たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

事故の顛末

2018年08月23日 | 山中事故
◎2018年8月19日(日)

 日光市のホームページの<防災・安全>コーナー。その(過去の消防出動情報一覧)に(残念ながら、今は確認できません。日々、更新していますから。悪しからず)、「8月19日午前11時28分頃 日光市日光地域足尾地内かじか荘付近にて山岳事故が発生し消防車が出動しました」と記されている。この出動した消防車にやっかいになり、救急車で日光市民病院に搬送されたのは、恥ずかしくも自分のことなのである。
 左足首の関節脱臼骨折。20日に手術を受け、22日に退院したが、この先しばらくは松葉杖歩きで、地元の整形外科に通わなければならない。当然、外回りメインの仕事はその間しばらくは休むことになるだろう。
 自分の恥さらし記事は出したくもないが、へぇーこんなこともあるのかと、頭の片隅にでも入れてもらえれば、それなりの事故防止、救助要請にはつながるかと思う。携帯も、圏外だからとついあきらめてしまいがちなものだが、決してそうでもないことはおわかりいただけるだろう。

 19日の朝は職場近くの公園で、ボランティアの清掃作業に加わった。これは仕事としての付き合いだ。6時からの開始で、2時間もかかったら、そのまま家に帰るつもりでいたが、もし短時間終了なら、足尾に向かうつもりでいた。それが1時間で終了。予定どおりにそのまま足尾へ。実は娘と孫が遊びに来ていて、前日は出勤だったし、いっしょに過ごした時間も少なく、結果としてはさっさと帰って、終日、孫と遊んでいた方も無難だったわけだが、その時点では、どうせ滝見だけだし、現地で往復3時間もとれば午後からいっしょに遊べるかという思いもあった。つまりは自分優先を選んだ。

(この時はウザイと思いながら、遭難後はこの天使たちを待っていた)


 かじか荘上の駐車場には車が4台ほど。自分の直後に1台入って来る。気温は16℃。かなり涼しい。早々に出発。同時に、かじか荘の方から子供と父兄だろうか、30人ほどの団体が上がって来た。庚申山か庚申山荘にでもハイキングだろう。時間は8時45分。庚申山だとすれば出発が遅過ぎる。その時はうざい連中だなと思いながら、さっと先に出て林道を歩いて行ったが、この父兄混じりの団体が、後で自分の支えになるとは思いもしていない。
 後ろから自転車に乗ったオッサンが来て、追い越して行った。オレの後に駐車場に入った方だ。

 今日こそは坑夫滝を見られると思っていた。12日に来た時の庚申川の水量、水流に比べたら、今日の庚申川はかなりおだやかだ。

(予定ではまだ直進だが、つい右に行ってしまうと、思わぬことが待っていた)


(テープもあり、踏み跡も明瞭だったし)


 林道の目的地に到着。9時4分。ここからガードレールを越える。先の下見はしてある。巨大堰堤の上の河原に急斜面の下りながらもすんなりと出られるはずだった。下って行くと、ふと、右に踏み跡が見えた。ここで安易な考えを持ってしまった。ここからでも河原に行けるんじゃないのか。黄色のテープも巻かれているし。だが、踏み跡は間もなく消えた。
 下に淵というか淀みが見えて、その先は河原。そして庚申川となっている。淵の深さはここからではわかりかねるが、元から本流は泳ぐつもりで来ているから、底に足が着く程度なら渡ってもいいかと、淵に向かって下る。かなり急だ。

(一応、沢靴に履き替えるが、ここは深過ぎ)


(ここをへつろうとしたが、自分には無理な話。落ちたらアプアプだ。すぐそこに河原と本流が見えている)


