まちや小(ぐわあー)

その先を曲がったら何があるのだろう、どきどきしながら歩く。そして曲がってみて気がついたこと・感じたことを書く。

報告モノ

2012年10月19日 | Weblog
作る方は1つ。

頼む方は複数。

で、それが時期的に重なる。
それも1つ、2つではない。

で、これが大変。

問題は、それがまとまる。
そこまではいい。

で、じゃあ、その先は?

どう、それを使う。
どう、それを生かす。

そこが見えない!
そこが分からない!

で、なた、報告モノの依頼が来る。

これ、ひたすら繰り返し?

おかしい!

そのとおり

2012年10月19日 | Weblog
こういったこと、
みんなが右を向けば右を
そんなことしかしないのか?ってな。

『たけし氏 最新携帯に徹夜、ラーメンで1時間行列みっともない

ヨーロッパでは「映画界の巨匠」として知らぬ者はない北野武・監督。新作『アウトレイジ ビヨンド』も好評だ。もちろん日本では芸人・ビートたけしとしてずっと以前から国民的人気者だ。そのたけし氏が生活保護の不正受給問題などが噴出する現代日本社会への思いを語る。

デモで日本車をぶっ壊したり、デパートに押し入って商品を盗んだりしている中国人たちを「レベルが低い」「下品でしょうがねえ」と見下している日本人は多いよね。

だけど本当に笑っていられるか、オイラはわからないと思う。昔はあった「品格」みたいなもんが、この国でもどんどんなくなってるからね。

街を歩いてみれば、みんな「みっともないこと」を平気な顔でやらかしてるよな。

たとえば、最新ケータイを手に入れるために徹夜したり、有名なラーメン屋に1時間以上も行列したり……。今じゃ当たり前の光景だけど、昔の日本の常識じゃ、これは「みっともないこと」だった。

安いものに飛びつくのだって、昔はどんなに貧乏でも、周りから「あの家、安い店に乗り換えやがった」なんていわれるのが嫌で、少々高くても近所のなじみの店で買ったわけだよ。それがこの頃じゃ、老若男女問わず10円でも安い店に群がる。

オイラの母ちゃんは、食い物屋に並んだりするのが大嫌いでね。「いくら安くたって、いくら旨くたって、並ばなきゃ食えないなら食うな」って言われたよ。「もってけ泥棒、みたいなものを買って得したっていう根性が気にくわない」って叱られたこともある。貧乏だったけど、「自分たちはカネのために生きてるわけじゃない」って誇りみたいなもんが確かにあったんだ。

もちろんあの頃だって、本音では安い方がありがたかったに決まってる。だけど、やせ我慢してでも「精神までは落ちぶれない」って踏みとどまろうとしていたんだね。

ところがいまや、みんな貧しさや格差に開き直っちまってるよな。生活保護の不正受給なんて最たるもんだよ。

どうやったって生きていけないって人のためには重要な制度だと思うけど、「できれば受けたくない」「人様の世話になりたくない」って気持ちが失われてしまえば、あとは「もらえるものはもらっとけ」って話になっちまう。

SAPIO2012年11月号』

※みんながしてることをしてるだけ。これ、つまらない生き方。

運用が

2012年10月19日 | Weblog
あれもこれも、それもある。
してる。
だが運用の仕方が?

以下は「本を片手に街に出よう。読書と東京の街をこよなく愛するいち会社員の不定期日記」から引用。

『世の中はGWを謳歌していると思うが、こんな時間があるときだからこそ、読みたいけど時間がかかりそうな本を読むことにした。

古典。初版は昭和42年である。著者は、かの有名な「KJ法」の生みの親であり、著者の言う発想法とは、このKJ法のことである。

KJ法というと、新QC七つ道具に組み入れられていたり、ビジネス系の研修などでテーマ性のある討議や検討を行う際などに、付箋紙と模造紙などを使って行うことがあったりと、ビジネス・シーンで使う場面は結構ある。

