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まっかちゃんのブログ

シニアが社会を変えよう! 生涯学習、生涯現役、生涯元気
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宝塚歌劇100年への道

2010-02-27 18:23:34 | 文化・文学・アート
25日、大阪市立大学 文化交流センター「専門家講座 2月」 マスコミコース《新聞で宝塚と大阪を語る》の1回目「宝塚歌劇100年への道」を受講しました。講師は、産経新聞社文化部の平松 澄子さんです。平松さんは、宝塚をはじめミュージカル中心に記事を書いているそうです。

1914(大正3)年に宝塚少女歌劇公演開始以来、昨年で95周年を迎えました。平松さんは、宝塚歌劇95年の歴史と魅力を熱く語りました。出演者は綺麗で若い魅力があるそうです。男性も遠慮せずに観に行くと良いとおっしゃっていました。詳細は[こちら]をご覧下さい。

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夫婦同伴文化はなぜ育たなかったのか

2010-01-16 01:48:20 | 文化・文学・アート
15日、立命館大阪プロムナードセミナー「木津川 計/芸能文化講座」第5回を受講しました。木津川 計さんは「上方芸能」発行人、元立命館大学教授、和歌山大学客員教授です。上方に限らず新派や新国劇など日本の芸能文化論を2ケ月毎に6回論じます。第5回のテーマは「夫婦同伴文化はなぜ育たなかったのか-観客倍増のために-」でした。

明治以降、「脱亜入欧」を目指し、西欧文明を貪欲に吸収し続け、生活様式はすっかり洋風化しました。しかし、どうしても学ぼうとしない欧米の日常的習慣がありました。日本人が夫婦で外へ出る習慣「夫婦同伴文化」が身につきませんでした。

木津川さんは、なぜ日本では欧米で一般的な夫婦同伴文化が定着しなかった理由を話しました。また、女性ばかりの団体で夫婦同伴文化が定着しない理由と、男ばかりの団体がなぜ夫婦同伴の集まりを開くのかを話しました。

1960年代の忙しかった高度経済成長のツケが70年代に日本の文化的様相を大きく変えました。男たちの文化離れ現象の顕在化、それが70年代以降の文化的特徴の一つです。男たちは演劇文化に親しまなくなり、美術館にも足を運ばない、音楽会とも縁遠くなりました。かくして、商業劇場の8割を女性が占めることになりました。

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ワッハ上方 現地存続

2009-12-29 14:09:17 | 文化・文学・アート
28日、大阪府の橋下徹知事は、大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)の通天閣への移転を見送り、当面は現地で存続することを表明しました。現在年間5万人の入場者を2011年度に8倍の40万人に増やすことが条件です。

府の年間負担額が約4億円と高いことから橋下知事は移転を表明していました。しかし、入居ビルを所有する吉本興業が府の負担を1億円だけとする案を提示しました。また、吉本興業が2011年度から2年間、運営に携わる意向を示しています。放送局も施設を活用した番組作りなどで運営を支援するそうです。

昨年4月11日、大阪府改革プロジェクトチームが「財政再建プログラム試案」を発表しました。ワッハ上方については、「他の府有施設等 に移転、規模縮小(展示機能及び演芸ライブラリー機能のみ存続)、実施時期は遅くても平成22年度末まで」とありました。

ワッハ上方が何とか存続できないものかと願っていた上方演芸愛好者の一人としては、まずは一安心といったところです。

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芸能における個人の役割

2009-11-21 19:22:27 | 文化・文学・アート
20日、立命館大阪プロムナードセミナー「木津川 計/芸能文化講座」第4回を受講しました。木津川 計さんは「上方芸能」発行人、元立命館大学教授、和歌山大学客員教授です。上方に限らず新派や新国劇など日本の芸能文化論を2ケ月毎に6回論じます。第4回のテーマは「芸能における個人の役割-藤山寛美と松竹新喜劇-」でした。

10年間で、葬式の風景と結婚式の風景が変わりました。団塊の世代(1947-49生)が葬式の風景を変えました。僧侶を呼ばない、墓を持たない、散骨をします。都市部で香典を受け取らない葬式が7割となりました。従来、香典は相互扶助でしたが、最近は金持ちが香典を受け取らなくなりました。お寺さんいらない、お墓いらない状況に、日本の仏教の将来を危惧しています。
団塊ジュニア(1971-74生)が結婚式の風景を変えました。仲人なしが9割を占め、上司を呼ばずに仲間だけの結婚式が多くなりました。古い文化は駆逐されましたが、「婚姻は両性の合意のみに基いて成立する」という法律面では良いことと思います。

松竹新喜劇は殺人や血まみれの障害を描きませんでした。極悪非道な人間も英雄豪傑も主人公にはなりませんでした。女のアホは一人もいず、セックスのシーンは一度も演じたことはありませんでした。それが藤山寛美さんの作劇術でした。

松竹新喜劇は日本一の喜劇劇団でしたが、市井にあって平凡、喝采を浴びず、認められることもなく愚直に生きる、そんな人たちに支えられてきました。
劇評家や演劇記者は松竹新喜劇を正当に評価しようとせず、演劇評の圏外に置き続けました。喜劇は「お笑い」程度の認識でしかありませんでした。

藤山寛美さんは1990年5月21日、肝硬変で亡くなりました。60歳でした。一国の歴史のおける個人(豊臣秀吉、徳川家康、西郷隆盛、大久保利通など)の役割は大きいけれど、もし彼らがいなくても遅かれ早かれよく似た別人に取って代わられたでしょう。そういう意味では個人の役割は小さいといえます。しかし、芸能における個人の役割は一国の歴史をつくるには小さいけれど、一代限りという意味では大きいといえるのです。

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世代間ギャップはなぜかくも開いたのか

2009-09-19 13:31:17 | 文化・文学・アート
18日、立命館大阪プロムナードセミナー「木津川 計/芸能文化講座」第3回を受講しました。木津川 計さんは「上方芸能」発行人、元立命館大学教授、和歌山大学客員教授です。上方に限らず新派や新国劇など日本の芸能文化論を2ケ月毎に6回論じます。

第3回のテーマは「世代間ギャップはなぜかくも開いたのか-演劇・歌・笑いを変容させたもの-」でした。日本ほど、年寄り(シニア)と若者の世代間のギャップの激しい国は他にないそうです。60代末から70年代にかけて「日本型文化大革命」が起き、文化的な感性や考え方が変わりました。60年代の大量生産/大量消費から、70年代以降の多品種/少量生産、軽薄短小、知識集約により「演劇・歌・笑い」が大きく影響を受けました。

演劇については、新劇と小劇場の比較を講義しました。新劇側から小劇場に対する批判を、その批判に対する小劇場側の反論を羅列して説明しました。しかし、最近では両者が融合し出しているそうです。

笑いについては、2005年6月「上方芸能」調査結果を説明しました。「今の漫才を面白いと思いますか」との問いに以下の回答がありました。
全体:面白い59%、面白くない38%、無回答3%
10歳~20代:面白い83%、面白くない17%
50歳以上:面白い39%、面白くない55%、無回答6%
60歳以上、高学歴層の多い阪神間の文教都市・川西市:面白い24%、面白くない76%

歌については、ラジオディレクターの小林 恭子さんが担当しました。時代の変化と歌謡曲の変化について、録音した歌を聴かせながら講義しました。流行音楽の中心が、明治から高度成長期まで「大人たち」だったが、高度成長期以降に低年齢化しました。しかし、人の心に残る音楽は残ります。リバイバルは無くならないし、年齢を超えて感動を与え続ける良い歌は残ります。 

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