宇宙人の独り言

「宇宙人の世界」へようこそ!!
本ブログのテーマは、「UFO」と「宇宙人」と「人類の歴史」をみなさんと考えることです!

縄文文化と江戸文化

2010年08月30日 | 日記
 私は、常日頃お世話いただいているH氏への返信メールとして、5月26日に次の内容のメールを送りました。

 
 「日本は太平洋戦争に敗れ、アメリカに占領され、すっかりアメリカナイズされてしまった。
 今でもそれは変わっていませんね(間接統治)。
 日本民族の大和魂はどこへいったのでしょうか。

 日本文化の原型は、縄文時代にあるのではないでしょうか。
 近くは、徳川300年、江戸時代です。天下泰平で民衆の文化芸術学問
 が花開きました。

 Hさんの言われる、いわゆる「東洋型の共生社会」の良さに目覚める
というのは、江戸時代のような社会に回帰することのようにも思えます。
 いかがでしょうか。

 いずれにせよ次代を担うリーダーは日本だというのは、私もまったく同感です」
                                    


 今振り返って見ると、日本文化の原型は縄文時代にある、というのは私の直感から出た言葉でした。
 今朝、船井幸雄さんのHP中の「船井幸雄のいま知らせたいこと」を読んでびっくりしました。
 同趣旨のことが書かれていたからです。
 例えば、「・・・いま、縄文時代というか縄文文化が、特殊な時代と言えるすばらしい時代だったことが分ってきました。・・・
 日本の縄文時代が今世界中から、注目を集めています。
 それは主として、考古学のジャンルから始まったものといえそうです。
 日本から出土する縄文土器が、どうやら世界最古のものであることが確定的になったようです。
 また日本の縄文の木造建築物も世界最古、しかも非常に優れたものであったことが証明されつつあるということです。
 人たちの生き方も遺跡から判断しますと、平和で互助を中心としたものだったようです。・・・・・」といったことが書かれています。

 そして、近々、ヒカルランド社から中矢伸一さんの新著『日月神示、宇宙縄文神とのまじわり』という本が今月中に出るようです。
 また、もう故人となられた太田龍さんの『縄文日本文明一万五千年史序論』(成甲書房刊)という著書があります。日本縄文文明の意義と特質が書かれています。


 日本文化の原型は、縄文時代にあるようですし、近くは、徳川300年の江戸時代だと思います。戦争はなく、しかも天下泰平で民衆の文化芸術学問が花開きました。
 池田整治さんが書かれた『マインドコントロール』という本の中に、素晴らしい江戸時代を描いた箇所がありますので、以下転載ご紹介します。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●江戸は人類史上、最初で最後の「共生都市」だった

歴史は繰り返される。
政権を獲ったものは、自己の正当性を強調するために、必ず前政権を否定する。
第二次世界大戦後はGHQの統治成功のために、戦前の日本のほぼすべてが悪とされた。
同じように、明治維新政府の正当化のために、それ以前の「江戸」は否定された。
では日本という国と「初めて」遭遇した外国人は、当時の江戸をどのように見たのであろうか? その記録があれば、もっとも客観的な評価を知ることができると思う。

実は幕末から明治初期にかけて、約4000人もの欧米知識人たちが日本近代化の教師として招かれた。最も有名な人が、帰国に際し「少年よ大志を抱け(Boys,be ambitious)」との明言を残した、札幌農学校(現在の北海道大学)創設者のクラーク博士である。
彼らの言葉中に、当時の江戸のすべてが表現されていると言っても過言ではない。
渡辺京二著『逝きし世の面影』(平凡社)からそれを、一部抜粋・転載させていたただく。

         *

「地上で天国(パラダイス)あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。」
「その景色は、妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙虚であるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることはない。これこそ日本を、人生を、生き甲斐あらしめる。
ほとんど全てのことにおいてあらゆる他国より一段と高い地位に置くものである。」
             (英国詩人エドウィン・アーノルド。明治二年来日時の歓迎晩餐会スピーチにて)