しかし、たいていの場合、単に似通った意味のものをグルーピングして「まとまりました」みたいなオチになることが多かった。

内容でも触れられている通り、このKJ法を使いこなすには、

・1つ1つのフレーズ(事実情報)を、もれなく、しかし簡潔に記録・表現する技術と根気
・眺めては並び替えたり、また眺めたりと、思慮にふけるまとまった時間
・グルーピングしたフレーズから発見した新たな概念やアイデアを表現するセンスと語彙力
・図解から文章に落とし込む文章力

などが必要である。

これらの能力を上手く発揮できなくて、結果が不十分になることが多い。
KJ法は古い!とか、単なるグルーピングでしょ!という意見が多いのはそのためであろう。

失敗する主な原因は、大きくは2つあると思う。

・そもそも、集めたフレーズが、冗長であったり表現不足であったり、はたまた複数の意味が入っていたりと、適切に要素化されていない
・集めたフレーズをグルーピングする際、あるいはグループに名前をつける際、理性で考えてしまう(何かで言い換えようとしたり、先ずカテゴリを思い浮かべてからそれに当てはめようとしたり…)

KJ法は、感性で使わねばならない。
この「感性を使う」のが難しい。

思うに、KJ法で必要されるこれらの能力は、学校教育では習わない概念なのだろう。学校では、「覚える」「あてはめる」ことを中心に習っている。

こういった感性はどこで磨かれるか。

一番は、人間同士の会話ではなかろうか、と思う。

核家族化、向こう三軒両隣の消失、携帯メールによる単語コミュニケーションの蔓延は、こうした感性が失われていく状況を生み出しているのかも知れない。

このblogというシステムは、まさに向こう三軒両隣の概念が物理的制約を超え、言葉を文字に代えて機能していくための枠組みの1つなのであろう。

そんな中、このblogという空間は、巨大な「KJ法」の場ではないか?ということを言う人がいる。

全く同感。個々の感性が反映され、カテゴライズされた情報、コメントとトラックバックのシステム、これはまさにKJ法的な概念である。

ということは、複数の情報から新たな情報を創り出す、つまり相互に関連する記事を総覧してそれらを受け継ぐ新たな記事を作成し、その1対nの関係を表現する、という機能があれば、まさにKJ法がblog上で実現する。

本来、トラックバックとは誰かの記事を引用して自分のblogに意見を書いた時の通知が目的だと思うが、情報間を結ぶという部分に着目すると、新たな使い勝手が見えてくる。

それでなくとも、トラックバックされた記事群を、まとめて引っ張ってきて総覧したいシーンは多々ある。トラックバックを辿っていく機能は便利だと思うのだが、意外とないみたいだ。

今や本来の意味を超えて活用されつつあるこのトラックバック機能を、更に高次元な機能に昇華できれば、更にblogワールドの深みが増すだろう。

自分でも開発してみたい。が、当分は時間が取れない。
blogツール開発者の皆様に期待しつつ、こういったクリエイティブな試行すら出来る時間的余裕のない自分が、歯がゆくもある今日この頃である。』

※ようは運用する側にそれを使いこなせるだけのキャパがあるか、また感性があるかってことだが、それははっきり言ってないな!

ガチ

2012年10月19日 | Weblog
「KARA」っぽと真逆の「ガチ」がここにある。


『ドイツ環境相と会談 小沢「原発ゼロ政策」の総仕上げ

民主、自民にはできない

「日本は率先して脱原発に取り組むべきだ」――「国民の生活が第一」の小沢一郎代表がドイツで吠えた。アルトマイアー環境相とベルリンで会談。「風力や水力、地熱を活用すれば、ドイツ以上に代替エネルギーの確保が可能」と強調した。「10年後の脱原発」を掲げる小沢新党は、「看板政策」の総仕上げに取りかかっている。

小沢新党は基本政策で「3つの緊急課題」を挙げている。第1の項目は「原発ゼロ」だ。「10年後をめどに全ての原発を廃止する」と主張している。

「3つの基本政策の順番を決める際に、党内は(1)反消費増税(2)地域主権(3)脱原発でまとまろうとしていた。それをひっくり返したのが、ほかならぬ小沢です。『原発は国民の命の問題に関わる』と指摘。イの一番に掲げることになったのです」(新党関係者)
 
