まちや小(ぐわあー)

その先を曲がったら何があるのだろう、どきどきしながら歩く。そして曲がってみて気がついたこと・感じたことを書く。

アホバカな人たち

2007年04月23日 | Weblog
『市民協働(しみんきょうどう)』
ここ何年か日本全国いろいろなところで使われています。
この言葉は自治体にとってはこれからの自治体のあり方を示す一つの「キーワード」にもなっている言葉です。
でも、自治体サイドでこれだけこの言葉を使っていて、真にこの言葉の持つ意味や内容を知っている・把握している人たちがいったい何人いるだろうか?
今まで「公共事業」などで、散々砂に水をまくように税金をばら撒いてきた自治体ですが、それはいくら撒いても砂の中に吸い込まれるだけで、とどまることがなく、なので例えば花の種がそこにあっても、根などに養分がいきわたらないうちに乾いてしまっているのです。
だから当たり前なのですが、いくら水を撒いても育ちもしないし、花も咲かないのです。
一緒に耕し、水を巻き、栄養分を与えなければ花は咲かないのです。

ところが水のつもりでひたすら税金をばらまいてきたその人たちはそれが正しいことなのかさえも分かっていないのです。これが今までの自治体の典型的なスタイルの一つだったのです。
で、そうしたことをひたすらしてきた人たちが「市民協働」という目新しい(この言葉は代に出て既に10年以上の年月がたっているのですが、自治体の職員にとっては目新しいのだと思います。)言葉のもとに、実は新たなというか、形を変えた「税金を使って、自分たちに出来ないものを『市民協働』という言葉に隠れた水撒き!」ということを始めている。
違う言葉でいうと「自分たちにモノを考える力も行動力もない、あるのは税金だけ、だからその税金を使い『市民協働』という名で、市民たちと一緒にやっているように見せかけないといけない。」ということなのです。
まあ、そういったことを言い出すというか、もってくるというか、どこかの自治体にある(作られている)ものを、コピーするだけ、または業者に作らせるとかしている人たちは「市民協働」「ボランティア」「NGO」「NPO」などどいう言葉は使うけれど、実は何も知らないし、内容など何も分からない(知識もない・分かっていない・分かろうともしない)のです。
なので、そうしたことを自治体として始める前に「どこかの団体で半年もボランティアという形で活動に参加してきたら」とか云ってあげることも大切なことなのです。
何も知らない・実務もしたことがない、これで「市民協働」って無理なのです。
しかしながら『市民協働課』などというものは、時の自治体の長の公約で作られた(作り上げたのではなく、ただ作った)りして、で、担当部署の長は,自治体の長の僕だったりすることがあったりするのです。
ここが問題なのです。自治体の長が変わった。で、その長の「公約」の一つのという意味での「肝入りのセクション」の長ほど「何も分かってない人」が多いことになるのです。
まあ、どことは云いませんが、そういった人たちのいる自治体・長も所詮「何も分かったない」なのです。
真剣に「市民協働」というのなら、しっかりと勉強と、そして実践を積み重ねた上で、市民と字のごとく「協働」出来るだけのものを持つ・そして継続していくことが望まれるのです。
そして、初めて市民の目線に立っていい仕事が出来るのです。
それで初めて「市民協働」という言葉をいえるのです。