 淵が真下になった。これは無理だ。深さ2mはある。大岩をへつって巻けやしないかと、地下タビから沢靴に履き替える。このあたりから気がおかしくなっていたのかもしれない。
 右手の大岩には手がかりも足がかりもない。左手は当初から無理。底が見えていないし、流れもない。今度は、その大岩自体を高巻く算段に出た。少し戻って、岩の上に出て、反対側の下を覗く。淵は切れてはいるが、5~6mの垂壁になっている。ダメ。戻る。9時24分。
 下って来たところをそのまま戻り、予定の下見ルートに足を向ければ良いのに、もしかすると、踏み跡の続きに出られるかもしれないと、斜めに下ったところを真上に向かう。左下はガレ沢になっているようだ。

(建設省時代の石柱。何を貸し付けたのかはわからない)


(これが悪夢へとつながる)


 歩きづらいところを登って行くと、「建設省貸付」と記された石柱と、その脇に直径2cmほどの鉄索2本がガレ沢に垂れているのが見えた。これを使えば下りられそうだ。この「そうだ」が、こんなところでは禁物だが、下りられると思っている比重の方が大きい。どちらを使うか迷ったものの、左右の手でそれぞれをつかんだ。周囲はヤブで、下はよく見えていない。

(右から落ちた。鉄索がチョン切れで垂れている)


(ここを下れば、すぐに河原だった。これくらいのガレなら何とか下れた)


 下ると、すぐに岩場になった。慎重に足の置き場を確認しながら下る。そのうちに、岩はオーバーハング状になって、足の置場がなくなり、そのままストーンとガレ沢に落ちて身体も一回転。特に身体に痛みはなく、出血もない。ヤレヤレと思いながら、すぐ下に河原が見えている。ここを下ればすぐに河原に出られる。最初から、このガレ沢を下ればよかったみたいだな。
 ふと、左足が不自然に外向きになっていて、腫れ上がっているのに気づいた。立ち上がってみた。やはり左足に感覚はなく、支えになっていない。脱臼でもしたかな。もう滝見どころではないな。落ちて来た鉄索を見上げると高さ2.5mほどのところで千切れていた。そして、反対側にも千切れた鉄索。おそらく、これは以前はつながっていて、輸送用の鉄索だったようだ。9時35分。
 こうなったら、これからどうすんべえ。携帯は圏外であることはわかっている。まして谷間だ。ハナから携帯のことは頭になかった。ふと思う。このガレ沢を登って行けば、少しでも林道に近づく。林道真下で待機していれば、あの団体さん、自転車のオッサンの帰路に気づいてもらえるだろう。
 ザックからホイッスルを出して、ヒモを首に巻く。このままでは歩きづらくて血の巡りも悪いだろうと、もはやチャックでは外せなくなっている左足の沢靴を、ナイフで切って靴下だけになり、右足は地下タビに交換。上州屋で買った、釣り用の沢靴のデビューではあったが、そんなことを気にしている場合ではない。

(林道に向けて、ガレ沢を攀じ登る)


 緩やかなところは左膝と右足で、急なところは腹這いになって登る。少し緩んだところで休憩。上にかすかに林道のガードレールが見える。もっと上がろう。あそこからでは、こちらの姿は見えまい。まして、上下ともに緑色の衣類だ。せいぜい目に付くのはオレンジ色のヘルメットくらいだろう。
 休憩して、一応、圏外であることがわかっていて119番に通報しようとしたのは10時24分。つながるわけがない。うんともすんともない。それでも繰り返しかけてみた。やはり、林道直下でホイッスルしかないか。これは後で気づいたことだが、携帯の発着信履歴を見ると、10時29分から立て続けに4回、見知らぬ固定電話から着信があったようだ。そんなことは、圏外だから、着信音が鳴るわけでもないので気づいてもいない。この番号、後で調べると、日光市消防本部通信指令課からのものだった。つまり、無言の圏外119番は別次元のところでつながっていたわけだ。

(ガレ沢を見下ろす)


(擁壁の真下から。健康体なら、問題なく右から脱出できた。レスキューさんも右から下りて来た)