小沢は自民党時代に、過渡的エネルギーとしての原発を認めている。それだけに後悔の念は強い。与党の政治家だった者として、原発事故に対する責任を感じているし、代替エネルギーへの思い入れも強い。「脱原発」は生半可な気持ちではないのだ。
 
国民の声にも耳を傾けている。政府が実施した討論型世論調査は圧倒的多数が「2030年に原発0%」を支持した。官邸デモも続いている。それなのに民主党は、米国や役人に押し戻され、脱原発の閣議決定すらできなかった。財界ベッタリの自民党は、もともと原発推進だ。少数政党を除けば、本気で原発を止めようとしているのは、小沢新党ぐらいである。
 
政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏が言う。

「小沢さんは訪独で原発ゼロ政策の総仕上げに取りかかったのです。ドイツでは、政治が『2022年に原発を止める』と決めた。経済界の反対も押し切っている。政治が決断すれば、やれるのです。日本も例外ではありません。自分の目で先を行くドイツの現状を確認し、着々と理論武装を進めていくことが、脱原発の実現に必要だと考えているのです。加えて、政治家としての勘も働いている。次の選挙は原発が大きなテーマになる可能性が大きい。進めるのか、止めるのか、各政党は有権者から二者択一を迫られるのです。こうなると、民主党も自民党もグズグズとなる。小沢さんにとって脱原発は、戦略的にも大きな意味を持っているのです」
 
小沢嫌いのメディアは訪独を軽く捉えている。単なるパフォーマンスぐらいに思っているようだが、小沢は本気だ。国民と一緒に原発を止めるつもりだし、剛腕に期待する国民は増えていく。
第三極のキーマンは、やはり小沢である。 』

※これが「ガチ」。中身が違う!

中身が

2012年10月19日 | Weblog
ない。

で、それを「KARA」っぽと云う。


『「ドームも空席祭り必至!?」KARAの"水増し"沖縄公演 県からの補助金に批判が殺到中

- 日刊サイゾー(2012年10月18日08時00分)
 
8日、沖縄県内で行われた野外イベント「シグマフェス2012」に出演したK-POPガールズグループKARAがステージ上で、来年1月6日に東京ドーム単独コンサートを行うことを発表した。ドーム単独公演はK-POP女性史上初で、当日は4万5,000人を動員予定という。

「竹島騒動でK-POPボイコットの動きがある中、景気のいい話ですね。こうした状況下でもKARAや少女時代はなんとか人気を維持しているのは確かですが、来年まで人気が続くのかは疑問。果たして、4万5,000人も動員できますかね?」(韓国エンタメ誌編集者)

KARAが出演した前述の「シグマフェス2012」だが、実はチケットの売れ行きが不振で、なんとか6,000人を集めて開催できたという話もある。

「チケットが売れなかったために、沖縄県内の携帯電話会社が6,000人招待の加入者キャンペーンを行ったそうです。キャンペーンのバックには韓国のサムスンの存在がウワサされていました。このイベントにはKARAのほかに、ナオト・インティライミやキマグレンなども出演していますが、KARAが一番の目玉であったことは言うまでもありません。しかし、それでもチケットが売れなかったのですから、KARAにもはや全盛期の動員力がないことは明らか」(同)

しかも、「シグマフェス2012」は"観光リゾート地の形成"という名目で、沖縄県から補助金が交付されていることも、現地で批判を浴びている。動員が見込めないイベントに補助金を交付するのは明らかに税金のムダ遣いなのだが、批判の理由は別にある。

「同じ名目で『K-POPパラダイス』や『琉球アジアコレクションwith 東京ガールズコレクション』といったイベントにも補助金が交付されているのです。前者は韓国大手テレビ局SBSの主催で、後者はK-POPとコラボしています。つまり、韓国絡みのイベントへの補助金交付が偏っていると批判されているわけです。竹島騒動で各テレビ局がK-POPの出演を見合わせる中、沖縄県による補助金交付はまったくナンセンスと言うしかありません」(同)

こうした状況を考えると、KARAのドーム単独公演は極めて厳しいことが予想されるが、そのときはK-POPお得意の"水増し動員"で強引に乗り切ろうとでもいうのだろうか。』

※観客数6000人で、動員6000人、ってことは差し引きフリーはゼロってこと?