『東電福島原発事故総理大臣として考えたこと』
幻冬舎
菅直人 著
大震災と原発事故から一年半が経過した現在でも、最初の一週間の厳しい状況が頭に浮かぶ。
大震災発生の3月11日から一週間、私は官邸で寝泊りし、ひとりの時は総理大臣執務室の奥にある応接のソファーで防災服を着たまま仮眠をとっていた。仮眠といっても、身体を横にして休めているだけで、頭は冴えわたり、地震・津波への対処、そして原発事故がどこまで拡大するか、どうしたら拡大を阻止できるのかを必死で考えていた。熟睡できた記憶はない。……
これは本書の序章「覚悟」の冒頭部分です。
私は本書を読んで、こと3・11震災当時の日本の最高指揮官であった内閣総理大臣が菅直人氏でよかったのではないか、もし他の優柔不断な政治家であったなら、この危急存亡の事態に直面した日本はどうなっていただろうかと考えてしまう。
今回の震災で言えることは、これまでとは全く違う側面をもっていたという事実です。それは原発事故です。地震と津波であれば、時間とともに終息し東北三県と周りの県の沿岸地域で被害は済んだでしょう。しかし、原発事故でこの震災は日本の半分を失う規模の災害となる可能性があったのです。決死の覚悟の作業と幸運も重なって、それはかろうじて免れたことが本書には書かれています。とは言え、現在もまだ福島原発は危機的な状況が続いていることに変わりはないのです。福島第一原発4号機の4、5階には使用済み核燃料プールの中に1千数百からの燃料棒があります。もし再び大地震でも起こって燃料プールが倒壊したら、日本のみならず北半球全体が放射能で全滅する可能性があるといいます。想定外だったとはもう誰も言えません。
まだ福島原発がどうなるか予断を許さない時期に、菅総理は、事故が拡大した場合の科学的検討として、最悪の事態が重なった場合に、どの程度の範囲が避難区域になるか計算して欲しいと、原子力委員会の委員長(近藤駿介氏)に依頼したと書いています。日本の最高責任者として「最悪のシナリオ」を考えて対処するのは当然のことです。3月25日のことです。
「最悪のシナリオ」によると、「水素爆発で一号機の原子炉格納容器が壊れ、放射線量が上昇して作業員全員が撤退したとの想定で、注水による冷却ができなくなった二号機、三号機の原子炉や、一号機から四号機の使用済み燃料プールから放射性物質が放出されると、強制移転区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認める区域が東京都を含む半径250キロに及ぶ可能性がある」と書かれていたのです。「私が個人的に考えていたことが、専門家によって科学的に裏付けられたことになり、やはりそうであったかと、背筋が凍リつく思いだった」と菅氏は述べています。
続けて著者は、p23~28にこう書いています。引用します。
それにしても、半径250キロとなると、青森県を除く東北地方のほぼすべてと、新潟県のほぼすべて、長野県の一部、そして首都圏を含む関東の大部分となり、約5千万人が居住している。つまり、5千万人の避難が必要ということになる。近藤氏の「最悪のシナリオ」では放射線の年間線量が人間が暮らせるようになるまでの避難期間は、自然減衰にのみ任せた場合で、数十年を要するとも予測された。
「5千万人の数十年にわたる避難」となると、SF小説でも小松左京氏の『日本沈没』くらいしかないであろう想定だ。過去に参考になる事例など外国にもないだろう。
この「最悪のシナリオ」は、たしかに非公式に作成されたが、政治家にも官僚にも、この想定に基づいた避難計画の立案は指示していない。どのように避難するかというシナリオまでは作っていなかった。
つまり、「5千万人の避難計画」というシナリオは、私の頭の中にのみのシュミレーションだった。
私の頭の中の「避難シュミレーション」は大きく二つあった。一つは、数週間以内に5千万人を避難させるためのオペレーションだ。「避難してくれ」との指示を出すと同時に計画を提示し、これに従ってくれと言わない限り、大パニックは必死だ。
現在の日本には戒厳令は存在しないが、戒厳令に近い強権を発動する以外、整然とした避難は無理であろう。
だが、そのような大規模な避難計画を準備しようとすれば、準備段階で情報が漏れるのも確実だ。メディアが発達し、マスコミだけでなくインターネットもある今日、情報管理は非常に難しい。これは隠すのが難しいという意味ではなく、パニックを引き起こさないように正確に伝えることが難しくなっているという意味である。そういう状況下、首都圏からの避難をどう進めたらいいのか。想像を絶するオペレーションだ。
