水曜日に小倉に居てたが、金曜日の早朝には東京・新宿に居て
最近は少し長い距離の移動が続いている。
その目的地から京都への帰路に「雪道でもいいや!」と腹をくくり、
お気に入りの中仙道を京都に向け出発し、
埼玉県と群馬県の県境に近い街から高速道路を利用し走ってみた。
本庄児玉IC→下仁田ICまで。
いつもは、この地域の通過は東京へ向かう夜明け前で漆黒の闇の中であるが
平日の天気晴朗な長閑なお昼前にこんなすばらしい景色に
遭遇できるとは思ってもいなかった。
全くといってよいほど車の姿が無い長野へ通じる道を上り下りの坂を
一定速度でこなしながら快調に車を走らせる。
その道は徐々に高度を上げていき、遠くに連なる緑褐色と雪の白色が美しい山脈が、
高い位置の運転席のフロントウインドウの左に在ったり、はたまた右に移ったり、
真ん中に在ったりしながらその全容を少しづつ大きくなりながら近づいてくる。
バイクに乗る私は一時期クラッシックバイクに興味を持った時期がある。
二輪車製造メーカーが日本国中に幾多と在った時代に、
この浅間山麓で日本で始めて二輪車レースが開催された事を承知している。
長くそのクラッシックバイク愛好家たちが年一回浅間ミーティングという集会を
催していたが今はどうなったのであろうか興味があるところだ。
私なりのベストショットの浅間山である。
デジカメを忘れてしまい、携帯電話で写してみたが・・・・・・・・。
もう少し大きく撮りたいところである。
自然の景色に涙する感情が残っている私自身に少し驚きもした。
都市の風景は数年、意綾数ヶ月でその景観を変化させる事も珍しくは無い。
しかし、山の姿は長くそのままであろうし、
現に目の前に存在する浅間山の誇り高き姿の感じる事は
皆同様に眺める人々の各々の心を引き付けて止まないであろう。
この中にゴルフ場の緑でも見えればもうその価値は失われてしまう。
自然は自然でなければいけないし、天然は天然、
田舎は田舎であり続けて欲しく思う。
既に富士はその気高さが失われている様に麓の景観が台無しにしているし、
中央高地の峰々も気楽に訪れるようになった近年では、
その神聖さが失われていくのが心配だなぁ。
山はいつまでもその姿は気高くあって欲しいと思うのは私だけではないはずだ。
小畑実 高原の駅よさようなら
浅間山界隈で撮影が行われた昭和26年作の映画をDVDで見て知っている。
《高原の駅よさようなら》だ。
映画あらすじは下記の様なものである。
愛憎劇にはならない恋愛物である。
植物研究家の野村俊雄は、恩師の伊福部教授が、自分を娘啓子の婿養子に
したいという願いがあまり好ましく無く、先輩の働く高原療養所に逃避するのですが、
俊雄はその高原の診療所で、ナースの香川京子扮する泉ユキと知り合い、
一緒に植物採集に出かけたりしているうちに、
二人の間には愛情が芽生える。ああ、純愛。
ところが彼は崖から転落し大怪我をしてしまう。
その時彼を救ったのは、秘かにユキを愛している彼女の幼馴染であったりして、
ここらへんから話がややこしくなってくるが、ユキをめぐる各々の愛情の波乱を
冷静な女医三神梢が知る所となり、梢は俊雄に病院から立去るよう要求する。
小さな診療所内での医療現場でそりゃ~あまり良くないですもんね。
そこへ俊雄の怪我を知って啓子が駆けつけ父の病状が悪化したことを告げに来て、
一緒に帰るよう勤めるが・・・・・・・・・・。
ああ・・・・・・
香川京子扮する泉ユキの清楚清純な美しさに見とれてしまうなぁ。
私なら、迷わず娘啓子ではなく泉ユキなんです。
私は *《美しい女子∈ナース》の発する言葉に蕩けてしまい、
医療現場の白衣やその仕草に弱い事実を経験している。
だから注射針を打ってくれるナースの細く白いその指を見ていると
静脈に差し込まれる痛さ病気の苦痛よりもナースに触れられる事によって
安らぎを感じる時が多い。
そうだ!
信濃追分駅を今度機会を作り訪れてみよう!