「日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感の持てる国民で、日本は貧しさや物乞いの全くない唯一の国です。私はどんな地位であろうともシナへ行くのはごめんですが、日本なら喜んで出かけます。」
 (オリファント。1858年英修好通商条約締結のためのエルギン卿使節団の一員。母国の母への手紙)


「海岸の住民も、みんな善良な人たちで私に出会う度に親愛の情を込めた挨拶をし、子供達は真珠色の貝をもってきてくれ…根の親切と真心は、日本社会の下層階級全体の特徴である。」
「江戸庶民の特徴:社交好きな本能、上機嫌な素質、当意即妙の才」
「日本人の働く階級の人達の著しい特徴:陽気なこと、気質がさっぱりして、物に拘泥しないこと、子供のようにいかにも天真爛漫であること。」
                    (アンベール。1863年、スイス遣日使節団団長)



「世界のいかなる地方においても労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っている
ところはあるまい。」
「肥沃な土壌と良い気候と勤勉な国民」
「平野は肥沃で耕され、山には素晴らしい手入れの行き届いた森林があり、杉が驚くほどの高さまで伸びている。住民は健康で、裕福で、働き者で、元気が良く、そして温和である。」(オールック)


「誰彼となく互いに挨拶を交わし、深々と身をかがめながら口元にほほえみを絶やさない」
「その住民全ての丁重さと愛想のよさにどんなに驚かされたか。…地球上最も礼儀正しい民族であることは確かだ。」(ボーヴォワル)


「挙動の礼儀正しさ、他人への感情につての思いやりは、日本人の生まれながらの美徳」(モース)


「良き立ち居振る舞いを愛するものにとって、この「日出ずる国」ほど、やすらぎに満ち、命をよみがえらせてくれ、古風な優雅があふれ、和やかで美しい礼儀が守られている国は、どこにもほかにありはしない…」(アーノルド)


「世界で一番かわいい子供」(ムンツインガー)

「彼らの無邪気・素直な親切、むきだしだが不愉快でない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意志は我々を気持ちよくした。一方、婦人の美しい作法や陽気さには魅力があった。更に通りがかりに休もうとする外国人には、ほとんど例外なく歓待され「おはよう」という気持ちのよい挨拶を受けた。この挨拶は、道で出会う人、野良で働く人、あるいは村民から絶えず受けるものだった」                           (英国人ブック。1880年)


「日本人の性格中、異彩を放つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着さである。」(スエンソン)


「ここには詩がある。ここでは叙情詩も牧歌ロマンスも、人が望むありとあらゆるもが渾然一体となって調和していた。平和、底抜けの歓喜、さわやかな安らぎの光景が展開されていた。」

「横浜から東北、北海道の陸路を4ヶ月かけて旅したが、一度も危険を感じた事は無かった。武士道の倫理で成り立っている素晴らしい国。『籠かき』は、はじめ裸同然で醜いと思ったが、彼らが醜くないことを知る。極めて彼らはジェントルマンである。私は神にこれ程高潔・誠実で明るい男達の事を忘れないでくれと祈った」          (イザラマ・バード:英国20歳の女性英語教師)

        
           ※


良書からのほんの一部の抜粋だが、いかがだろうか。
これらのメッセージをまとめた著者の渡辺京二氏は、この本の中で次のような所見を述べている。
「自然に対して意識を開き、万物との照応を自覚することによって生まれる生の充溢は、社会の次元においても、人々の間に強い親和と共感の感情を育てたのである。そしてその親和と共感は、単に人間同士の間にとどまるものではなかった。それは生きとし生けるものに対して拡張されたのである」

幕末に異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、一つの完成の域に達した文明だった。
それは成員の親和と幸福感、与えられた生を無欲に楽しむ気楽と諦念、自然環境と日月の運行を年中行事として生活する「仕組み」において、異邦人を賛嘆へと誘わずにはいられない文明だった。
では江戸の町の何が、異邦人たちをこのように賛嘆させたのか。それを見てみよう。

