玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

絶対的不徳とその対極にあるもの

2012-03-22 21:57:38 | 左様出尾蛇瑠
人間品性の不徳を語る言葉の種類は沢山あるが、絶対的に不徳を表し、徳に転じることのないもの、それが「怨望」という言葉である。

「詐欺」とか「虚言」とかいうものも、ずいぶん根本的な不徳を表しているように考えられているが、詐欺も虚言も怨望から生ずる結果であって、怨望の原因となる根本的なものではない。

実に、「怨望は衆悪の母」であり、「場所にも方向にも拘わらずして不善の不善なる者」と福沢諭吉はいう。

「怨望」は、自ら顧み、自ら進んで取るということのない、自発性をまるで失った生きていく人間の働きは「働の陰なのもの」であって、そういう人間の心事は、内には私語となって現れ、外には徒党となって現れる他に現れようがない。

怨望家の不平は、満足される機がない。自発性を失った心の空洞を満たすものは不平しかないし、不平を満足させるには自発性がいるからだ。




小林秀雄著「考えるヒント」の「福沢諭吉」から

・・

怨望の権化のような政治家ばかりしかいないのはご承知の如し、小沢・鳩山・菅に野田・・

それでは、怨望、不善の対極にある日本人、

日本民族の心、本来の生き方のお手本は、と問われれ真っ先に思い浮かぶのは

国旗の重み ~西岡京治物語・前編~

国旗の重み ~西岡京治物語・中編~

国旗の重み ~西岡京治物語・後編~

他の悲しみを自分の心の痛みと思い、他の幸せを自分の喜びと思う

そんな心。






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