 登り続行。ホイッスルは吹き続けている。ようやく、林道下のコンクリート擁壁下に出た。この擁壁は2段か3段で、高さはそれぞれ2~3mほど。この壁下では、オレの姿も音はすれども見えはしまいと、また下がってみるが、もしかして、この壁は脇から越えられやしないかと、また上に戻って試みる。擁壁の上に一旦、ザックを載せ、空身で攀じ登ろうとしたが、健康体なら問題ないが、片足では、どうやっても無理。そして、反対側から壁を巻いて登る手もあるかと、じっくり観察するが、どうもこの身体では滑落して、さらに悪い状況になりそうだ。結局、元に戻って、タバコを吹かす。何を考えていたかというと、攀じ登って、林道に横たわることを想定していた。そうすれば、いやがうえにも目に入る。
 上を車が走って林道先に向かう気配があった。川音が強いから、錯覚かもしれないなと思いながらもホイッスルを立て続けに鳴らす。やはり錯覚か。
 万策が尽き、手持無沙汰になったところで、携帯を取り出してまた119番。つながりはしないが、今度は「現在位置を確認中…」といったような文字が出てくる。…???…。そして、数分前に登録なしの携帯番号からの着信があったのを知った。それにかけてみると、相手が出た。だれかも知らないが、ただ「救助要請」とだけ大声で言った。相手の反応はないままに切れた。また同じ番号から2回着信が続いた。とっても通じないまま。救助はあり得ないと思い込む。もう正午に近づいている。家には午前中に帰れるだろうと言い残して出てきたから、一応は連絡を入れたいが、連絡のしようがない。
 この後の時間感覚がほとんどない。子供たちが上を通るのは何時頃だろうかと思っていると、上から「〇〇さんいますか」と、大声で聞き覚えのある名前を呼ぶ声がする。最初は何のことかわからず、ただ、ホイッスルを鳴らしたが、冷静になると、自分の名前を呼んでいることがわかった。今度は「〇〇さん、どこにいますか」となった。見上げると、レスキュー隊員らしきヘルメット姿が2人見えた。思わず手を振ると、相手もようやくこちらの場所を特定してくれた。

 何とも奇妙な展開だった。携帯はつながらなかったのに、微弱な電波で場所を特定してくれたのか。そして、その番号から、こちらの名前も知ったのだろうか。ただ、ただ、これで助かったの一言。
 レスキュー隊員がロープで降りて来た。無線で上と連絡をとっている。そして、「間もなく防災ヘリが到着します」と言われ、身体をロープで巻かれた。その間、何で場所を特定できたのか、素朴な疑問を発したが、職務上の秘密なのか、教えてはもらえなかった。ただ、場所がよくわからなくて、林道先まで行ったとのこと。やはり、あれは車のエンジン音だったらしい。レスキュー隊員は、オレと同じ、ホームセンターの手袋を使っていた。自分のと同じだなと自分のを改めて見ると、さっきまでの荒行を物語るかのようにボロボロで穴あきだらけになっていて、右手の薬指先ははみ出し、爪が剥け、皮膚が深くえぐれていた。
 しばらく確保されたままで待たされ、ようやくヘリがやって来て、上空でホバリング。どうも木立でうまく動きがとれないようだ。下に近づくと、プロペラの起こす風にあおられ、上からこぶし大の石が落ちてきてヘルメットを叩く。こうなると救助する方もされる方も命がけだ。無線を交わしながら、これ以上近づくと危険とのことで、ヘリ救出は断念。ちょうど、赤薙山でも遭難があったようで、ヘリは赤薙山に向かって行った。
 ヘリの上空滞在は15分くらいだったろうか。また待たされた。そのままロープで引っ張ってもらえば、私、片足だけでも林道に出られますよと言ったが、これは聞き入れてもらえず、代わりにプラスチックの担架が下りてきて、これに結わえ付けられ、引き揚げとなった。
 林道に横たえられてほっとした。待っていたのは消防車。もう2時にはなっていたと思う。足の痛みはなく、相変わらず外を向いて腫れているが、片足で後部座席に自力で座った。脇を子供たちが興味津々に覗いて行く。オレはまさかレスキュー隊に救助されるとは思いもかけず、この子供たちの通過を待っていたのだ。ホイッスルに子供が気づき、大人が出て来て、上から声をかける。そこで、遭難したことを告げる。大人はかじか荘に知らせて、ようやく救助活動となっていたはずだ。圏外での119番通報。どういうしくみになっているのか、いまだによくわからないでいる。これがさらに奥の庚申山とか皇海山の中腹だったらどうだったろう。山頂なら、見通しも良く、たまにつながるものだが、中腹なら微弱電波をとらえることができたろうか。
 消防車で林道を下ると、パトカーも待機していて、後ろを付いてきた。そして、林道ゲートを出ると、今度は救急車に移動して、ストレッチャーに仰向け。警官に口頭で調書を取られる。その間、救急隊員は医療機関と連絡をとり、足尾の双愛病院と日光市民病院がありますが、双愛病院ではレントゲンが撮れないようでどうしますかと聞かれた。ここは迷わず市民病院にしていただいたが、本音のところでは、せめて大間々か桐生の病院に運んでもらいたかった。その方が家に近いし。足尾が足尾町のままだったらそれも可能だったかも知れないが、日光市に組み込まれた以上は、県境越えの搬送はあり得ないのだろう。
 ところで、この時点では、まだ脱臼だけだと思っていた。救急隊員の診たてもそうだったし。だから、長引くまいなと思ってもいた。

