◎2007年10月20日(土)―木と
去年の暮れあたりから、木から執拗に坤六峠~片藤沼のルートの探索調査依頼を受けていたが、さして興味がそそられるルートではないし、ネットでの情報もかなり乏しいため、適当にあしらっていたが、最近になってまた言い出したので、だったら、オマエも行くのならという条件で紅葉の時期に合わせて付き合った。木のどこからか仕入れてきた情報では「傾斜は緩やか。尾根は広いが、ヤブも少ないようだ。笹は膝まで。展望もきいて迷うことはない」という。少なくともオレが調べた情報2件は、いずれもヤブがひどくて、途中で撤退しているものだった。オレの情報の方がはるかに信憑性あるような気がしたが、ダメ元で、早々に撤退して温泉にでも浸かって帰るつもりでいた。
5時に家を出て、木家を5時半に出発する。関越道路は行楽客で混み始めていたが、ほとんどが渋川・伊香保で下りていく。残りの車は大半が谷川岳の紅葉目当てだろうか。水上インターから坤六峠に向かう。水上の町を過ぎ、湯けむり街道に入ると、紅葉の真っ最中。照葉峡は今が盛りだ。まだ6時台だというのに、道路端には紅葉を楽しむ観光客の車がそこかしこに駐まっている。せっかく来たのだからと、先ずは紅葉見物。水源の森の一方通行道路を周回する。木は「年とったせいだか、最近はきれいなもの、美しいものに素直に感動するようになった」とポツリ。人間味も確かに丸くなったようだ。
坤六峠に到着。先日の新聞に、坤六峠付近で夏に発見された女性白骨死体の復元モンタージュが照会されていたが、遺体はどこらで見つかったものだろうか。この紅葉の時期以外、訪れる人もまれな峠、そこら中に遺棄された死体はあるやもしれない。軽くコンビニムスビを食べて7時55分出発。開通記念碑の裏から続く踏み跡をたどる。クマの出没を危惧して大きめの鈴をつけて行く。昨夜の雨で草木はかなり濡れているので木は上下の合羽にスパッツ。オレはスパッツだけだったが、いきなりのヤブ道で、すぐに合羽を着た。しかしこのヤブもすぐにしっかりした道に変わった。あのヤブはカモフラージュ用なのか。展望が良くない林の中の道だが、しばらくは快適ながらも、ところどころヤブが踏み跡を覆う。歩く人はまれという証拠。ネットで確認した情報では、1時間程でこの道も終わり、終点の木には「ここまでです」と赤スプレーで記されているとのこと。そこから先の用意のため、木はカマを、オレはナタを持参している。私有地だか、国有林だか知らないが、あまり派手なことは出来ないものの、帰りのことを考えれば、ヤブを拓いて道を開けておくのにこしたことはない。木はさらに目印として赤いヒモを大量に持ってきた。どうも、オフクロさんの腰巻きのお古を解体したものらしい。林の右の展望がたまに開け、晴れ間から日光の山々が覗く。皇海山、錫ケ岳も見える。日光白根だけは冠雪していた。
確かに1時間程度で道は途切れた。ここまで、かなりヒモが垂れていたし、木も垂らした。随分と赤やピンクで賑わったのではなかろうか。「ここまでです」表示には気づかなかった。いきなり本格的なヤブに突入。かすかな踏み跡はあるようだが、ヤブの下に隠れているのか見えない。地形図とGPSが頼りなのだが、周囲が見渡せないので、感で稜線らしいところを進むしかない。最初のうちはカマ、ナタが威力を発揮したものの、やがて笹が高くなるにつれ、刃物が自らの身体を傷つける凶器になりそうなのでザックに収めた。木情報はとんでもないものだった。どこが「笹は膝まで」だよ。たまに目印ヒモやら、笹を刈り払った跡を見つけるが、相当に古い。1776mピークあたりからとうとう笹ヤブも背丈を超えるようになってしまった。そして密集。どこを歩いているのか分からないが、右手前方に笠ヶ岳が見え、いい目印にはなる。笹は始末が悪い。