●都市全体が循環する「リサイクル」国家

日本に来た外国人は、そのほとんどが中国・上海を経由した。
上海という街は、見た目は石造りの高層ビルもあるが、ほとんどの住民は彼らの目から見ると、まるで物乞い同然の汚いものだった。そこからさらに船で東端の島国である日本を目指した。インド、中国の次である。彼らは相当な汚さを予期していた。
ところが日本に上陸すると、その美しさに絶句した。
黒潮・親潮の海洋エネルギーの恩恵に積み重ねられた「春夏秋冬」の、まるで絵画のような大自然に圧倒された。都市生活に慣れた人が、太古からの自然が唯一残る北海道・知床にいきなり上陸するようなものと考えて欲しい。

寒村の横浜でも、小道に至るまで綺麗に手入れが行き届いている。マッチ箱のような農家でさえ、庭には小奇麗な盆栽がある。欧州における農奴の生活ではあり得ない風景だ。
それまでの国々で「give me money」とまとわりつく子供がいないばかりか、逆に礼儀正しい住民と目を輝かせた好奇心あふれる子供たちがいる。彼らは異邦人を家に案内し、食事を賄い、風呂まで入れて、しかも帰りには土産までくれる。御礼に手持ちのペンなどを差し出すが受け取らない。寝る時は家に鍵をかけないで寝ている。

さらに江戸に行くと、そこはまるでパラダイスだった。
それもそのはずである。現存する後楽園や六義園クラスの大規模な公園が300~400ほどある。中規模の公園は3000~4000ほどもある。小さな個人の家にも必ず庭があり、盆栽などが植え込まれている。言うまでもなく、大規模な公園は大名屋敷であり、中規模な公園は旗本屋敷や神社境内である。
しかも非常に衛生的だ。トイレが完備されていて、汚物は有機肥料として使われている。完全な循環型有機農法で、リサイクルにより人口100万人を賄っている。とても清潔で、掃除の行き届いた町並みだった。

行き交う人々は礼儀正しく、温かい人間性にあふれている。必ず笑顔で挨拶をしてくる。子供の天真爛漫な無邪気さは他国では見られない。市民が本屋の前で立ち読みする姿など世界で始めて目にした。絵画や彫刻、陶磁器等の芸術も、これまで見たことのないほど繊細で大胆な構図である。目に触れる物、人、そのすべてに彼らは感動した。
これらを上空から見れば、まさに緑あふれた史上最大、最高の公園都市・パラダイスだろう。列島文明の特性である「自然との共生」が、大都市・江戸で結実したのである。

●悪臭漂うパリやロンドン、物乞いのない江戸

では、彼ら異邦人の都市はどうだったのか。
当時、パリやロンドンは人口が約50~60万人ほどで江戸のほぼ半分だった。
江戸との大きな違いは、緯度が高く、生物を養う豊潤な海洋エネルギーが乏しく、地質もやせていることにあった。その結果、自然との共生ではなく、自然を克服し、唯一の建設資材となる「石」を使って人口的で幾何学的な街を作るほかなかった。

石の建造物なので、高層ビルも建てられ確かに見栄えはする。しかし生活は決して快適とは言えない。トイレは各階のしかるべき部屋に「壺」が置かれた。壺に坐って用を足すのである。このため、女性のドレスの裾に鉄線が入れられ花びらのように開かれた。一見華やかなドレスのデザインには、実はこういう事情があったのである。
壺が一杯になると、汚物が窓から捨てられた。江戸と違って上下水道が完備されておらず、生ゴミ等は放し飼いの豚に処理させるお粗末さである。それゆえ、ぬかるみの路地では夏ともなると虫が湧き、不衛生極まりない。だからコレラが流行した。そして臭い消しとして香水が多用された。欧州で香水が発達したのは、こういう理由であることを忘れないで欲しい。
貴族階級以外は、ほとんどが彼らの使用人か農奴である。彼らは麦わらの中で雑魚寝生活である。読み書きのできる市民などほとんどいなかった。
こういう都市生活をしていた異邦人たちが、生まれて初めて味わったのが江戸という自然公園都市だった。彼らがパラダイスと感じ、賞賛した所以である。・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
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新たなる金融危機に向かう世界

2010年08月20日 | 日記
 近年の円・ドル相場を見ると、 2007年6月1日には、1ドル=122円であった。その2カ月後にサブプライムローン崩れが起きている。そして、2008年9月15日のリーマン・ショックのあとの10月23日には、1ドル=88円まで急落した。

