◎2009年11月15日(日)―1人
最近、インターネットの山行レポートを見ていて、桐生の三峰山周辺に三十六童子の石像やら石碑が点々とあることを知った。何となく記憶にひっかかるものがあり、数年前に行った三峰山の写真を見てみたら、山頂にある「三十六童子を経て名久木登山口へ」と記された標示板を、自分でもカメラに収めていた。最近歩かれた御三方のレポートを読む限りはおもしろそうな感じで、天気もいいしハイキングがてらで行ってみることにした。本当のところ、三十六童子あたりは冬にでも行くつもりでいたが、昨日は雨でどこにも行けず、明日は仕事となると、遠出は避けて、近場での選択が無難だろう。
三十六童子に対する知識なんかさらさらない。それほどの信心深さを持ち合わせているわけでもない。ネットで調べて、どうも、不動明王の召使いらしいといった程度の知識は得た。不動明王についてもしかり。名前だけは知っているにすぎない。深く研究する意識と余裕もない。今日のハイキングは失礼ながら興味津々の物見遊山のようなものだ。
川内から大崩林道に入る。軽の四駆だから、この林道も難なく終点まで行けたが、昨日までの雨で道路はかなり緩くなっていたし、落石もあったりで、普通車では無理だったろう。一旦、林道終点まで車を入れたものの、この時点では金沢峠から下りて来るつもりでいたから、また引き返し、林道分岐あたりに車を置いた。終点に車を置くのには不安があった。心細い感じがする場所だ。歩き出しは9時50分。今日はかなりゆっくりしている。大崩林道は、正式には、標示によると、この分岐から始まるようで、その距離は690mしかない。10分程で登山口に着いてしまった。
(三峰山登山口)
この登山道はあまり利用されていないようだ。道型がはっきりしない。ところどころでぬかるみ、靴が泥んこになる。しばらく右手に沢を見ながら歩く。ここで最初のコースミス。三十六童子に出会うには、ネットでは「3本の杉に囲まれた石祠で沢に入る」となっていたが、その石祠はおろか、周りは杉林で、3本の傑出した杉を特定できないまま、素通りしてしまった。間違ったことは自覚していた。石祠ポイントまでそんなに時間がかかるわけがなかった。早速、今日の行程を変更する。行きで三十六童子を鑑賞するつもりでいた予定を下山時鑑賞にする。まずは、吾妻山・鳴神山のコース上に出ること。
ところが、本来のコースもいつ外れたのか、知らずに杉林の中に入り込んでしまっていた。地形図に記された点線のコースからかなり南寄りを歩いている。歩いている道はおそらく樵道だろう。コンパスを三峰山にセットしていたことがわざわいした。三峰山方面はどんどん右後ろになって行く。感で行くしかない。ただ、上を見上げれば、林が切れるところが尾根になっていて、青空が抜けている。特別な不安はない。朽ちた木橋を歩いたら、簡単にグシャッと折れて、足を踏み外してしまった。急な斜面を見上げて、うんざりしていたら、樵道は斜面をうまくトラバースしていた。やがて尾根にぶつかり、樵道から離れて尾根を歩く。人が最近歩いた形跡はない。やがて、吾妻・鳴神ルートに合流。つじつま合わせみたいだが、点線の合流点らしい。
(赤城山)
ここまで来たからには、ちょっと北上してみることにする。杉の植林帯から抜けて一気に明るくなったので気を良くしてしまった。ここで唯一の人と出会う。鳴神山からの縦走だろうか。挨拶をしただけ。811.5mピーク着10時58分。歩き出しから1時間しか経過していない。2時間くらい歩いたような気がする。風が強いが冷たくはない。赤城山が真正面に見える。かすかに浅間山らしき山容。日光方面はここからは木がじゃまになる。吾妻山までの尾根がずっと続く。標示には「花台沢の頭811.3m」と記されている。花台沢とは、梅田に下りる沢であろうか。
(三十六童子の標示)
小休止して三峰山に向かう。どんどん下るのが不安になるが、歩いたことはあるルート。景色にはほとんど覚えがない。11時20分、三峰山。相変わらず陰気な感じがする薄暗いピーク。石祠と石像。石像は大山祗命(オオヤマスミノミコト)だそうだ。神話の世界だね。山の神らしい。これと極めて仏教的な不動明王との関係が分からない。密教の世界は神仏習合で不可解。さて、ここからが本日のメインテーマ。正直のところ期待は大きい。「三十六童子を経て~」の標示板は健在だった。心細い道型に赤いテープ。間もなく丸い石に出会う。文字が記されているが読み取れない。あれっ、だれかのレポートでは、最初は石仏のはずだったけど。おかしいなと思いながらもさらに下る。石仏を見逃してしまったようだ。ところどころに同じような丸い石があり、よく見れば、それぞれの石に童子の名前(だろう)が記されている。だが、そのほとんどが丸い石や墓石風になっている。石に彫られた年代を見ると、安政年間。150年前。もはや幕末。意外と新しい信仰ルートだったのだろうか。それにしても石仏はないの?
