この前に鑑賞した『ヒバクシャ 世界の終わりに』『六ヶ所村ラプソディー』に続き、(詳しくはこちら→★☆)鎌仲ひとみ監督の作品を鑑賞しました。
前回は、イラクで使用された劣化ウラン弾や原爆投下で低線量被爆をした人、アメリカの核施設周辺に暮らす農民が、ガンや体の不調を訴え、
また、六ヶ所村での核施設を受け入れた経過や現在の様子を、村に暮らす人を通して紹介していました。
今回の映画は、どのようなエネルギーを選択するのか…というテーマになっていました。
山口県上関町・祝島の人々は、瀬戸内海の美しい湾を埋め立てて建設されようとする原発に30年近く反対してきました。
珍しい動植物が存在する豊かな漁場で、長年にわたり島民は魚を取り、温暖な気候により取れるビワ等を収穫し生活してきました。
しかし、一時の賑わいは遠のき、現在は、高齢者が大多数を占める島。
それでも美しい島を未来に残そうと、"おばちゃん達"は頑張ってきました。
暑さ、豪雨という過酷な状況でも、島を守る為に懸命に活動している、悲観的にならず、みな強く明るいです。
そんなひたむきな人々に向かい中国電力は施設建設の為に、まともな話し合いもせずに暴言を吐き、
管轄省庁の若い役人は、長年にわたる原発運動に対しても全くの不勉強。
驚いたのは、六ヶ所村の場合では、当初は反対していた村人も買収や嫌がらせ等々で最終的には原発を受け入れてしまったのが、
この島の人々は、反対派が多数を占め一環して反対を続けている事でした。
一年の半分が雪に閉ざされる六ヶ所村と年間を通して温暖である祝島では、色んな事情の違いがあると思いますが、
それでも、日本各地で原発を受け入れ続けた自治体の様子と比べると、祝島の人々には"原発"に対する意識の高さを感じました。
原発に頼らず自分達でエネルギーを作りだそうと活動している所も、まさしくそうでした。
原発建設等のこういった事業は、コミュニティーを破壊する悲劇があります。
この間まで仲良く暮らしてきた人々が、反対派、推進派と分かれていがみ合う。
様々な意見があるのはしょうがない事ですが、原発建設が無ければ平和に暮らしていたハズなのに…と思うと色んな意味で、こういった施設を建設する事は罪深いと思いました。
映画の中で、中国電力の人が「原発は、絶対に安全です!」と叫び、
島の人が「軽々しく、絶対なんて使うな!」と叫び返しているシーンがありましたが、
今回の福島の事を見たら、この「絶対に安全」って言葉がとても虚しく響きました。
1980年に脱原発を決め、自然エネルギーにシフトしてきたスウェーデン。
環境裁判所もあり、環境を守る意識がとても高い国。
自分達で電力を選択出来る生活しています。
風力、太陽エネルギー…と、作られた電力を細かく選択する事ができます。
スウェーデンの人々は、どんな職業の人々でも"電気"に関して意識が高く、とても勉強家、得た情報や知識を実行し、
自分達の暮らしを自分達でクリーンエネルギーに変えとても"進んでいる"と感じました。そして、その"柔軟性"も。
映画の中で、スウェーデンの人が、"日本では電力を選択出来ない"事に驚愕し、
ほぼ原発等の電力で生活している事を知ると、
「日本では、汚い電気を使ってるのかい?きれいな電気を使わないとダメだよ!」と話す姿に私が驚きました。
電気に、"きれい、汚い"なんてあるのかと…
今まではひたすら与えられるままで、電力の"元"の事なんて考えた事も無かった…
以前、スウェーデンに旅行した時に、スウェーデンの人は"自分でなんとかする"生活をしており自分の置かれている環境への意識が高く、
一方、日本人は"誰かが何とかしてくれる"的な意識があるので、旅行位ならスウェーデンというか北欧は素敵 くらいでいいですが、
生活するには日本人だと馴染め無さそうだと思いました。
しかし、比べてみるとこの"無関心さ"が小さい島国に幾つもの原発を建設し、事故が起こってから慌てふためく結果になったのだと思いました。
日本は資源も無く、地球全体で考えてもいつかは資源が枯渇する時がやってきます。
私達の先祖は、つい百数年前では"電気"など必要とせず、自然のエネルギーで生活してきました。
日本には、地熱もあり、スウェーデンに比べれば日照時間も長く、エネルギーをシフトしようと思えば少しづつでもシフトしていく事は出来ると思います。
そして、自分達で"きれいな電気"を選べる…一社電気独占状態ではなく、そういった事をしていけば、これ以上原発を増やす必要も結果無くなっていくと思います。
しかし、そういった事は、"利権"に群がる人々が強硬に反対するんだろうなぁ…
目先の自分達の利益の事しか考えず、未来の日本人の事は全く考えていない人々が。
スウェーデンの様にこんな事故が起こる前に日本人みんなが、エネルギーの事を考えるべきだった…
何か警告はあったのかも知れないのに、それを無視しエネルギーを使いたいだけ使い続けた…もちろん私も。
原発事故が起き放射能が飛散している現在、今からシフトしても意味があるのか…もう、日本終わったんじゃないか…とすら考えてしまい複雑です…が、
生活はしていかなければならないし、問題から目を背けない事が自分自身を守る事だと思います。
まずは、自分の暮らしを見直してみたいと思います。
この映画は、日本で原発に反対し独自でエネルギーを生み出そうとしている人々、自分自身の暮らしへの無関心振り、エネルギーに対して今まで何も考えて来なかった事を気づかしてくれる映画となりました。