 2010年8月19日現在は1ドル=85.75円前後の動きである。
 これはもうドルの暴落といってもいい。
 いよいよアメリカ経済崩壊の兆しが見えてきたようである。



 2010年8月16日の「田中宇の国際ニュース解説 」よると(一部抜粋)、

 イランでは、初の原子力発電所であるブッシェール原発が、8月21日から稼働することになった。稼働(原子炉への燃料棒の挿入)にはIAEA(国連の国際原子力機関)も立ち会う予定だ。これはIAEAが認めた原発稼働である。

 これに関して、ブッシュ政権の国連大使だったネオコンのジョン・ボルトンは、8月13日、フォックス・ニュースに対し「イスラエルは8月21日までにブッシェール原発を空爆せねばならない。云々」と述べたという。

 CIAや米軍関係者の中にも「イスラエルは、早ければ8月中にイランの核施設を空爆する」「中東で核戦争が起こり、それが(中国やロシアを巻き込んで)第三次世界大戦的なものに発展する」と予測する人々がいる。ボルトンは過激なことばかり言う茶番的な人だが、「大戦争が近い」という感触は、米諜報界の全体にある。

 7月中旬には、マレーシアのマハティール元首相が「米国とイスラエルがイランを軍事攻撃するのは、時間の問題だ。イランが制裁で弱体化したところを狙って、空爆するつもりだ」と述べている。米欧日などのマスコミは、カストロやマハティールの発言を軽視したが、長く国家指導者の立場にいた2人は、米国がキューバやベトナムを軍事侵攻した時の状況を肌身で知っている上、独自の諜報網を持っており、米英諜報界が感じている「大戦争が近い」という感覚を共有しているのかもしれない、という。 (以上、2010年8月16日の「田中宇の国際ニュース解説 」より)

 

 副島隆彦著「新たなる金融危機に向かう世界」(徳間書店刊)の「まえがき」には、次のように書かれている。
 
――――――――――――――――――――――
 今年は、2010年の5月6日に、激しい動きが、世界の金融経済に起こった。
 どうやら゛5月6日゛のニューヨークの株式の取引で、恐ろしい動きが起きたようである。・・・
この日、ニューヨーク・ダウ工業株30種平均が998ドル(約千ドル)の暴落をしている。この動きの中身に大きな秘密が隠されている。・・・
 
 この日の終値は、結果的には348ドルの下げ、ということで終わった。急落のあと一気に650ドル戻したということだ。それまであった景気回復の言葉がこの日を境に消えた。日本国内の投資家や相場師たちも、顔が一様に引きつり始めた。この日から世界の流れが変わった。そして、相次いで、いろいろな事件が起きた。メキシコ湾での大量原油流失(4月20日からまだとまらず)。欧州゛ユーロ危機゛。そして日本の6月2日からの菅直人らによる゛民主党内クーデター゛である。

 各種の金融市場で相当大きなポジションを取っていた人たちが、いわゆる゛ストップロス゛のような形で、市場からの退場を命じられたようだ。投資したお金の半分ぐらいを吹き飛ばす人がかなり出たようである。

 これらのことは新聞記事にならないし、表面には出なかった。この日から新しい世界的な金融危機に向かって動き出した。だから、それまでは、「2010年は景気回復の年で、このまま株価も上がる。アメリカを中心に回復していく」と言い続けた人々の顔つきが一変した。

 この後、今年2010年の暮れの、11月からの大きな変動に世界は向かっていく。私は自分が書いた前の本『ドル亡き後の世界』(祥伝社、2009年11月刊)で、次のように予測した。
「2010年3月には一旦、崩れる。そして……秋から……」と書いた。「この3月に一旦、崩れる」は、2カ月遅れで前述した5月6日の一瞬の大暴落となって現われた。そして、このあとも、私が前著で書いたとおりになる。