太く、根が曲がっているから、かき分けるのに苦労する。そして根元が滑る。たまに倒木がふさいだり、足をひっかけてつんのめったりする。灌木をつかむと、上からどっさりと細かいクズが落ちてきて背中の中に入り込む。顔には笹の葉先が当たり、ヒゲ剃り後のチクチク感がある。アフターシェーブローションが欲しいところ。めったにないが太い木があるところに出るとほっとする。ヤブからもある程度は解放されるので休む。先人も考えることは同じなようで、木には大抵、目印ヒモが垂れていた。木は器用なもので、こんなヤブの中でもキジ撃ちをしたりしていた。
1870mピークからは、笹にシャクナゲやらハイマツが混じりだし、さらに動きづらくなった。身動きが出来ない状況の中を無理矢理に進む。足は地面につかず、ヘタをすれば、足が突き抜けてしまう。こうなれば、今度は足が枝にひっかかって抜くのに往生する。比べれば、積雪期のラッセルがどんなに楽か。白い軍手はすでに真っ黒。2人ともてんでに歩きやすいところを見つけて歩くが、相手の声は聞こえても姿が見えない。笠ヶ岳との距離は一向に縮まらない。ここまで大方は木が先を歩いていたが、ヤブの凄さを見てから、オレは木にくっついて来たというスタイルをとりたかったので、彼に言われるまでは交代もしなかった。当初の予定では、片藤沼まで行き、登ってきたルートを戻るつもりでいたが、これを戻るのはもう嫌になっていたし、まず不可能。鳩待峠に下りることにした。ところどころで垂らした赤布も、同じところを下っていれば目印になるものの、その自信はまったくない。むしろ、わけの分からないルートをとる可能性が高い。
ようやく湯ノ小屋から笠ヶ岳に通じる登山道がある尾根が正面に見えてきた。この取り付きにまた悪戦苦闘。一向にヤブはおとなしくならない。オレはつい左寄りに進むが、木は右寄りに行きたがる。やばいことにガスが巻いてきた。なかなか登山道に合流しない。ここに至って、ルートを間違えたのだろうか。やはり右寄りに進み過ぎていた。1962mピークは経由せず、ひょこっと窪地に這い上がった。その先にしっかりした登山道が見える。11時25分、ようやく着いた。坤六峠からここまで3時間半。ヤブ突入から2時間半。標高差こそ400m弱だが、こんなしんどい思いをしたのは初めてだ。1人だったら、おそらく、後半のヤブの中、発狂寸前になっていたかもしれない。うつろな状態で沢に下りていくか、そのまま白骨か。
一休みして尾瀬方面に向かう。後は付録みたいなものだが、ようやく紅葉見物を楽しめる状況になったものの、この辺りはすでに終わっていて、下の方が相当に色を付けている。片藤沼を経由して笠ヶ岳へ。グループが2組。至仏山のついでに来たような雰囲気。笠ヶ岳の山頂で、しみじみと七転八倒した坤六峠からの尾根をながめた。ここから見えるのはなだらかな尾根だが、その実態は相当なヤブ尾根。木情報はここから眺めた状況を元に想像したものだろうと確信した。先日歩いた物見山、鬼怒沼山が見える。そしてアヤメ平、燧ヶ岳、至仏山。真ん前に上州武尊。笠からの展望も結構だが、登山道の状況が悪い。ぬかるんでいる。2人とも、ヤブから出てきたそのままの格好で歩いたが、さらに足下がドロンコになってしまった。だらだらと鳩待峠に向かう。至仏山からの登山道に合流。いきなり家族連れ。皆さん軽装で、汚れて歩いている人はだれもいない。かなりの違和感を覚える。木はそれでもスケさんをやりはじめた。子供のママさん相手に白根山と燧ヶ岳の講釈を始めた。
