空飛ぶ自由人・2

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小説『彼女が言わなかったすべてのこと』

2023年08月17日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

2019年9月の終わり。
主人公の小林波間32歳は、
町で通り魔事件に遭遇。
その混乱した現場で、
大学時代の同級生だった中川と偶然に再会し、
LINEのIDを交換して後日逢う約束をする。
しかし、約束の場所に小川は現れない。
ところが、LINEで話すと、小川はその場所にいるという。
映像を交換すると、スカイツリーの電灯の色が違い、
ビルの上のオブジェも違う。
どうやら、二人は同じ場所にいるものの、
異なる世界に存在しているようなのだ。
二つの世界線にいる存在が、
何かの拍子に、繋がってしまったようなのだ。

というわけで、
今流行りのパラレルワールドものの始まり。

その後、二人は何度となく、
別々の世界の同じ場所でデートし、
同じルートを歩きながら、
LINE上での会話をする。

(きっと、映像化したら、面白いものになるだろう)

あちらの世界では小川はサラリーマンで、
波間は今、ロンドンにいるという。
こちらの世界では、小川は人気漫画家になっている。
あちらの世界には菅田将暉はいないので、
こちらの映画を送ってやったりする。
小川との連絡はメールや電話ではつながらず、
LINEでだけが可能だ。

こうして、二つの並行世界の違いが描かれるが、
ある時点から急展開する。
小川の住むあちらの世界で、
中国発のウィルスが蔓延し始めているというのだ。
事態はどんどん深刻化し、
緊急事態宣言が発出され、
飲食店は休業、
映画館やイベントも閉鎖し、
都市封鎖さえ噂されているという。
事実、欧米では都市封鎖され、
万人単位の死者が出ている。
東京オリンピックも延期になった。
こちらの世界では、
オリンピックは予定通り開催されているというのに。

こちらの世界からあちらの世界(現実に近い)の
コロナ禍のパニックを見る、
というのは新しい視点で面白い。
それにしても、北海道で一日に6人感染者が出たから
北海道だけの緊急事態宣言だとか、
東京で50人感染者が出て大騒ぎ、
などと聞くと、
その後の展開を知っている者から見ると、
未知のウィルスへの恐怖が過敏だったのだな、と思わされる。
マスクが足りないときいて、
あちらの世界に送る方法がなくて苦悶したりする。

そのパラレルワールドの騒動に並行して、
波間の闘病生活が描かれる、
というか、次第にそちらの方が重きが置かれるようになっていく。

波間は乳ガンに犯され、
苦しい抗ガン剤点滴の治療をしている。
放射線治療に続き、
左乳摘出手術、
その後は、女性ホルモン抑制の薬の投与。
それが10年間続くというのだ。
波間はとりあえず寛解し、
次第に体力を回復し、
仕事にも復帰する。
前の会社の後輩の起こした会社、
清澄白河のシェアオフィスで働き、
その上のゲストハウスの小さな部屋に入居して
住人と交流していく。

小川との連絡も、
電波の調子が悪く、
次第に途切れがちになり、
時間もどんどんずれていく。

他に波間の兄、友人の楓、
同じ闘病生活者深南(みな)、
後に会社の社長になる後輩などが描かれる。
こちらの世界の漫画家の小川と再会したりする。
人気歌手の恋恋の深夜ラジオ番組を愛聴するが、
恋恋はあちらの世界では服飾デザイナーの勉強をしていて、
小川の行くカフェで店員をしているらしい。
また、最初の通り魔事件の被害者の女性らしき人物と交流する。
こちらの世界ではウクライナ戦争が起きる。
あちらの世界ではどうなのかは、
通信が不安定で判明しない。

そういう過程で、事件の被害者と世間とのずれが描かれ、
それはあたかも別なパラレルワールドの如き様相を呈してくる。

同じところに住んでるはずだけど、
世代がちがったり、
文化もちがったり、
それで、相手の住む世界の存在をぜんぜん知らないって。

それで、小川は次の感慨を口にする。

「パラレルワールドってさ、あの世みたいだな」

時代は現実を突き抜け、2024年になる。
パラレルワールドの話は決着せず、次第にフェイドアウトし、
波間の癌サバイバーとしての生き方に焦点が当たる。
こちらは、健康人である私には、少々理解不能だった。
発表はされていないが、
筆者は癌サバイバーではないだろうか。

『文藝』に連載された長篇で、
筆者の桜庭一樹としては、
純文学系の雑誌に執筆した二作目の作品となる。

主人公の波間という名前が象徴的で、
最後は人生が波間を漂うものとして描かれる。

ヘンな題名だが、
お騒がせロシア少女デュオ、タトウー (t.A.T.u.)


How Soon Is Now? の中にある歌詞、
「All the things she said 」
(彼女が言ったすべてのこと)による。
連載中の題名は「波間のふたり」だったが、
書籍化するにあたり、
「彼女が言わなかったすべてのこと」に改めた。

作者の弁。
「作中にタトゥーの曲名を日本語にした『彼女が言ったすべてのこと』を出した時は、
タイトルにするつもりはなかったんです。
でもこの作品は、主人公がだんだんいろんな複雑さがわかってきて、
完全にこれが正しいということが言えなくなって、
年々言わないことが増えて静かになっていく話でもある。
言わないことについての話だなと思ったので、
このタイトルにしました」

 



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