  来年の2010年3月から崩れ出す。(略)来年2010年3月に入ってから、株と為替と債権(国債)の3つの金融市場で小さな世界的な暴落が来るだろう。そして春から夏にかけて、その後一旦は持ち直すだろう。そして来年の夏から本格的なアメリカの金融崩れ(景気崩れ)が起きて、年末にかけて本格化する。私はこのように予測する。このことは数年前から私の既刊書で書いてきたことでもある。
  (『ドル亡き後の世界』詳伝社刊、P25~26)


 このように、この夏にかけてもう一回小康状態が続いたのち、この秋から″11月の危機″に向かってゆく。
 本書で私は秋以降の新しいシナリオを示す。読者の皆さんお待たせしました。9月まではずるずると現状が続いて、金融恐慌入りの前哨戦(スカーミッシュ)を続ける。
 ユーロが狙われたので、その次は金(きん)が狙われるのではないか。金地金が一旦、暴落させられる。おそらくこの金の大きな下落のあとにドル(米国債)の暴落が起きるだろう。

 決定的な暴落はやはりニューヨークを中心にしたものである。決してヨーロッパや中国での暴落ではない。そして、11月4日に中間選挙がアメリカであって、オバマ大統領が致命的な打撃を受ける。そして、来年、2011年に向けて、ヒラリー・ローダム・クリントン国務長官に大統領職を取って代わられる動きになる。″バッド・コップ″「悪の警察官」であるヒラリーの出現である。私は、この3年間、他書でもずっとこのように予言してきた。当ててみせる。

 アメリカ国内の金融経済の大激動が起きる。これは″1929年のNY発大恐慌″の再来と同じようなものであろう。ヒラリーたちは、この事態を一気に封じ込めるために、数百本の法律をどんどん改正して、例の「金融規制法 Financial Regulations Act」(この7月から施行)に続いて、世界を金融統制体制″ヒラリー・ファシズム″にたたき込むだろう。日本も例外ではない。菅直人や仙谷由人のような奇怪な政治家たちの急激なせり上がりにそのことが見てとれる。

 経済政策は、①金融政策と②財政政策から成るが、①のみの時代はもう終わったのだ。あとは②の伝統的な財政政策しか残されていない。財政政策で貧乏になった国民を救けるしかない。世界は一様にケインズ経済学の公共投資、公共事業一点張りの思想に変わったのである。・・・
――――――――――――――――――――――――――――

 
 副島氏はまた同書の中で、戦争の危険(危機)が迫っているとして、次のように書いている。


「戦争の危険(危機)が迫っている。中東で戦争が起きるだろう。それはイスラエル空軍による、イランの核施設4カ所ぐらいに対する大がかりな空爆であろう。イスラエルによるイランへのプリエンプティブ・アタック(国際法違反の先制攻撃)が、中東イスラム圏でのラマダン明けの9月か、遅くとも10月には実行される恐れが強い。そうなると戦争景気が騒がれる。その゛戦争刺激経済゛で、アメリカの株価が、無内容に感情(情緒)だけで上がるかもしれない。

 ゛ワル゛のヒラリー次期大統領(と私は勝手にずっと予言してきた)が、ロバート・ゲイツ国防長官(二人には愛人関係の噂もある)と、それからマイケル・マレン海軍提督という凶暴な米統合参謀本部議長の三人がやる。やると言ったらやる。米政府(米財務省)は恐ろしいほどの巨額の財政赤字(真実の数字は隠し続けている)で、もうどうにもならなくなっている。次のヒラリーは、この事実をいやと言うほど知っている。だから、アメリカの金融・経済の好調を見せかけるために戦争という景気づけで、「ドカーン」と世界中を脅かしたいのである。

 その前に、この2月からヨーロッパ(ユーロ通貨)を散々いじめて、暴落させて、ヨーロッパの資金を政治力で無理やりアメリカに還流させた。P152以下で説明する」

 
 詳細は是非、副島隆彦著「新たなる金融危機に向かう世界」(徳間書店)を読んで下さい。

 いつも悲惨な目にあうのは一般民衆である。
 世界平和を祈るのみである。
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心の在り方