賑やかな鳩待峠に到着。15時。ここからの問題は車を置いた坤六峠までのアクセス。正直に歩くと、4~5時間はかかるだろう。タクシーを使いたいのだが、切符売り場のジイさんや車を手配している運転手に聞くと、津奈木橋で降ろしてもらって、そこから先は歩けと言う。坤六峠まで行くタクシーの手配はしてもらえないらしい。津奈木橋からでも歩けば2~3時間はかかる。仕方ないかと、戸倉駐車場行きの小型バスに乗るも、今度は津奈木橋で車を止めるのをためらわれた。後で知ったことだが、一帯の道路が駐停車禁止になっていて、津奈木橋で客の乗り降りをしてはいけないらしい。渋々と途中下車を承知してくれはしたものの、すぐに下りられるようにと、通路の補助イスを倒して座らせられた。ところが、この運転手、津奈木橋を素通り。完全に忘れている気配。こちらは地理に不案内だから、あそこが津奈木橋ではないかとは思いながらも、確信は持てないから黙っていた。気づいた運転手が対抗車のタクシーを止めて、客2人を津奈木橋まで送ってくれと頼んだのはいいが、橋をかなり走り過ぎた後。その間、オレは相当に気をもんだが、木は隣の席のオバサン相手に本日の武勇伝を語っていた。オバサンも物好きで「今度行ってみようかしら」だって。タクシーに預けられ、女の運転手に事情を話したら、坤六峠まで運んでくれた。もっともメーターは倒されたからしめて4,000円の支払い。彼女の話では、以前にも1人、同種の人間を峠まで乗せたことがあるそうだ。峠に行く道路は、紅葉狩りの車で多かった。そして峠。熊谷ナンバーの車の側に冴えないオヤジが1人でブラブラしていた。キノコ採りに来たようだが、おけらだったそうだ。きっと買って帰るのだろう。帰路につく。木は明日、地区の運動会だそうで、50mを本気で走らないといけないそうだ。足が痛いとしきりにこぼしている。気の毒に。
去年の暮れあたりから、木から執拗に坤六峠~片藤沼のルートの探索調査依頼を受けていたが、さして興味がそそられるルートではないし、ネットでの情報もかなり乏しいため、適当にあしらっていたが、最近になってまた言い出したので、だったら、オマエも行くのならという条件で紅葉の時期に合わせて付き合った。木のどこからか仕入れてきた情報では「傾斜は緩やか。尾根は広いが、ヤブも少ないようだ。笹は膝まで。展望もきいて迷うことはない」という。少なくともオレが調べた情報2件は、いずれもヤブがひどくて、途中で撤退しているものだった。オレの情報の方がはるかに信憑性あるような気がしたが、ダメ元で、早々に撤退して温泉にでも浸かって帰るつもりでいた。
5時に家を出て、木家を5時半に出発する。関越道路は行楽客で混み始めていたが、ほとんどが渋川・伊香保で下りていく。残りの車は大半が谷川岳の紅葉目当てだろうか。水上インターから坤六峠に向かう。水上の町を過ぎ、湯けむり街道に入ると、紅葉の真っ最中。照葉峡は今が盛りだ。まだ6時台だというのに、道路端には紅葉を楽しむ観光客の車がそこかしこに駐まっている。せっかく来たのだからと、先ずは紅葉見物。水源の森の一方通行道路を周回する。木は「年とったせいだか、最近はきれいなもの、美しいものに素直に感動するようになった」とポツリ。人間味も確かに丸くなったようだ。
坤六峠に到着。先日の新聞に、坤六峠付近で夏に発見された女性白骨死体の復元モンタージュが照会されていたが、遺体はどこらで見つかったものだろうか。この紅葉の時期以外、訪れる人もまれな峠、そこら中に遺棄された死体はあるやもしれない。軽くコンビニムスビを食べて7時55分出発。開通記念碑の裏から続く踏み跡をたどる。クマの出没を危惧して大きめの鈴をつけて行く。昨夜の雨で草木はかなり濡れているので木は上下の合羽にスパッツ。オレはスパッツだけだったが、いきなりのヤブ道で、すぐに合羽を着た。しかしこのヤブもすぐにしっかりした道に変わった。あのヤブはカモフラージュ用なのか。展望が良くない林の中の道だが、しばらくは快適ながらも、ところどころヤブが踏み跡を覆う。歩く人はまれという証拠。