玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

シナ的人間(7)- 陽明学(2)

2012-12-24 22:14:42 | 左様出尾蛇瑠

 王陽明が没し100年を経た日本の話からはじめよう。江戸時代のベストセラーは、吉川幸次郎先生によると朱子の「四書集註」だったという。およそ、書というものがある家には武家、町人、商家を問わず有り、学んだという。しかし、朱子の四書集註じゃダメだと異をとなえ、京都堀川に私塾・古義堂を開いたのが伊藤仁斎(1627-1705)日本儒学の創始者であった。弟子は3000人を超えたというからすごい。また同時代、堀川を隔てて朱子学の山崎闇斎も塾を開いて多くの門下生を抱えていた。元禄の世とはいえ、日本において治世のための教養・学問が盛んであったか分かる。

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 朱子学は事事物物の理を窮めよと説く。王陽明はこれを実践し、庭の竹を格物致知しようとして7日目にノイローゼとなった。また一物一事を窮理していくとしたら一生かけても理を窮めることなどできないし、一木一草みな理あり、というが、いったいどうして格すればいいのか、それに、たとえ一木一草の理に格えたとして、そのことによって自己の「意を誠にする」ことがどうして可能であろうか?こうして、朱子の格物致知の説に行きづまったのだ。そして、朱子の格物説は、結局において「外」によって「内」を補おうとすることにほかならないとの考えに至る。

この矛盾を解決するために王陽明は思索をつづけた。そして前述した左遷先の貴州省竜場駅で大悟したのである。「聖人ノ道ハ吾ガ性ミズカラ足ル。サキニ理ヲ事々物々ニ求メシハ誤リナリ」と。陽明が格物致知を追及して至った「心即理」である。

朱子は、心を「性」と「情」を分け「性即理」を説いた。欲に従う「情」に心が動かされれば「善」を行うことはできない。「心即理」では、心が万里の判断主体であるという要素と、心には万里の本である良知が内在しているという要素の二つがある。そして王陽明は、心が良知に従うことが一番困難なことであり、心は良知に背を向けているし、良知の声は私欲という雑音にかき消されてかすかにしか聞こえない。だからこそ、あらゆるとき、あらゆる場所において心の不正を正し、天理の存するようにすることが大切であり、良知を根本とし、良知と一体となることを最終目的とする、陽明学の思想に至ったのである。

また、朱子の格物致知を、陽明は「格物致知とは、物すなわち意の発動を正すことにより良知を実現する。わが心の良知は天理である。すなわち、我が心の良知を事事物物に致せば、事事物物みなその理を得るのである。つまり、わたしの立場は、心と理を合わせて一つにするものにほかならない」(伝習録)とした。



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読書人の哲学である朱子学に対して、実践する哲学である陽明学の真髄がここにある。

(つづく)


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