(三十六童子)
一つずつ数えたわけでもないが、目に入ったのは20くらいか。ネットで見た写真の三十六童子姿はバリエーションにとんでいたが、探求心が散漫なのか、どうも、目についた童子は、丸い石に童子の名前を記しただけのがほとんど。正直のところがっかり。とはいっても、童子探し以上に、確実に駐車地に戻れるかが最大の不安だったから、気がそぞろになっていたとしても致し方あるまい。今度来る時は、しっかりと童子を見て歩きたいものだ。
(ここが分岐の祠)
岸壁を巻いて沢に下りる。これを下れば登ってきたルートに戻れるはず。テープも途中でなくなっていた。ほどなく、石祠の前に出た。つまり、これが、分岐の石祠。確かに3本の杉に囲まれている。こんなところにあったのかと悔やんでしまったが、右手を注意していないと分かりづらいのは確か。すぐに登って来た道に合流し、下る。三峰山登山口を通過して駐車地に。12時10分。2時間少々のハイキングだったが、今日はどうもすっきりとしなかった。いずれ改めてのご訪問だな。
最近、インターネットの山行レポートを見ていて、桐生の三峰山周辺に三十六童子の石像やら石碑が点々とあることを知った。何となく記憶にひっかかるものがあり、数年前に行った三峰山の写真を見てみたら、山頂にある「三十六童子を経て名久木登山口へ」と記された標示板を、自分でもカメラに収めていた。最近歩かれた御三方のレポートを読む限りはおもしろそうな感じで、天気もいいしハイキングがてらで行ってみることにした。本当のところ、三十六童子あたりは冬にでも行くつもりでいたが、昨日は雨でどこにも行けず、明日は仕事となると、遠出は避けて、近場での選択が無難だろう。
三十六童子に対する知識なんかさらさらない。それほどの信心深さを持ち合わせているわけでもない。ネットで調べて、どうも、不動明王の召使いらしいといった程度の知識は得た。不動明王についてもしかり。名前だけは知っているにすぎない。深く研究する意識と余裕もない。今日のハイキングは失礼ながら興味津々の物見遊山のようなものだ。
川内から大崩林道に入る。軽の四駆だから、この林道も難なく終点まで行けたが、昨日までの雨で道路はかなり緩くなっていたし、落石もあったりで、普通車では無理だったろう。一旦、林道終点まで車を入れたものの、この時点では金沢峠から下りて来るつもりでいたから、また引き返し、林道分岐あたりに車を置いた。終点に車を置くのには不安があった。心細い感じがする場所だ。歩き出しは9時50分。今日はかなりゆっくりしている。大崩林道は、正式には、標示によると、この分岐から始まるようで、その距離は690mしかない。10分程で登山口に着いてしまった。
(三峰山登山口)
この登山道はあまり利用されていないようだ。道型がはっきりしない。ところどころでぬかるみ、靴が泥んこになる。しばらく右手に沢を見ながら歩く。ここで最初のコースミス。三十六童子に出会うには、ネットでは「3本の杉に囲まれた石祠で沢に入る」となっていたが、その石祠はおろか、周りは杉林で、3本の傑出した杉を特定できないまま、素通りしてしまった。間違ったことは自覚していた。石祠ポイントまでそんなに時間がかかるわけがなかった。早速、今日の行程を変更する。行きで三十六童子を鑑賞するつもりでいた予定を下山時鑑賞にする。まずは、吾妻山・鳴神山のコース上に出ること。
