玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

詭弁とウソ

2012-09-25 21:08:03 | 左様出尾蛇瑠
古代シナの先秦時代、公孫竜の詭弁-有名なのは「白馬は馬にあらず」-はあまりにも有名ですが、このシナ人のものの考え方にほとんど本能的ともいえる憎悪を情をいだいて批判したのが本居宣長。

シナの思想家の書き残した書物は、ちょっと見には「いとかしこくは聞ゆれども」、その実、大抵は内容が空疎なこけおどしで、とうてい範とするには足らないものだといった。

例えば、「易」などという下らない書物、自分ではまるで宇宙の理法を窮めつくしたとでもいうような口ぶちだが、本当はこの書物に説かれている思想を支える太極、無極、陰陽、乾坤、八卦、五行、等々の概念は、ことごとく「くだくだしくこちたき」架空のこしらえごとで、「まことにはその理とてあることなし」といった代物にすぎない。

ということは、これらのものが事物、事象の実在性から遠く遊離した抽象概念にすぎない、ということだ。*1

・・

詭弁とは、経験的実在性の次元から一応完全にきりはし抽象的思惟に移し、「概念」を構造化し展開した言葉遊びということ。この伝統は、現在シナ人が面子をまもるための武器として恒常的につかわれますが、これが日本人には理解できない、平気でウソを吐く民族として毛嫌いされております。

「なぜ中国人は平気でウソをつくのか」*2

このシナ文化の本質を見事に見抜き、200年以上前に本居宣長がパチもん文化にはへどが出るとご指摘された。

日本人の聡明さが頭に来るんでしょうね、シナ人としては。


参考
*1)意識と本質、井筒俊彦、岩波文庫(但し原文ではシナではなく中国)
*2)史実を世界に発信する会 から 歴史通 09

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