まっかちゃんのブログ

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相愛寄席

2011-11-21 00:09:47 | 落語
17日、相愛学園本町学舎講堂で開催された、「相愛寄席 桂春團治一門による『落語文化への誘い』」へ行きました。相愛大学公開授業「落語文化への誘い~大阪・芸能・生活とともに~」の受講者は無抽選で入場できました。会場は満席でした。

石井 千夏さんのピアノによるウエルカム演奏、釈 撤宗 教授の挨拶の後、上方落語を楽しみました。演者は、桂 壱之輔(犬の目)、桂 春團治(代書屋)、桂春雨(稽古屋)、仲入り、落語教室(桂壱之輔、中田
まなみ、笑福亭 生寿、笑福亭 松五)、桂 春之輔(死ぬなら今)でした。落語教室では鳴り物はじめ上方落語の基礎知識の紹介がありました。どの演者も良かったです。この日の評価は「満足」でした。

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大阪のインナーシティと都市再生の課題

2011-11-20 22:51:34 | 社会・経済
14日、立命館大阪キャンパスで、立命館プロムナードセミナー「大阪・京都文化講座『大阪・京都の風土と景観』」の5回目を受講しました。「大阪のインナーシティと都市再生の課題」と題して大阪大学大学院経済学研究科教授の高山正樹さんが講義しました。概要は以下の通りです。インナーシティとは、大都市圏における人口の郊外化とともに、中心市の都心部周辺地域が負の変化を起こした状態とかその問題自体を指す。
英国のインナーシティ白書(1977) ロンドン・ドッグランドは大英帝国繁栄の象徴的場所で、輸送革新に伴い衰退した。象徴的な場所としてウオーターフロントの再生を行った。カナリー・ウオーフを中心に金融業務地化(バンク機能の移転)、ドック周辺の労働者住宅地の再生と優良市街地への再生、ロンドン・シティ・エアポート、O2などコンベンション、メッセなどの新機能を創出した。インナーシティの形成 戦前期(特に大正期)に大阪東部の区を中心に町工場の立地による住工混在地域、臨海部の工場専用地、都心区(北区、中央区、西区)を除く区部。これらの地域が高度成長終焉後に衰退した。優良企業が流出し、人口の郊外化(私鉄沿線へ人口の流出)、釜ヶ崎(あいりん地区)が存在した。人口動態 2005年~2010年の大阪市の人口増加は37,560人。人口増加は主に都心区(中央区、西区、北区、浪速区、福島区)で、マンション建設に伴う社会増加(2000年以降)である。他の大都市に比べて年少人口に対して高齢者の割合(老年化指数)が高い。労働人口、雇用者数(常住地)の減少、昼間就業者の減少、サービス業就業者の増加。失業者数が多く、失業率、特に若年者の失業率が高い。総人口に占める外国人数の割合は高いが、外国人数(約10万人)には大きな変化はない。被保護所帯・人口 全国的に保護世帯・人口は増加、政令都市などの大都市部で増加。特に大阪市を中心に大阪府下では増加。地域的には釜ヶ崎を含むインターシティ。このことが大阪市財政負担の一因である。経済、財政の現状 卸小売産業とサービス業が中心で、製造活動が衰退した。市税収入の減少(平成23年度歳入、1兆7205億円)の一方で扶助費や公債費が上昇し、経常収支比率が上昇(100以上)し、財政構造が硬直化した。この背景には税の配分構造、行政の仕組みという基本的問題と大都市圏経済という問題がある。経済のグローバル化や産業構造の高度化への立ち遅れがある。大阪再生へ 外国人も含めて若者から高齢者まで多様な年齢の人々が住み、住民にとっては、美しいと感じることのできる街、憩える街、住んで楽しい街の創造が求められている。そして、来訪者にとっては、再訪したい、住みたいと思える街づくりを考える必要がある。 生活を支える仕事(産業)の創出も必要である。現下の経済活動のグローバル化を考えれば自ずと経済成長戦略分野(集客・観光、環境・エネルギー、健康・医療、クリエーティブ・デザイン)が求められる。
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迷惑メールブロックサービス申し込み

2011-11-06 23:15:55 | デジタル・インターネット
10月下旬ごろから、連日20通を超す迷惑メールを受信するようになりました。11月も1日から6日(18時30分まで)まで、それぞれ24、26、34、28、21、31通を受信しました。現在、日本データ通信協会の迷惑メール相談センターhttp://www.dekyo.or.jp/soudan/index.html へ全ての「迷惑メール」を(差出人ごとにまとめて)転送(送信先アドレス meiwaku@dekyo.or.jp )しています。さすがに連日20通を超す迷惑メールを処理するのが面倒になりました。そこで、インターネットプロバイダーの迷惑メールブロックサービスを申し込みました。今後迷惑メール受信状況がどう変化するかが楽しみです。

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城下町大坂~江戸時代の大阪を考える~

2011-11-01 21:17:34 | 社会・経済
10月31日、立命館大阪キャンパスで、立命館プロムナードセミナー「大阪・京都文化講座『大阪・京都の風土と景観』」の3回目を受講しました。「城下町大坂~江戸時代の大阪を考える~」と題して大阪大学大学院文学研究科教授の小林茂さんが講義しました。概要は以下の通りです。

大阪城は大阪のシンボル。現在の大阪の町は大坂城の城下町として発展した。しかし大坂は「天下の台所」、「町人の町」などと呼ばれ、武士の影が薄い。
豊臣時代の大坂城は秀吉入城から大坂夏の陣までのわずか32年。これに対し、徳川時代の大坂城は夏の陣から大坂城明け渡しまでの250年以上。しかし、話題になるのは豊臣時代の大坂城。

江戸時代、大坂城内にいたのは、
大坂城代:譜代大名が交代で就任。任期は特になく、最長21年、延べ70名が就任。
大坂在番
 大坂定番:大名(1~2万石)、定まった任期なし、2名。
 大番:旗本、任期1年、2組。
 加番:大名、任期1年、4名。

大坂城代のもとにいる幕府諸役人
大坂在番
 定番(2名)+与力(各30騎)・同心(各100名)(大阪在住)
 大番頭(2名)+与力(各10騎)・同心(各20人)
 加番
 大坂町奉行(2名)+与力(各30騎)・同心(各50名)(大坂在住)

各藩の大坂蔵屋敷
主として米販売、その他専売品の販売、江戸仕送り・借銀、京都・大阪での買い物。約85の蔵屋敷。

大坂は多くの武士にとって一時的勤務。大坂城代・大坂町奉行は譜代大名・旗本の出世の階段。
 →「名君」の出る可能性がない。
 名城代、名奉行がいても長く記憶されない→秀吉や秀頼、淀君のような話題性に欠ける。

大坂の武士の数は町人に比べて少ない。家族も含めて約1万人。
 →武士の影が薄い。
 武家屋敷は退去・入居を繰り返す仮住まいとしての性格が強い。
 大番・加番の場合は「小屋」と表記。

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