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まっかちゃんのブログ

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ワッハ上方移転縮小問題(続き)

2009-07-30 11:18:26 | 文化・文学・アート
吉本興業の子会社幹部が29日記者会見で「移転は報道で初めて知った。府から正式な話がないので、非常に困惑している」と述べました。

一方、橋下徹知事は同日の記者会見で「府の担当者がメールで情報を提供している。知らないということはない」と反論しました。

橋下知事の言っていることは間違っています。インターネットの世界では府の担当者がメールを送付したとしても、必ずしもそのメールが吉本側に届くとは限りません。途中で紛失することもあるし、メールの内容が改ざんされる恐れさえあります。吉本側がそのメールに気がつかず開封しなければ内容は伝わりません。
やはり、府の担当者が訪問して説明すべきであったと思いますよ。

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ワッハ上方移転縮小問題

2009-07-28 22:31:17 | 文化・文学・アート
大阪府は23日の戦略本部会議で、府立上方演芸資料館(ワッハ上方)を通天閣に移転する方針を決定しました。通天閣を運営する通天閣観光と正式な協議に入るとしていました。

ワッハ上方が現在入居するビルを所有する吉本興業は27日、「移転計画に正式な説明がなかった」と遺憾の意を表明するファクスを報道機関に送付しました。吉本興業はワッハ上方の開業の経緯に触れ「府の意向に沿って仕様を決定した特殊な施設。恒久的に入居することが前提だった」と指摘。「(移転を)事実として決定されたのなら、非常に残念」とした上で、発生する損害の補償を協議するとしています。

ワッハ上方の通天閣への移転方針に吉本興業が抗議文を発表したことについて、橋下徹知事は28日午前、「府民 をバカにした抗議だ。世の中そんなに甘い商売はない。吉本さんだけは賃料を得続けるなんて、がめつい」と報道陣に語りました。
橋下知事は「吉本さん、勘違いされてるんじゃないですかね」としたうえで、「あれは賃貸借契約で、期間が決まっている。公のお金を入れるかどうか は府民の代表である僕の判断が入る」と指摘。「番組や企画などで自ら撤退するところは撤退するのに、府の撤退には抗議するというのは情けない」と述べました。

賃貸借契約は2011年3月までですが、吉本興業は、残る契約期間を前倒しして、すぐ賃料を半額にすることを柱とする提案をしていました。

ワッハ上方の開業の経緯からして、橋下知事の発言は礼を失するものです。少なくとも、通天閣への移転計画については事前に吉本興業へ説明すべきでした。
橋下知事の言う通り賃貸借契約というのなら、府は移転後の莫大な原状回復費用を吉本興業へ支払わなければなりませんね。



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三大学連携記念公開講座

2009-07-20 11:47:02 | 文化・文学・アート
18日、大阪市中央公会堂 大集会室で開催された、三大学(大阪市立大学、大阪府立大学、関西大学)連携記念公開講座を受講しました。定員は1000名でしたが、シニア層が多数を占めていました。もっと学生が関心を持って参加すると良いのに、と思いました。

統一テーマは「水都大阪 ”汽水”文化の都市(まち)と暮らし」です。淡水と海水が入り混じり、その水にはぐくまれた大阪。その水で育ち、甘いも辛いもかみ分けて営まれてきた大阪の都市と人々の暮らしを考えます。

第一部の基調講演では、建築家の安藤忠雄氏が「水辺の都市~大阪の可能性~」と題して講演しました。

第二部のパネルディスカッションでは、大阪市立大学、大阪府立大学、関西大学の三大学が、「なにわの履歴書 汽水文化が生んだ都市と暮らし」につぃてディスカッションしました。

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純愛と慕情の力

2009-07-18 23:40:46 | 文化・文学・アート
17日、立命館大阪プロムナードセミナー「木津川 計/芸能文化講座」第2回を受講しました。木津川 計さんは「上方芸能」発行人、元立命館大学教授、和歌山大学客員教授です。上方に限らず新派や新国劇など日本の芸能文化論を2ケ月毎に6回論じます。

第2回のテーマは「純愛と慕情の力―新国劇と長谷川伸-」でした。
慕情とは「男が女に抱く切ない気持」のことで、木津川さんが一番綺麗な言葉と思っているそうです。恋ごころで、恋情は叶えたい叶えたいと相手に向かいますが、慕情は抑えねば抑えねばと自分に向かいます。

昭和9年、高見順は同人誌「日暦」に「故舊忘れ得べき」を連載し始めました。その中で「慕情」という言葉が使われました。美しい日本語の誕生でしたが、言葉として社会化しませんでした。昭和30年、アメリカ映画「慕情」が封切られ、この映画によって「慕情」という言葉が認知されました。

慕情は舞台劇も文芸も、映画も全部近代、明治以降の産物です。日本文学の研究者として評価の高いドナルド・キーン氏が指摘する様に「プラトニックな男女関係は明治の文学から繰り返し扱われる」ようになりました。

二葉亭四迷の「浮雲」、田山花袋の「蒲団」は慕情のまま小説は終わります。慕情の傑作は昭和18年封切の映画「無法松の一生」です。新国劇を活性化させた長谷川伸は慕情の劇作家といえました。「一本刀土俵入り」「関の弥太っぺ」、いずれも女人に抱く優しい渡世人の美しい献身、清潔な慕情です。

48作品に及んだ映画「寅さんシリーズ」の寅さんも慕情に生きた男です。「冬のソナタ」も「世界の中心で愛を叫ぶ」も同様です。

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近代が刻む人間像

2009-05-15 18:50:46 | 文化・文学・アート
立命館大阪プロムナードセミナー「木津川 計/芸能文化講座」第1回を受講しました。木津川 計さんは「上方芸能」発行人、元立命館大学教授、和歌山大学客員教授です。上方に限らず新派や新国劇など日本の芸能文化論を2ケ月毎に6回論じます。

第1回のテーマは「近代が刻む人間像 ―新派の明治と現代―」でした。
大阪にいた川柳家の岸本水府が「お宮お蔦浪子明治は泣く女」と詠みました。脱亜入欧、立身出世主義の明治時代の、悲しい運命を背負わされた女たちを詠んでいます。それらヒロインの芝居のあらすじを話しました。「金色夜叉」のお宮、「不如帰」の浪子、「婦系図」お蔦、そして「滝の白糸」です。

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