鉄道と道路、空港は政府の完全管理下に置く必要があるだろう。そうしなければ計画的な移動は不可能だ。自分では動けない、入院している人や介護施設にいる高齢者にはどこへどのように移動してもらうか。妊婦や子どもたちだけでも先に疎開させたほうがいいのか。考えなければならない問題は数限りなくある。
どの段階で皇室に避難していただくかも慎重に判断しなければならない。
国民の避難と並行して、政府としては、国の機関のことも考えなければならない。これは事実上の遷都となる。中央省庁、国会、最高裁の移転が必要だ。その他多くの行政機関も250キロ圏内から外へ出なければならない。平時であれば、計画を作成するだけで2年、いや、もっとかかるかもしれない。それを数週間で計画から実施までやり遂げなければならない。
大震災における日本人の冷静な行動は国際的に評価されたが、数週間で5千万人の避難となれば、それこそ地獄絵図だ。5千万人の人生が破壊されてしまうのだ。『日本沈没』が現実のものとなるのだ。
どうか想像してほしい。自分が避難するよう指示された際にどうしたか。
引越しではないので、家財道具はそのままにして逃げることになる。何を持って行けるのか。家族は一緒に行動できるのか。どこへ避難するのか。西日本に親戚のある方は一時的にそこへ身を寄せられるかもしれない。しかし、どうにか避難したとしても、仕事はどうする。家はどうする。子どもの学校はどうなるか。
実際、福島第一原発の近くに住んでいた人々は、今、この過酷な現実に直面している。避難した約16万人の人々は不安な思いで一日一日をおくっている。仕事、子どもの学校など将来の見通しが立たず、時間とともに不安が大きくなっていると思う。福島の人には、大変な苦労をおかけしている。もし5千万人の人々の避難ということになった時には、想像を絶する困難と混乱が待ち受けていたであろう。そしてこれは空想の話ではない。紙一重で現実となった話なのだ。……(以下、省略します)
福島原発事故はまだ収束などしていないのです。
それにしても東京五輪招致で日本中(?)が喜んでいますが……
ちょとわかりませんね。
以上
幻冬舎
菅直人 著
大震災と原発事故から一年半が経過した現在でも、最初の一週間の厳しい状況が頭に浮かぶ。
大震災発生の3月11日から一週間、私は官邸で寝泊りし、ひとりの時は総理大臣執務室の奥にある応接のソファーで防災服を着たまま仮眠をとっていた。仮眠といっても、身体を横にして休めているだけで、頭は冴えわたり、地震・津波への対処、そして原発事故がどこまで拡大するか、どうしたら拡大を阻止できるのかを必死で考えていた。熟睡できた記憶はない。……
これは本書の序章「覚悟」の冒頭部分です。
私は本書を読んで、こと3・11震災当時の日本の最高指揮官であった内閣総理大臣が菅直人氏でよかったのではないか、もし他の優柔不断な政治家であったなら、この危急存亡の事態に直面した日本はどうなっていただろうかと考えてしまう。
今回の震災で言えることは、これまでとは全く違う側面をもっていたという事実です。それは原発事故です。地震と津波であれば、時間とともに終息し東北三県と周りの県の沿岸地域で被害は済んだでしょう。しかし、原発事故でこの震災は日本の半分を失う規模の災害となる可能性があったのです。決死の覚悟の作業と幸運も重なって、それはかろうじて免れたことが本書には書かれています。とは言え、現在もまだ福島原発は危機的な状況が続いていることに変わりはないのです。福島第一原発4号機の4、5階には使用済み核燃料プールの中に1千数百からの燃料棒があります。もし再び大地震でも起こって燃料プールが倒壊したら、日本のみならず北半球全体が放射能で全滅する可能性があるといいます。想定外だったとはもう誰も言えません。
まだ福島原発がどうなるか予断を許さない時期に、菅総理は、事故が拡大した場合の科学的検討として、最悪の事態が重なった場合に、どの程度の範囲が避難区域になるか計算して欲しいと、原子力委員会の委員長(近藤駿介氏)に依頼したと書いています。日本の最高責任者として「最悪のシナリオ」を考えて対処するのは当然のことです。3月25日のことです。
