starting at point zero!
「告白」なんて、大げさなタイトルつけてと、
自分でもいささか恥ずかしいような想いで書き始めておりますが、
その前に、いつも読んでいただいてありがとう!
「おおきに」って意味わかりますか?
私の祖母がおおきにって、
聞きなれない方言を使っておりましたけど。
なんだか、その方言を使ってみたいと、
なんとなく思ったもので、書いてみました。
意味は、ありがとう!
ちなみに、
私の生まれは四国の愛媛県です。
他にもありますよ。
同じく「ありがとう!」の意味なんですけれど、
「だんだん」って、よく祖母が使っていました。
「おおきに」という言葉は、この大阪方面ではよく聞きますけど、
私の祖母以外に、
この「だんだん」という言葉を使っていた人は、
私の周囲にはいなかったように思いますねえ。
まあ、
そんな余計なことは良いんで、
さっきも、テレビ見ながら泣いていたんです。
大の男がテレビなんか見て泣いてちゃ恥ずかしいですね。
でも、
なぜか、50歳を過ぎてから涙もろくなって、
最近では、もう何にでも涙を流してしまう。
年齢なんですかね?
みなさんもそうですか?
還暦というのは、よく言ったものです。
人間60年を一区切りにして、赤ちゃんに戻る。
それで赤いちゃんちゃんこを贈るのだそうですね。
それで私は分かったんです、あっ!と。
なるほど、
人は60歳を過ぎると、
もう一度赤ちゃんのように、最初に戻るんだと。
人生のリセットですね。
祝い事に海老を入れるのは、
海老が人生の節目に殻を脱ぐ、
脱皮して新しく生きていくからなのだそうです。
常に人生を新しく創造していく。
そういう意味を込めて、海老を入れるのだそうです。
へえ、なるほど!
昔の人は考えていますねー。
人はいつまでたっても、
精神的に若くあることは可能なんですね。
人は希望と夢を持っている限り、いつまでも若く在れるんだ。
どんなに若くったって、夢と希望が無くなると、
そのとたんに、その人は老人になってしまう。
どこかの詩人がそんなことを言ってましたね。
生きていれば、いろんな悲しいことや苦しいこと、
また挫折したり、不幸のどん底に落ち込んだり、
いやな目に遭ったり、
それこそ、
いっぱい詰まらないことを経験していきます。
しかし、
それをまともに受け止めていたんではだめなんです。
自分自身を、
いつも楽しく生きていこうとする意欲を高めること。
いろんな障害に対して、負けてはいけない。
様々なマイナスの出来事や経験は、
自分に対する挑戦です。
自分自身をダメにしてやろうという、
お前の人生を否定するぞという、誰かさんの妨害ですよ。
または、
こいつがどこまで耐えられるか、また負けない心を持っていられるか、
みてやろうかと。
つまり、試練だと考えればいいのかな。
最近思うのは、人生に対して滑稽な面に対してです。
人生がなんて面白いんだろうというか、
滑稽な感じを持ったりするんです。
ときに、社会そのものが芝居じみていたりするでしょう?
みんながみんな、
社会や組織の決まり事を、暗黙の裡に演じていたりする。
そんなことってあるでしょう?
あ、それ言っちゃ終わりだみたいな。
暗黙の裡に作った芝居とかルールを、みんなで演じていたり、
守っていたりしている。
そんなことに対して、
ばかばかしい!なんて思ったり、滑稽だなあと思ったり。
また、それと反対に、
これまでの人生を振り返ってみて、
日本のある風景に対して、なんて美しいんだろうかとか、
日本人の習慣に感動したりとか、
あまり考えなかかった出来事に、
感謝の思いを持ったりとか、
これまで、半ば当たり前だと受け取っていたことに、
本当に心から、素晴らしいことだと思えることに気づいたり。
人間の美しさまたは素晴らしさ。
隣人の「おはようございます!」の一言に感動したり、
何気ない笑顔に心が癒されたり、
辞めていった人を思い出して、
あの人はいつもいやな顔をせず対応してくれたなあとか、
ついでに、
俺の奥さんっていい奴だなあとか、
いちいち考えていなかったことを思い出して、
ふと価値を再認識したりすることってありますよね。
どうしてなんだろう?
と考えてみるんですよ。
年齢を重ねると、そういうもんなんだよと言われるかもしれない。
それもそうでしょうね。
それは素直になれたのが一番の原因じゃなかろうか。
肩の荷を下ろして、
またいろんな力みやメンツや、
これまで生きてきた驕りや、つまらぬプライドや先入観。
そんなものが取れてきたからじゃないだろうか。
人はその人自身である前に、
内面に潜んだ「抑圧意識」にコントロールされている。
俺は俺だなんて思っている自意識そのものからして、
先祖から受け継いできた「習気」だったり、
前世から持ち越してきたところの悪念であったりする。
自我を構成しているものが、
そんな自分自身でないものから成り立っている。
それが準提尊の信仰で分かってきた。
準提尊の信仰を続ける中で、それが取れてきた。
それどころか、
自分の前世の姿までわかってきた。
だからといって、
ニヒルな感覚ではないんです。
虚無感でもないんです。
逆に、
晴れ晴れとした感覚に包まれている。
せいいっぱいで、生きていきたいと思うんです。
自分に対して、後悔しない人生を送る。
そして、
これからの人生目標を成功させる。
それが大事なんだと、一番の問題なんだと思うんですね。〈font〉
「告白」なんて、大げさなタイトルつけてと、
自分でもいささか恥ずかしいような想いで書き始めておりますが、
その前に、いつも読んでいただいてありがとう!