看護師 泉ユキと運命的に巡り会えるかもしれない。
注* ∈=数学記号(元として含まれる)の意。即ち美しい女子以外は含まない。
最近は少し長い距離の移動が続いている。
その目的地から京都への帰路に「雪道でもいいや!」と腹をくくり、
お気に入りの中仙道を京都に向け出発し、
埼玉県と群馬県の県境に近い街から高速道路を利用し走ってみた。
本庄児玉IC→下仁田ICまで。
いつもは、この地域の通過は東京へ向かう夜明け前で漆黒の闇の中であるが
平日の天気晴朗な長閑なお昼前にこんなすばらしい景色に
遭遇できるとは思ってもいなかった。
全くといってよいほど車の姿が無い長野へ通じる道を上り下りの坂を
一定速度でこなしながら快調に車を走らせる。
その道は徐々に高度を上げていき、遠くに連なる緑褐色と雪の白色が美しい山脈が、
高い位置の運転席のフロントウインドウの左に在ったり、はたまた右に移ったり、
真ん中に在ったりしながらその全容を少しづつ大きくなりながら近づいてくる。
バイクに乗る私は一時期クラッシックバイクに興味を持った時期がある。
二輪車製造メーカーが日本国中に幾多と在った時代に、
この浅間山麓で日本で始めて二輪車レースが開催された事を承知している。
長くそのクラッシックバイク愛好家たちが年一回浅間ミーティングという集会を
催していたが今はどうなったのであろうか興味があるところだ。
私なりのベストショットの浅間山である。
デジカメを忘れてしまい、携帯電話で写してみたが・・・・・・・・。
もう少し大きく撮りたいところである。
自然の景色に涙する感情が残っている私自身に少し驚きもした。
都市の風景は数年、意綾数ヶ月でその景観を変化させる事も珍しくは無い。
しかし、山の姿は長くそのままであろうし、
現に目の前に存在する浅間山の誇り高き姿の感じる事は
皆同様に眺める人々の各々の心を引き付けて止まないであろう。
この中にゴルフ場の緑でも見えればもうその価値は失われてしまう。
自然は自然でなければいけないし、天然は天然、
田舎は田舎であり続けて欲しく思う。
既に富士はその気高さが失われている様に麓の景観が台無しにしているし、
中央高地の峰々も気楽に訪れるようになった近年では、
その神聖さが失われていくのが心配だなぁ。
山はいつまでもその姿は気高くあって欲しいと思うのは私だけではないはずだ。
小畑実 高原の駅よさようなら
浅間山界隈で撮影が行われた昭和26年作の映画をDVDで見て知っている。
《高原の駅よさようなら》だ。
映画あらすじは下記の様なものである。
愛憎劇にはならない恋愛物である。
植物研究家の野村俊雄は、恩師の伊福部教授が、自分を娘啓子の婿養子に
したいという願いがあまり好ましく無く、先輩の働く高原療養所に逃避するのですが、
俊雄はその高原の診療所で、ナースの香川京子扮する泉ユキと知り合い、
一緒に植物採集に出かけたりしているうちに、
二人の間には愛情が芽生える。ああ、純愛。
ところが彼は崖から転落し大怪我をしてしまう。
その時彼を救ったのは、秘かにユキを愛している彼女の幼馴染であったりして、
ここらへんから話がややこしくなってくるが、ユキをめぐる各々の愛情の波乱を
冷静な女医三神梢が知る所となり、梢は俊雄に病院から立去るよう要求する。
小さな診療所内での医療現場でそりゃ~あまり良くないですもんね。
そこへ俊雄の怪我を知って啓子が駆けつけ父の病状が悪化したことを告げに来て、
一緒に帰るよう勤めるが・・・・・・・・・・。
ああ・・・・・・
香川京子扮する泉ユキの清楚清純な美しさに見とれてしまうなぁ。
私なら、迷わず娘啓子ではなく泉ユキなんです。
私は *《美しい女子∈ナース》の発する言葉に蕩けてしまい、
医療現場の白衣やその仕草に弱い事実を経験している。
だから注射針を打ってくれるナースの細く白いその指を見ていると
静脈に差し込まれる痛さ病気の苦痛よりもナースに触れられる事によって
安らぎを感じる時が多い。
そうだ!
信濃追分駅を今度機会を作り訪れてみよう!
看護師 泉ユキと運命的に巡り会えるかもしれない。
注* ∈=数学記号(元として含まれる)の意。即ち美しい女子以外は含まない。