2010年08月15日 | 日記
 こんな禅僧の話があります。

 ある侍が禅僧を訪れて、「天国と地獄がどこにあるか教えてください」と聞きました。
 そのような質問をするのは、どなたですか?」と禅僧。
「私を知らないのですか。この地域を支配する有名な侍です」と侍。
「でも、あなたのお顔は乞食のようです」と禅僧。
それを侮辱と受け止めた侍は怒り狂い、刀をさやから抜き取りながら、「屈辱を受け入
れるわけにはいかない、あなたを殺します」といい放ちました。
すると禅僧は、「あなたは今、地獄にいます。あなたの怒りが地獄です、破滅なのです」と
説きました。
「喩えを使って、地獄について説明してくれただけなのですね。怒りをぶつけて申しわけあ
りません。刀を収めますので、お許しください」と侍。
「あなたは今、天国にいます」と禅僧がいいました。
                                            (出典不明)
 
 天国と地獄は、この瞬間に共存しています。たちまち変わるものなのです。
                                         



 また、こんな詩があります。

      大いなる哉(かな) 心や
      
      天の高きや 極むべからず
        
        而(しか)も心は 天の上に出(い)ず 
      
      地の厚きや 測るべからず
        
        而(しか)も心は 地の下に出ず
      
      日月の光や 踰(こ)ゆべからず
        
        而(しか)も心は 日月の明の外に出ず

      天地 我を待ちて 覆載(ふくさい)し

        日月 我を待ちて 運行し

      四時 我を待ちて 変化し

        万物 我を待ちて 発生す

      之を 最上道 と名づけ、

      また 無上菩提(ぼだい) と名づけ、

      また 正法眼蔵 と名づけ、

      また 涅槃妙心(ねはんみょうしん) と名づく

              (これは道元の書、『正法眼蔵』に書かれています)

 これは、人間の心というものが、いかに大きいかを示しています。
 「広大無辺な大宇宙よりもさらに心は大きいじゃないか……」と言う訳けです。
 

  今日は、終戦記念日です。
  わたしたちは、もう一度、人間の心の在り方についてよく考えて見たいものです。 

 

 
 



 
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天皇とは、日本人とは何か

2010年08月11日 | 日記
 日本国憲法第1条には次のように書かれています。

 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」


 天皇とは、日本人にとってどんな存在なのでしょうか。

 
 古代より伝承されたという山蔭神道の第79代宗家を継承し、その後、宗教法人山蔭神道
を愛知県に設立し、その管長であられる山蔭基央氏は、次のように書いています。

 ――――――――――――――――――――
 「いのち」と「もの」
 私が「いのち」という言葉について真剣に考えるようになったのは、昭和天皇が危篤に入
られたとき、「私は年内に逝くわけにはいかない。全員、努力せよ」とのお言葉を下された
ことからである。
 それはもちろん、年末年始の国民経済のことをお考えになってのことで、このいまわの際
の大御心に、私は号泣してお応え申し上げたのである。
 それは古風にいえば、現津神(あきつかみ)たる天皇の勅命であった。このとき、天皇は
「いのち」をモノとして見ておられたからこそ、もろき生命を大切に扱い、全力を注いで長
もちさせるよう命ぜられたのである。
 まさに、いのちとは肉体にこもるものであることをご存じのうえでの勅命であった。
 「いのち」とは「もの」の部類であるのだ。・・・

 ・・・
 このように見てくると、昭和天皇が侍医たちにあえて発せられたお言葉には、深い意味が
あったことがわかる。
 そこで山蔭神道は、いのちを幽界の生物として扱うことにし、そのいのちの働きを増大強
化するために、《いのち繋ぎの祈祷》を行うことにした。

 まず、二十四人の若き女性から生命を一年ずつ昭和天皇に献げてくださいとお願いした。
 彼女らは、その日から潔斎に入り、「天皇陛下、私のいのちをお使いください」と涙なが
らに祈ったのであった。
 もちろん、私は各個人の姓名を神前に献げて、「大神の思し召すままに、これらの女性た
ち(ひとびと)のいのちをお用いください」と祈った。それはもちろん、ここには記せない
ような古伝の神秘の祈りである。

