、台風の中、和歌山沖で座礁、沈没しました。このとき、決死の救助活動にあたったのが、紀伊半島の漁民だったのです。この救助により多くのトルコ国民が助けられ、その献身的な救助のことはトルコの小学校の教科書にも載り、以来、語り継がれてきたのだといいます。けれど、私たち日本人は、明治時代にこのような救出劇があったことなど、ほとんどの人が知りません。

私自身、トルコを訪れて初めて知ったことでした。
日本人すら知らないこの出来事からおよそ100年後。日本人が窮地にあると知ったトルコ政府は、和歌山沖での救助活動の「恩に報おう」としてくれたのです。

この脱出のためのフライトは危険な業務ですから、トルコ航空では当時、希望者を募る形で乗務員を決めました。するとほとんどの乗務員が手を挙げたといいます。(以下、略)」

ちなみに、このトルコ船のエルトゥールル号遭難事件というのは、明治23年(1890年)、日本との友好を深めたいと、トルコから軍艦がやってきて、日本政府や軍との交流後、横浜港を9月に出航、和歌山県串本沖で沈没したものです。587名が死亡する大惨事となり、日本の漁民らに69名が救助されました。

トルコの船員たちは、宝物は全部取られて、虐殺されると思っていたそうです。しかし日本人は、彼らを救ったのです。当時の日本人は貧しく、冬を越すための食料から全部出して、彼らに食べさせて、日本の軍艦「比叡」と「金剛」で送り出したそうです。

トルコではその事実をずっと教科書に載せていて、感謝の日をつくっているのだそうです。

以上


奇跡を呼ぶ100万回の祈り
村上 和雄
ソフトバンククリエイティブ
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