「おおきに」って意味わかりますか?
私の祖母がおおきにって、
聞きなれない方言を使っておりましたけど。
なんだか、その方言を使ってみたいと、
なんとなく思ったもので、書いてみました。
意味は、ありがとう!
ちなみに、
私の生まれは四国の愛媛県です。
他にもありますよ。
同じく「ありがとう!」の意味なんですけれど、
「だんだん」って、よく祖母が使っていました。
「おおきに」という言葉は、この大阪方面ではよく聞きますけど、
私の祖母以外に、
この「だんだん」という言葉を使っていた人は、
私の周囲にはいなかったように思いますねえ。
まあ、
そんな余計なことは良いんで、
さっきも、テレビ見ながら泣いていたんです。
大の男がテレビなんか見て泣いてちゃ恥ずかしいですね。
でも、
なぜか、50歳を過ぎてから涙もろくなって、
最近では、もう何にでも涙を流してしまう。
年齢なんですかね?
みなさんもそうですか?
還暦というのは、よく言ったものです。
人間60年を一区切りにして、赤ちゃんに戻る。
それで赤いちゃんちゃんこを贈るのだそうですね。
それで私は分かったんです、あっ!と。
なるほど、
人は60歳を過ぎると、
もう一度赤ちゃんのように、最初に戻るんだと。
人生のリセットですね。
祝い事に海老を入れるのは、
海老が人生の節目に殻を脱ぐ、
脱皮して新しく生きていくからなのだそうです。
常に人生を新しく創造していく。
そういう意味を込めて、海老を入れるのだそうです。
へえ、なるほど!
昔の人は考えていますねー。
人はいつまでたっても、
精神的に若くあることは可能なんですね。
人は希望と夢を持っている限り、いつまでも若く在れるんだ。
どんなに若くったって、夢と希望が無くなると、
そのとたんに、その人は老人になってしまう。
どこかの詩人がそんなことを言ってましたね。
生きていれば、いろんな悲しいことや苦しいこと、
また挫折したり、不幸のどん底に落ち込んだり、
いやな目に遭ったり、
それこそ、
いっぱい詰まらないことを経験していきます。
しかし、
それをまともに受け止めていたんではだめなんです。
自分自身を、
いつも楽しく生きていこうとする意欲を高めること。
いろんな障害に対して、負けてはいけない。
様々なマイナスの出来事や経験は、
自分に対する挑戦です。
自分自身をダメにしてやろうという、
お前の人生を否定するぞという、誰かさんの妨害ですよ。
または、
こいつがどこまで耐えられるか、また負けない心を持っていられるか、
みてやろうかと。
つまり、試練だと考えればいいのかな。
最近思うのは、人生に対して滑稽な面に対してです。
人生がなんて面白いんだろうというか、
滑稽な感じを持ったりするんです。
ときに、社会そのものが芝居じみていたりするでしょう?
みんながみんな、
社会や組織の決まり事を、暗黙の裡に演じていたりする。
そんなことってあるでしょう?
あ、それ言っちゃ終わりだみたいな。
暗黙の裡に作った芝居とかルールを、みんなで演じていたり、
守っていたりしている。
そんなことに対して、
ばかばかしい!なんて思ったり、滑稽だなあと思ったり。
また、それと反対に、
これまでの人生を振り返ってみて、
日本のある風景に対して、なんて美しいんだろうかとか、
日本人の習慣に感動したりとか、
あまり考えなかかった出来事に、
感謝の思いを持ったりとか、
これまで、半ば当たり前だと受け取っていたことに、
本当に心から、素晴らしいことだと思えることに気づいたり。
人間の美しさまたは素晴らしさ。
隣人の「おはようございます!」の一言に感動したり、
何気ない笑顔に心が癒されたり、
辞めていった人を思い出して、
あの人はいつもいやな顔をせず対応してくれたなあとか、
ついでに、
俺の奥さんっていい奴だなあとか、
いちいち考えていなかったことを思い出して、
ふと価値を再認識したりすることってありますよね。
どうしてなんだろう?
と考えてみるんですよ。
年齢を重ねると、そういうもんなんだよと言われるかもしれない。
それもそうでしょうね。
それは素直になれたのが一番の原因じゃなかろうか。
肩の荷を下ろして、
またいろんな力みやメンツや、
これまで生きてきた驕りや、つまらぬプライドや先入観。
そんなものが取れてきたからじゃないだろうか。
人はその人自身である前に、
内面に潜んだ「抑圧意識」にコントロールされている。
俺は俺だなんて思っている自意識そのものからして、
先祖から受け継いできた「習気」だったり、
前世から持ち越してきたところの悪念であったりする。
自我を構成しているものが、
そんな自分自身でないものから成り立っている。
それが準提尊の信仰で分かってきた。
準提尊の信仰を続ける中で、それが取れてきた。
それどころか、
自分の前世の姿までわかってきた。
だからといって、
ニヒルな感覚ではないんです。
虚無感でもないんです。
逆に、
晴れ晴れとした感覚に包まれている。
せいいっぱいで、生きていきたいと思うんです。
自分に対して、後悔しない人生を送る。
そして、
これからの人生目標を成功させる。
それが大事なんだと、一番の問題なんだと思うんですね。〈font〉