ところが、本来のコースもいつ外れたのか、知らずに杉林の中に入り込んでしまっていた。地形図に記された点線のコースからかなり南寄りを歩いている。歩いている道はおそらく樵道だろう。コンパスを三峰山にセットしていたことがわざわいした。三峰山方面はどんどん右後ろになって行く。感で行くしかない。ただ、上を見上げれば、林が切れるところが尾根になっていて、青空が抜けている。特別な不安はない。朽ちた木橋を歩いたら、簡単にグシャッと折れて、足を踏み外してしまった。急な斜面を見上げて、うんざりしていたら、樵道は斜面をうまくトラバースしていた。やがて尾根にぶつかり、樵道から離れて尾根を歩く。人が最近歩いた形跡はない。やがて、吾妻・鳴神ルートに合流。つじつま合わせみたいだが、点線の合流点らしい。
(赤城山)
ここまで来たからには、ちょっと北上してみることにする。杉の植林帯から抜けて一気に明るくなったので気を良くしてしまった。ここで唯一の人と出会う。鳴神山からの縦走だろうか。挨拶をしただけ。811.5mピーク着10時58分。歩き出しから1時間しか経過していない。2時間くらい歩いたような気がする。風が強いが冷たくはない。赤城山が真正面に見える。かすかに浅間山らしき山容。日光方面はここからは木がじゃまになる。吾妻山までの尾根がずっと続く。標示には「花台沢の頭811.3m」と記されている。花台沢とは、梅田に下りる沢であろうか。
(三十六童子の標示)
小休止して三峰山に向かう。どんどん下るのが不安になるが、歩いたことはあるルート。景色にはほとんど覚えがない。11時20分、三峰山。相変わらず陰気な感じがする薄暗いピーク。石祠と石像。石像は大山祗命(オオヤマスミノミコト)だそうだ。神話の世界だね。山の神らしい。これと極めて仏教的な不動明王との関係が分からない。密教の世界は神仏習合で不可解。さて、ここからが本日のメインテーマ。正直のところ期待は大きい。「三十六童子を経て~」の標示板は健在だった。心細い道型に赤いテープ。間もなく丸い石に出会う。文字が記されているが読み取れない。あれっ、だれかのレポートでは、最初は石仏のはずだったけど。おかしいなと思いながらもさらに下る。石仏を見逃してしまったようだ。ところどころに同じような丸い石があり、よく見れば、それぞれの石に童子の名前(だろう)が記されている。だが、そのほとんどが丸い石や墓石風になっている。石に彫られた年代を見ると、安政年間。150年前。もはや幕末。意外と新しい信仰ルートだったのだろうか。それにしても石仏はないの?
(三十六童子)
一つずつ数えたわけでもないが、目に入ったのは20くらいか。ネットで見た写真の三十六童子姿はバリエーションにとんでいたが、探求心が散漫なのか、どうも、目についた童子は、丸い石に童子の名前を記しただけのがほとんど。正直のところがっかり。とはいっても、童子探し以上に、確実に駐車地に戻れるかが最大の不安だったから、気がそぞろになっていたとしても致し方あるまい。今度来る時は、しっかりと童子を見て歩きたいものだ。
(ここが分岐の祠)
岸壁を巻いて沢に下りる。これを下れば登ってきたルートに戻れるはず。テープも途中でなくなっていた。ほどなく、石祠の前に出た。つまり、これが、分岐の石祠。確かに3本の杉に囲まれている。こんなところにあったのかと悔やんでしまったが、右手を注意していないと分かりづらいのは確か。すぐに登って来た道に合流し、下る。三峰山登山口を通過して駐車地に。12時10分。2時間少々のハイキングだったが、今日はどうもすっきりとしなかった。いずれ改めてのご訪問だな。
最近は、なぜか石祠に惹かれてしまいますです。
主に野鳥の撮影が趣味ですが山歩き羨ましいです
足が痛くて無理みたいです。。。。しかし河原のおじ様たちは熊に出会った方もいて腰が抜けるかと思ったようですよ。。
どうぞお気をつけて!!
熊除けの鈴・・・があるので熊にあったら大声を上げたらいいのかと思ったら駄目なんだそうですね・・・
三十六童子・・知りませんでした。又是非画像のUPを・・・
私の書いているブログでの情報が何かしら役に立てば幸いです
@沖縄