 車に揺られているうちに、痛みを覚えるようになった。これまでの緊張感から安堵感に変わったからだろう。病院までの道のりがとてつもなく遠く感じる。窓はなく、外も見えない。サイレンを鳴らしてはいるものの、速度感はなし。しばらくして曲がったので、今、田元あたりですかと聞くと、ようやく122号に出たところだった。
 病院に入ったのは3時半頃だったろうか。当日は日曜で休診日。在院の内科の先生にレントゲンを撮ってもらうと、どうも骨折もありそうだとのことで、整形外科の先生に携帯で写真を送ると、やはり、踝の部分に2か所の骨折があると返事があった。とほほだ。
 入院が決まると、救急隊員が引き上げた。ありがとうございました。おかげさまで命拾いをしました。こんな不手際なハイカーに引き回されて大変ですねぇ。
 内科の先生の簡単な診察を受けていると、下腹部に爪楊枝のような10cmほどのものが腹を上下に貫いていた。これ、何でしょうねと、とってもらうと、針金だった。まったく痛みも感じていなかった。ついでに全身は打撲痕だらけ。左足の膝から脛に至っては、支えにして這っただけに、キズだらけに腫れていた。

(この結末。我ながら笑えずに情けなかった)


 病室に運ばれて5時。ようやくここで妻に連絡を入れた。瞬間、交通事故にでも遭ったと思ったようだ。かじか荘上の車は、不用心だから娘と取りに行くとのこと。そこまでしなくとも良いとは言ったが、結局、着替えを持ち、孫まで連れて病院にやって来た。
 妻はかじか荘上の駐車場というのがどこにあるのか知らず、かじか荘に入って、登山者用の駐車場はどこにあるのか尋ねたらしい。その際、マネージャーらしき方から、世間話として、今日は滑落事故があって、80m滑落して、70m這い上がった人がいると聞かされたとか。70mの這い上がりはまだしも、80mの滑落はどこから出た話なのだろうか…。実際に落ちたのは2.5mほどのものだったが。