 やがて、昭和六十四年一月七日の朝を迎えた。二十四日後のことである。
 若い女性の生命一年分を一日に消費しての御臨終であった。そのときの「毎日二時間ごと
の記録」がある。宮内庁の発表と干支五行の旺衰とは一致していた。
 二十四人の若き女性の生命だけではない。自衛隊員で昭和天皇と同じ血液型の青年二十幾
人から血液も秘儀のなかで献げられた。ここにおいて昭和天皇は、国民の生命と一心同体と
なられたのである。
 こうして私たちは限りなき光栄を拝受したのである。しかも私は、古伝祭祀を復原できた
ことをことのほかの光栄としている。
・・・
〔参考:山蔭基央著『神道の生き方』〕
――――――――――――――――――――――――――――――――


 
 皇太子から天皇になるためには、ある儀式を行わなければならない。天皇即位式である。
 最大の秘儀は「大嘗祭(だいじょうさい)」である。
 大嘗祭とは、新しい天皇が初めて行う「新嘗祭(にいなめさい)」のことで、その年に採れた新穀を天照大神とともに食す儀式である。
 今の天皇が皇太子のときの大嘗祭をまじかで見たある宮司さんがいる。

――――――――――――――――――――――――――――――
 ちなみに、天皇というのはどういう存在なのかということをよく聞かれます。これは私自身の体験談なのですが、私がいちばんびっくりしたのは大嘗祭(だいじょうさい)のときです。天皇がご即位されていちばん最初の新嘗祭(にいなめさい)を、大嘗祭といいます。そのときに天皇がいわゆる大嘗宮のなかに入られて、天照大神に自らご飯を差し上げられて、そのご飯を天皇も召し上がる。そして天照大神と一つになる。それが本当に天皇になられるという儀式なんですね。いまでも行われているでしょう。
 
 いまの天皇の大嘗祭のときに私は衣紋者として宮家の方々はじめ儀式に出る方々のお衣装をお着けしたんですが、大嘗宮のなかにはもちろん入れないから、その入り口で待っているでしょう。そのときに、一つになられる前に入っていかれる天皇と、天照大神とご一体になって出てこられた天皇の違い、この威厳のすごさにみんなびっくりしました。天照大神と一つになるというのは本当だなと思いました。私だけが思ったのではなくて、そこに奉仕した人はみんなそう思ったのです。
〔参考:葉室頼昭著『神道 見えないものの力』〕
――――――――――――――――――――――――――――――

 と語っています。



 人類みな兄弟といいます。
 日本は天皇を本家とする一大家族国家なのでしょう。
 日本人は先祖をたどれば誰でも、どこかで天皇とぶつからなければ、自己は存在しなかったのです。


 

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印象に残った2冊の本

2010年08月06日 | 日記
 最近読んだ本で、印象深かった本を2冊ご紹介します。
 読む価値ある本と思います。
 

●1冊目は、ウィリアム・イングドール著 為清勝彦訳『マネーハンドラー ロックフェラ
 -の完全支配 アグリスーティカル(食糧・医薬)編』(徳間書店刊)です。

 
 著者は、あとがきで次のように書いています。

 ・・・
 先に紹介したヘンリー・キッシンジャーの言葉を思い起こしておくと、彼は「石油を
掌握(コントロール)せよ、そうすれば諸国の政治経済を自在に操縦(コントロール)
できる。食糧を掌握(コントロール)せよ、そうすれば人口を調節(コントロール)で
きる」と語っていた。2006年まで、ワシントンのブッシュ政権は、石油、食糧ともに、
世界支配の確保に向け、好調に進んでいるように見える。何億という普通の健康を愛する
人々が、本当に大事な課題を、そうした人たちに任せておくわけにはいかないと、これか
ら決断するのかどうか、それは今後、明らかになることである。


 また訳者はあとがきで

 【W・イングドール】世界平和の大試練は、アングロサクソン系アメリカ圏内を震源と
する経済混乱から発生すると考えている。この混乱が進行し、自らの世界的地位が衰退
したとき米国支配層がどう対処するか。それは予測不可能だが、醜い悪あがきとなり、
最終的には自滅につながるだろう。


