まちや小(ぐわあー)

その先を曲がったら何があるのだろう、どきどきしながら歩く。そして曲がってみて気がついたこと・感じたことを書く。

茨城空港

2010年03月11日 | Weblog
開港時に国内便がない空港。

それが「茨城空港」

前代未聞。
でも、それが事実。

これで空港。
それが「茨城空港」。

お祭りが

2010年03月11日 | Weblog
ない!
だから「お祭りを作ろう!」

ここまではいい。
ただ、その次が問題。

自分たちが住んでいる「まち」にあるものをメイン(核)にしてお祭りを作り上げるのが一番。
またほかのまちでやっていることの発想を真似して、そこに工夫を加えて祭りを作るのもいい。
問題が、ほかのまちでやっているものをそのままコピー(単なる「真似」)すること。

例えば「YOSAKOIソーラン祭り」。
これは日本全国どこにでもあるし、いろいろなところでイベント(大会等)が行われている。
しかし、これは「祭り」ではなく「コンテスト」としての要素が高くなっている。

それを「このまちにはお祭りとしての目玉がないから」とか「内にでなく、外に向かってアピール!」などどいってこのまちでやる(お祭りの目玉にする)のはどうか?

「コピー」はただのコピー。
真似は単に真似。
そこには地域的な特徴・オリジナリティー(独自性)はかけらさえ存在しない。
どこかでやっていることを、内容も変えずに単にそこでやるだけ。
それでいいのか!

まずは足元に、自分たちが住んでいるまちにあるもの(やっているもの)を大事にすることが必要なのではないだろうか?
そして、そういったものに思いを込めて、外に向けて「祭り」という形にする。

かなり前に書いたが、祭りというものには「思い」が入っていなければ、それを「祭り」とは言わない。
それは単なる「イベント」。

しかも、このまちには「YOSAKOIソーラン祭り」を予定している時期に既存の「祭り」がいくつも(それぞれの地域で)ある。
ということは1ヶ月の中で大きな祭り(?)がまた1つ増えることになる。

そこに、外に向けての祭りがないから祭りを作る。
また、どこかの祭りと合体させる!
それが「YOSAKOIソーラン祭り」。

これ、何を考えて企画しているのか?
繰り返すが「やることはいいこと!」。
しかし、それはそこに地域性やオリジナリティー(また独自性や独創性なども)があってこそのもの。

それがなければ「祭り」としての資質はない!
それは単なる「イベント」でしかない!