後になって思いおこせば、私がフォークソングを最初に聴いたのは、いわゆるモダンフォークのキングストントリオ「花はどこへ行った」やブラザースフォー「500マイル」などであったのだろう。だがその時は、それがフォークソングであるとの認識はまだなかった。
フォークソングと称されるもので、最初に興味を持ったのは、日本のフォークでザ・フォーク・クルセイダーズの「帰って来た よっぱらい」を聴いた時であった。
それを契機として、その後、何人かのフォークシンガーに影響を受けている。
その一方で、ウディー・ガスリー、ピート・シーガー、カーターファミリー、ボブ・ディランなど、モダンフォークから、さらにはマウンテン、ヒルビリー、オールドタイムに至るまで、アメリカンフォークソングの源流トラディショナルを辿って行くことになった。
ところで、今年は元フォーククルセイダーズの加藤和彦が亡くなった。私が影響を受けた日本のフォークシンガーとしては、これまでに高田渡、坂庭省吾、木田高介らの各氏が亡くなっている。
この国のフォークソングとやらで最初に衝撃を受けたのは、やはり14歳の頃に聴いたフォーク・クルセイダーズである。次いで10代の頃は、高石友也、高田渡と来て、1時は吉田拓郎に傾注した。そして20代になって、高石ともや&ザ・ナターシャーセブンに舞い戻り、現在は笠木透と雑花塾という次第である。
ただ風市の効いた唄とアコースティックギターの音色に見せられて、趣くままにということでは、終始一貫していたのかも知れない。
1970年代初めの頃、高石ともや&ザ・ナターシャーセブンと笠木透&我夢土下座による「フィールドフォーク」の3枚のlpレコードを拝聴してから、笠木透のファンになった。
だがその後、フォークス、雑花塾と活動を続ける彼の生演奏を直に聴く機会は全くなかった。たしかに以前には、茨城県方面への公園はほとんどなかったようである。
私が笠木透と雑花塾のコンサートを初めて観賞できたのは、1995年黒磯市民会館でのコンサートだった。
ナターシャーセブンは何度も聴いていたのでどうしてもそこと比較してしまったのだが、正直に言って、前者はプロで後者はあまだと思うほどの違いを感じた。
だが、テクニックの上ではナターシャーのほうが優れているかも知れないが、雑花塾は、笠木さんのmcのメッセージが鋭く面白い。普通のおじさん?おばさん?が楽器を持って、自分たちのメッセージを個性創造性豊かに歌い演奏していた。私にとっては、理屈でなく素直にその演奏やメッセージに共感共鳴できた。
これぞ日本型フォークソング!とまで大げさには言わないが、この国に生きる人たちによるフォークソングの一つの在り様だと感じた。
フォークソングの定義とやらがあったにしても、これまた食べ物と同じく地産地消が基本なのだろう。この地方に生きる人たちとの結びつきを大事にしたいと思う。
もとより、「野良の話題から世界の平和まで」を自認するヒューマンファーマーズなのだが、プロではないし技術も伴わないままグローバルなテーマも追求してきた。これはこれで良いのだが、余裕がない分だけ、地元での活動がおろそかになっていた。
私自身としても、これを生業としているわけではないが、生活の大事な部分を構成していることは事実で、音楽や文化を通して仲間をつくりネットワークを広げてきた。
立場上しばらくの間、広域的な活動が多かった。すっかり疎遠になっていた昔の仲間たちともこのところ寄りを戻しているのだが、彼らも歌や音楽文化を求めていることを改めて痛切に感じた。
今を 精一杯生きている人たちの、社会運動に伴なう演奏活動もフォークソングらしいのだが、地域の仲間たちとのんびり演奏活動を続けて行く事も、またフォークソングらしいと思っている。
フォークソングと称されるもので、最初に興味を持ったのは、日本のフォークでザ・フォーク・クルセイダーズの「帰って来た よっぱらい」を聴いた時であった。
それを契機として、その後、何人かのフォークシンガーに影響を受けている。
その一方で、ウディー・ガスリー、ピート・シーガー、カーターファミリー、ボブ・ディランなど、モダンフォークから、さらにはマウンテン、ヒルビリー、オールドタイムに至るまで、アメリカンフォークソングの源流トラディショナルを辿って行くことになった。
ところで、今年は元フォーククルセイダーズの加藤和彦が亡くなった。私が影響を受けた日本のフォークシンガーとしては、これまでに高田渡、坂庭省吾、木田高介らの各氏が亡くなっている。
この国のフォークソングとやらで最初に衝撃を受けたのは、やはり14歳の頃に聴いたフォーク・クルセイダーズである。次いで10代の頃は、高石友也、高田渡と来て、1時は吉田拓郎に傾注した。そして20代になって、高石ともや&ザ・ナターシャーセブンに舞い戻り、現在は笠木透と雑花塾という次第である。
ただ風市の効いた唄とアコースティックギターの音色に見せられて、趣くままにということでは、終始一貫していたのかも知れない。
1970年代初めの頃、高石ともや&ザ・ナターシャーセブンと笠木透&我夢土下座による「フィールドフォーク」の3枚のlpレコードを拝聴してから、笠木透のファンになった。
だがその後、フォークス、雑花塾と活動を続ける彼の生演奏を直に聴く機会は全くなかった。たしかに以前には、茨城県方面への公園はほとんどなかったようである。
私が笠木透と雑花塾のコンサートを初めて観賞できたのは、1995年黒磯市民会館でのコンサートだった。
ナターシャーセブンは何度も聴いていたのでどうしてもそこと比較してしまったのだが、正直に言って、前者はプロで後者はあまだと思うほどの違いを感じた。
だが、テクニックの上ではナターシャーのほうが優れているかも知れないが、雑花塾は、笠木さんのmcのメッセージが鋭く面白い。普通のおじさん?おばさん?が楽器を持って、自分たちのメッセージを個性創造性豊かに歌い演奏していた。私にとっては、理屈でなく素直にその演奏やメッセージに共感共鳴できた。
これぞ日本型フォークソング!とまで大げさには言わないが、この国に生きる人たちによるフォークソングの一つの在り様だと感じた。
フォークソングの定義とやらがあったにしても、これまた食べ物と同じく地産地消が基本なのだろう。この地方に生きる人たちとの結びつきを大事にしたいと思う。
もとより、「野良の話題から世界の平和まで」を自認するヒューマンファーマーズなのだが、プロではないし技術も伴わないままグローバルなテーマも追求してきた。これはこれで良いのだが、余裕がない分だけ、地元での活動がおろそかになっていた。
私自身としても、これを生業としているわけではないが、生活の大事な部分を構成していることは事実で、音楽や文化を通して仲間をつくりネットワークを広げてきた。
立場上しばらくの間、広域的な活動が多かった。すっかり疎遠になっていた昔の仲間たちともこのところ寄りを戻しているのだが、彼らも歌や音楽文化を求めていることを改めて痛切に感じた。
今を 精一杯生きている人たちの、社会運動に伴なう演奏活動もフォークソングらしいのだが、地域の仲間たちとのんびり演奏活動を続けて行く事も、またフォークソングらしいと思っている。
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