 ワクチンの強制接種の可能性を含め、かかる危機的状況において、我々個人にできるこ
と、対処法についてアドバイスを求めた。
 
 【W・イングドール】簡単に言えば、最近の米国で全然別の事情〔麻薬撲滅など〕で生
まれた言葉だが、「絶対ダメ!」(非服従)だ。もしも政府が強制化するならば、インター
ネットのブログやTwitter(ツイッター)など大衆的な手段で、政府が手を引くまで、徹底
的に抗議の輪を広げるべきだ。
我々は、愛する者や子孫のために闘うときに、自分で思っている以上に強くなれる。

 実際に、昨年の後半にはインターネットでワクチンの危険を訴える情報が広がり、欧米
では概ね一割程度の人しかワクチンを接種していない。不足するとされたワクチンは大量に
余っている。この事実は、世界完全支配を目指す勢力を前にして、我々はただ怯えるだけの
無力な存在ではないことを証明したと言えるのではなかろうか。

 
 家畜として生きるか野生として生きるか?

 
 本書を読むと、いかに我々が危険な食品に囲まれているか思い知ることになる。食欲を
減退させるという意味では、いかなるダイエット本よりも効果的ではなかろうかと思う。
産業革命以来の商業主義的な食文化は、「安くて綺麗で美味しい」食品を追求し、それが
小麦粉などの「精製」による過剰な糖分や有害添加物の摂取となり、肥満や糖尿病などの
慢性的な病気をもたらすことになった。GMO食品以前の問題である。実は、人間の身体
は、長かった狩猟採集の時代とあまり変わっておらず、この問題を本当に遡るならば、農耕
と畜産が始まったときになる。

 肉体をシステムと考えた場合、食べ物はインプットである。これが狂えば、アウトプット
である健康が狂うのは当然である。そして、医薬品も身体にインプットするという意味では
、食べ物と同じである。
ワクチンに至っては予防接種ということで、健康な人がインプットするのであるから、ます
ますそうである。身体に悪いものをインプットし、それで病気を作る。そして、その病気を
治すといって副作用のある薬を使う。その悪循環から脱却できない。

 野生の動物は薬にも頼らず、病院にも行かない。ペットや家畜には病院もあり薬もある。
抗生物質の消費量は、今や人間よりも家畜の方が多いと本書にも記載がある。ペットの
糖尿病が増えているという。
 
 野生動物は、いつ食事にありつけるか分からない。しかし、野生動物を束縛するのは自然
界の法則だけだ(もちろん、集団で生活する野生動物もおり、「個体」で捉えれば集団の
ルールに縛られていると見ることもできる)。家畜やペットは、エサには確実にありつける
。しかし、生殺与奪権と行動の自由は、別の生物種である「人間」という飼い主が握って
いる。

 本書にある畜産工場の実態にどんな感想を持たれたであろうか? それは、効率を突き
詰めた「管理(コントロール)」の姿である。私には、世界の人間を「支配(コントロール
)」する願望を持つ者が目指す究極の姿が、まさにここにあると思えてならない。一生を
身一つ分の檻の中で過ごす豚は、そもそも外の世界を知らない。
さすがに我々は檻の中には入っていない……いや、本当にそうだろうか? 畜産工場の豚た
ちは、自らが管理されているのを自覚しているだろうか。類推(アナロジー)は尽きない。

 どのような生き方をしようとも、最終的に死ぬことは変わりはない。ただ、物理的に監禁
された家畜たちとは違い、我々にはまだ、自らの意志で生き方を選ぶ余地が残されている。



●2冊目は、イオン・アルゲイン著『聖書の暗号は読まれるのを待っている』(徳間書店
 刊)です。


 著者名はペンネームで、1963年生まれの日本人です。
 『聖書の暗号』の解読に人生を賭けておられるようです。
 この本は、著者自ら書いていますが、どうもイメージを見せられ、直感で書かれたようで
 す。最近は左脳で意識して書くというより、このように右脳を使って物を書く人が増えて
 いるような気がしています。

 『聖書の暗号』がもし真実としたら、今までの歴史は完全に塗り替えられるでしょう。
 
 いずれにせよ本書は、著者が生命を賭して、膨大なデータをまとめ上げた第一弾目の著作です。



 





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