まっかちゃんのブログ

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祝の島(ほうりのしま)

2010-08-31 18:58:48 | 映画
第七藝術劇場で、映画「祝の島」を鑑賞しました。小さな島の住民が28年間原発反対を続けています。

「山口県上関町祝島」は瀬戸内海に浮かぶ小さな島です。「海は私たちのいのち」と島の人々は言います。1982年、島の対岸4Kmに原子力発電所建設計画が持ち上がりました。「海と山さえあれば生きていける。だからわしらの代では海は売れん」と、以来島の人たちは28年間反対を続けています。
映画には日本の地方にある日常風景が映し出されています。祝島の春夏秋冬の暮らしとともに原発反対の活動が描かれています。

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キャタピラー

2010-08-26 12:07:05 | 映画
昨日、第七藝術劇場で話題の戦争映画「キャタピラー」を鑑賞しました。話題の映画とあって、ほぼ満席でした。

映画「キャタピラー」のチラシ赤紙1枚で召集され、男は勇ましく戦場へ出征した。そして、男は顔面は焼けただれ、戦場で四肢を失い、頭と胴体だけの姿になって帰還した。男は勲章を胸につけ「生ける軍神」として祀られた。四肢を失っても男の食欲と性欲は衰えない。妻は戸惑いつつも軍神の妻として男に尽くす。

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島之内寄席 八月席

2010-08-21 18:21:10 | 落語
ワッハ上方5階ワッハホールで開催された「上方落語定席 月例・島之内寄席<八月席>」に行きました。客の入りは200名ほどとのことでした。

島之内寄席<八月席>チラシ14時から16時25分まで上方落語を楽しみました。演者は、新人賞候補の桂 ひろば(動物園)、笑福亭 遊喬(堪忍袋)、露の 吉次(蛸坊主)、桂
福團治(借家怪談)、仲入り、桂 三若(生まれ変わり)、桂 雀松(軒付け)でした。演者それぞれが持ち味を活かしてとても良かったです。この日の評価は、「満足」です。

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米国の日本占領政策

2010-08-17 18:18:34 | 国際・政治
日本はいまだに米国の属国であると言われています。そこで、その遠因となった米国の日本占領政策について記載します。以下の文章は、NPO法人新現役ネット「近代日本の歴史研究会」の勉強会(2004年2月開催)の内容(テーマ:東京裁判1)から抜粋しました。

マッカーサーは新聞・雑誌・ラジオ等に対して徹底的な検閲により、反米的・批判的な言論や記事を一切許さず言論統制は厳格を極めました。マッカーサー司令部(GHQ)は二つの部門を設置し、出版物を厳重に検閲しました。また、「戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるための宣伝計画」を立案し、日本が一方的に悪であるとの太平洋戦争史観を植え付ける手段を考え出しました。

ボッタム宣言の第十項には「言論・宗教・思想の自由」を保障することになっていましたが、日本国民の見えない所で過酷な言論統制が行われ、言論の自由は全く存在しなかったのです。出版社・新聞社・NHKに対して徹底した事前検閲が行われました。やがて、日本人自らが司令部の検閲基準に則って自己規制する習性を自然と体質化するようになってしまいました。

占領が終わり戦後50年以上経った今日でも、上記戦略によって戦後の教育を受けた日本人の思考様式は定着し、これが当然のような風潮になってしまいました。多くの日本人が不当な占領政策を不当と思わない思考様式が定着し、覚醒した少数の人達を異端視するような現象が見られるのは実に情けないことです。

占領軍が最も力を注いだのは、日本の伝統的な教育思想と家族制度を破壊することでした。マッカーサーは1945年9月から次々と指令を出しました。基本的教育指令、教職追放指令、修身・国史・地理の教科書の授業停止と教科書回収、神道指令、剣道・柔道・薙刀の授業禁止などです。

また、「戦争犯罪」という新しい言葉を導入し、戦争罪悪視の意識を心の中に植え付ける政策を秘密裏に進めました。連合国の日本兵士捕虜に対する処置や連合国兵士の日本女性への暴行事件等は厳重な検閲によって報道されなかったために、国民の多くには知らされなかったのです。自国兵士の暴行のみが取り上げられ、敗戦の挫折感・屈辱感と相俟って国民の自信喪失を加速させました。

この占領軍の戦争犯罪宣伝プログラムや、教育偏向は占領軍の心理作戦であることを少しでも匂わせるような記述は、厳密な検閲により巧妙に削除されました。それに乗じた、進歩的文化人と自称・他称の国家破壊を目論む左翼系の人達が自己の保身と栄達のために占領軍に摺りよって、日本の教育を崩壊へと進めてしまったのです。そのよう心理作戦を進めて、東京裁判の正当性を日本国民に認識させた上で、「法の不遡及」の原則をごまかして、戦争犯罪人という汚名を着せて処刑を断行したのです。全文は[こちら]をご覧下さい。

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戦争犯罪人について

2010-08-15 18:34:18 | 国際・政治
今日は終戦記念日です。毎年この頃になると閣僚の靖国神社参拝が話題になります。そこで、2004年2月、3月に開催されたNPO法人新現役ネットの「近代日本の歴史研究会」の勉強会(テーマ:東京裁判1、2)の内容から一部を抜粋して掲載します。
戦争犯罪人とは何なのかを皆で考えてみましょう。

 1945年8月、米英仏ソの4ヶ国は現行の国際法や条約や慣習法などでは日本とドイツの指導者を裁くことはできないので、ロンドンに集まって戦争犯罪人の意義を拡張することを決めました。これがニュールンベルグ裁判の「チャーター」(国際軍事裁判条例)です。日本はその前にボツダム宣言を受諾したのですから、その後に作られた「チャーター」で日本を裁くことの不条理を銘記すべきです。

1946年1月19日、連合軍最高司令官マッカーサーは極東国際裁判所条例(チャーター)を公布し、従来の国際法による戦争犯罪・略奪・スパイ、放火等の罪だけでなく、新たな法律を作りました。
平和に対する罪(一般人に対する多量殺人・奴隷化・非人道的行為)を新たに追加しました。従来の国際法による裁判では、東条以下の日本の指導者を裁くことができなかったからです。

不遡及の原則を破って、東条以下の日本の指導者をA級戦争犯罪人としたのです。さらにこの件における犯罪時期を1928年1月1日より1945年9月2日(降伏文書調印日)としています。パリ条約(1928年:侵略戦争否定のケロッグ・ブリアン条約成立)以前の米英仏ソによる過去の侵略行為が侵略の汚名をまぬがれ得ないとし、それ以後ののみを侵略と規定したのです。

法廷での裁判長の裁定や検察官、米国弁護人の発言内容は、日本人弁護団の申し立てにもかかわらず、大部分は日本語通訳なしで行われました。
判決は絞首刑7名、終身刑15名、禁固20年1名、禁固7年1名、病死2名、病気・入院1名でした。

昭和23年12月23日明仁皇太子(現天皇)の誕生日に絞首刑が施行されました。遺族の要請にもかかわらず遺体も遺骨も灰さえも遺族の元には渡されませんでした。人間の誇りに対する配慮の感情は一切示されなかったのです。

東京裁判とは別にアジア各地の49ケ所で捕虜虐待や住民虐殺などの罪で2万5千人の日本人が容疑者として逮捕拘留され、そのうち5千7百人が起訴されて、千余名が死刑(復讐と報復のでっち上げの証拠による冤罪が多かった)判決を受けました。

日本の国会では「戦争犯罪人」でなく、「公務死」としています。
全文は[こちら]と[こちら]をご覧下さい。

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