 痛みの2晩が続いた。一睡もできなかった。手術で脱臼はすぐに戻ったが、骨折部にはボルト締めをしたりと、3時間の手術になってしまった。なんとしても耐えられなかったのは尿道に差し込まれた管で、これを外してもらえない限りはベッドから脱出できない。翌日の昼近くにようやく外れてほっとした。その間、500㎖の点滴液を13袋ほど入れられたのでは、確かに尿瓶で間に合うはずもない。
 手術の翌日から早速、リハビリ。自分の場合、日光の病院には長逗留もできない事情もあって、あとは地元でリハビリに通うようにと、松葉杖をうまく使えることだけがリハビリの目的になった。階段歩きは厳しかった。平地歩きすら、室内を一周しただけで汗が噴き出し、すごい息切れがあった。これが3週間(そう言われた)も続くのかと思うとぞっとする。まして残暑も厳しい。

 まぁ、こんな事故の顛末だ。病室に来た看護師のオバチャンとおしゃべりをしていたら、救助を待っている間にクマに遭わなくてよかったねと言われた。オバチャンは地元の方で、今でこそ日光にもクマが出るようになったが、以前は、クマといったら足尾の山といったイメージだったらしい。それはともかく、確かに不自由な状態でクマにでも襲われていたらとんでもなかったろうな。
 ふみふみぃさんのように、泌尿器科で一月の山ナシというのも、お気の毒にと思ったものだが、まさか、自分が山の事故でこうなるとは想像すらしなかった。まして、ここのところ山歩きの回数がめっきり減っていて、冒険のような歩きからは遠ざかりもしていたし。
 この顛末記は一つの事例だ。うまく救助された例とも言えるだろう。林道から離れていなかったから助かったのかもしれない。さらに奥だったら、今回のようにうまく見つけてもらえたろうか。あの日、小学生集団という、気持ちの支えがあったからある程度は這い上がることもできたが、それがなく、まして自転車のオッサンもいなかったら、携帯も圏外だし、早々に観念していたかもしれない。家にコースを記し残してきたとはいえ、妻が気になって通報するのは夜になってからだろうし、そうなると、翌日の捜索となって、発見されてもかなり衰弱していたろう。
 一つの教訓として、携帯が圏外だったとしても、遭難場所にもよるが、あきらめずにかけていれば、いずれは救われるチャンスも訪れるということだ。