ネットで確認した情報では、1時間程でこの道も終わり、終点の木には「ここまでです」と赤スプレーで記されているとのこと。そこから先の用意のため、木はカマを、オレはナタを持参している。私有地だか、国有林だか知らないが、あまり派手なことは出来ないものの、帰りのことを考えれば、ヤブを拓いて道を開けておくのにこしたことはない。木はさらに目印として赤いヒモを大量に持ってきた。どうも、オフクロさんの腰巻きのお古を解体したものらしい。林の右の展望がたまに開け、晴れ間から日光の山々が覗く。皇海山、錫ケ岳も見える。日光白根だけは冠雪していた。
確かに1時間程度で道は途切れた。ここまで、かなりヒモが垂れていたし、木も垂らした。随分と赤やピンクで賑わったのではなかろうか。「ここまでです」表示には気づかなかった。いきなり本格的なヤブに突入。かすかな踏み跡はあるようだが、ヤブの下に隠れているのか見えない。地形図とGPSが頼りなのだが、周囲が見渡せないので、感で稜線らしいところを進むしかない。最初のうちはカマ、ナタが威力を発揮したものの、やがて笹が高くなるにつれ、刃物が自らの身体を傷つける凶器になりそうなのでザックに収めた。木情報はとんでもないものだった。どこが「笹は膝まで」だよ。たまに目印ヒモやら、笹を刈り払った跡を見つけるが、相当に古い。1776mピークあたりからとうとう笹ヤブも背丈を超えるようになってしまった。そして密集。どこを歩いているのか分からないが、右手前方に笠ヶ岳が見え、いい目印にはなる。笹は始末が悪い。太く、根が曲がっているから、かき分けるのに苦労する。そして根元が滑る。たまに倒木がふさいだり、足をひっかけてつんのめったりする。灌木をつかむと、上からどっさりと細かいクズが落ちてきて背中の中に入り込む。顔には笹の葉先が当たり、ヒゲ剃り後のチクチク感がある。アフターシェーブローションが欲しいところ。めったにないが太い木があるところに出るとほっとする。ヤブからもある程度は解放されるので休む。先人も考えることは同じなようで、木には大抵、目印ヒモが垂れていた。木は器用なもので、こんなヤブの中でもキジ撃ちをしたりしていた。
1870mピークからは、笹にシャクナゲやらハイマツが混じりだし、さらに動きづらくなった。身動きが出来ない状況の中を無理矢理に進む。足は地面につかず、ヘタをすれば、足が突き抜けてしまう。こうなれば、今度は足が枝にひっかかって抜くのに往生する。比べれば、積雪期のラッセルがどんなに楽か。白い軍手はすでに真っ黒。2人ともてんでに歩きやすいところを見つけて歩くが、相手の声は聞こえても姿が見えない。笠ヶ岳との距離は一向に縮まらない。ここまで大方は木が先を歩いていたが、ヤブの凄さを見てから、オレは木にくっついて来たというスタイルをとりたかったので、彼に言われるまでは交代もしなかった。当初の予定では、片藤沼まで行き、登ってきたルートを戻るつもりでいたが、これを戻るのはもう嫌になっていたし、まず不可能。鳩待峠に下りることにした。ところどころで垂らした赤布も、同じところを下っていれば目印になるものの、その自信はまったくない。むしろ、わけの分からないルートをとる可能性が高い。
ようやく湯ノ小屋から笠ヶ岳に通じる登山道がある尾根が正面に見えてきた。この取り付きにまた悪戦苦闘。一向にヤブはおとなしくならない。オレはつい左寄りに進むが、木は右寄りに行きたがる。やばいことにガスが巻いてきた。なかなか登山道に合流しない。ここに至って、ルートを間違えたのだろうか。やはり右寄りに進み過ぎていた。1962mピークは経由せず、ひょこっと窪地に這い上がった。その先にしっかりした登山道が見える。11時25分、ようやく着いた。坤六峠からここまで3時間半。ヤブ突入から2時間半。標高差こそ400m弱だが、こんなしんどい思いをしたのは初めてだ。1人だったら、おそらく、後半のヤブの中、発狂寸前になっていたかもしれない。うつろな状態で沢に下りていくか、そのまま白骨か。
