「猿山のボス」と「ボスに逆らうことのできない猿」
*東須磨小「教員いじめ事件」 謝罪の専門家が分析する“主犯格・女教師の謝罪文”
社会2019年10月23日掲載
いじめの自覚がまったくない加害者の30代男性教員3人は、「いけないことを教える立場の私が、加害者となり、混乱と不安を与えてしまうことになってしまいました。信頼を裏切ることになってしまったことを、深くおわびしたいと思います」
「自分自身の相手への配慮に欠ける言動や、軽はずみな言動に、最低な人間だと実感しました。一社会人として、人間として、恥ずべきことと考えています」
「私の犯した行為は、許されることではありません。東須磨小の子どもたちは、素直な明るい子どもたちなので、そこを伸ばしてほしいと願っています。ただ、私の行為はその成長の邪魔をしてしまったと思っています」などと、被害教員や同校の子どもたちに謝罪や反省を綴った。ところが、主犯格の女性教員は、
「被害教員に対しては、ただ申し訳ないというしかありません。被害教員のご家族に画像を見せられ、入院までしている事実と、苦しんでいる事実を知りました。本当にそれまでは、被害教員には自分の思いがあって接していたつもりです。自分の行動が間違っていることに気付かず、彼が苦しんでいる姿を見ることは、かわいがってきただけに本当につらいです。どうなっているのかと、ずっと思っています」
この期に及んで“かわいがってきた”だなんて……。どういうつもりなのだろうか。
「この加害女性教員の謝罪は、自分がやったことに対する実感がないのでしょう。ですから謝罪文にもリアリティがないのです」と分析するのは、九州工業大学名誉教授の佐藤直樹氏である。同氏は、著者に『なぜ日本人はとりあえず謝るのか――「ゆるし」と「はずし」の世間論』(PHP新書)などがあり、謝罪に関する専門家だ。
「『かわいがってきた』という言葉からわかるように、自分が男性教員をいじめていたという認識がないんです。恐らく、男性教員と遊んでいたというくらいの感じなのでしょう。遊びといじめの間の境界がない。激辛カレーを無理やり食べさせている映像を見るとよくわかりますが、この女性教員は大笑いしています。その一方で、男性教員はピエロのように走り回っている。実際、何も事情を知らない人が映像を見たら、加害者も被害者も一緒に騒いで遊んでいるように思うかもしれません。裏を返せば、女教師はかなり性質が悪いとも言えます」
佐藤教授に言わせれば、今回は子ども同士のいじめと全く同じだという。
「被害者はいじめられているのに、嫌な顔をせずに一緒になって騒いでように見える。学校での子どものいじめは多くがこのパターンです。いじめにあった子どもは、いじめる子どもに逆らえないので、嫌だと言えず笑って取り繕う。これだと先生が見てもいじめだと認識されないので発覚が遅れ、いじめがどんどんエスカレートしていくのです。今回の場合も同様です。被害にあった男性教師は、40代の女性教員や30代の男性教員に逆らえなかった。特に40代の女性教員は前校長とは昵懇の仲だったということですから、なおさら逆らえない。今の若い人は、“空気を読め”と言われ、それに従って生きている人が多いですからね。この被害教員も空気を読んで、先輩から理不尽なことをされても黙って従ってきた。そのため精神的にどんどん追いつめられて、心身に変調をきたしたと見ています」(同)
加害者の4教員のうち3人は今年度、東須磨小のいじめ対策の担当者だという。よりによって、いじめを防ぐべき教員が、教員をいじめるとは……。
「加害者の3人の男性教員は、主犯格の女性教員に言いなりになっていたと思われます。この女性教員は猿山のボス的存在だったのでしょう。学校という閉鎖的な空間では、世間の常識が通じないところがあります。世間から見たら陰湿ないじめでも、学校ではからかって遊んだということになるわけです。教員は、夜遅くまで働いても残業手当が出ません。ブラック企業同然です。女性教員は自分でも知らず知らずのうちに、ストレス発散のため男性教員をいじめていたということでしょう。だから、自分は悪いことをやったとは微塵も思っていない。かわいがってやったと思い込んでいる。けれども、これだけいじめを繰り返したわけですから、明らかに犯罪行為だと思いますね。強要罪、暴行罪、器物破損罪が適用されてもおかしくありません」(同)
結局、加害者の女性教員はどう“謝罪”すれば良かったのか。
「“被害教員をいじめているとはまったく気づかず、本当に反省しています”と言ったくらいでは、世間は納得しないでしょう。これだけの酷いことをやったわけですから、公の場で“教員として失格です。教員を辞めます”くらいは言わないと駄目ですね。もっとも、本人は教員を辞める気はさらさらないでしょうが……」。