人間品性の不徳を語る言葉の種類は沢山あるが、絶対的に不徳を表し、徳に転じることのないもの、それが「怨望」という言葉である。
「詐欺」とか「虚言」とかいうものも、ずいぶん根本的な不徳を表しているように考えられているが、詐欺も虚言も怨望から生ずる結果であって、怨望の原因となる根本的なものではない。
実に、「怨望は衆悪の母」であり、「場所にも方向にも拘わらずして不善の不善なる者」と福沢諭吉はいう。
「怨望」は、自ら顧み、自ら進んで取るということのない、自発性をまるで失った生きていく人間の働きは「働の陰なのもの」であって、そういう人間の心事は、内には私語となって現れ、外には徒党となって現れる他に現れようがない。
怨望家の不平は、満足される機がない。自発性を失った心の空洞を満たすものは不平しかないし、不平を満足させるには自発性がいるからだ。
・
・
小林秀雄著「考えるヒント」の「福沢諭吉」から
・・
怨望の権化のような政治家ばかりしかいないのはご承知の如し、小沢・鳩山・菅に野田・・
それでは、怨望、不善の対極にある日本人、
日本民族の心、本来の生き方のお手本は、と問われれ真っ先に思い浮かぶのは
国旗の重み ~西岡京治物語・前編~
国旗の重み ~西岡京治物語・中編~
国旗の重み ~西岡京治物語・後編~
他の悲しみを自分の心の痛みと思い、他の幸せを自分の喜びと思う
そんな心。
「詐欺」とか「虚言」とかいうものも、ずいぶん根本的な不徳を表しているように考えられているが、詐欺も虚言も怨望から生ずる結果であって、怨望の原因となる根本的なものではない。
実に、「怨望は衆悪の母」であり、「場所にも方向にも拘わらずして不善の不善なる者」と福沢諭吉はいう。
「怨望」は、自ら顧み、自ら進んで取るということのない、自発性をまるで失った生きていく人間の働きは「働の陰なのもの」であって、そういう人間の心事は、内には私語となって現れ、外には徒党となって現れる他に現れようがない。
怨望家の不平は、満足される機がない。自発性を失った心の空洞を満たすものは不平しかないし、不平を満足させるには自発性がいるからだ。
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小林秀雄著「考えるヒント」の「福沢諭吉」から
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怨望の権化のような政治家ばかりしかいないのはご承知の如し、小沢・鳩山・菅に野田・・
それでは、怨望、不善の対極にある日本人、
日本民族の心、本来の生き方のお手本は、と問われれ真っ先に思い浮かぶのは
国旗の重み ~西岡京治物語・前編~
国旗の重み ~西岡京治物語・中編~
国旗の重み ~西岡京治物語・後編~
他の悲しみを自分の心の痛みと思い、他の幸せを自分の喜びと思う
そんな心。