池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

蒼い灯が揺れる新潟駅

2012年03月21日 | 変化した事
寒い日と温かい小春日和が交互する最近のある日、
私は新潟に居た。
新潟の街は初めてのことであり、ウロウロ散策をしようと考えていたのであるが
次の仕事の日程が窮屈でほんの駅の周りを15分ほど散策しただけで、
たいそう残念に思う。



独特の雰囲気を持つ駅舎。
昭和中期の築で約50年はその歴史を刻み独特の雰囲気を持ちその構造の利便性の悪さは
今では考えられないほど人に柔らかく接する建築構造に慣れた私には常識を逸脱しているが、
実際に降り立ってみるとどこか懐かしい雰囲気が有るもので、
これはこれでなぜか癒される駅舎でもあった。



今ではこの新潟駅ように天井の低い各ホームを繋げ横切る地下式の通路も珍しくなった。
私が子供の頃の大阪駅もこのようであったと記憶しているし、
石造りの磨かれた階段が残っているのも興味深く思う。



疲れた時には必ず訪れた駅の《駅そば》を食すのが恒例のこの頃であるが
探すのであるが見当たらない。
後日調査をしてみたら、閉店したとの事。



新潟駅から少しの距離を群馬方面へ信越線に乗ってみた。
降りた駅で発見したのが下記の写真の鉄柱。
明治43年、鉄道省製作の線路を渡る人道橋の橋脚の柱を歴史記念物として
駅前の広場の照明灯の柱に利用されていた。
明治43年(1910年)というと今から約100年前・・・・・・。

日韓併合された年でもある。

この柱はその頃から立ち形を残している。

新潟ブルース 美川憲一


歌詞の3番にある、♪~蒼い灯が揺れる~新潟駅よ~♪の部分を探しに行こうと思ったのも
一つの新潟駅訪問の理由でもある。
昔は、駅表示の《新潟駅》の照明が蒼のネオン管であったと聞いた。
それでは、
石造りであろうと予想している万代橋へ行こう!と駅から歩いたのであるが・・・・・。
なんら変わらぬ地方都市の光景に少しうんざりし見に行く事を中止した。

先に記述した鉄柱に自身の短く浅い人生をダブらせてみてしまい、
この時に頭脳内をよぎる今までの行動に対する成果や今この時の私の境遇は、
自身が種をまいた結果だとの自己批判の結論が結実し増大して
込み上げてきて脳内を支配し始めて不機嫌になり自分自身に対する怒りに気付く事が
早々にこの駅を去る気持ちにさせた。

淋しいものだ。

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