「最悪のシナリオ」によると、「水素爆発で一号機の原子炉格納容器が壊れ、放射線量が上昇して作業員全員が撤退したとの想定で、注水による冷却ができなくなった二号機、三号機の原子炉や、一号機から四号機の使用済み燃料プールから放射性物質が放出されると、強制移転区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認める区域が東京都を含む半径250キロに及ぶ可能性がある」と書かれていたのです。「私が個人的に考えていたことが、専門家によって科学的に裏付けられたことになり、やはりそうであったかと、背筋が凍リつく思いだった」と菅氏は述べています。
続けて著者は、p23~28にこう書いています。引用します。
それにしても、半径250キロとなると、青森県を除く東北地方のほぼすべてと、新潟県のほぼすべて、長野県の一部、そして首都圏を含む関東の大部分となり、約5千万人が居住している。つまり、5千万人の避難が必要ということになる。近藤氏の「最悪のシナリオ」では放射線の年間線量が人間が暮らせるようになるまでの避難期間は、自然減衰にのみ任せた場合で、数十年を要するとも予測された。
「5千万人の数十年にわたる避難」となると、SF小説でも小松左京氏の『日本沈没』くらいしかないであろう想定だ。過去に参考になる事例など外国にもないだろう。
この「最悪のシナリオ」は、たしかに非公式に作成されたが、政治家にも官僚にも、この想定に基づいた避難計画の立案は指示していない。どのように避難するかというシナリオまでは作っていなかった。
つまり、「5千万人の避難計画」というシナリオは、私の頭の中にのみのシュミレーションだった。
私の頭の中の「避難シュミレーション」は大きく二つあった。一つは、数週間以内に5千万人を避難させるためのオペレーションだ。「避難してくれ」との指示を出すと同時に計画を提示し、これに従ってくれと言わない限り、大パニックは必死だ。
現在の日本には戒厳令は存在しないが、戒厳令に近い強権を発動する以外、整然とした避難は無理であろう。
だが、そのような大規模な避難計画を準備しようとすれば、準備段階で情報が漏れるのも確実だ。メディアが発達し、マスコミだけでなくインターネットもある今日、情報管理は非常に難しい。これは隠すのが難しいという意味ではなく、パニックを引き起こさないように正確に伝えることが難しくなっているという意味である。そういう状況下、首都圏からの避難をどう進めたらいいのか。想像を絶するオペレーションだ。
鉄道と道路、空港は政府の完全管理下に置く必要があるだろう。そうしなければ計画的な移動は不可能だ。自分では動けない、入院している人や介護施設にいる高齢者にはどこへどのように移動してもらうか。妊婦や子どもたちだけでも先に疎開させたほうがいいのか。考えなければならない問題は数限りなくある。
どの段階で皇室に避難していただくかも慎重に判断しなければならない。
国民の避難と並行して、政府としては、国の機関のことも考えなければならない。これは事実上の遷都となる。中央省庁、国会、最高裁の移転が必要だ。その他多くの行政機関も250キロ圏内から外へ出なければならない。平時であれば、計画を作成するだけで2年、いや、もっとかかるかもしれない。それを数週間で計画から実施までやり遂げなければならない。
大震災における日本人の冷静な行動は国際的に評価されたが、数週間で5千万人の避難となれば、それこそ地獄絵図だ。5千万人の人生が破壊されてしまうのだ。『日本沈没』が現実のものとなるのだ。
どうか想像してほしい。自分が避難するよう指示された際にどうしたか。
引越しではないので、家財道具はそのままにして逃げることになる。何を持って行けるのか。家族は一緒に行動できるのか。どこへ避難するのか。西日本に親戚のある方は一時的にそこへ身を寄せられるかもしれない。しかし、どうにか避難したとしても、仕事はどうする。家はどうする。子どもの学校はどうなるか。
実際、福島第一原発の近くに住んでいた人々は、今、この過酷な現実に直面している。避難した約16万人の人々は不安な思いで一日一日をおくっている。仕事、子どもの学校など将来の見通しが立たず、時間とともに不安が大きくなっていると思う。福島の人には、大変な苦労をおかけしている。もし5千万人の人々の避難ということになった時には、想像を絶する困難と混乱が待ち受けていたであろう。そしてこれは空想の話ではない。紙一重で現実となった話なのだ。……(以下、省略します)
福島原発事故はまだ収束などしていないのです。
それにしても東京五輪招致で日本中(?)が喜んでいますが……
ちょとわかりませんね。
以上
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