池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

Who am I ? I'm not 24601. 【les miserables】

2013年01月14日 | 変化した事
良く私は、私の発想や考えている事についてその≪源≫はどこにあるのか?を
質問されるときがある。
≪源≫は存在しなくて、ただ思いつきの≪夢≫を含んだ≪空想≫を
具現できるかどうかをそれに至る過程を緻密に考えているだけである。

その癖(と、言うよりも病的な性格)は、20歳代の頃から持ち合わせていたし、
今ではその時期の馬鹿げた物事を真摯に考えていた事は
≪神童≫と呼ばれていたに違いない。(笑)



今の究極的に物事を突き詰めて考える趣向(あえて趣向という言葉を使う。)は
子供の頃より既に持ち合わせていたように思う。

その子供の頃の話であるが、多くの男子はある一定の時期になると
自転車に乗り出し付近一帯の行動範囲が広がり冒険心がふつふつと勃興する事になる。
私はその自転車の性能によって広げられた自己行動範囲の世界よりも
スピードの魅せられて結果的に免許が取れる年齢になるとよりスピードを求めて
必然二輪車に興味が沸き当たり前で二輪車を運転する事になったのであるが、
その二輪車で更に行動範囲が広がる以前の自転車のスピードの極め方について
ここでひとつの笑い話を記す事にしたい。

単純に加速を極めたかった。
今ほど交通量の多くない中央大通りの木津川大橋の下り坂から九条方面から登り
東向きに、全力で走行する時速45kmがマックス!
次に考えた事は・・・・・・・・・。
①ゴム動力
自転車のチューブで紐を作りゴムパチンコの要領で自転車を打ち出す。
②急坂で全力でスタートする
結果
①チューブの反力に私自身の体力がついていけなかった。
 要するに引き伸ばす事ができないのと路面との接地抵抗が少なく自転車がゴムの反力に
 負けてブレーキしていても滑り出してしまう。
②薩摩掘公園の滑り台の上に自転車を担ぎ上げチャレンジし今まで自転車で感じた事の無い
 究極の加速を得られたものの転倒し足を縫う大怪我をする。
 足首が裂傷し、皮膚が捲れて脂肪が捲れ出て筋肉組織を見る事ができた。
 湊町の大野病院(今も在るかな?)で、緊急縫合手術。
 後遺症だろうか未だに傷の跡が痛い時がある。アホの極み。

下記画像は3年前の現場を訪れた時のもの。



小学6年生当時、世は仮面ライダー(1号)真っ盛り。
戦闘物実写アニメの話題で占められている教室の中で少人数ではあるが、
それらに興味が無い友も居た。
≪どてらい奴≫という商売人の根性モンの連続ドラマに感動する小学生である。
私の母校(大阪市立明治小学校)の校区である、大阪市西区立売堀の
機械・工具・鉄鋼加工品の問屋が集まる地域の中の企業の【山善】さんの
創業者の起業の話であった。脚本は大阪人情話を欠かせたら最高の評価を
織田作之助と並ぶ、花登筺(はなとこばこ)。
私はこのドラマが好きで欠かさず見ていた。
商売人はこのような精神構造なのだ!見習わなくてはと感化されていた。



最近になって、実家の本棚から拝借した。小説≪どてらい奴≫
昨年の疲れていた時期にゆっくり読んでみたがその話の中の登場人物の精神構造は
今の世では既に化石。伝えようにも伝える実際が無い。

では今の精神的構造はどうなのか?を記してみる。下記の通りの如く、
常に万物の平穏・あたりまえを求めているし宇宙に視野を広げれば自身が空虚で
空気や水同然で全く≪心≫が動じる事が無くただの生き物でいることに終始する。
その終始したいという感情も無い。
終始しているのであって終始する為に何かを変えようともしていない
少しづつであるが、それが当たり前という事が分かりつつもいる。
そこには感情は無い。



ただそれだけの日常である。

LES MISERABLES 10th Anniversary DREAM CAST


先日、遠い地の知人に紹介され勧められ、先にバイク仲間が見たというので
≪Les Miserables≫の映画を見た。
新たな分野を自身の中に素直に発見するに至った。
それは・・・・・
【物語のほぼ全編に流れる愛というもの。】

私は今までの勘違いを気付かされた。

この映画は鑑賞するに値するものである。

動画をリンクしているがこれは、ミュージカル版である。
映画はもっと≪血・汗のにおい≫を感じる迫力を持ちミュージカル映画である。
演者が演じる登場人物の感情が間近で感情を伝えるものであった。
この映画を見てから、ユーゴーの書く原作を読むのも良いかもしれない。
と、いうよりも私は既にその書を手にしている。
なかなか翻訳が日本語にうまくできない部分も在る様なので独自解釈も必要であろう。

もう一つ、そして感じた事!

日本のテレビで流れる音楽は芸術性のかけらもなく
芸能から能(脳)を取り去った芸である事。
それに、揺れる日本民衆は既に末期的症状に犯されている。
治癒の可能性は無い様に感じ、できれば伝染されたくない病である。

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