一休みして尾瀬方面に向かう。後は付録みたいなものだが、ようやく紅葉見物を楽しめる状況になったものの、この辺りはすでに終わっていて、下の方が相当に色を付けている。片藤沼を経由して笠ヶ岳へ。グループが2組。至仏山のついでに来たような雰囲気。笠ヶ岳の山頂で、しみじみと七転八倒した坤六峠からの尾根をながめた。ここから見えるのはなだらかな尾根だが、その実態は相当なヤブ尾根。木情報はここから眺めた状況を元に想像したものだろうと確信した。先日歩いた物見山、鬼怒沼山が見える。そしてアヤメ平、燧ヶ岳、至仏山。真ん前に上州武尊。笠からの展望も結構だが、登山道の状況が悪い。ぬかるんでいる。2人とも、ヤブから出てきたそのままの格好で歩いたが、さらに足下がドロンコになってしまった。だらだらと鳩待峠に向かう。至仏山からの登山道に合流。いきなり家族連れ。皆さん軽装で、汚れて歩いている人はだれもいない。かなりの違和感を覚える。木はそれでもスケさんをやりはじめた。子供のママさん相手に白根山と燧ヶ岳の講釈を始めた。
賑やかな鳩待峠に到着。15時。ここからの問題は車を置いた坤六峠までのアクセス。正直に歩くと、4~5時間はかかるだろう。タクシーを使いたいのだが、切符売り場のジイさんや車を手配している運転手に聞くと、津奈木橋で降ろしてもらって、そこから先は歩けと言う。坤六峠まで行くタクシーの手配はしてもらえないらしい。津奈木橋からでも歩けば2~3時間はかかる。仕方ないかと、戸倉駐車場行きの小型バスに乗るも、今度は津奈木橋で車を止めるのをためらわれた。後で知ったことだが、一帯の道路が駐停車禁止になっていて、津奈木橋で客の乗り降りをしてはいけないらしい。渋々と途中下車を承知してくれはしたものの、すぐに下りられるようにと、通路の補助イスを倒して座らせられた。ところが、この運転手、津奈木橋を素通り。完全に忘れている気配。こちらは地理に不案内だから、あそこが津奈木橋ではないかとは思いながらも、確信は持てないから黙っていた。気づいた運転手が対抗車のタクシーを止めて、客2人を津奈木橋まで送ってくれと頼んだのはいいが、橋をかなり走り過ぎた後。その間、オレは相当に気をもんだが、木は隣の席のオバサン相手に本日の武勇伝を語っていた。オバサンも物好きで「今度行ってみようかしら」だって。タクシーに預けられ、女の運転手に事情を話したら、坤六峠まで運んでくれた。もっともメーターは倒されたからしめて4,000円の支払い。彼女の話では、以前にも1人、同種の人間を峠まで乗せたことがあるそうだ。峠に行く道路は、紅葉狩りの車で多かった。そして峠。熊谷ナンバーの車の側に冴えないオヤジが1人でブラブラしていた。キノコ採りに来たようだが、おけらだったそうだ。きっと買って帰るのだろう。帰路につく。木は明日、地区の運動会だそうで、50mを本気で走らないといけないそうだ。足が痛いとしきりにこぼしている。気の毒に。
Yossyさん、山での雉撃ちは、こりゃ仕方ないですね。自然現象ですから、でも、同行した木の場合、何なんですかね、家ではやらないで外でやる習性があるようです。現に、山を歩きながら、最近はほぼ連日、早朝の田んぼの畦で雉を撃っている話を聞きました。
今週は後半の天気が崩れる前に、代休をとって紅葉を惜しむ山行をしようかなと思っています。
遭難というと雪山かなと思っていたけど、ヤブの中で方向を失うこともあるのね。一人では恐いね。
今回も色々と体験があって、読者としては結構楽しめましたよ。 そろそろ雪山になっていくのかな。