 また改めて坑夫滝…。ということはもうあり得まい。せいぜい、これまで同様に、冬枯れの頃に林道から滝をちらりと拝んでおしまいだ。

※ピンボケの写真は気が動揺して撮った写真と理解していただいて結構です。

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Unknown (ふみふみぃ)
2018-08-24 07:50:21
たそがれさんも受難の夏となりましたか。
足尾の良く分からない所での怪我、他人事ではないので恐ろしいですね。やっぱり藪で下の方が見えない場所では懸垂下降でもしない限り下手に下りない方が良いのだなと。たそがれさんも下が見えていたら鉄線掴んで下りることはしなかったのでしょう。
何事も諦めないのが大事と言うか圏外と思いつつ119にかけてみる、これは覚えておきます。
今回のガレ沢を利用すれば堰堤上に楽に下りられそうで。復帰したら後追い・・・はやめておきますよ。いずれにしろ泳ぎが必要なようですし。
たそがれさんも尿道の管を経験されましたか(笑)。私も先日経験しましたが入ってる時は痛みがないのに抜く時と抜いて数日用をたす時は痛みました。
お互いしばらくは大人しくといった感じですね。
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びっくりしました (みー猫)
2018-08-24 08:04:23
おはようございます。誘いがあったところなので、次の機会と思ってましたが、ともかくご無事で何よりです。事故の記事も、たそがれさんの動きも存じてなかったので大変驚きました。怪我のほうもしばらく掛かるのでしょうけど、まずは養生なさって下さい。先程、留守電入れてしまいましたが気にせずにです。
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追記です。 (みー猫)
2018-08-24 09:00:18
あと、うかつに水に入らなくて良かったかもです。ちょい前に桜沢の釜で衝動的に少し泳ぐことになったのですが、冷たくてすぐに体が動かなくなり、いきなり10mも泳ぐのはヤバく難儀しそうでした。泳ぎヘタなだけだったかもですが。
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Unknown (でん)
2018-08-24 10:52:09
ビックリしました(@_@)
左右の手でつかんだワイヤーロープは、初めから切れていて体重をかけてしまったということですか?
普段なら慎重なたそがれさんのことですから確認作業を怠らないと思うのですがそれが事故なんですね。
骨折ですから大事故ですが、それだけで済んで良かったす。
お大事に!
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ふみふみぃさん (たそがれオヤジ)
2018-08-24 12:14:32
ふみふみいさん、こんにちは。
確かに受難の夏です。それでなくとも、先月来、ほとんどの休日が地域の行事関係の仕事で駆り出され、山になんか行く時間も作れませんでしたし。もっとも、先日までの異常な暑さでは、時間があっても山には行く気持ちが起きなかったでしょうけど。
ふみふみぃさんのおっしゃるように、下が見えないのに、うかつに備え付いたロープやら鉄索には手を出さない方が無難です。岩場ではなくただのヤブ急斜面と思っていたら、実際は7~8mほどの岩で、3~4mほどゆっくり下ったところで、足が岩に付いている感覚がなくなった。つまり、オーバーハングしていたわけですよ。そのままズルズルと鉄索頼りに下ったら、肝心の鉄索が途中で切れていてストーンということになりました。ここを自分のロープで懸垂下降したとしても、オーバーハングではかなり厳しいと思います。
今回のガレ沢、902m標高点のちょっと西側になります。私の予定ルートは902mからの南下でした。それを途中から右手の西に向かったのが運の尽き。ガレ沢ルートは、慎重に下れば意外と楽かと思います。ただ、落石の巣のようなところですから、複数で行く場合は要注意です。とにかく、庚申川の河原に出られさえすれば雨降沢も使えて行動範囲が広がりますからね。重宝するルートであることは確かです。
川は台風直後でない限り、泳ぎではなく漕ぐ程度で行けるような気もしますけどねぇ。