前回は、イラクで使用された劣化ウラン弾や原爆投下で低線量被爆をした人、アメリカの核施設周辺に暮らす農民が、ガンや体の不調を訴え、
また、六ヶ所村での核施設を受け入れた経過や現在の様子を、村に暮らす人を通して紹介していました。
今回の映画は、どのようなエネルギーを選択するのか…というテーマになっていました。
山口県上関町・祝島の人々は、瀬戸内海の美しい湾を埋め立てて建設されようとする原発に30年近く反対してきました。
珍しい動植物が存在する豊かな漁場で、長年にわたり島民は魚を取り、温暖な気候により取れるビワ等を収穫し生活してきました。
しかし、一時の賑わいは遠のき、現在は、高齢者が大多数を占める島。
それでも美しい島を未来に残そうと、"おばちゃん達"は頑張ってきました。
暑さ、豪雨という過酷な状況でも、島を守る為に懸命に活動している、悲観的にならず、みな強く明るいです。
そんなひたむきな人々に向かい中国電力は施設建設の為に、まともな話し合いもせずに暴言を吐き、
管轄省庁の若い役人は、長年にわたる原発運動に対しても全くの不勉強。
驚いたのは、六ヶ所村の場合では、当初は反対していた村人も買収や嫌がらせ等々で最終的には原発を受け入れてしまったのが、
この島の人々は、反対派が多数を占め一環して反対を続けている事でした。
一年の半分が雪に閉ざされる六ヶ所村と年間を通して温暖である祝島では、色んな事情の違いがあると思いますが、
それでも、日本各地で原発を受け入れ続けた自治体の様子と比べると、祝島の人々には"原発"に対する意識の高さを感じました。
原発に頼らず自分達でエネルギーを作りだそうと活動している所も、まさしくそうでした。
原発建設等のこういった事業は、コミュニティーを破壊する悲劇があります。
この間まで仲良く暮らしてきた人々が、反対派、推進派と分かれていがみ合う。
様々な意見があるのはしょうがない事ですが、原発建設が無ければ平和に暮らしていたハズなのに…と思うと色んな意味で、こういった施設を建設する事は罪深いと思いました。
映画の中で、中国電力の人が「原発は、絶対に安全です!」と叫び、
島の人が「軽々しく、絶対なんて使うな!」と叫び返しているシーンがありましたが、
今回の福島の事を見たら、この「絶対に安全」って言葉がとても虚しく響きました。
1980年に脱原発を決め、自然エネルギーにシフトしてきたスウェーデン。
環境裁判所もあり、環境を守る意識がとても高い国。
自分達で電力を選択出来る生活しています。
風力、太陽エネルギー…と、作られた電力を細かく選択する事ができます。
スウェーデンの人々は、どんな職業の人々でも"電気"に関して意識が高く、とても勉強家、得た情報や知識を実行し、
自分達の暮らしを自分達でクリーンエネルギーに変えとても"進んでいる"と感じました。そして、その"柔軟性"も。
映画の中で、スウェーデンの人が、"日本では電力を選択出来ない"事に驚愕し、
ほぼ原発等の電力で生活している事を知ると、
「日本では、汚い電気を使ってるのかい?きれいな電気を使わないとダメだよ!」と話す姿に私が驚きました。
電気に、"きれい、汚い"なんてあるのかと…
今まではひたすら与えられるままで、電力の"元"の事なんて考えた事も無かった…
以前、スウェーデンに旅行した時に、スウェーデンの人は"自分でなんとかする"生活をしており自分の置かれている環境への意識が高く、
一方、日本人は"誰かが何とかしてくれる"的な意識があるので、旅行位ならスウェーデンというか北欧は素敵 くらいでいいですが、
生活するには日本人だと馴染め無さそうだと思いました。
しかし、比べてみるとこの"無関心さ"が小さい島国に幾つもの原発を建設し、事故が起こってから慌てふためく結果になったのだと思いました。
日本は資源も無く、地球全体で考えてもいつかは資源が枯渇する時がやってきます。
私達の先祖は、つい百数年前では"電気"など必要とせず、自然のエネルギーで生活してきました。
日本には、地熱もあり、スウェーデンに比べれば日照時間も長く、エネルギーをシフトしようと思えば少しづつでもシフトしていく事は出来ると思います。
そして、自分達で"きれいな電気"を選べる…一社電気独占状態ではなく、そういった事をしていけば、これ以上原発を増やす必要も結果無くなっていくと思います。
しかし、そういった事は、"利権"に群がる人々が強硬に反対するんだろうなぁ…
目先の自分達の利益の事しか考えず、未来の日本人の事は全く考えていない人々が。
スウェーデンの様にこんな事故が起こる前に日本人みんなが、エネルギーの事を考えるべきだった…
何か警告はあったのかも知れないのに、それを無視しエネルギーを使いたいだけ使い続けた…もちろん私も。
原発事故が起き放射能が飛散している現在、今からシフトしても意味があるのか…もう、日本終わったんじゃないか…とすら考えてしまい複雑です…が、
生活はしていかなければならないし、問題から目を背けない事が自分自身を守る事だと思います。
まずは、自分の暮らしを見直してみたいと思います。
この映画は、日本で原発に反対し独自でエネルギーを生み出そうとしている人々、自分自身の暮らしへの無関心振り、エネルギーに対して今まで何も考えて来なかった事を気づかしてくれる映画となりました。