まっかちゃんのブログ

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芸能における個人の役割

2009-11-21 19:22:27 | 文化・文学・アート
20日、立命館大阪プロムナードセミナー「木津川 計/芸能文化講座」第4回を受講しました。木津川 計さんは「上方芸能」発行人、元立命館大学教授、和歌山大学客員教授です。上方に限らず新派や新国劇など日本の芸能文化論を2ケ月毎に6回論じます。第4回のテーマは「芸能における個人の役割-藤山寛美と松竹新喜劇-」でした。

10年間で、葬式の風景と結婚式の風景が変わりました。団塊の世代(1947-49生)が葬式の風景を変えました。僧侶を呼ばない、墓を持たない、散骨をします。都市部で香典を受け取らない葬式が7割となりました。従来、香典は相互扶助でしたが、最近は金持ちが香典を受け取らなくなりました。お寺さんいらない、お墓いらない状況に、日本の仏教の将来を危惧しています。
団塊ジュニア(1971-74生)が結婚式の風景を変えました。仲人なしが9割を占め、上司を呼ばずに仲間だけの結婚式が多くなりました。古い文化は駆逐されましたが、「婚姻は両性の合意のみに基いて成立する」という法律面では良いことと思います。

松竹新喜劇は殺人や血まみれの障害を描きませんでした。極悪非道な人間も英雄豪傑も主人公にはなりませんでした。女のアホは一人もいず、セックスのシーンは一度も演じたことはありませんでした。それが藤山寛美さんの作劇術でした。

松竹新喜劇は日本一の喜劇劇団でしたが、市井にあって平凡、喝采を浴びず、認められることもなく愚直に生きる、そんな人たちに支えられてきました。
劇評家や演劇記者は松竹新喜劇を正当に評価しようとせず、演劇評の圏外に置き続けました。喜劇は「お笑い」程度の認識でしかありませんでした。

藤山寛美さんは1990年5月21日、肝硬変で亡くなりました。60歳でした。一国の歴史のおける個人(豊臣秀吉、徳川家康、西郷隆盛、大久保利通など)の役割は大きいけれど、もし彼らがいなくても遅かれ早かれよく似た別人に取って代わられたでしょう。そういう意味では個人の役割は小さいといえます。しかし、芸能における個人の役割は一国の歴史をつくるには小さいけれど、一代限りという意味では大きいといえるのです。

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