あの尿道管、最後の点滴がもう終わっているのになかなか取ってもらえず、とうとうイラつき、看護師のネエちゃんに、自分で取ってもいいんだよねと言うと怒られましたよ。中の先が風船状で膀胱代わりになっているので、素人では取り外しできないようです。入れる時に痛くないのは、麻酔しているからじゃないですか。私も、翌々日の放尿まで尿道が痛みましたよ。
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みー猫さん (たそがれオヤジ)
2018-08-24 13:16:48
みー猫さん、こんにちは。
お見舞いのお言葉、ありがとうございます。
そうでしたか。自分が言い出した坑夫滝の件、皆さんも含めてのことととらえていただいていたのですね。すみませんでした。こちらは、どうせあまり気乗りもせずだろうと勝手に解釈していて、自分でさっさと行けば、また誘われて嫌な気分にならせずに済むだろうとばかりに思っていました。ですから、一人で、自分のタイミングで行ってしまおうと。
ですが、こうやって、相変わらず失敗しましたから、携帯メールでお伝えしましたように、いずれは、私の願望にお付き合いいただければ幸いです。
そろそろ沢の水も冷たくなりつつあるのですね。今回は水そのものに触れずに終わったので水温の程は知りませんが、確かに気温16℃では水温が低くても当たり前でしょう。
まして、ザックを背負って、衣類のままでの泳ぎは勝手も違いますしね。
ザックといえば、中の荷物を小分けにしてチャック付きビニール袋に収納していたのですが、こういった遭難にあうと、それがためにかえって邪魔になるものですね。119番通報にしても、どうせ圏外だからというよりも、袋を探して、さらに取り出すのが面倒くさかったところもあるのですよ。
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でんさん (たそがれオヤジ)
2018-08-24 13:17:34
でんさん、こんにちは。
ありがとうございます。
鉄索というよりも、体よく言えばワイヤーロープになりますかね。でも実際は鉄索、ただのワイヤーと言うにふさわしいもので、対岸の岩と結んで、運搬に使っていたワイヤーだった可能性があります。現に、落ちた反対側にもワイヤーがぶら下がっていましたから、以前はつながって宙に浮いていたのでしょう。
考えてみれば、2本あるのが不思議で、ロープの類いなら1本で十分です。
それはともかく、予定として、まずは両手でそれぞれにつかみ、その先で離れたり、一方が途中で終わっていたりしたら1本に移るつもりで下降しました。
周囲はヤブでその先はよく見えない。次第に岩の正体を出してきて、気づいたら内側に反ったオーバーハングになった。やばいと思いながらぶら下がりで慎重に下ったら、鉄索そのものが地に着く前に切れていて(その時に切れたわけではなく)、身体がブランとなりながらストーンということですね。
じっくりとその先を確認もせずに下ろうとしたのは気がせいていたからでしょう。まったく迂闊としか言いようがありません。
骨折とはいえ、踝の骨折でなかったのが不幸中の幸いですが、踝に添えられた骨の骨折でしたから軽傷ということになるのでしょうか。それでも、過去に尾てい骨のヒビしか体験していませんでしたから、自分には骨折という言葉自体シックでしたよ。
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大事な足が!! (K女)
2018-08-24 17:12:28
気楽に開けたら、びっくりの展開。
本当に良かったですね、それにしても救急隊は、完全に話の出来る人を相手出来るとは思っていないから、それなりの考えを持って行動してくれているには感謝。
助かったのは、幸運と思って、これからの行動に気を付けてください。
我が家も孫が先週、家に来ている時に5針を縫う大けがをしたばかりです。
たそがれさんは、気が短いから、もう良いだろうと勝手に骨折や傷の完治を待たずに動きそうなので、それだけは我慢する事、これからの人生に影響しますよ。
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K女さん (たそがれオヤジ)
2018-08-24 18:05:46
K女さん、こんにちは。
いろいろとアドバイス、ありがとうございます。
救急車で運ばれながら、秘密の花園でK女さんが捻挫した時のことをずっと思っていましたよ。我が身になって考えれば、同じ立場だったんだなあって。もっとも、そのレスキュー隊にあたるのが私と、I男、パンクした猫車だったという頼りなさの違いだけですが、それでも、あの時のように周囲に人がいれば安心というもので、今回のこちらはまったくの孤立無援で、ヘタすればこのまま何日も気づかれずにお終いかななんて、一瞬なりとも頭をよぎったりもしていました。
昨日は木曜日で、近くて、評判の整形外科は休診日。今日から通い始めましたが、先が長くなりそうで、ましてまだ暑い。さりとて松葉杖ではどこにも出かけようもない。テレビを眺めているのも退屈。読書も長時間は飽きる。抜糸してギプスも外してリハビリが出来るようになれば少しは日がなの退屈もしのげるような気分になるかなと思っていますが、おっしゃるように、我慢、我慢に心がけますよ。
K女さんのお孫さんは活発そうで、それなりに目も離せないところがあるのでしょうが、こちらの孫もまた活発というほどのものではありませんが、何も考えずに飼い犬に手を出してかまれたりしていますから、こればかりは、バアなりジイが絶えず目配せして孫守りするしかないでしょうね。
その立場のジイがこれではねぇ(笑)。
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事故 (ハイトス)
2018-08-24 18:38:14
こんばんは。
同類になるということはそういうことだったですか。
当分松葉杖なのですね。
そういえば家内が骨折したときは家の中の移動場所に毛布を敷いてキャスター付きの椅子でゴロゴロと移動してましたね。

身動きが出来ないような状態では無かったことが不幸中の幸いということで。
しかし携帯の救助要請の電話でたそがれさんの名前まで調べて対処するとは緊急時の情報開示のシステムがちゃんと確立されているのですね。
何はともあれこの程度で済んだと言うことで良い方にとりましょう。
しかし武勇伝が残ってしまいますね。
80m滑落して70m這い上がった猛者として。
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